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彼らは、イエスを見捨てて、逃げてしまった。

R. L.ハイマーズJr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2018年3月4日、主の日の晩の説教

THEY FORSOOK HIM AND FLED
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Evening, March 4, 2018

“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイの福音書第26章56節、新改訳)

イエスはゲツセマネの園で、御自分だけの祈りを終えられました。 彼は眠っている弟子達を起こされました。 イエスは、“立ちなさい。 さあ、行くのです。 見なさい。 わたしを裏切る者が近づきました。”(マタイ26:46)と言われました。 そうして、ユダがこれらの人達を引き連れてやってきました。 “剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。 群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。”(マタイ26:47)

ゲツセマネの園は暗く、皆同じに見えたに違いありません。 ユダは、宮の守衛長に、“私が口づけをするのが、その人だ。 その人をつかまえるのだ。”(マタイ26:48)と言いました。 ユダはイエスの頬に口づけしました。 “そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。”(マタイ26:50) “シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。 そのしもべの名はマルコスであった。”(ヨハネ18:10) イエスは、“耳にさわって彼を直してやられた。”(ルカ22:51) そうしてイエスはペテロに剣を戻すように命じられました。 イエスは彼に、“それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使い[72,000人の御使い]を、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。”(マタイ26:53-54) そうしてイエスは、彼を捕らえる為にやって来た者達にこう言われました、“まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。 わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。”(マタイ26:55)

“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイ26:56)

これらの出来事は、預言者達を通して何百年も前から示されていました。 R・C・レンスキー博士は、「これら全ての事は、一つの理由の為、一つだけの為に起こったのである:『預言者達を通しての聖書が成就する為。』 これが、その晩の出来事を通して働いた真の力である:神が、御自身の御計画を実現させられたのである。 それゆえ、イエスは自ら進んで捕らえる者の手に御自分を渡されたのである。・・・そこで第56節が成就したのである。 イエスが捕らえられた時、全ての弟子達は逃げてしまった。」(R. C. H. Lenski, Ph.D., The Interpretation of St. Matthew’s Gospel, Augsburg Publishing House, 1964 edition, p. 1055; note on Matthew 26:56)

“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイ26:56)

この説教で、弟子達が“イエスを見捨てて、逃げてしまった”理由の幾つかを探る為に、私はこの聖句を更に深く探求します。 ジョージ・リッカ―・ベリー博士によれば、“見捨てて”と訳されたギリシャ語は、「すてる」という意味です(A Greek-English Lexicon and New Testament Synonyms)。 これらが、弟子達がイエスを捨てて逃げたように、イエスを見捨てた事の幾つかの理由です。

I. 最初に、預言者達によって書かれた御言葉が成就する為に、彼らはイエスを見捨てて、逃げた。

私達のテキストは、“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。・・・”と告げています。 それは、弟子達がイエスを見捨てて逃げた事のこの預言をも含みます。 ゼカリヤ書第13章6-7節はこのように告げています、

“「あなたの両腕の間にあるこの打ち傷は何か。」と聞くなら、彼は、「私の愛人の家で打たれた傷です。」”(ゼカリヤ13:6-7)

“牧者を打ち殺せ。 そうすれば、羊は散って行き”という御言葉について、ヘンリー・M・モリス博士はこのように語っています、

この節は、マタイの福音書第26章31節とマルコの福音書第26章31節に、キリスト御自身によって引用されている。良い牧者であるキリストは、御自分の命を羊の為に捨てる。しかし、この世を変えるこれらの出来事によるトラウマにより、彼の羊はしばらくの間散乱するのである。(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishing, 1995 edition, p. 993; note on Zechariah 13:7)

主イエス・キリスト御自身が、ゼカリヤ書第13章7節は、弟子達が彼を見捨てて逃げる事の預言であると告げています。 マタイの福音書第26章31節は、このように語っています、

“「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。”(マタイ26:31)

更に、マルコの福音書第14章27節は、このように告げています、

“イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。”(マルコ14:27)

イエスを見捨て逃げて行った弟子達は、ゼカリヤ書第13章7節の預言の成就でした。

“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイ26:56)

II. 二番目に、彼らはイエスを見捨てて、逃げてしまった、なぜなら、彼らは堕落した人間であったからである。

人類は、堕落した血統です。 私達はそれを決して忘れてはなりません。 あなた方は、罪人なのです、なぜなら、あなた方は邪悪な血統のひとり―アダムの子孫だからです。 聖書はこのように告げています、

“ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がった。”(ローマ5:12)

ですから、全ての人々は“罪過の中に死んで”(エペソ2:5)生まれたからです。 ですから、全ての人々は“生まれながら御怒りを受けるべき子ら”(エペソ2:3)なのです。 ですから、あなた方は、生れながらにして罪人なのです。 すべてに対して悪魔を責めてはなりません! 私達が生まれながらにして罪人でなかったならば、悪魔は私達を奴隷にする事は出来なかったでしょう。 アダムの子孫は、すべて皆、生まれながらにして罪人なのです。 あなた方は生まれながらにして罪人です。 そうです!

弟子達も私達と同様なのです。 彼らもまた、“生まれながら御怒りを受けるべき子ら”だったのです。 彼らもまたアダムの子孫でした。 ニュー・イングランドの古い子供の本はこのように語っていました、

「アダムの堕落によって、
私達は全て罪を犯した。」

弟子達は、“神に対して反抗する。”(ローマ8:7) 肉に属する思いを持っていました。 それゆえ、彼らにキリストについて説教される度に、福音を拒否するのです。 あなた方が福音を拒否するのと同じように! J・バーノン・マックギー博士はこのように言いました、

[キリスト]は、彼がエルサレムで死なれる事を五回繰り返された(マタイ[16:21]; 17:12;17:22-23;20:18-19; 20:28)。この様に幾度にも渡って語られたにも関わらず、キリストが復活されるまで、弟子達は[福音]の重要さを把握する事が出来なかった(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume IV, p. 93; note on Matthew 16:21)。

なぜ弟子達は、福音の「重要さを把握」しなかったのでしょうか? その答えは簡単です、

“それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。”(コリント第二4:3)

ヨハネの福音書第20章22節についてのマックギー博士の記述で、彼らが復活されたキリストに出会うまで、そしてキリストが彼らに息を吹きかけて、聖霊を受けなさいと言われるまで、弟子達は新たに生まれていなかった(再生)、と彼は言いました。 (ここをクリックしてこの主題についての私の説教を読んで下さい―(“弟子たちの恐れ” – “この言葉が彼らに隠されていた,” “ペテロの回心,” “ペテロの罪の悟り,” and “ユダの誤った後悔.”)。

“そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイ26:56)

彼らは、自分達が罪人である事を知る為に、そのことを経なければならなかったのです。 ジョン・ケイガンやエミ・ザバラガが、自分達が邪悪な罪人であった事を自覚しなければならなかったのと同様に、あなた方も、失われた罪人である事を、自覚させられなければならないのです!

弟子達が再生されていなかった、そして、キリストの復活の後まで回心しなかった、と私が語るのは行き過ぎである、とある人達は言うかもしれません。 あなた方は、弟子達とは異なっていると思っているのですか? 彼らは、私と何の違いもない罪人である事を、私は知っています! イエスの血無しでは、今晩私はあなた方の前に立って説教していないでしょう! イエスの血無くしては、私は未だ地獄へと落ちる失われた罪人なのです!

我が身の弱さに、ただ立ち尽くさん
   主は憐れみもて、我を癒しぬ
今、主を覚えて、おおせによらん
   我が業清めて、永遠に御傍に
(『すべての恵みのみもとに来たれ』“Come, Thou Fount”
      by Robert Robinson, 1735-1790).

私は、イアン・H・ムライの書物、『The Old Evangelicalism』(The Banner of Truth Trust, 2005)を称賛します。 一般的な回心について、イアン・ムライはこのように語りました。 「今日、回心について真の復帰の差し迫った必要性がある。 この主題に関して広がる論議は、多くのさほど重要では無い事柄を吹き飛ばす健全な風となろう」(p. 68)。 この主題に関しての意見を私に書き送って下さい。 あなた方の意見を聞きたいと思います。 そして、私自身、各自に返答します! 私のメールアドレスは、rlhymersjr@sbcglobal.netです。

“そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイ26:56)

なぜなら、彼らの罪は未だイエスの血によって清められていなかったからです! あなた方はイエスの血によって清められていますか? どうですか? どうですか? イエスの血によって清められていないならば、あなた方には望みはありません!

III. 三番目に、彼らは罪から真に回心していなかったから、彼らはイエスを見捨てて逃げてしまった。

彼らは、自分達の能力に強い自信がありました。 私達は、イエスが死からよみがえり、彼らの前に現れて、彼らに息を吹きかけられたことを、前に何度も理解します。 例えば、イエスがペテロに、その晩に彼がイエスを拒否する事を告げられました。 彼らは聖霊によって、自分達の罪を感じさせる為に、自信をしぼませる働きを経なければならなかったのす!

“ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。”(マタイ26:35)

弟子達は誰も未だ回心していませんでした! そして、あなた方も同様です! 罪をあなた方に感じさせる為に、あなた方は自信を失わせる聖霊の働きを経なければならないのです! マーティン・ロイド-ジョーンズ博士はこのように言いました、

罪の教義無しの、また罪とは何であるかを把握する事無くしての、真の伝道は無い。…伝道は神の神聖さ、人間の邪悪さ、そして悪と不法な行為による永遠の帰結から始まらなくてはならない。それは、このように自分の罪を感じている[人]、救いと贖いを求めてキリストのもとに投げ込む人、のみである[ハイマーズ博士の記述:私自信、復活祭の劇でユダの役を演じた事によって、罪を深く意識するようになった!](D. Martyn Lloyd-Jones, M.D., Studies in the Sermon on the Mount, InterVarsity, 1959, volume 1, p. 235; emphasis mine)。

弟子達が皆、“イエスを見捨てて、逃げる”まで、彼らは罪の意識を感じませんでした。 弟子達は少し前に、“私たちはあなたが神から来られたことを信じます”と言ったのです。

“イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。”(ヨハネ16:30-32)

ペテロがキリストを拒否した後の彼の悲嘆と罪の意識は、確かに他の弟子達にも感じられたのです。 “彼は、外に出て、激しく泣いた。”(ルカ22:62) W・G・T・シェッド博士は、「聖霊は通常、人が罪を意識するまで、その人を再生しない」(Shedd, Dogmatic Theology, volume 2, page 514)と述べています。 ですから、弟子達は、彼らがイエスを裏切るまで、彼らの罪を悟りませんでした。 その時に、彼らはイエスの聖なる血によって清められなければならない事を知ったのです! あなた方の何人かは、自分達の罪を悟る事無く回心する事が出来ると考えています! あなた方は、自分達の罪を意識するまで回心する事はありません! ペテロは出て行き、激しく泣きました。 ほとんどの人達は、回心する前にペテロのように泣きます。 あなた方は、悲痛な涙を流した事がありますか?

応用

ではここでもとに戻り、未だ回心していない人達にそれを適用させます。 あなた方の心は、“何よりも陰険で、それは直らない。”(エレミヤ17:9)ように、自分が堕落した罪人であると感じていますか? “私は、ほんとうにみじめな人間です。 だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。”(ローマ7:24)、と感じていますか? あなた方は、自分に対する全ての自信を失くしていますか? あなた方は自分の罪に対して泣いた事がありますか? あなた方が、自分の罪に対して嘆き泣くまで、あなた方には望みはありません! あなた方が、「神さま。 こんな罪人の私をあわれんでください」と感じるまで。 ロイド-ジョーンズ博士は、「それは、このように自分の罪を感じている[人]、救いと贖いを求めてキリストのもとに投げ込む人、のみである」(同著)と言いました。

イエスの御名において、一つの思いをもって、聖なる賛美を高らかに歌え
そして、彼が流されたすべての御血の癒しの流れを考えよ。

あぁ、その純血が流されたとき、彼が負った苦悩を誰が話せるか、
我々の罪が負うされた時、何が彼の苦しめられた胸中を苦悶されるか?

彼の心が深く打ちひしがれたのは、侮辱的な嘲弄の声ではなかった。
刺しとおす釘、尖ったとげは、もっとも悲しい悲痛を起こさず。

しかし、すべての苦闘する吐息は、内に、より重い悲しみを漏らし、
人の罪の重さは、彼の苦しみの魂に負わされる。 (直訳)
(“The Lord Hath Laid on Him” by William Hiley Bathurst, 1796-1877;
to the tune of “Amazing Grace.”)

あなた方は、罪を強く感じ、中国でのリバイバルで彼らが為すように嘆き、真の涙で泣かなければなりません。

しばらくして、救われる事について私達と話す為に、最初の2列目までに座るようにあなた方に言いましょう。 何人かの人達は出て来るでしょうが、多くの人達にとって、それは何の役にも立ちません。 あなた方は失われた罪人として出て行くでしょう。 なぜ、それは何の役にもたたないのでしょうか? なぜなら、あなた方は失われている事を感じていないからです。 あなた方は弟子達と同様です。 あなた方は自分にとても自信を持っています。 あなた方は自分のやり方でクリスチャンとして生活していけると考えています。 しかし、それは間違いです。 あなた方は遅かれ早かれ、悪魔が来てあなた方を唆すでしょう。 あなた方は正に弟子達が為した通り為すでしょう。 あなた方はキリストを見捨てるでしょう。 あなた方はこの教会を去るでしょう。 あなた方は、罪の生活に戻って行くでしょう。 なぜ、私にそれが判るのでしょうか? なぜなら、私は六十年間説教しているからです。 私は、あなた方のような人達を何百人として見て来ました。 ですから、弟子達がその晩に為したように、あなた方はキリストを見捨てる事を知っているのです。 遅かれ早かれ、あなた方は正に彼らが為した行いを繰り返すのです。 あなた方はそうはしないと思っています。 しかし、あなた方は間違えています! あなた方は、すでにこの教会を出て行く事を考えています、そうでは無いですか? そうでは無いですか? そうでは無いですか? あなた方はそれを知っています

あなた方は自分の心について考えなければなりません。 あなた方は自分の罪を感じなければなりません。 あなた方はイエスへの信仰の無さを感じなければなりません。 あなた方は自分が失われた罪人である事を感じなければなりません!  自分の罪を感じなければなりません―イエスを信頼していない罪を。 イエスを信頼していない罪―それは、何よりも大きな罪です。 イエスはこう言われました、“信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。”(ヨハネ3:18) 地獄へ行くまで待つ必要はありません。 あなた方はすでに裁かれているのです。 ロイド-ジョーンズ博士は、「それは、このように自分の罪を感じている[人]、救いと贖いを求めてキリストのもとに投げ込む人、のみである」と言いました。 あなた方は自分の罪を感じていますか? あなた方が自分の罪を感じているなら、そしてそれはあなた方を思い悩ますなら、あなた方はイエスに来て彼を信頼し、イエスによって救われ、あなた方の罪を清める為にイエスが流された血によって洗い清められるでしょう。 真に救われる道は他にありません。 イエスの血について、私が説教しない日曜日が決して来ない様に私は祈ります。 イエスを信頼して、清められなさい―私はこれ以外の他の福音は知りません。 カルバリーの十字架で流されたイエスの血が唯一の望みです! 且つ、あなた方はイエスに、もしくは彼の血に触れません! なぜでしょうか? なぜなら、あなた方は自分達の罪を意識していないからです―だからです! だからです! だからです! あなた方は正しい言葉を学ぼうとしています。 ああ、何とばかげている事でしょうか! オーガスティンは、「我々の心が、あなたに休息を見出すまで、休む事は無い」と言いました。 救い主から流れ出る血に満ちた泉。 それに浸かった罪人達は、全ての罪の汚れを落とします。 今、イエスに来なさい。 イエスの聖なる血によって、全ての罪を洗い流しなさい! アーメン。


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(説教終了)
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ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Alone” (Ben H. Price, 1914).

要 綱

彼らは、イエスを見捨てて、逃げてしまった。

THEY FORSOOK HIM AND FLED

R. L.ハイマーズJr. 神学博士 著

“しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。”(マタイの福音書第26章56節、新改訳)

(マタイ26:46, 47, 48, 50;ヨハネ18:10;ルカ22:51;
マタイ26:53-54, 55)

I.   最初に、預言者達によって書かれた御言葉が成就する為に、彼らはイエスを見捨てて、逃げた。 ゼカリア13:6-7;マタイ26:31;マルコ14:27。

II.  二番目に、彼らはイエスを見捨てて、逃げてしまった、なぜなら、彼らは堕落した人間であったからである。 ローマ5:12;エペソ2:5, 3;ローマ8:7;
コリント第二4:3。

III. 三番目に、彼らは罪から真に回心していなかったから、彼らはイエスを見捨てて逃げてしまった。 マタイ26:35;ヨハネ16:30-32;ルカ22:62:
エレミヤ17:9;ローマ7:24;ヨハネ3:18。