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血によって、もしくは、血によらないで。

R. L.ハイマーズJr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2018年1月21日、主の日の晩の説教

WITH OR WITHOUT BLOOD
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Evening, January 21, 2018

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(ヘブル人への手紙第9章22節、新改訳)

スポルジョンによる回心者達の大多数は、瞬時な回心では無く、キリストのみを信頼し、喜び、そして確信を抱く以前に、何週間か数ヶ月間もの苦悩を伴う罪の自覚と後悔を伴って起こり始めました。 これらは、スポルジョンの説教を通して回心した二人の若い女性達の信仰告白です。

メアリー・エドワーズ

     彼女がスポルジョンの説教を聞くまで、彼女の心は頑なであった。彼女は自分の罪に対する裁きを非常に恐れ始めた。彼女は教会へ来続けたが、何か月間も絶望的な状態であった。そうして彼女は、イエスの愛に関するスポルジョンの説教を耳にした。彼女はイエスを、そして彼の贖いの血を信頼し、大いに喜んだ。彼女はイエスのみを信頼し救われたのである。彼女は未だイエスのみに目を向けている。

メアリー・ジョーンズ

     彼女は好奇心でスポルジョンの説教を聞きに来た。彼女は恐れを感じて教会を去って行った。彼女は、「私は彼の説教を聞きに行った事を後悔しています。そして二度と行かないと決心しました。しかし私が欠席した時、私は悲惨を感じました。彼の説教を聞きに行くと、私は悲惨を感じ、欠席したなら、また悲惨を感じたのです。最終的に私は、キリストを信頼し、キリストを通して私は平安と癒しを見出しました。私がイエス以外の何かを通して平安を求める事を断念するまで、私はキリストを見出す事が出来ませんでした。最初に全てを試みました。しかし、イエスを、そして彼による救いの血を見出すまで、自分に平安を与えてくれるものは何もありませんでした」と語った。

私が説教を始める前に、スポルジョンの教会で、多くの若者達がイエスを信頼する事に役立った賛美歌をグリフィス氏が歌います。

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

偉大なスポルジョンは、しばしば「説教者の王子」と呼ばれました。 正に、彼以上に素晴らしい福音の説教者はいません。 スポルジョンの全ての説教の主題は、常に十字架でのイエスの犠牲による罪人の救いでした。 そしてその主題は常に、罪を赦す為に十字架で流された救い主の血についてで、彼の説教でそれは強調されました。 ですから、彼はしばしばこのテキストを説教し引用したのです。

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

しかし、「赦免―罪の赦し」という言葉は、ほとんどの現代人には知られていません。 その意味をよりよく理解するために、「罪の赦し」と翻訳されたギリシャ語を調べなければなりません。  ストロング注解書は、そのギリシャ語は「aphěsis」と説明しています。 それは、「解放」、「赦免」、「救出」、「自由」、「赦し」等を意味します。 私達のテキストは、これらの言葉を付け加える事によって、このように明確にすることができます、

「血を注ぎ出すことがなければ、自由、赦免、解放、釈放、赦し、はないのです。」

スポルジョンが、しばしば血に関する聖句を引用したのも当然なことです。 彼の有名な説教のひとつの中で、彼はこのように語っています。

「イエスの血に関して説教しない説教者達がいる。私は彼らについて一言あなた方に告げる:決して彼らの説教を聞きに行ってはならない!彼らの言う事に耳を傾けてはならない!血の欠けた説教は、生命が無い、そして、生命の無い説教は、誰の為にもならない。」

血の重要さは、私達のテキストで明確にされています。

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

I. 最初に、イエスの血が注ぎ出されなければ、あなた方に何が起こるかを考えてみなさい。

キリストの血が注ぎ出されなければ、あなた方は罪から解放されることはありません。 キリストの血が注ぎ出されなければ、あなた方の罪の赦しはありません。 キリストの血が注ぎ出されなければ、あなた方は罪から救出される事はありません。 キリストの血が注ぎ出されなければ、あなた方は罪から自由になる事はありません。 キリストの血が注ぎ出されなければ、あなた方の罪が赦される事はありません。 あなた方の死で待ち構えるものは、地獄の火炎だけです。

スコットランドでの偉大なカンブスランのリバイバルでは、地獄についての説教がされました。 「カンブスランの説教者達は、苦痛を伴う文字通りの地獄を信じていた。 彼らは非常に真摯であったため、聴衆者達に地獄について警告する事を控えなかった。 多くの人達は彼らの警告を理解した。 二十一才のある若者は、『失われた人達が燃やされているくぼみの様な地獄を、そして悪霊どもが彼らの周りをうろついているを、遠くから目にしたような気がした。』 十五才の少年は、卒倒寸前に、『地獄からの火が目前に迫って来た』と言った。 一人の若い女性は、硫黄のにおい、『地獄の火と硫黄の池のにおい』で、息が出来ないほどであった」(The Cambuslang Revival, The Banner of Truth, 1971, p. 154)。

しかし、私はこれらの人達の体験によって、地獄についての私の信念を基づかせているわけではありません。 私が地獄を信じているのは、聖書を通して、神が教えているからです。 聖書の中で、イエスは誰よりも地獄について多くの事を告げています。 イエスは、彼の時代の不信者達に、“おまえたち蛇ども、まむしのすえども。 おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。”(マタイ23:33)と言われました。 キリストは不信者に、“ゲヘナの消えぬ火の中”(マルコ9:43)に落ちて行くであろうと警告されました。 キリストは、地獄で“私はこの炎の中で、苦しくてたまりません”(ルカ16:24)と叫んだ一人の金持ちについて語られました。 スポルジョンはこう言いました、

地獄で一時間でも時を過ごすものなら、何とも災難である!ああ、あなた方はそこで、どんなにも救い主を求めていたならと願うであろう!だが、地獄での一時間などというものはあり得ない。一度失われたなら、あなた方は永遠に失われるのである!

スポルジョンは、更にこう言いました、

あなた方は地獄の入口の上で一筋の糸でさらされている:そして、その糸は切れようとしている。一喘ぎ、一瞬時の息絶えで、あなた方は永遠の世界へと通過して行く。神なくして、望みなくして、赦される事なくして、ああ、あなた方はそれに直面する事が出来るのか?

一度地獄へ落ちてしまえば、

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

と知るのは遅すぎるのです。

  あなたの罪が、イエス・キリストが注ぎ出された血によって清められない限り、あなたにそういう事が起こるのです!

そうして、あなた方が直面し、あなた方を裁きへと定める罪があります。 あなた方は、自分の罪は隠されていたと思っていました。 あなた方は、この聖句を見落としています、

“神は、…すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。”(伝道12:14)

ここに、自分の罪は隠され、誰も知らないだろうと考えている人がいるかもしれません。 彼らは、この聖句を見落としています、

“主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。”(箴言15:3)

多くの人達は、彼らが思い留める罪によって害されています。 実際、彼らは自分達の隠された罪によって身体的に害されています。 ダビデのように、彼らは、“私の罪は、いつも私の目の前にあります。”(詩篇51:3)と感じます。 心臓病の多くは、また、その他の病気は、告白されていない、また赦されていない罪による苦痛から来るものである、と私は思います。 偉大なピューリタンの学者、ジョン・オーウェン(John Owen)は、「信仰によって、我々は清めの美徳とキリストの血の威光を受ける」と言いました。 しかし、あなた方は決して真の安らぎを見出す事はないでしょう、なぜなら、

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

そうして、心の罪が潜んでいます。 あなた方は、誰もそれを知らないと思っているでしょう。 しかしそうではありません。 聖書はこのように告げています、

“人の心は何よりも陰険で、それは直らない。…だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ないの結ぶ実によって報い…。”(エレミヤ17:9, 10)

あなた方の心の罪は誰も知らないでしょう。 しかし、神はあなた方の心を探り、神はそこに潜んだ罪に対して報われるのです、なぜなら、

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

あなた方の罪からの解放はありません。 あなた方の罪からの救出はありません。 罪から解放される事は決してなく、罪から救出される事は決してなく、決して罪から自由になる事はなく、決して罪から赦される事はないのです!

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

しかし、神に感謝します。 聖書は更にこう続けています。

II. 二番目に、もしあなた方にキリストの血が注がれているならば、どういう事が起こるかを考えてみなさい。

キリストの血は、このテキストの定めを逆転させます。 イエスの血により、あなた方の罪は永遠に消されるのです! イエスの血により、あなた方の罪は赦されます。 イエスの血により、あなた方には罪からの解放があります。 キリストの血により、あなた方の罪からの救出があります。 キリストの血により、あなた方の罪の赦しがあります。 イエスの血により、あなた方を待ち構えるのは、天なる栄光です! 黙示録で、私達クリスチャンがイエスを賛美する、天国を垣間見る事が出来ます。

“彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い…。”(黙示5:9)

イエスの血によって贖われた私達は、彼の救いの血について永遠に歌うでしょう! ファニー・クロスビーが彼女の素晴らしい賛美歌で描いたように、

贖われた! 喜びをもって、我はそのことを宣言す!
   小羊の血でもって、贖われ、
彼のとわの恵みをとおして、贖われた。
   我は、永久に彼の子となりし。
贖われた、贖われた、小羊の血でもって、贖われた。
贖われた、贖われた、我は、永久に彼の子となりし。 (直訳)
   (『贖い』“Redeemed” by Fanny J. Crosby, 1820-1915).

そのコーラスを一緒に歌って下さい!

贖われた、贖われた、小羊の血でもって、贖われた。
贖われた、贖われた、我は、永久に彼の子となりし。 (直訳)

私達を贖うイエスの血は単なる血ではありません。 使徒の働き第20章28節で、私達は、キリストの血がどんなにも素晴らしいものであるかを学びます。

“神がご自身の血をもって買い取られたの教会を牧させるために、”(使徒20:28)

ここで私達は明確に、“神ご自身の血”によって買い取られた事が判ります。 キリストは、人間となられた神、「神なる神」―人間の姿をされた神です。 ですから、その血を「神の血」と呼ぶ事は完璧に正しいのです。 ですから、偉大なスポルジョンはこう言ったのです、

「血の無い福音は、…悪魔の福音である。」

「カルバリーでの血の犠牲は、罪人への唯一の望みである。」

「血」はイエスの死を表す単なるもう一つの言葉であるという説教者達に―注意しなさい! 血のない福音は、悪魔の福音である! 更に、この偉大なスポルジョンはこのように語っています、 

「言葉に出せない罪があるかもしれない、しかし、キリストの血が洗い流せない罪は無い。」

チャールズ・ウェスレーは、それを素晴らしく描いています、

うれいも おそれも
   きえさるなり
いのちをあとうる
   きよきみ名に
(『ああことばのかぎり』“O For a Thousand Tongues to Sing,”
      Charles Wesley, 1707-1788; to the tune of “O Set Ye Open Unto Me”).

歌って下さい!

うれいも おそれも
   きえさるなり
いのちをあとうる
   きよきみ名に

『贖い(Redeemed, How I Love to Proclaim It!)』を歌って下さい!

贖われた! 喜びをもって、我はそのことを宣言す!
   小羊の血でもって、贖われ、
彼のとわの恵みをとおして、贖われた。
   我は、永久に彼の子となりし。
贖われた、贖われた、小羊の血でもって、贖われた。
贖われた、贖われた、我は、永久に彼の子となりし。 (直訳)

『つみおもにをのぞくは』!を歌って下さい!

ちからある 主イエスの血
   うけよ うけよ
ちからある 主イエスの血
   うけよ いま うけよ
(『つみおもにをのぞくは』“There is Power in the Blood”,
      Lewis E. Jones, 1865-1936).

もう一度歌って下さい!

ちからある 主イエスの血
   うけよ うけよ
ちからある 主イエスの血
   うけよ いま うけよ

サンフランシスコの北にある神学校に在学していた時、私はヒッピーの人達と一緒に多くのバイブル・スタディーに出席しました。 それは1970年初期のジーザス・ムーブメントの間でした。 それらの若者の多くは、LSDのような精神薬を使っていました。 彼ら何人かは、その罪によって悪魔に捕り付かれました。 彼らは狂気じみていました―ゲラサ人の地の霊に捕り付かれた人のように。 ある兄弟(信仰上の)が、若いヒッピーの女の子から悪魔を取り出そうとしました。 彼らは悪魔に出て行くように命じましたが、何も起こりませんでした。 そこである兄弟がこの歌を歌い始めました、

ちからある 主イエスの血
   うけよ うけよ
ちからある 主イエスの血
   うけよ いま うけよ

その女の子は大声で叫びました。 彼は再びその歌を歌いました、

ちからある 主イエスの血
   うけよ うけよ
ちからある 主イエスの血
   うけよ いま うけよ

彼女は再び叫び、悪霊どもは、イエスがこの世におられた時と同様に、彼女の口から出て行きました。 しばらくして、その女の子は悪霊から解放されました! 彼女は床に座り水を飲みました。 その時以来、私は彼女と顔見知りになりました。 彼女はすばらしい、堅実なクリスチャンになりました。 私はその事を、チャイニーズ・バプテスト教会の私の牧師に話しました。 彼は、「ボブ、中国では、バプテスト教の説教者がキリストの血の力によって悪霊を取り出す方法を知らないなら、誰も彼の説教を聞きに来ないでしょう!」と言いました。 私は確かにキリストの血の驚くべき力を目にした事を知りました。 スポルジョン自身、きっと満足したであろと思います! イエスの血は、サタンが若者を滅すのに用いるLSD、ヘロイン、あるいはどんなドラックよりも、更に強力です! イエスの血は、あなた方の心の罪、もしくは人生に於けるどんな罪をも清める事が出来るのです!

私は、『フリー・グレース・ブロードキャスター (The Free Grace Broadcaster) 』という雑誌を読んでいました。 これは、ジョン・ギル、J・C・ライル、オクタビウス・ウィンスロー、スポルジョンのような過去の説教者達による、多くの偉大な説教が載せられた定期刊行物です。 私が手に取った刊行書には、それらの説教者達による、償い、なだめ、贖いの為のキリストの血の力についての説教が載せられていました。 それらの偉大なカルバン主義派の一人の説教者はこう言いました、

キリストの血には、尊い本質的な要素が存在する。それは罪なる害悪によって触れられていない、汚染されていない、動脈から流れ出ているのである。…不敬虔で、邪悪な人の為に、罪のない償いを提供される、神聖なる救い主。キリストの尊き血の故に。
     愛する方達、その光に目を向けよ;そして、キリストの御前にひざまずき、あなた方の心が敬愛と賛美で輝くように、そして、あなた方の良心を、全ての罪を赦し、覆い、そして無効にするキリストの血によって清めさせよ。

では、この罪の赦しを未だ体験(回心)していない、あなた方に適応させましょう。 イスラム教徒が、罪を赦される事はありません。 彼はそうは言いません、なぜなら、コラン書は、彼の罪が赦される事を語っていないからです。 良い行いによって救われようとしている人に出会うならば、そのひとは、「私は自分の罪が赦される事を願っている」と言うでしょう。 無神論者や不可知論者に出会うならば、彼らは自分達の罪が赦される事について、全く知らないでしょう。

あなた方は罪人ではないと言うのですか? 赦されなければならない罪は無いと言うのですか? それならば、あなた方にキリストを説教する事はないのです。 キリストは、正しい人を救う為に来られたのではありません。 彼は罪ある人を救う為に来られたのです。 あなた方には罪がありますか? あなた方は自分の罪を感じていますか? あなた方は失われていますか? あなた方はそれを感じていますか? あなた方には罪がありますか? あなた方はそれを認めますか? 罪人である方! 今晩、イエスがここにおられるならば、彼は血まみれの手を伸ばして、「罪人よ、私はあなたのために死んだのです。 あなたは私を信頼しますか?」と言われるでしょう。 彼は、ここに、人としてはおられませんが、彼は、あなた方にそれを伝える為に私を送られたのです。 あなた方はイエスを信じますか? 「ああ!」、「私は悪い罪人です」と言うかもしれません。 「ああ!」、「あなたが罪人であるから、私はあなたの為に死んだのです」とイエスは言われるでしょう。 「だけど、私は悪を行い、恥なる事を考えました」と言うでしょう。 イエスは、「全て赦されます。 私の手と足、そして脇から流れ出る血によって、全てが洗い流されます。 ただ私を信頼しなさい:私が願うのはそれだけです」と言われます。 イエス・キリスト御自身を信頼しなさい。

しかしある人は、「私は救い主を求めません」と言うかもしれません。 ならば、あなた方にはこの一言以外、何も言う事はありません―“来たるべき神の御怒り! 来たるべき神の御怒り!” 神の裁きはあなた方にやって来ます!

あなた方は、罪があると感じますか? 自分達の罪を嫌い、それから立ち去り、キリストに来る意思がありますか? あるならば、私はキリストがあなた方の為に死んで下さった事を告げる事が出来ます。 キリストを信じなさい! キリストを信じなさい! イエス・キリスト御自身を信頼しなさい。

スポルジョンが説教する為にある町に行こうとした時、ある若者が彼に手紙を書きました。 彼は、「先生、あなたが来られる時、私に適応する説教をしてください。 私は、自分が地上で最も邪悪な者と感じないなら、私は救われないと聞きました。 私は邪悪な者であると考えたいのですが、私には出来ません。 私は救われたいのですが、十分悔い改める方法を知りません」と手紙の中で言いました。 スポルジョンは、「私がそこで説教する時に、彼に出会えるものなら、私は彼にこう言おう、神はあなたが地上で最も邪悪な者と考える事は要求しておられない、なぜなら、明らかにあなたより他に邪悪な人が存在するからである。 ある人達は他の人達ほど罪深くはないのである。

神が要求しておられる事はこういう事である:ある人は、『私は他の人よりも自分自身についてよく知っている。 彼らについてはよく知らない。 しかし、自分自身について、特に自分の心中については、多くの人は自分よりも邪悪であるはず、とは思わない。 彼らは私よりも邪悪な行いをするかもしれない。 しかし、私は彼らよりも、多くの説教、多くの警告を聞いた。 それゆえ、私は彼らよりも罪深い』と言う。 私は、あなた方がキリスト御自身に来る事を望む、そして、『主よ、私は罪を犯しました』と告げなさい。 あなたの為すべき事は、イエスに来て、『主イエスよ、罪人の私を憐れんでください』と懇願する事である。 それだけである。 あなたは自分が失われていると感ているだろうか? それでは、もう一度告げる、『イエス御自身に来なさい。 彼は御自分の尊き血によって、あなたの罪を洗い流して下さるであろう』」。

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”(へブル9:22)

この説教を終えるにあたり、私は、自分が失われていることを知り、全ての自分の罪は赦されることがなく、そして、「望みの中に、神の栄光を喜ぶ」と言う、失われた罪人はこの場にはいないと、私は言いましょう。 あなた方は、罪の中の地獄と同じように暗闇であるが、今晩この場で、天国と同じように白くされることが出来るのです。 罪人が、イエスに拠りどころを置く瞬間に、その人は、イエスの血でもって救われるのです。 あなた方の心の中と人生において、このテキストが真実となるように。

ほふられたまいし
   かみのこひつじよ
みこえにしたがい
   われゆく ただちに
(『ほふられたまいし』“Just As I Am,”
      Charlotte Elliott, 1789-1871).

前の二列の席に来なさい。 神に、罪を告白しなさい。 そうして、イエスを信頼しなさい。 イエスに来なさい。 そして、イエスの尊い血によって、あなた方の全ての罪から洗い清められなさい。


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(説教終了)
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ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“There Is a Fountain” (by William Cowper, 1731-1800; to the tune of “Amazing Grace”).

要 綱

血によって、もしくは、血によらないで。

WITH OR WITHOUT BLOOD

R. L.ハイマーズJr. 神学博士 著

“血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。”
(ヘブル人への手紙第9章22節、新改訳)

I.    最初に、イエスの血が注ぎ出されなければ、あなた方に何が起こるかを考えてみなさい。マタイ23:33;マルコ9:43;ルカ16:24;伝道12:14;
箴言15:3; 詩篇51:3;エレミヤ17:9, 10。

II.   二番目に、もしあなた方にキリストの血が注がれているならば、どういう事が起こるかを考えてみなさい。黙示5:9;使徒20:28。