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さげすまされたが、いとしい!

R. L. ハイマーズ神学博士 著
ジョン・サムエル・ケイガン師による説教
ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2018年5月13日、主の日の朝の説教

DESPISED BUT LOVELY!
(Japanese)

A sermon written by Dr. R. L. Hymers, Jr.
and preached by Rev. John Samuel Cagan
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Morning, May 13, 2018

“あの方のすべてがいとしい。”(雅歌第5章16節、新改訳)

私は、雅歌からの御言葉を説教した事がありません。 スポルジョンの全ての説教を検索したところ、私はこの説教者のプリンスが、ロンドンでの彼の説教の中で、六十三の雅歌からの説教を見出しました。 そうして私はこのテキストに至りました。

“あの方のすべてがいとしい。”
“あの方のすべてがいとしい。”
“あの方のすべてがいとしい。”

マックギー博士は、「ユダヤ人は、雅歌を聖なる聖書に置ける至聖所と呼んだ。 従って、全ての人がその神聖なる場所へ入る事は可能では無かった。 もし主イエスがあなた方にとって大切な存在であり、あなた方が彼を愛するならば、・・・ここが至聖所に於けるあなた方の場である。 そうしてこの短い書物は、あなた方にとって重要なものとなるのである。 雅歌は詩的であり、且つ現実的である。 ここで神は、物語を展開する詩を通して、御自分の民に語りかけている。 私達はこの書物に接近するにあたり、霊的な靴を脱がなければならない。 私達は聖なる地にいるのである。 ソロモンによる雅歌は、丁寧な扱いを要する繊細な花の様だ。 この書物には四つの異なった、そして重要な意図が見出される。」(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1982, volume III, p. 143)。

まず最初に、雅歌は夫と妻との間の愛の表現を描写しています。 二番目に、それはイスラエルに対する神の愛を描いています。 古代のラビは、これらの二つの解釈を挙げています。 三番目に、それはキリストと彼の教会の間の愛を描いています。 四番目に、それはクリスチャン個人個人に対するキリストの愛を、そして、キリストとの 霊的な交わりを描写しています。 多くの偉大な神の聖人達がそれを体験しました。 ソロモン王による雅歌は、強大なリバイバルの押し寄せを目にしたスコットランドの説教者、ロバート・マレー・マックシェーン(Robert Murray McCheyne)の好んだ聖書の書物でした。 彼は二十九才の若さでこの世を去りましたが、「彼は額に永遠なる印を押されて説教した」と言われています。 雅歌は彼の好んだ聖書の書物でした。 ロバート・マックシェーンが雅歌から説教した時、強面の男性達も泣いて膝まづき、何百人もの罪人が彼らの心をキリストに屈服しました。 それはまた、偉大なスコットランドの説教者、サムエル・ルサフォード(Samuel Rutherford, 1600-1661)、D・L・ムーディ(D. L. Moody, 1837-1899)、そして、ハリー・アイロンサイド(Harry Ironside, 1876-1951)の好んだ聖書の書物でもありました。 また、私が先に語ったように、スポルジョンはこの雅歌から六十三の説教を説きました。 ダンカン・キャンベル(Duncan Campbell)が、雅歌からの御言葉を説教した時、ルイス島にリバイバルが起こったのです。

では次に、この本文へと入ります。 妻は夫に、“あの方のすべてがいとしい”と言いました。 従って、真のクリスチャンはイエスに対して、“あの方のすべてがいとしい”と言います。 この御言葉について説教しようと考慮した際、私はスポルジョンと同様に、「それはあまりにも高度で、私はそれを説教する事は出来ない」と思いました。 このような洞察力を要するテキストは、時折私を圧倒させます。 しかし、私がその意味を全て引き出す事が出来なくとも、少なくとも、今朝そのいくつかを引き出したいと思います。 イエスを一目見る事は、この世の全ての栄光を目にするよりも望ましい事なのです、なぜなら、イエスの“すべてがいとしい”からです。 ではここで、イエスについての二つの対比する見解を取り上げます。

I. 最初に、この失われた世はイエスを愛しいとは全く思わない。

今日あなた方は、この世がどのようにイエスを締め出しているかに気づいたことがありますか? 人々は彼の名前を聞く事さえ望まないように思えます。 私は、米国空軍の従軍牧師は、もはやイエスの名を通して祈ることが出来なくなったと聞きました。 牧師が市民のイベントなどで祈るよう依頼されるなら、彼らはイエスの名を出して祈りを終わらす事の無いように具体的に指示されます。 このようなイエスの名前に対する嫌悪感は、今に始まった事ではありませんが、それは年毎に激しさを増しています。 ずいぶん昔の映画で、クリスチャンの祈りが演じられている際には、映画製作会社の大物達は、そのシーンで「イエスの御名に於いて、アーメン 」と祈る事の無い様仕向けました。 イエスの名前を外されたシーンに、それらの大物達は誰も気付かないだろうと考えたのでしょう。 しかし私達は、常に「イエスの御名に於いて、アーメン」と祈りを終えます。 ですから、私達はそれに気付き、それらの大物達がどんなにもイエスに対して反感を持っているかを知らされたのです。

救い主に対する彼らの嫌悪感は、彼らが、救い主をセックス狂的な愚か者のように描写した冒涜的映画『The Last Temptation of Christ』を公開した時、そのことは更に明白になりました。 私達の牧師、ハイマーズ先生は、その映画が上映される事を新聞で読んだ時、居間で椅子に腰かけ、その映画について考えました。 そして神は先生に、「あなたはこれを放って置くのですか?」と語りかけました。 ハイマーズ先生は、「父よ、それは私の手に負えません」と答えました。 しかし神は、「あなたが行動を起こさないなら、誰がするであろうか?」と答えられました。 そうして、私達はイエスを擁護する事になりました。 全てのテレビのチャンネルは、晩のニュース報道で私達のデモを取り上げました。 ニューヨーク・タイムズ紙とウォールストリート・ジャーナルの第一面にも載せられました。 私達のデモは、ナイトライン、ザ・トゥナイト・ショー、クロスファイヤー等でも取り上げられ、更に私達のデモの写真や記事をTVガイドにも載せました! それは英国、フランス、イタリア、ギリシャ、オーストラリア、そしてイスラエルに至るまで、国際的に報道されました。 トーマス・R・リンドルフ(Thomas R. Lindlof)の 『Hollywood Under Siege』(2008、University Press of Kentucky)と題する本が出版されました。 正面の表紙には、私の父ケイガン先生と私達の教会の約125人ほどが、その卑劣で冒涜的な映画に抗議するサインを掲げている写真が載せられています。 約30フィート(9メートル強)ほどの大きなサインは、「ワッサーマン - イエス・キリストから立ち退きなさい!」と書かれていました。 ルイス・ワッサーマンは、その映画の制作者でした。 ハイマーズ先生は、その本の十三箇所で引用されました。 彼らはイエスに対して嫌悪感を抱いていただけでなく、ハイマーズ先生、私の父、そして私達の教会に対しても同様でした、なぜなら、私達が大胆に救い主を擁護したからです! この本の題名は 『Hollywood Under Siege(邦語直訳:包囲されたハリウッド)』です。 考えて見て下さい、125人ほどの少人数のバプテストがハリウッドを「包囲」したのです! 映画製作会社の大物達が、大都市の都心部の少数のバプテスト教会のメンバーに「包囲」されたのです! ハイマーズ先生は、ハリウッド、ベバリーヒルズ、ニューヨーク、ワシントンのエリート達が、どんなにか主イエス・キリストに対して嫌悪感を抱いているかを知っています。 ビル・マーヘル、ジョージ・クルーニー、そしてアンダーソン・クーパーから、ウォルフ・ブリッツアーまで―彼らは神の御子を軽蔑し、拒絶しています。 そして、教会が公に迫害されるようになるまで、それは終わる事は無いと私は思います。 また、あなた方が生涯中にそれを体験すると私は確信します。

最悪にも、今日の多くの教会で、イエスは重要視されていません。 イエスは、御自分の家でさえも歓迎されていないのです! マイケル・ホートン博士は、彼の説得力と洞察力をもって書いた『Christless Christianity』(Baker Books、2008)の中で、そのことについて書き留めています。 その本のジャケットには、「キリスト不在のキリスト教にまでは到ってはいないにしろ、我々は確実にそこに向かっている、とホートンは主張している。 我々はキリストの名を引き合いに出すが、しばしば、キリストとキリスト中心なる福音は、片隅に追いやられている。」と書かれています。 しかし、イエスが今日そのように扱われている事に驚かされてはなりません。 聖書は、このように告げているからです、

“彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。”(イザヤ53:2-3)

それが、生まれながらに救われていない状態の人のイエスへの見解です。 “彼には、私たちが見とれるような姿もなく”。 そして彼らは、イエスを“さげすみ、のけ者に”します。 ハイマーズ先生もその様でした。 彼は、幼少の頃に毎日のようにカトリック教会に立ち入りました。 当時の1940年代には、常に教会の扉は開かれていたからです。 そこは物静かで、安らぎが感じられたので、先生は入って行ったのです。 その教会の中に、血が顔に流れ落ち、十字架を背負う、実物大のイエスの像がありました。 先生は、イエスを悲劇的な人物、人に鞭打たれ、十字架に付けられた殉教者として見なしました。 イエスの受難についての思いは、幼少のハイマーズ先生を恐れさせました。 先生のその思いは、1961年9月28日に二十歳で、先生が最終的に回心したその日まで持続しました。 その日まで、イエスはひどく誤解され、十字架に付けられ、望なしに死んで行った悲劇的な人物、とハイマーズ先生は思っていました。 しかし、回心をしたハイマーズ先生は、その日に、死に打ち勝ち、天の神の右座におられ、罪から人を救い、彼の人生を変えてくださる方、生きておられ、復活された救い主として、イエスを初めて見ました。 その朝、ハイマース先生がイエスを見た時、初めてキリストが、その方の全てが愛しいとなったのです!

II. 二番目に、真のクリスチャンは、キリストは全て愛しい事を知っている。

イエスは、私が知っている最も甘い名前
   彼は名前のごとく麗しい
それが、私が彼を好きな理由
   あぁ、イエスは、私が知っている最も甘い名前 (直訳)
(“Jesus is the Sweetest Name I Know” by Lela Long, 1924).

それが突如として、私達のハイマーズ先生に起こったように、あなた方にも起こるかもしれません。 あるいは、あなた方がイエスの御前にひれ伏し、あなた方の救い主、そしてあなた方の神として彼を信頼するまで、彼が何とも愛しい方である事を、徐々に知るようになるかもしれません。 ハイマーズ先生がイエスを信頼した瞬間に、彼はチャールズ・ウェスレーと共にこの歌を歌う事が出来ました。

鎖はほどけ、我がこころは自由になり
   立ち上がり、我は汝に従わん
驚くべき愛! 我が神である汝は
   我がために死するのか? (直訳)
(“And Can It Be?” by Charles Wesley, 1707-1788).

実際、イエスがハイマーズ先生を救って下さったその朝、教会はこの賛美歌を歌っていました!

我が囚われの霊は長く横たわり
   罪と暗闇の中に固く捕らわれし
汝の眼は活気づく光を放散し
   燃え立つ光でもって、我は牢で目を覚ます
鎖はほどけ、我がこころは自由になりし
   立ち上がり、我は汝に従わん
驚くべき愛! 我が神である汝は
   我がために死するのか? (直訳)

その瞬間、ハイマーズ先生はマックシェーンやスポルジョンと共に、「あの方のすべてがいとしい!」と喜び叫ぶ事が出来ました。 先生は声を張り上げてこのドイツの賛美歌を歌う事が出来ました。

わかくさのまきばより
   はなさくもりより
うるわしきつくりぬし
   われうたいまつらん

そらにてるひかりより
   夜ぞらのつきより
てりわたるすくいぬし
   われたたえまつらん
(『わかくさのまきばより』“Fairest Lord Jesus,” 17th century German hymn,
      translated by Joseph A. Seiss, 1823-1904).

“あの方のすべてがいとしい。”

その方はイエスです、

“御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。”(コロサイ1:15-22)

ハレルヤ! その方はイエスです! 「そうです、その方はすべてがいとしい!」 私達は、彼をさげすみ、そしてのけ者にする事から、感謝の賛美を持ってイエスの足元にひれ伏すようになるのです―なぜなら、イエスは私達を救う為に十字架で死に、私達に命を与える為によみがえられたのです! ハレルヤ! 「あの方のすべてがいとしい!」 「そうです、イエスのすべてがいとしいのです!」

イエスは、私が知っている最も甘い名前
   彼は名前のごとく麗しい
それが、私が彼を好きな理由
   あぁ、イエスは、私が知っている最も甘い名前 (直訳)

“足元に口づけした。” (ルカ7:38) 罪深い女性の様に、イエスに来なさい。 そしてイエスは、「あなたの罪は赦されています。」(ルカ7:48)と言われました。 “御子に口づけせよ。”(詩2:12) 聖書はそうするように告げています! “御子に口づけせよ。・・・幸いなことよ。 すべて主に身を避ける人は。”(詩篇2:12) 今朝、神の御子に口づけし、主に身を避けませんか? 「御子にくちづけするのですか?」とあなた方は言うでしょう。 そうです! そうです! 信仰を通して御子に口づけし、彼を信頼しなさい、なぜなら、あの方のすべてがいとしいからです!

     イエスに来るのを恐れる事は無い。なぜなら、“あの方のすべてがいとしい”からである。それは全てが恐怖とは告げていない―それは、彼に対するあなた方の思い違いである。それは、あの方は、やや、いとしいとは告げていない。そして時たま、特定の罪人を受け入れて下さるとも告げていない、それは、“その方はすべてがいとしい”のである。それゆえに、イエスは最も卑劣な「罪人達」でさえもをいつでも迎えて下さるのである。彼の名前を考えて見なさい。それは救い主なるイエスである。いとしい名前では無かろうか?イエスの御奉仕を考えよ。イエスは失われたものを救う為に来られたのである。それが彼の御奉仕である。いとしい事では無かろうか?彼の為された事を考えて見よ。イエスは御自分の血で我々の魂を贖われたのである。いとしい事では無かろうか?イエスが為しておられる事を考えよ。彼は神の御坐の御前で罪人の為に[祈って]おられる。…それはいとしい事では無かろうか?[どのようにイエスについて考えたとしても]、イエスは彼を必要とする者達にとって心を引き付けるべき方である。来なさい、ならば、来なさい、そして喜んで受け入れられる、あなた方を遠ざけるものは何も無い、あなた方に来るように(呼び掛ける)全てが整えられている。私がキリストを説教し、崇めたこの安息日が、あなた方が彼に引き寄せられた日となるように、そして、決して彼から去る事無く、永遠に彼の民となるように、アーメン(C. H. Spurgeon, “Altogether Lovely,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1977 reprint, volume 17, pages 407-408)。

「そうです、あの方のすべてがいとしい」、そしてイエスは、あなた方が御自分に来て、信頼し、そして永遠に救われるよう呼び求めているのです―なぜなら、イエスはあなた方を愛しているからです! なぜなら、イエスはあなた方を愛しているからです! イエスに来なさい―なぜなら、イエスはあなた方を愛しているからです! イエスはあなた方を拒みません―なぜなら、彼はあなた方を愛しているからです! 

つみおもいださする
   なみだの夜よゆけ
えみとかんしゃのあさを
   われはまてり
われはやみてはだか
   めはめしいなれども
ただきみみあげつつ
   われゆかまし

では、その賛美歌のもう一つの節に耳を傾得て下さい、

ちのたからかいらく
   みるだにいとわし
ただしたいまつるは
   主のじゅうじか
あらしよはやくゆけ
   やすきよきたれとく
かなたのひかりへと
   われゆかまし
(『つみおもいださする』“Jesus, I Come”
      by William T. Sleeper, 1819-1904).

イエスは、あなた方を愛しています。 今朝、イエスに来なさい。 あなた方は、“すべてがいとしい”イエスを見出すでしょう。 イエスの血は、あなた方の全ての罪を洗い清めるでしょう。 あなた方がイエスを信頼する事について私達とお話ししたいならば、皆が昼食をしている間に、この席の二列目に座って下さい。 アーメン。


ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。 もしあなたがこれらの説教で祝福されるのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。 ハイマーズ博士の電子メールの住所はここをクリックしてくださいrlhymersjr@sbcglobal.net。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。 ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。

(説教終了)
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説教前の聖書の朗読:ヨハネ6:35-39
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come, Ye Sinners” (by Joseph Hart, 1712-1768)

要 綱

さげすまされたが、いとしい!

DESPISED BUT LOVELY!

R. L. ハイマーズ神学博士 著
ジョン・サムエル・ケイガン師による説教

“あの方のすべてがいとしい。”(雅歌第5章16節、新改訳)

I.    最初に、この失われた世はイエスを愛しいとは全く思わない。
イザヤ53:2-3。

II.   二番目に、真のクリスチャンは、キリストは全て愛しい事を知っている。 
コロサイ人第一1:15-22;ルカ7:38, 48;詩篇2:12。