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この種のもの

(リバイバルについての説教 その1)

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2014年7月20日、主の日の晩の説教

THIS KIND
(SERMON NUMBER 1 ON REVIVAL)
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Evening, July 20, 2014

“イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」” (マルコの福音書第9章28-29節、新改訳)

今晩私は、悪霊とサタンについて、J・I・パーカー博士が呼んだ、“現在の教会の破壊された惨状”について、そして1859年以降アメリカにおいて主要なリバイバルが起こっていない理由について説教をします。 マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士が1959年にウェストミンスター寺院で説教した、その説教の概要を拠りどころに私は説教をします。 私は彼の説教を文字通りには話しません、そして幾つかの私の思いつきを加えますが、根本的にはその主題と概要は、『ザ・ドクター』によるものです。

“イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」” (マルコ9:28-29)。

私はあなた方にこれらの二つの聖句を考えてほしいと思います。 アメリカと西洋の“破壊された”教会の、神によるリバイバルの差し迫った必要性に、私はそれらの聖句を適用します。

今日では、“リバイバル”という言葉自体が、人々に聞く耳をもたせません。 彼らはそれを聞きたがりません。 しかし、彼らがそのように感じるのは、悪魔によるのです! それは、悪魔が人々に考えさせたくない主題なのです。 ですから私達の教会、そして全ての教会にとって、この重要な必要性を私が説教する事に、あなた方が注意深く耳を傾けるよう願っています。

これは、私達全てに極めて興味を持たせるべき主題です。 私達が今日の教会の惨状について非常な関心を持たないとしたら、私達は非常に哀れなクリスチャンです。 実際に、もしあなた方が真のリバイバルに全く興味がないならば、あなた方は真実のクリスチャンであるかどうかを吟味すべきです! もしあなた方が、私達の教会に、そして他の教会に関心を持っていないならば、あなた方は確かに活発なクリスチャンではありません! 繰り返しますが、真のリバイブルは、私達全てに極めて興味を持たせる主題であるべきです。

それでは、マルコの福音書第9章でのこの出来事について考えながら始めましょう。 それは非常に重要な出来事でした。 なぜなら、マタイ、マルコ、そしてルカによる、四つの福音書の中の三つで、聖霊がその話を丹念に取り扱っているからです。 プルードホム氏が先ほどルカの福音書から、その話を読んでくれました。 そして私は、マルコの福音書からその二つの聖句を読んでいます。 その章の初めの方でマルコは、キリストはペテロ、ヤコブ、そしてヨハネを連れて、彼らが目撃した驚くべき出来事が起こった、イエスの山上の変貌の場所へ行かれたことを告げています。 しかし、彼らがその山から降りて来た時、群集がそこに留まっていた他の弟子達を囲み、彼らと論じ合っているのを見ました! イエスと一緒に降りて来たその三人は、何事について論じ合っているのかが判りませんでした。 すると群集のひとりが出て来て、彼の息子が悪魔に取り付かれ、口からあわを吹き、歯ぎしりをする、とイエスに言いました。 そこでその人は、“お弟子たちに、[霊を追い出すよう]に願ったのですが、できませんでした”(マルコ9:18)と言いました。 弟子達は試みたが、出来なかったのです。

イエスはその人に幾つかの質問をされました。 そうすると直ちにその少年から悪霊を追い出し、すぐにその少年を癒されました。 キリストが家に入られ、弟子達も彼と一緒に入りました。 彼らが家に入ると、弟子たちはキリストに、“「どうしてでしょう。 私たちには追い出せなかったのですか”と尋ねました。 キリストは、“この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”(マルコ9:29)と言われたのです。

さて、ここで私は、今日のアメリカの教会の問題点を示す為に、この出来事を用いることにします。 この少年は現代の若者達を描写しています。 そして弟子達は、今日の教会を描写しています。 今日のアメリカの教会が若者達を助ける事が出来ないのは、明白ではありませんか? ジョージ・バーナ(George Barna)は、教会で育った88パーセントの若者達を教会は失っていると報告しています。 そして、私達はほんの少数の若者達、この俗世間からの極めて少数の若者達をキリストに導いています。 アメリカの教会は渇き切り、今にも倒れつつあるのです。 南部バプテスト教派は、現在、毎年一千の教会を失っています! それは彼ら自身が報告した数字です! また、私達のインディペンデント(独立系)の教会もさほど違いはないのです! それらの数字を見るなら誰しもが、アメリカの私達の教会が百年前の教会の半分の力も無い事を理解できるでしょう。 ですからJ・I・パーカー博士が、“現在の教会の破壊された惨状”について語っているのです。

弟子達のように、アメリカの教会は全てを尽くしています。 それでもなお、彼らには出来ません。 弟子達がその少年を助けようとした時の様に、彼らにも出来ないのです。 私達が問うべきことは、“どうしてでしょう。 私たちには追い出せなかったのですか”なのです。 何がその原因なのでしょうか?

マルコの福音書第9章でイエスは、正にこの質問に対応されているように私には思えます。 そして、彼がお与えになった答えは、当時重要であったように、今日でも重要なのです。

“弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」”(マルコ9:28-29)。

このテキストは三つの簡単な要点に分けられます。

I. 最初の要点は、“この種のもの”である。

どうして私達には、追い出せなかったのでしょうか? キリストは、“こののものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”と言われました。 彼は、それらには各々違いがあると語られました。 過去にキリストは、彼らに説教するように、そして悪霊を追い出すように、と送られました―彼らは出て行き、説教し、多くの悪霊達を追い出しました。 そうして彼らは喜んで戻って来て、悪霊達自体が彼らに従ったと言いました。

ですからこの人が息子を彼らに連れて来た時、彼らは、以前にしたような事で、その少年を助ける事が出来ると確信していたのです。 しかしこの時に、彼らにはそれが全く出来なかったのです。 彼らの努力にもかかわらず、その少年は全く助けられませんでした。 そして彼らには、それが理解出来ませんでした。 キリストは、“この種のもの”について語られました。 “この種のもの”と、以前に彼らが応じた種のものとは、違いがあったのです。

   ある意味では、問題点は常に同じです。 教会の奉仕は、サタンや彼の悪霊達の力から若者達を救う事です。 “暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ”(使徒26:18)とあります。 それはあらゆる時代、あらゆる文明において常に同じです。 教会は常にサタンと悪霊どもと対応しなければならないのです。 しかし悪霊達の間には、各々相違があります。 それらは皆同じではありません。 使徒パウロは、“私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです”(エペソ6:12)と言いました。 彼は、悪霊には異なった階級があり、彼らの支配者はサタン自身です。 すなわち、“空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました”(エペソ2:2)とあります。 サタンは、彼の全ての力をもってこの世にいます。 しかし彼の下に、これらの下級の悪魔の力があります。 弟子達はこれらの弱い悪霊を追い出すことは出来ましたが、その少年の内にもっと力のある霊が潜んでいました。 “この種のものは”同じではありません。 そしてそれは更に困難なものでした。 私達が最初に知らなければならない事は、どの“この種のもの”を、私達が今日対応しなければならないかです。

私達が、“この種のもの”という言葉を読む時、今日多くの牧師達が、私達が直面している戦いは霊的な戦いである事に気がついているかどうか、私は疑問に思います。 多くの牧師達は、彼らの奉仕はサタンと悪霊との戦いである事に全く考慮していないと私は確信します。 神学校や聖書の大学などは、人間による方法を大いに強調し、彼らは説教者達に、主要な問題点は霊的な領域にある事を教えていません。

ですから、彼らは過去に成功した方法で引き続き行っているのです。 彼らは、それらの古い方法は、今日の“この種のもの”と対応出来ない事を理解していません。 誰もがある必要性を感じています。 しかし、その必要性とはいったい何なのでしょうか? 私達が今日その必要性に気付かない限り、私達は少年に対応した弟子達の様に成功しないでしょう。

II. 二番目の要点は、私達が果たすことの出来なかった方法である。

現在のアメリカの教会が、過去において非常に役立った方法を今でも行い続けているが、“この種のもの”に対してさほど効果を上げていないのを私は目にします。 そして、それらの古い方法に頼っている事で、私達はほとんどの若者達を失っており、また俗世間の若者達もほとんど回心させる事が出来ないのです。 誤解される危険を承知の上で、私は教会の日曜学校をそのカテゴリーに含めます。 125年前には、それは非常に効果的でした。 しかし現在では、ほとんど何の価値もないと思います。 救いに関して書かれた小さなパンフレット等についても同じ事が言えるでしょう。 かって人々は実際にそれを読み、教会へやって来ました。 しかし牧師の方々に尋ねますが、“そのようなパンフレットを読んで、教会にやって来て救われた若者が一人でもあなたの教会にいますか?” 現代の“その種のもの”は、過去に用いられた方法によく反応しない、と私は思います。 そしてまた、私は戸別訪問もそのカテゴリーに含めましょう。 過去にはそれが大いに用いられました。 しかし現在私達は、“この種のもの”に対応しているので、その方法は若者達を教会へ導くには効果的ではありません。

“この種のもの”に適応される時、今日では、効果の無い幾つかの方法があります。 言葉を換えて言うと、キリストは、“あなた方はこの場合には出来なかった、なぜなら他の場合に効果的であったあなた方の力は、ここでは何の価値もないからである。 ‘この種のもの’の力の下にいるこの少年を助けるには、無力である”と言われているようです。

現在、過去に用いられた多くの方法は効果的で無いと考える牧師達がいる事も、私は知っています。 なぜなら彼らは、サタンの“策略”(コリント第二2:11)ではなく、むしろ、方法論を考えるように訓練を受けているからです―それらは、過去の方法よりも優れているわけではない、新しい方法へと大幅に転換し―それは、もしあなた方が若者達を教会の強固な会員として導びこうと努めているならばの事です。 例えば、創世記の創造の記述が真実であり、進化論が間違っている事を若者に“証明”する事が、その解答であると言う人がいます。 彼らは、私達が進化論を反証し、創世記に真実を見出すならば、若者達は回心し、俗世間からの人達も教会へ入って来るであろうと考えています。 彼らはこの方法によって、現在の状況に対応できると考えているのです。

ロイド‐ジョーンズ博士は、“それは、人々が彼らの信仰を弁神論に委ねていた十八世紀の初期と正に同様であった。 彼らは、これらがキリスト教の真実を我々に証明しようとしている事柄であると教えた。 しかし彼らは出来なかった。 ‘この種のもの’は、このようなやり方で立ち向かう事は出来ない”と言いました。

失敗に終わった他の方法には、最新の翻訳があります。 若者達は、キングジェイムズ訳の聖書を理解する事が出来ない、と私達は教えられました。 私達に必要なのは、近代の言葉に訳された聖書であり、そうすれば若者達は読むであろう。 そして彼らは、“これがキリスト教である”と言うであろう―そうして、彼らは私達の教会へわんさと入って来るであろうと。 しかし、それは効果的ではありません。 実際には、正にその正反対の事が起こっているのです。 私は五十五年間、ほぼ例外なく若者達に対応して来ました。 これらの近代の翻訳は、若者達を全く引き付けませんでした。 実際彼らの多くが、“迫力が無い。 それは聖書らしく聞こえない”と言っています。

私は近代の翻訳による聖書を使って説教したことはありません。 今後も決して無いでしょう。 この私達の教会で、また世界中の教会で、四六時中、若者達が救われているのを目にします。 それらの近代の翻訳の価値が何であれ、この問題を解決する事は無いでしょう。 それらは、“この種のもの”に対応しません。

彼らは他に何を試みているでしょうか? そうです、大きなものがあります、それは音楽です! “音楽を変えなければならない、そうしたら彼らは教会へ来て、クリスチャンになるでしょう”。 それは全く哀れです。 これ以上コメントする必要があるでしょうか? ロスアンゼルス市内に集会場を借りて集まっている南部バプテスト教会があります。 牧師はTシャツを着て、椅子に腰かけます。 彼の短い話の前に、一時間ほどのクリスチャンのロック・ミュージックの演奏があります。 私達の教会の或る一人の男性がそれを確かめに行きました。 彼は愕然としました。 その集会は悲愴的で哀れで、全く霊的な様子は無かったと、彼は言いました。 そこは、教会の人達をキリストに導ことも無く、私達の教会の若者達の様に、彼らが毎週一時間も祈ることなど、全く想像もつかないと言いました。 一時間もの絶え間の無い祈り? 彼らには考えられません! ですから現代のクリスチャンのロック・ミュージックもまた、“この種のもの”を追い出す事が出来ないのです。

III. 三番目の要点は、私達は悪の力の底まで入って行き、それを打ち砕く何物かが必要である、そして、それが出来るのはただ一つだけである、それは神の力である!

ロイド‐ジョーンズ博士は、“我々は、‘この種のもの’がどんなに大いなるものであったとしても、神の力は更に無限に偉大である事を理解しなければならない。 我々には、もっと多くの知識、より深い理解、もっと多くの弁神論、[聖書の新しい翻訳、あるいは、クリスチャン・ロックミュージック]など必要ない―そう、私達には、人の魂に入り込み、それを壊し、打ち砕き、低くし、そして彼らを新たにする力が必要なのだ。 それが生きた神の力である”。 そして、それが私達をテキストへと戻します、

“「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」”(マルコ9:28-29)。

祈りと断食。 それ以外に、サタンの策略による“この種のもの”を克服し、私達の教会を助けるものはありません。 今日のアメリカの教会は、若者達に手を差し伸べていません。 私達に何が出来るでしょうか? “この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”。

何人かの俗的な博学に思える“学者”は、“最高の聖書の原稿は、‘と断食’とは書いていない”と言うでしょう。 私達の都市に住む一般の人達と大学生などの異教徒を回心させる事について、彼は何を知っているのでしょうか? リバイバル―現在中国に住む人々が体験しているようなリバイバルについて、彼は何の知識があるのでしょうか? 彼はそれらについて何も知りません。 私は、罪を打ち砕くようなリバイバルを、今までに三度目撃しました。 私はそれら三つのリバイバルで、説教する機会が与えられた事を思うと、心が圧倒します。 それらは伝道集会ではありませんでした。 それらは、神の力が人々の魂に入り、それらが壊され、砕かれ、低くされ、そしてキリスト・イエスの内に、彼らが新たな創造物とされた時でした!

ですから私達は、“と断食”の言葉を取り除いたグノーシス派の写本者による二つの古い原稿には従いません。 私達は、キリストが“と断食”と言われた事を知っています。 どうしてそれが判るのでしょうか? 私達は二つの理由でそれを理解します。 最初に、弟子達が、以前悪魔を追い出した時に祈った事は明白です。 そのように何かが加えられなければなりませんでした。 何かが加えられる必要があったのです―すなわち、断食です! 祈りだけでは十分ではありません。 また、私達は体験によってそれを理解します。 なぜなら、私達が断食をしたからです。 そして、私達が断食と祈りに心をつぎ込んだ時に、私達は自分達の目で、神がお出来になる事を体験しました。

それでは、マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士のもう一つの引用で、私はこの説教を終わります。 何と素晴らしい説教者でしょう! 何と素晴らしいひらめきを持っていたのでしょう! 私は彼のことで神に感謝します。 もう一つの箇所で彼はこう言いました、

我々が断食についての疑問を考慮すべきである、という事が我々の内に起こった事があるであるだろうか?実際、これ全体の主題は我々の生活、そしてクリスチャンの思考全てから消え去ってしまっているように思える、そうではなかろうか?

そして、おそらく何物以上に、それが“この種のもの”を乗り越えられない原因です。

私は、私達の教会で、来週の土曜日に、その日の午後5時まで断食をするよう教会員にお願いしています。 私達は、教会へ来て伝道に出て行く前に軽食を取ります。 私達は、教会に出席し、まだ救われていない若者達の回心の為に断食をし祈ります。 私達は、更に多くの若者達がこの私達の教会を訪れるよう断食をし祈ります。

さて、イエスについて語らないで、この集会を終えることは、私にはできません。 私達に必要なすべての事は、イエスの内に見出されます。 へブル人への手紙にはこのように書かかれています、

“ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです”(へブル2:9, 17)。

アァメン。

神の御子イエスは、罪人の身代わりとして、罪人の代わりに死なれました。 あなたがイエスに身を委ねるその瞬間に、あなたの罪はイエスの十字架での死によって赦されます。 あなたが救い主に身を投げ入れるその瞬間に、あなたの罪は、キリストの尊い血によって、永遠に神の記録から洗い清められるのです。 あなたが主イエス・キリストを信頼し、彼によって罪から救われますよう、私達はお祈りします。 アァメン、そしてアァメン。 起立してソングシートの最後の讃美歌を歌って下さい。

ほふられたまいし
   かみのこひつじ
みこえにしたがい
   われゆく ただちに
(『ほふられたまいし』“Just As I Am” by Charlotte Elliott, 1789-1871).

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。

アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ルカの福音書第9章37-45節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Old-Time Power” (by Paul Rader, 1878-1938) .

要 綱

この種のもの

(リバイバルについての説教 その1)

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈り[と断食]によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」” (マルコの福音書第9章28-29節、新改訳)

(マルコ9:18)

I.   最初の要点は、“この種のもの”である。 使徒26:18;エペソ6:12;2:2。

II.  二番目の要点は、私達が果たすことの出来なかった方法である。
コリント第二2:11。

III. 最後に、三番目の要点は、私達は悪の力の底まで入って行き、それを打ち砕く何物かが必要である、そして、それが出来るのはただ一つだけである、それは神の力である!へブル2:9, 17。