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あなた方が回心の為に断食する事を、
悪魔が望まない理由!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2015年7月19日、主の日の晩の説教

WHY SATAN DOESN’T WANT YOU
TO FAST FOR CONVERSIONS!
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Evening, July 19, 2015

“「この種のものは、祈り{と断食}によらなければ 、何によっても追い出せるものではありません。」” (マルコの福音書第9章29節、新改訳)

私はこのテキストについてもう一つの説教をしています。 しかし今晩、私は断食についてさらに追って話しをします。 私は正しい事をしているのに違いありません、なぜならここ数日間、私は悪魔に攻撃されているからです。 私はこの説教を準備するにあたり、過去一年ないし二年間で他のどの説教以上に難儀をしました。 ある時には、サタンから直接攻撃をされているように感じました。 ある人達(説教者でさえも)は、私は誇張して話していると思っている事を知っています。 しかしそうではありません。 先週の日曜の晩以来、私は悪霊によって直接攻撃を受けていると確信しています。 先週の日曜日の晩に、私がこのテキストについて説教をして以来、身体の調子が悪く、頭がボーっとしています。 そうして突如として、神が、マルコの福音書第9章29節について私に説教する事を望んでいることが、私に明らかに感じました。 しかしサタンは私にそれをさせまいと、大いに私を混乱させていたのです。

先週の日曜日の晩の(“オバマ時代の祈りと断食”)の中で私は、なぜマルコの福音書第9章29節の終わりの“と断食”という言葉が取り除かれるべきではないの六つの理由を挙げました。 全ての新しい翻訳版は、二つの言葉を抜いています。 それらの言葉が抜かれたギリシャ語のテキストは、アレキサンドリアから400マイル(6,400キロ)ほど離れたシナイ半島にある聖カタリナ修道院で、ティッシェンドルフ(1815-1874)が発見したシナイ写本でした。 その地域で、実社会を拒否し、非物質的なことに重点を置いたグノーシス主義が最も広まったのです。

聖カタリナ修道院は西暦548年に建てられました。 シナイ写本は西暦360年頃に手書きで写されました。 それは、ある場所から、ことによるとアレキサンドリア自体から移されたと判明しているように思えます。 このことについて研究すればするほど、グノーシス主義に影響された修道士達が、それらの“と断食”という言葉を取り除いたと私は確信します。 なぜなら、それは彼らの見解とは一致しないからです。

私達はクリスチャンの考え方、すなわち悪霊とサタンを深刻に受け取る見方で、このような問題を考察しなければなりません。 シナイ写本が、このデスペンセイションの“終わりの日”に発見されたのは偶然でしょうか? “決断主義”が私達の教会で回心に置き換えられた時と同じ時期に、このシナイ写本が発見されたことは偶然な事でしょうか? この写本が世界中へ広まった時期に、教会が悪魔的教義でもって毒されたのは偶然でしょうか?  フィニーの“決断主義”、キャンベル派達の救いのバプテスマ、モルモンの三人の神、リベラルによる聖書への攻撃、エホバの証人の義の行いの救い、そして、安息日再臨派(セブンスデー・アドバンテスト)の安息日厳守主義が、十九世紀の50年間の間に起こったことは、偶然なことでしょうか? 進化論に関するダーウィンの書物が、この同時代に出版されたのは、偶然でしょうか? 1957年から59年の西洋での最後の主要なリバイバルが、ティッシェンドルフによってシナイ写本が発見された同期間に起こった事は偶然でしょうか? シナイ写本の発見によって“と断食”の言葉が聖書から取り除かれて以来、西洋の国々で大掛かりなリバイバルが起っていない事は、偶然でしょうか? どのようにして、それらが偶然に起こり得たのでしょうか? いいえ、この時代は、キリスト教正統派に対する、幾つかの歴史上で最も大きな攻撃を体験したのです。

私達は、最後の日における悪魔の活動について、特別な警告を与えられているのです。 使徒パウロは、このように言いました、

“しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊との教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります” (テモテ第一4:1)。

ヘンリー・モリス博士はこのように言いました、

彼らの君、悪魔に仕えるこれらの惑わす霊は、後の時代における信仰からの離脱の背後に潜む見えない力である。彼らの究極の狙いは、男と女を、ルシファー、あるいはサタンに従わせることである。しかし彼らは、公にではなく不正な方法によって、それを為さねばならないのである(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishers, 1995, p. 1345; note on I Timothy 4:1)。

キリストの血について、私はマッカッサー博士に同意しないけれども、彼が言った、この悪魔の活動は、“キリストの再臨直前にクライマックス”に達するであろう、の言葉に同意します(The MacArthur Study Bible; note on I Timothy 4:1)。

私は、悪霊は、“後の時代”の主要な誤まった教えの“背後に潜む見えない力である”と確信します―すなわち、“決断主義”、キャンベル主義、モルモン宗派、安息日再臨派(セブンスデー・アドバンテスト)、リベラル主義、エホバの証人、クリスチャン・サイエンス、そして再び活力を持つイスラム教徒等の誤まりの教えなどです。 悪魔は、祈り断食が、クリスチャン達の手中にある力強い手段であった事を知っていたのです。 悪魔は、マルコの福音書第9章29節、そしてマタイの福音書第17章21節だけが、新約聖書で私達に断食と祈りの必要性を教える唯一の聖句であることもまた知っていました。 それらの二つの聖句以外には、断食についてのイエスご自身の言葉による直接の教えは無いのです。 それについて考えてみて下さい! “と断食”の言葉が取り除かれる時、私達がどのように、そしてなぜ断食をしなければならないかという明確な教えが無いのです! “と断食”という言葉が取り除かれて以来、アメリカの教会が弱く、力が無くなったという事は偶然でしょうか? 私は偶然だとは思いません!

過去に、牧師達は悪魔の力が誤った宗教の背後にあった事を理解していました。 そして説教者達は、時々サタンと悪霊が強く密着し、彼らは祈りだけでは乗り越える事が出来ない事をも理解していました。 さらに彼らは、“この種のものは、祈り(と断食)によらなければ、何によっても追い出されるものではありません”(マルコ9:29)というキリストの勧告を求めたのです。 十九世紀前半以前の全ての伝道者と主要な説教者達は、“使徒達は、ある種の悪霊どもを、断食無しでも追い出した”-しかし“この種の悪霊どもは、祈りと断食によらなければ出て行かない―ここに、熱心な祈りにつけ加えられた断食の有効性の素晴らしい証明がある(Wesley’s Notes on the New Testament, vol. 1, Baker Book House, 1983 reprint; note on Matthew 17:21)とジョン・ウェスレーが言った際、それが正しい事を認めました。

全ての偉大なリフォーマー達は、断食し、そして祈りました―ルター、メランヒトン、カルバン、ノックス―彼らは皆断食し、そして祈ったのです! 断食と祈りは、バニアン、ホウィットフィールド、エドワーズ、ホーウェル・ハリス、ジョン・セニック、ダニエル・ローランド、マックシェイン、ネーテルトン、そしてその他多くの偉大な説教者達によってされました。 しかし現在、ロイド‐ジョーンズ博士の言葉を用いるならば、“教会はもうろうとし、惑わされている。 それは眠りこけ、そして[サタンとの]対立に全く気がついていない”(Martyn Lloyd-Jones, M.D., The Christian Warfare, The Banner of Truth Trust, 1976, p. 106)のです。

キリストの“祈りと断食”をすることへの指示は、悪魔を取り出す事だけに応用すべきでは無く、回心の場合にも、特に困難な状況にある時応用するべきです―最後の日には、全ての状況がもっともっと困難になるように思えます! ロイド‐ジョーンズ博士は、“我々の敵、悪魔は、多くの事において権力と勢力を(発揮している)事を、我々は認識しなければならない。 我々の魂の為に、かなりとてつもなく大いなる力に対して戦っている事を、我々は理解しなければならない。 我々は強力な敵に対して直面しているのである”(Studies in the Sermon on the Mount, part 2, Eerdmans, 1987, p. 148と言いました。

私達は霊的な戦場で戦っています。 サタンの権力は、かつてなく強さを増しています。 私達は、失われた人達の回心の為に祈ります。 しかし何も起こっていません。 彼らには罪の意識が無いのです。 彼らはキリストの必要性を感じていないのです。 彼らはキリストに来る事を拒否しています。 彼らの思いは暗く、彼らの霊的な事に関する全の理解力は曇らされているのです。 私達は続けて祈りますが、それでも何の変化もありません。 しかし、待ってください! それは最後ではありません! ロイド‐ジョーンズ博士は、このように言いました、

“我々は断食の主題について考えるべきであるという思いが心に浮かんだことは無いのだろうか?事実はそうではない。この主題全般が、我々の生活自体から欠け、我々のクリスチャンとしての思いから欠けているのである”(Studies in the Sermon on the Mount, part 2, p. 34)。

ウェスレー兄弟が、祈りと断食をした時、何かが起こりました。 チャールズは、しばしば兄弟のジョンのゆえに彼の存在が薄れました。 しかし、チャールズ・ウェスレーが説教した時、より多くの回心が何度も起こったという事が記録されています。 チャールズ・ウェスレーがこう歌う時、神の力が降りて来たように感じませんか!

あぁことばのかぎり
   うたわまほし
主イエスのさかえと
   あいとめぐみ

うれいもおそれも
   きえさるなり
いのちをあとうる
   きよきみ名に
(『ああことばのかぎり』“O For a Thousand Tongues to Sing”
      by Charles Wesley, 1707-1788;
      to the tune of “O Set Ye Open Unto Me”).

あいするイエスよ かくまえたまえ
   あらしのなかの かよわきわれを
なみかぜやみて あまつみなとに
   ついにやすらに おちつくまでは
(『あいするイエスよ』“Jesus, Lover of My Soul”
      by Charles Wesley, 1707-1788).

それらはチャールズ・ウェスレーによる素晴らしい讃美歌です! 

イザヤ書第58章を開いて下さい。 それはスコーフィールド・スタディー・バイブルの763ページにあります。 イザヤ書第58章6節を開いて、それを起立して読んで下さい。

“わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか”(イザヤ58:6)。

着席して下さい。 その聖書の聖句に下線を引いて下さい。 その聖句は、断食の正しい方法を教えています。 それはまた、神がクリスチャン達に、そうするよう望んでいる事を表しています。 その聖句を暗記して下さい。 それが私達の暗記する新しい聖句イザヤ書第58章6節です。 神の意にかなう断食は、 

(1) 悪のきずなを解くことができる。
(2) くびきのなわめをほどくことができる。
(3) しいたげられた者たちを自由の身にできる。
(4) すべてのくびきを砕くことができる。

アーサー・ウォ―リスは、“断食は、敵[サタン]が捕らえた者の、彼の支配を解かざるを得なくなるまで圧力をかけるよう、仲裁者[祈りの戦士]を力づける。 それが、サタンの力からの[神がなされる]救出である”(Arthur Wallis, God’s Chosen Fast, 2011 edition, p. 67)。 すでにマラキ書の聖句を暗記した人達に、イザヤ書第58章6節を暗記してほしいと思います。

来週の土曜日に、私達は再び断食をします。 それをいかに行うかの幾つかのポイントを挙げたいと思います。


1.  あなたの断食を(出来る限り)人に知られ無いようにする。あなたが断食をしている事を人々に(家族にさえも)言いふらしてはいけない。

2.  時間をかけて聖書を読む。使徒の働きの幾つかの聖句を(初めの方が好ましい)読む。

3.  土曜日の断食の間にイザヤ書第58章6節を暗記する。

4.  神が私達の祈りを聞かれる事によって、断食を受け入れて下さるよう神に祈る

5.  私達の教会の救われていない若者達の回心を祈る(名を挙げて)。神がイザヤ書第58章6節で告げられた事を、彼らに為してして下さるよう神に祈る。

6.  今日(日曜日)初めて来られた人達が、来週の日曜日に再び引き戻されるよう祈る。可能ならば名を挙げて祈る。

7.  来週の日曜日の朝と晩に、私が何を説教すべきかを神に祈る。

8.  私達の教会の若者達が参加する祈りのグループ(現在三つのグループ)の為に祈る。興味があるならば、ジョン・サムエル・ケイガン氏に問い合わせる。

9.  十分水を飲む。毎時間コップ一杯ほど。もしコーヒーを飲む事を習慣としているならば、最初に大きなカップ一杯のコーヒーを飲んでも良い。ソーダ類、パワードリンク等は避ける 。

10. もし健康状態に質問があるならば、断食を始める前に医師に相談する(私達の教会では、医師・クレイトン・チャン先生もしくは医師・ジュディス・ケイガン先生に相談する)。もし、糖尿病、高血圧等の異常のある人は断食をしない。土曜日は、これらの祈りのリクエストをただ祈る。

11. 金曜日の夕食の後に断食を始める。金曜日の夕食後から、土曜日の午後5時30分に教会で食事をするまで何も食べてはいけない。

12. 祈りの最も重要な事は、私達の教会の若者達が回心する事、そしてまた最近入って来た新しい若者達が教会にこのまま留まることを念頭に置く。


実際には、悪の鎖を解き、罪の重荷をほどき、サタンによってしいたげられた者達を自由の身とし、そして全ての悪霊のくびきを砕くのは、主イエス・キリストなのです。 イエス・キリストがそれらの働きをされます。 しかし私達は、イエスが私達の教会で神の御霊の力を放出するよう、新しく入って来た人達、そして失われている、教会で育った若者達の間に、救いと解放をもたらすよう、神に祈り、断食をしなければなりません! 私達は、あなた方がこの説教のコピーを家に持って帰えるよう、コピーを配ります。 それを読み返し、それらの十二のポイントを土曜日に祈るたびに、繰りかえし読みなさい。

では、まだ回心していないあなた方へ私は少し話します。 イエスはあなた方の罪の為に最上の償いをする為、十字架で死なれました。 イエスは、彼の復活した骨肉の身体をもって、実際によみがえられました。 彼はあなた方に永遠の命を授ける為にそのようにされたのです。 イエスは第三の天国の神の右の座へと戻られました。 あなた方は、信仰を通してイエスに来る事が出来ます。 そして彼は、あなた方を罪と裁きから救われるでしょう! 神があなた方を祝福されます様に。 アーメン。 チャン先生、私達を祈りに導いて下さい。

下記は、2013年12月24日の、“Puritan Board”プログに載った“One Little Nail”からのシナイ写本に関する記事です。(http://www.puritanboard.com/showthread.php/81537-Sinaiticus-is-corrupt

以下は、ティッシェンドルフ(Tischendorf)がどのようにシナイ写本を発見したかの話です。

“1844年に、シナイ写本原版を追求するため、サクソニーのフレデリック・オーガスタス王の援助の下で旅行している際、ティッシェンドルフはシナイ山の聖カタリナ修道院にたどり着いた。 ここで、焼却するための用意が出来た状態の、籠一杯に詰まった幾つかの文書を観察し、それを取り挙げ、それらが、七十人訳聖書の43べラムの紙葉であるのを発見した”。 キング・ジェイムズ訳聖書の擁護に敵対する数人は、その写本は“ちりかご”で見つけられた物では無いと主張しているが、実はそうである。 それが正にティッシェンドルフからの描写である。 “私は古い羊皮紙で詰まった大きく幅広の籠に気がついた。 そしてその図書館員は、これらの二つの積み重ねられた物はすでに焼却する事になっていると私に言った。 これらの山積みの紙屑の中を見て驚いた事に、・・・”(Narrative of the Discovery of the Sinaitic Manuscript, p. 23)。 ティッシェンドルフがシナイ写本原版を発見した当時、まだ生存していたジョン・バーゴンは、古代の写本を調査するために聖カタリナ修道院を個人的に訪れた。 その写本は、“その修道院の屑籠の中に詰まっていた”と彼は証言した" (The Revision Revised, 1883, pp. 319, 342) 。

ゆえに、正統派の修道士達は、写本の幾つかの抜かされた箇所と修正は、使い物にならないと決めていた。 そして何百年もの間、それを使わず物置きに収納していた事が、私には確実に思われる。 にも関わらず、公認本文として支持される他の何千もの写本以上に正確な物であるとして、ティッシェンドルフは大幅に、そして活発にそれを普及させた。 更にまた、彼はそれがほぼ四世紀からの物であるとして推測したが、それが十二世紀以前のものである事の実際の証明を、彼は全く見出せなかった。

これらのシナイ写本に関連する、事実と不可解な点を考察しなさい。

1.   シナイ写本は三人の異なる筆写人達と数人によって後に修正された。(これが、大英博物館のH.J.M.ミルネ、H.J.M. Milne)、そして(T・C・スキートによる広範な調査の結論であり、それはシナイ写本の筆写人達と修正者達によって、1938年ロンドンで出版された。)ティッシェンドルフは、この写本の中に14万8千の訂正を数えた。(David Brown, The Great Uncials, 2000) 。 1864年に、シナイ写本の完全なる照合を出版したF・H・Aシュライブナ-博士(Dr. F.H.A. Scrivener)は、“シナイ写本は、明らかに訂正されたと思われる文字による修正で満ちている―少なくも十人の異なった校正者達によって成されたそれらの幾つかは、全てのページに体系的に分散され、時折他は、その写本の分かれた部分に限定されている。それらの多くが最初の著者と同時期のものであったが、大部分が、六世紀ないし七世紀からのものであろう”と証言している。従って、過去の時代の学者達は、シナイ写本は完全なるテキストではない物と見なしている事は明白である。それが、近代の聖書の批判者達によって、そのようにも崇められているという理由は謎である。

2.   非常に数多くの注意に欠けた事項が、複写と訂正にみられる。“見ま違いと書きま違いで富んでいるシナイ写本は、実に比較にならないというだけでなく、第一級の重要な書籍にあるまじきものである。比較にならないくらいの多くの場合に於いて、十語、二十語、三十語、四十語は、不注意でもって抜かされている。スペルや単語、文章全体さえもしばしば重複され、書き始めた後すぐに消されている。 一方その甚だしい大失策には、それゆえに、前に置かれている節と同じ単語の中で終わるとき、その節が取り除かれていることがある。それは、新約聖書の中に少なくとも115回起こっている”(John Burgon, The Revision Revised)。シナイ写本を複写した筆写人達は、最上の敬意をもって聖書を取り扱った筆写人達と違い、神に対して信仰深くなかったことは明白である。 ギリシャ語のテキストと比べ、シナイ写本の福音書だけで抜かされた単語は三千四百五十五に及ぶ(Burgon, p. 75)。

3.   マルコの福音書第16章9-20節は、シナイ写本では抜かれている。 しかしそれは初めはそこに書されていた、そしてそれらは消されている。

4.   シナイ写本は、偽典(エスドラス書、トビト書、ユディト、マカバイIとIV、知恵、集会の書)と二つの異端の書物、バルナバの書簡書とヘルマスの牧者を加えている。偽典のバルナバの書簡書は、異端で空想的なたとえ話、そして断言で満ちている。例えば、アブラハムはギリシャ語を知り、バプテスマは救いに必要であると。ヘルマスの牧者は、グノーシス主義の書物の中で、“キリストの霊”は彼のバプテスマでイエスに下ったという異端を伝えている。

5.   最後に、シナイ写本は(バチカン写本と並行して)、明白にグノーシス主義の影響を露呈している。ヨハネの福音書第1章18節で、“ひとり子(こしらえされた子)”を“(こしらえされた)神”に変えている。従ってヨハネの福音書第1章1節の“神”と、第1章18節の“御子”との明白な関連を切り離すことによって、御子イエス・キリストと神御自身との関係を断つという、古代のアリウス主義の異端を固定化させている。私達は、神はこしらえされたのではない事を知っている。人間の身体として生まれたのは、ひとり子の御子であった。

もしあなたがこの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。 また、あなたの国の名前も記してください。 ハイマーズ博士の電子メールの住所は―rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:マルコ9:17-29。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I Would Be True” (by Howard A. Walter, 1883-1918).