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キリストの昇天と再臨

R. L.ハイマーズJr.神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年7月18日、主の日の朝の説教

THE ASCENSION AND SECOND COMING OF CHRIST
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Morning, July 18, 2010

“イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」。”(使徒の働き第1章10-11節、新改訳)

今朝、私はキリストの昇天と彼の再臨について話します。 1884年12月28日に、スポルジョンによって最初に説教された『The Ascension and Second Advent Practically Considered』(Metropolitan Tabernacle Pulpit, volume 31, pp. 13-24)と題した彼のすばらしいメッセージを簡略化して話します。 誰一人として、主イエス・キリストの生涯とご使命について、スポルジョン以上に雄弁に語った人はいません。 私は、新たな世代の若い説教者達が、励ましとインスピレーションを得る為に、スポルジョンの説教を見直してくれればと心から望んでいます。 私達の世代は、再び説教者のプリンスの説教を聞く必要性に迫られています。 彼の説教、特にイエスの生涯とご使命についての説教は、二十一世紀に住む私達に簡素化され、再度、説教されなければなりません。 今日の若者達は、彼のメッセージを聞かなければなりません。 文章の読み書きの弱い人達が理解しやすいように簡略化され、判されなければなりません。 ですから、私は今朝、あなた方にこのメッセージを簡略化した文章で話します。

イエスの生涯を通しての五つの出来事は、大いなる栄光の中で際立っています。 イエスの誕生、死、復活、そして彼の昇天について、すべてのクリスチャンは喜びをもって考えます。 そしてまた、イエスの再臨について、私達は喜びをもって聞きます。 これらのキリストの生涯における五つの出来事、そしてご使命は非常に重要なのです。 そして私達は、しばしばそれらの事柄について考えなければなりません。

それら一つ一つの出来事が、次から次へとつながり、キリストの再臨に至る全体像を形成しています。 キリストの誕生は、彼の死へとつながります。 キリストの復活は、彼の昇天につながり、彼は天に戻ります。 キリストの昇天は、驚くべき栄光を帯びて主の再臨へとつながるのです。

今朝私達は、キリストの昇天からスタートします。 キリストは11人の弟子達と共にオリーブ山の山腹を歩かれました。 キリストはその数日前に死からよみがえられました。 彼はしばしば彼らと共に話され、このように言われました、

“わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」イエスはこう言われて、その手と足を彼らにお示しになった。” (ルカ24:39-40)

 

イエスは死からよみがえられた後、彼らと食事をされました。 彼は四十日間彼らと話され、彼らに大宣教命令を授けられました。

“それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。”(マタイ28:19-20)

“兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロバの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。” (ヨハネ21:25)

しかし、ここでよみがえられたキリストは、11人の弟子達とオリーブ山の山腹を歩いて行かれます。 そこで彼らはオリーブ山の頂上に達し、イエスはそこで止まられます。 救い主は、弟子達の真ん中に立たれ、祈りを通して彼らを祝福されます。 イエスは、釘穴で開いた手を挙げ、そうして地上から昇り始められます。 彼らは、主が彼らの上を上がって行かれるのを見て驚きました。 一瞬の内に、主はオリーブの木々を上がり、空中へと舞い上がり、そうして雲にまで達しました。 弟子達は驚き、心を捉えられて立ちはだかりました。 そして突如、主は雲の中へと上がられました。 “雲に包まれて、見えなくなられた”(使徒1:9)のです。 弟子達は雲を見上げて立ちはだかります。 彼らは涙を頬に流し、空を見上げて、そこに立ちすくんでいます。

彼らは立ちはだかり、その驚きが恐れへと変わって行くまで、見上げていたでしょう。 彼らに話した二人の御使い達は、“なぜ天を見上げて立っているのですか。”(使徒1:11)と言いました。 それらの御使い達は、弟子達が恐れない様に、人間の容姿で彼らに現れます。 そうして白い衣を着た御使いが話し始めます。 御使い達は弟子達を“ガリラヤの人達”と呼び、彼らを知っていた事を示しています。 我が身に返った使徒達は、エルサレムに戻る準備をしました。 彼らは、救い主の昇天、彼らが嘆くべき事では無いことに気付きます。 主は、天の栄光なるご自身の王座へと上がられたのです。

私はさほどの想像力を必要としませんでした。 私は実際に起こったことを、簡単な言葉で話しただけです。 では、今朝のテキストから三つの事柄について、私があなた方に話す間に、その光景を思い浮かべてほしいと思います、

“イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。”(使徒1:10-11)

I. 最初に、御使いによる軽い叱責がある。

“ガリラヤの人たち。 なぜ天を見上げて立っているのですか。” それは、黒衣をまとった人による厳しい叱責ではありません。 厳しく、もしくは痛烈な叱責では全く無く、寛大な咎め、軽い叱責です。 所詮、弟子達は、単に思い違いをしただけで、大きな罪では無かったからです。

まず最初に彼らがしていたことは、一見正しいように考えられます。 私は、イエスが私達と共におられたならば、私達は彼の方を見上げたと思います。 主が天国に昇天された時、彼の友人達は、主を見上げることが当然の義務だったでしょう。 見上げることは決して間違えたことではありません。 聖書は、しばしばそうするように私達に告げています。 詩篇の著者は、“私はあなたのために備えをし、見張りをいたします”(詩5:3参照)と言いました。 使徒パウロは、“あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい”(コロサイ3:2)と語っています。 「見る」という言葉は常に正しい語意です。 救い主は、“地の果てのすべての者よ。 わたしを仰ぎ見て救われよ”(イザヤ45:22)と言われます。 私達の人生を通して、私達は、“イエスから目を離さない”(へブル12:2)ことです。

しかし、「見る事」が崇め見上げる事では無く、好奇心の為である時、それは正しくないのです。 神が明らかに表示されないことを、知ろうとするのは正しくありません。 皆さん、単に何もない空を見上げる事は無駄なことです。 キリストご自身が、私の頭上に見えないならば、私達に見るべきものは何もありません。 天国をじっと見る事は、真の崇拝かもしれませんが、それがキリストに向かってでないならば、無駄で愚か事です。 今日、地上でキリストの為にほとんど奉仕せず、頭を上げ、手を伸ばし、天を見上げている人達がいます、それは無駄な愚行です。

しかし、弟子達が見上げたことは、極自然なことだったと言わなければなりません。 私は11人の弟子達が立ち尽くしたことに驚きません。 私がそこにいたなら、私も同じ様にしたと思います。 あなた方も見上げていたのではないでしょうか? キリストは、私達が知らず知らずの内に、自然に行動する事を許して下さいます、しかし、やり過ぎる事は望んでおられません。 ですから彼は、“なぜ、天を見上げてたっているのですか”と、あなた方に忠告する人を送って下さるのです。 そうして真のクリスチャンは、「私達はここに立ち尽くすべきでは無い」と答えるでしょう。 私達は日常の生活に戻り、キリストの為に奉仕しなくてはなりません。 崇拝を通してキリストを見上げることは正しい事です。 しかし、私達は奉仕に戻らなくてはなりません。 私達はこの暗黒の世の中で、人を主イエスに導き、そして伝道しなければなりません。

これらは実践的な要点です:彼らが為したを模範にするかもしれません。 あなた方は、「ああ、」「私は決して天国を見上げることなど無いでしょう」と言うでしょう。 しかし、それは確信出来ません。 ある人達は非常に好奇心がありますが、さほど従順ではありません。 より重要なことを差し置きながら、聖書の預言に関して詳細を学ぶことには非常に興味を持つのです。 預言の詳細に非常に関心があったけれども、本人の七人の子供達と一緒に祈りもしなかった人を覚えています。 私は、多くの聖書の預言に関して知識のある人達を知っていますが、回心、教会の出席、伝道、そしてクリスチャンの信仰生活に関しては、彼らはほとんど知識がありませんでした。 ネブカドネザルの夢で、イメージの足について学ぶ事の価値、そして、十のつま先を構成する王国を理解する事の重要性があることを、私は認めますが、私はそのような研究がクリスチャンの信仰生活に代用されるべきであるとは思いません。 預言を研究する時間が、伝道や祈りに費やされるならば、より多くの恩恵が人々にもたらされ、神に、更なる栄光をもたらすでしょう。 私は、あなた方に預言を理解してほしいと思いますが、私達の主要な奉仕は、“神の小羊を見なさい(Behold the Lamb of God)”と大声で叫ぶことであることを忘れないで下さい。 預言について出来る限り学びなさい、しかしまず、あなた方の子供達に、家族の聖書通読を教えなさい、そしてまずあなた方が、失われた人々を連れて来て、神の教会を建てるよう、ローカルの教会で懸命に奉仕しているかを確実にしなさい! とてつもない、悲惨、無知、そして私達を囲むあらゆる面での罪は、神への奉仕の為に、私達の精一杯の力を要します! あなた方が耳を傾けないならいなら、私は白い衣服をまとった御使いでは無いにしても、「イエスの為への働きは多くあり、あなた方はそれらも為さず、なぜ預言の啓示に目を向けてじっと立っているのですか?」とあなた方に告げます。 ああ好奇心が強いが、従順でない人達よ、あなた方は私の言葉を聞かないのではないでしょうか。 しかし私は、聖霊がそれについてあなた方の心に告げるよう私は祈ります。

他の人達は、「礼拝」については語りますが、行動は伴いません―「礼拝」の賛美歌や「礼拝」には非常に興味を示しますが、奉仕に対しては熱心ではありません。 真の礼拝は稀で、それがもっと見られる事を私は願います。 しかし、私は信仰が自分本位の対象となる「礼拝」について話しているのです。 あたかも「礼拝」の主要な目的が、楽しみや自己満足であるかのように、ある人は見なしていると私は思います。 人の信仰が全て自分自身を楽しませるものなら、それは彼にとって弊害となります。 人が説教に対して、「それは自分に益となったか?」と非難するなら、それは卑劣です。 がどれほど音楽を楽しんだか、どれほどが「礼拝」を楽しんだか、どれほどが説教を楽しんだかだけを考慮する、卑劣な宗教のようなものがあります。 それは正に卑劣な宗教です。 キリスト自身を崇拝する事さえもが、あなた方をキリストから引き離れさせるようなやり方で続行されています! ローカルの教会で活発な集会によって続行されていない礼拝は、“ガリラヤの人たち。 なぜ天を見上げて立っているのですか。”と、天の御使い達からの叱責がよくよく値します。

主として「礼拝」を満喫する事に興味を持つ人達、あるいは、主として聖書の預言に関する真新しい考えに興味を注ぐ人達は、“天国を見上げて立っているのですか”と言われた、これらの御使い達に叱責されなければなりません。

II. 二番目に、キリストについての喜ばしい記述がある。

私は、キリストについての喜ばしい記述に注目してほしいと思います。 彼らはキリストをこのように描写しています。

“あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、”(使徒1:11)

私は、“このイエス”という描写が良く理解できます、なぜなら、それはイエスに最も親しかった人達の言葉だからです。 彼は、“御使い達に見られ”(テモテ第一3:16)ました。 彼らは、地上でのイエスの全生涯を目にしました。 彼らはイエスを知っていました。 そして、彼らが御父の所へと上がられるのを見た時、彼らはイエスについて、“このイエス”と言いました。 彼らは、同じイエスであり、かつてこの世で歩かれた同じイエスであるのに間違いは無い事を証言しています。 主は同じ方です。

イエスは去って行かれました、しかし、彼は今でも生きています。 彼は私達から離れて行かれました、しかし、彼は死んではいません。 彼は霊となったのではありません、また、無へと消失されたのでもありません。 “このイエス”は、父の御座に上がられ、かつてピラトの宮殿に立たれたように、今日も確かにそこにいるのです。 イエスが十字架につけられたように、確かにこの同じイエスは、神の右に座しているのです。 唾を吐きかけられたキリストは、天使達が永遠に礼拝するキリストでいます。 彼らが鞭打ったキリストは、今、御使いや天国の聖人達に崇拝されている方です。 今朝、そのことを考え、喜んでください。 イエスは生きています! あなた方もまた生きていることに注目して下さい。 あたかもすべき事は無いように時間を無駄にしてはいけません。 昇天を待っているかのようにじっとしていないで下さい。 テレビで見る「クリスチャン」のように、宙に手を上げて無駄な時間を費やしてはなりません。 キリストは生きています、ですから、主がまた戻って来られるまで、あなた方にすべきことを使命されたのです! ですからそれをしなさい!

“このイエス”―私はその呼び名を好みます、なぜなら、“イエス”は“救い主”を意味しているからです。 もしあなた方が未だ回心していない罪人であるなら、天に上がられた方の名前、それ自体があなた方への招待です! “このイエス”に来ませんか? それは、盲目の目が開かれ、囚人を牢獄から解放された方です。 彼は今日も、同じ事をされるのです。ああ、あなたの目が主の光を見れるものなら!ライ病にかかった人達に触れ、そして死者を甦られた方は、このイエスです。主は至る所までも救いをもたらす事がお出来になります。主はあなた方を永遠に救う事が御出来になるのです。 ああ、私は、あなた方がこのイエスに目を向け、彼によって救われる事を祈ります! 彼に目を向け、生きてください! あなた方がすべきことは、彼の衣服に触れて癒された女性のように、信仰を通してイエスに来ることです、なぜなら、彼はこの同じイエスだからです。 彼はこの世にいた時と同様、今も、罪人を愛しています。 彼はこの世にいた時と同様、今もなお、救い清めてくださいます。 “このイエス”。 この言葉は、この世に住まれたキリストと同じ方である事を示しているだけはありません。 この言葉は更に、“このイエス”が再び戻って来られることを示しています。 昇天されたこのイエスは、再臨の時に降りて来られます。 再臨の際に、主はこの世に住まわれた同じイエスとして来られます―そして、今は、天の神の右の座にいられる、同じ方なのです。

彼は本質的に同じ方であるけれども―同じ状態では無い事を認識する事は重要です。 主は、今、救い主であられます。 しかし、主が雲と共に来られる時、彼は裁く方となられます。 その時に、私達はイエスを見るでしょう。 私達は、彼の手の釘の傷跡によってだけでは無く、彼の外観そのものによって、彼を認識するでしょう。 私達は、「その方です! その方です!」と言うでしょう。

弟子達が“なぜ天を見上げて立っているのですか”と尋ねられた時、「私達はどこに行ってよいか、判らないので、ここに留まっているのです。 私達の主は行ってしまわれました。」と言うかもしれません。 しかし、それは同じイエスですので、そして彼は再び戻って来られるのです、出て行き彼の為に働きなさい。 聖書を拒否する人達は、「キリスト教は途絶えた。 あなたの神なるキリストは去ってしまわれたのです」と言うかもしれません。 これが私達の応答です:私達は天を見上げて立っていません。 イエスは遠くにおられるけれど、私達は落胆していません。 彼は生きています! このすばらしい救い主は生きているのです! 目を見上げる事は私達の喜びです、なぜなら、主が再び来られることを心持にしているからです。 私達の目を地に向け、街に出て行き、イエスがよみがえられた事を人々に言い伝え、そうして彼らが主を信じるならば、主が彼らを救い、彼らに永遠の命をお与えになれる事は、私達にとって同等の喜びです。 私達は敗北していません。 とんでもない! 彼の昇天は敗北ではなく昇進です。 彼が再臨されるのを遅らされるのは、罪人に対して忍耐を持って待っておられるからです。 勝利に疑問の余地はありません。 神の軍隊は全て、最終的な戦いを準備しています。 このイエスは、天国の軍隊を率い、勝利を獲得する為に白馬を乗ろうとされています!

III. 三番目に、素晴らしい現実的な応用があります。

これらの真実は現実的です。 それらは、私達が天国を見上げ続ける為に与えられているのではなく、私達がこの世で神に仕えるよう動機づけられる為に与えられているのです。 それらの動機とは何でしょうか?

1. まず最初に、イエスが天国に戻られたのはなぜでしょうか。 イエスは去って行かれました! イエスは去って行かれたのです! 私達を助け、私達の為に祈られるようにと、イエスはあなた方から離れ去り、神の御座へと天国に引き上げられました。 私には、この世へと出て行き、奉仕する理由が理解できます、なぜなら、彼が天国に行かれ、全ての力が天と地においてイエスに与えられているからです。“それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け”(マタイによる福音書第28章19節)と言われました。

2. 二番目の応用は、イエスが再び戻って来られる事です。 イエスは決して私達を見捨てられません。 私達の指導者達は、他の戦へと向かいましたが、おそらく主は一瞬の内に戻って来られるでしょう。 王なるキリストと戦での最下位の兵士達の間には、大いなる一貫性が残されています。 彼は、私達に気を配られます。 彼の思いは私達と共にあり、彼は私達の為に祈っておられます。 イエスは、“見よ。 わたしはすぐに来る。 わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る”(黙示22:12)と言われます。

3. 三番目の応用は、彼が去って行かれた時と同じ有様で、イエスは戻って来られるという事です。 キリストは、“あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります”(使徒1:11)と言われます。 ある注解者達は、英語をよく理解出来ていない様に思います。 彼らは、これがペンテコステの日に来る主の「霊」を意味すると言っています。 しかし、識別のある人なら誰でも、「霊が来る事」は、天国に上った同じ有様では来ないことが判ります。 私達の主は上げられました。 彼らは、主が宙に上がられたことを見ることが出来ました。 彼は上がられた状態のように戻って来られるのです。 “見よ。 彼が、雲に乗って来られる。 すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る”(黙示1:7)。 “このイエス”は文字通りに上がられたのです。 “このイエス”が文字通り再び来られるのです。 彼は雲の中を上って行かれたように、雲の中を降りて来られるのです。 そして、“後の日に、ちりの上に立たれる”(ヨブ19:25)のです。 “その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・私の神、主が来られる。 すべての聖徒たちも主とともに来る”(ゼカリヤ14:4-5)。 主が再臨される時、彼は鉄の杖を持って、反抗的な国を打ち砕かれるでしょう、なぜなら、イエスの力はその日には、誰も抵抗出来ないからです。

誰もにもこのすばらしい文字通りの真実を霊化させてはなりません。 彼らが、上げられたイエスを見たように、このイエスは再び戻って来られるのです。 イエスは再臨されます。 それは事実です。 ですから、救われなさい、ローカルの教会を通して、主の為に出て行き奉仕をしなさい。 あなた方の救い主の為に生きなさい。 イエス・キリストは文字通り戻って来られるのです。 ですから、あなた方は文字通り、出て行き、証をし、そして文字通り、人々を主に導くよう感化されるべきです。

4. 四番目の応用は、主が再臨される時、あなた方が主に出会う用意が出来ていることを確かにすることです。 クリスチャンは、ローカルの教会を通して主に奉仕するべきです。 しかし、あなた方が未だ回心していなかったならばどうでしょうか? あなた方が回心しない限り、イエスが再臨される時 あなた方は出会う用意が出来ていないのです。 罪から離れ、イエス・キリストに完全に向かいなさい。 “主イエスを信じなさい。 そうすれば、あなたも・・・救われます”(使徒16:31)。 信じて生きなさい! イエスはあなた方の罪を償うために死なれました。 イエスは死からよみがえられました。 イエスは天国で生きています。 イエスは再び戻って来ます。 今、完全に、そして心から、イエスを信じなさい。 彼は、あなた方を、罪、地獄、そして墓場から救って下さるでしょう。 アーメン!



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(説教終了)
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クレイトン・L・チャン医師による説教前の聖書の朗読:使徒1:1-12。
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“He is Coming Again” (by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).

要 綱

キリストの昇天と再臨

THE ASCENSION AND SECOND COMING OF CHRIST

R. L.ハイマーズJr.神学博士 著

“イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」。” (使徒の働き第1章10-11節、新改訳)

(ルカ24:39-40;マタイ28:19-20;ヨハネ21:25)

I.    最初に、御使いによる軽い叱責がある。
詩編5:3;コロサイ3:2;イザヤ45:22;へブル12:2。

II.   二番目に、キリストについての喜ばしい記述がある。
使徒1:11;テモテ第一3:16。

III.  三番目に、素晴らしい現実的な応用があります。
マタイ28:19;黙示22:12;使徒1:11;黙示1:7;
ヨブ19:25;ザカリヤ14:4-5;使徒16:31。