Print Sermon

これらの説教文書は、毎月221か国以上の約11万6千台のコンピューターへwww.sermonsfortheworld.com から送られています。他に数百人の人々がユーチューブのビデオを視聴していますが、各々のビデオは、直接私達のウェッブサイトを紹介していますので、すぐにユーチューブを離れ、私達のウェッブサイトにやって来ます。 説教文書は40カ国語で毎月何十万人もの人々へ送られています。また、説教文書は著作権で守られていませんので、説教者の方々は、私達の許可なく使用することが出来ます。 イスラム教圏やヒンズー教圏を含む世界中へ福音を広めているこのすばらしい奉仕への支援に御関心のある方は、 月々の寄付金の送金方法をお知らせしますので、ここをクリックして下さい

ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国にお住まいかをいつもお知らせ下さい。そうでありませんと、先生はお答えすることができません。ハイマーズ博士の電子メール住所は rlhymersjr@sbcglobal.netです。


悪魔的な葛藤と回心

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2013年5月26日、主の日の朝の説教

DEMONIC CONFLICT AND CONVERSION
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Morning, May 26, 2013

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された”。(ルカの福音書9:42、新改訳)

この話が、どうして三つの共観福音書(マタイの福音書第17章14-21節;マルコの福音書第9章14-29節;ルカの福音書第9章37-43節)すべての中で話されているのかを、私達は自問すべきです。 それは間違いなく、使徒の力の無さを示すために、神的なインスピレーションによって記録されたものです。 キリストは、悪霊を出させるために、先に彼らを送りました(マタイの福音書10:8)。 しかし彼らにはそれができませんでした。 キリストは、彼らが失敗した理由は、不信仰であるからと指摘されました(マタイの福音書17:20)。 それが、私達が普段そのテキストから聞く、使徒の不信仰に焦点を当てた説教です。 それはもちろん真実ですが、それ以上により考察すべきものがあります。

では、悪魔に惑わされたその子はどうなのでしょうか? 彼の体験を話す説教はないのでしょうか? もちろん、あります! スポルジョンはそれに関して良い説教をしています、その中で彼はこのように言います、

悪魔にとりつかれたこの子は、回心しないすべての人の姿を反映している。その子がキリストに来る描写は、救いの信仰を表わしている。なぜなら、キリストに来る信仰と我々のテキストの中にある、打ち倒し、ひきつけることとは、来る者の魂の、敵との葛藤を描写するからだ。“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった”。我々の主題はよく知られた事実、すなわち、救い主に近づく時、その罪人はしばしば、サタンによって打ち倒され、ひきつけをおこされる。であるからにして、彼らはひどく思いの中で傷つき、絶望の下に諦めを余儀なくさせられる(C. H. Spurgeon, “The Comer’s Conflict With Satan,” The New Park Street Pulpit, Pilgrim Publications, 1981 reprint, volume II, p. 369)。

それが、このテキストを特に応用する方法なのです。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし・・・”(ルカの福音書9:42)。

その子は、回心していないすべての人たちを描写します。 彼の、打ち倒され、ひきつけさせられた体験は、回心する際に起こる悪魔的な葛藤を説明します。 その子のイエスに来ることは、救いの信仰を反映しています。

I. 最初に、その子は、回心していないすべての人たちを描写する。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった・・・”(ルカの福音書9:42)。

回心していない大多数の人達は、悪霊にはとりつかれてはいません。 しかし、彼らのすべては、サタンの力の下にいます。 聖書は、サタンが、

“・・・不信者の思いをくらませて・・・”(コリント人への手紙第二4:4)。

ヘンリー・モーリス博士は、この聖句に関しこのように語っています、

ヨハネは、“世全体は悪い者の支配下にあることを知っています”(ヨハネの手紙第一5:19)と記した。聡明な学識者は、簡単に理解できるキリストの福音を理解[もしくは]受け入れることができない。それは、彼らの思いは、これらのすばらしい真実に対して盲目であるからだ。我々は祈らなければならない、“・・・彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ・・・”(使徒行伝26:18)と(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishing, 1995, p. 1280; note on II Corinthians 4:4)。

再び、エペソ人への手紙第2章2節で、聖書はこのように語っています、

“そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました”(エペソ人への手紙2:2)。

マックギー博士は、エペソ人への手紙第2章2節に関して、このようにコメントしています、

[サタンは]今日、欺き、惑わし、人々を無意味な方へ導くことに力を尽くす(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume V, p. 232, note on Ephesians 2:1-2)。

ジョン・ギル博士は、その聖句、“今も不従順の子らの中に働いている霊”の意味は、“これらの[不従順の子ら]に対し、サタンは非常に大きな影響力を及ぼし、・・・彼らの思いと心の中で、彼に従って新生を体験しないよう語りかけているかも知れない”(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume III, p. 70; note on Ephesians 2:2)。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった・・・”(ルカの福音書9:42)。

サタンは、人々がイエスに来ないよういろいろな方法を使います。 彼は、あなた方は回心する必要はない、と言うかもしれません。 これが、キリストのこの地上での奉仕の間、パリサイ人達を欺くために使った主な方法でした。 彼らは、“自分を義人だと自任し”(ルカの福音書18:9)ていました。 これは、今の時代でもしばしばサタンが、人々がイエスに来ないようにさせている、大いなる欺きです。 その思いはあなた方の中にも起こっているのかもしれません、“自分は十分に良い人だ。 教会にも行くし、毎日を清く過ごしている。 他に何か必要なのか?”と。 彼らは自分を義人だと自任し、・・・”ているのです。 その思いが堅く心に刻まれている場合は、その人は無理です。 自分は十分に良いと思い上がらせることによって、サタンは、彼の思いをくらませ(コリント人への手紙第二4:4)、悪魔に捕らえられて思うままにされている(テモテへの手紙第二2:26)のです。

ある若い女性が、“救いは得るもので、真人間になれば救いは獲得されると思いました。 私はすべての行いに最善を尽くよう努力をしました。 私は救われたと確信しました。 私は両親に忠実でした。 私は良い友達を持ち、毎週日曜日に教会へ行きます。・・・各週、私はハイマーズ博士の説教を聞きました。 しかし、決して、決して、自分の罪を認めない、あまりにも思い上がった罪人は、自分であることに気づきませんでした。 私は自分の思いと奮闘しました”。 あぁ、何という奮闘でしょうか! その少女の魂の中の奮闘は、イエスなくして自分は十分に良くなれるというサタンの嘘を信じるかどうかでした!

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった・・・”(ルカの福音書9:42)。

人々がイエスに来ることを妨げるサタンのもう一つの方法は、彼らに、後でクリスチャンになる決心をすることができる、と彼らに話しかけることです。 ある女性は言いました、“クリスチャンになる意思はありませんでした。 多くのことで時間を取られ、そんな時間はありませんでした。 結局のところ、日々の生活で忙しかったのです・・・私は、キリストを信頼する時と場所を自分は決断できると、心底信じました”。 “日々の生活で忙しかった”。 あぁ、何という悪魔的な考えでしょうか! “多くのことで時間を取られ、そんな時間はありませんでした”。 あぁ、何という悪魔的な惑わしでしょうか! “心底・・・”。 あぁ、そうです、“心底・・・”です。 表面でなく、他の人たちに言うのでもなく、サタンは、内面の“奥深く”で話します。 “私は、キリストを信頼する時と場所を自分は決断できると”。 それは、悪魔から出た嘘です! では、私達のテキストの中の、その子はどうなのでしょうか? 彼は“いつ、どこでも”自分の欲する時に、イエスに来ることができたのでしょうか? イエスが彼を呼ばれたその時に、もし彼がそうしなかったならば、彼は決してイエスには来なかったでしょう!

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった・・・”(ルカの福音書9:42)。

悪魔が使うもう一つの手は、彼は、救われ方をあなた方は“習う”ことができると話しかけることです。 もう一人の若い女性は、“私は自分に耐え切れなくなり、自分に‘どのようにしたらイエス様に来れるのか?’と自問しました。 その時私は、その“方法”などは無いことに気づいていませんでした。 自分はどうにかしてでも、自分でイエス様に来れると思い、もしかしたら救われるのではないかと、スポルジョンの小冊子『All of Grace 』を読みました。 私はその本を通して、イエス様に来る方法を探していたのを思い出します。・・・私は、その本は、イエス様を信頼する“段階の一歩”を与えてくれるのでは、と思いました。 しかし、その本は役にたちませんでした。 その晩眠りにつく前に、私は、イエス様に来れるようにお願いし、神に祈りました”。

あぁ、彼女の証は何と教示的で、啓蒙的なのでしょう! “どのようにしたらイエス様に来れるのか?” “自分はどうにかしてでも、自分でイエス様に来れると思い、もしかしたら救われるのではないかと、スポルジョンの小冊子『All of Grace 』を読みました”。 彼女の思いは完全に混乱しています! 題名のごとくその本『All of Grace』は、彼女は自分でイエス様に来れるという間違った考えを正すべきだった、と私は思います! 題名のごとく、その本『All of Grace』は、“私は自分でそれをしなければならない”という悪魔的な考えを正すべきだったと思います。 そうして彼女は言いました、“私は、その本を通して、イエス様に来る方法を探していたのを思い出します。・・・私は、その本は、イエス様を信頼する“段階への一歩”を与えてくれるのでは、と思いました”。 あぁ、“段階への一歩”ですか! “段階への一歩”は、現代の“決断主義”が与えるものなのです。 スポルジョンは、そのような“段階への一歩”など話しませんでした。 “しかし、その本は役にたちませんでした”。 もちろん、それは彼女が、“段階への一歩”を習うための役には立ちませんでした、なぜなら、そのような“段階への一歩”など存在しないのですから! しかし、スポルジョンの本は、全く彼女の役には立たなかったのでしょうか? 彼女は言いました、“その晩眠りにつく前に、私は、イエス様に来れるよう神にお願いし、神に祈りました”。 スポルジョンは、彼女が気づいた以上に良いことをされたと、私は思います! その小冊子の中でスポルジョンはこう言いました、

回心者は普通、その日その時までは福音を知らなかった、と言う。しかし、彼らは数年もそれを聞いたのである。福音は、説明不足だから知られていないのではなく、個人的な黙示[すなわち、啓蒙]の欠如から来るのである。それは、聖霊が、神を追い求める人たちに正に送られるものである(C. H. Spurgeon, All of Grace, Pilgrim Publications, 1978 reprint, page 77)。

悪魔は、彼らからこの救いの真実を隠す為に最善を尽くします、なぜなら、彼らがイエスに来て救われてもらいたくないからです。

再度、悪魔はあなた方の思いの中に恐怖を起こさせるでしょう。 あなた方はイエスに来るのを怖がっていますか? もしそうであれば、その恐怖は悪魔から来ていることは確かです。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった・・・”(ルカの福音書9:42)。

II. 次に、その子がイエスに近づいて来る描写は、救いの信仰を反映する。

起立して、ルカの福音書第9章42節全体を読んでください。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された” (ルカの福音書9:42)。

着席してください。

あなた方は決して、回心に於ける葛藤はすべて悪魔的なものであると思ってはいけません。 回心しない罪人が感じることの多くは、聖霊の働きによるのです、“罪について・・・世にその誤りを認めさせます。 罪についてというのは、彼らがわたし[イエス]を信じないからです”(ヨハネの福音書16:8, 9)。

聖霊の働きによる罪の悟りと悪魔の“ひきつけ”の違いをあなた方にどのように説明できるでしょうか? スポルジョンは明白にその違いを説明しています、

さて、私は貧しい罪人にサタンを見破る術を教えよう、その罪人は、彼の罪の悟りが聖霊の働きによるのか、あるいは、耳の中の単なる地獄の唸り声なのかを知るであろう。先ず初めに、悪魔からの場合は、あなた方をキリストではなく、自分自身を見るようにさせることを固く知りなさい。聖霊の働きは、我々の目を自分達からイエス・キリストに向けさせるが、敵の働きは全く正反対である。悪魔のささやきの十中八九は、我々との対峙なのだ・・・。“あなたは十分な悔い改めをしていない”-それは自己のことである。“あなたはキリストをしっかりと抱いていない”-それもまた自己のことである。それゆえ、悪魔は我々の中に隙を突き始めるが、一方、聖霊はその自己のことを全面的に剥ぎ取り、我々に、“我々は何者でもなく、イエス・キリスト、その方がすべてである”と語る。サタンは、自己の残骸を持ってきて、それを引き合いに出すが、それは堕落しているので、我々に、救われることはないと語る。しかし、罪人よ思い出しなさい、あなたを救うのは、あなたがキリストを抱いているからではなく、それは、キリスト[彼ご自身]がそうされているからである。それゆえ、キリストを捉えるあなたの手をそんなに見るのではなく、キリスト[彼ご自身]を見なさい。あなたの望みを見ることなく、キリストご自身を見なさい。あなたの信仰ではなく、あなたの信仰の作者であり完成者でもあるキリストを見なさい。そして、もしあなたがそうするのであれば、数千の悪魔といえども、あなたを引き倒すことはできないであろう。しかし、もしあなた自身を見るのであれば、最も些細な悪霊であっても、あなたを彼の足元に引き倒し・・・。覚えていなさい、イエス・キリストはあなたでさえ救うことができることを。罪なる人よ、彼の御名を信じなさい、キリストを信じなさい(C. H. Spurgeon, “The Comer’s Conflict With Satan,” The New Park Street Pulpit, Pilgrim Publications, 1981 reprint, volume II, pp. 374-376)。

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された” (ルカの福音書9:42)。

私が言及した女性たちの中の一人は、証の中でこのように言いました、

最終的に、その日曜日に、私は身体的ではなく、自分の罪に対して病を感じました。自分は非常に恥を意識し、罪を感じました・・・その日曜日に私はカウンセリング室に行き、顔をケイガン先生にみせるのも嫌なほどに恥じ入りました。・・・私は自分自身が嫌になりました・・・ケイガン先生は私に、“キリストに来ますか?”と質問しました。・・・その日、私は自分自身をイエスに投げ出しました。私は完全に、彼に自分自身を任せました。・・・その日、イエスは私を救われました。彼は、私が過去においてどんなにも彼を拒絶したにもかかわらず、私を受け入れてくれました。イエス・キリストは私を抱擁されました。その日、イエスは私の罪を洗い清められました。

キリスト・イエスにおいて、真の回心をも体験するでしょう! 彼はあなた方をすべての悪魔的な惑わしから助け出し、あなた方の魂を救われるでしょう。 あなた方がイエスに信仰を委ね、救われますことを神に祈ります!


ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。 もしあなたがこれらの説教で祝福されるのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。 ハイマーズ博士の電子メールの住所はここをクリックしてくださいrlhymersjr@sbcglobal.net。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。 ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は、www.sermonsfortheworld.com
のインターネット上で毎週ご覧になれます。
“日本語の説教”をクリックしてください。

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。

アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ルカによる福音書第9章37-43節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Then Jesus Came” (words by Dr. Oswald J. Smith, 1889-1986;
music by Homer Rodeheaver, 1880-1955).

要 綱

悪魔的な葛藤と回心

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された”。(ルカの福音書9:42、新改訳)

(マタイの福音書17:14-21、マルコの福音書9:14-29、
ルカの福音書9:37-43、
マタイの福音書10:8;17:20)

I.   最初に、その子は、回心していないすべての人たちを描写する。
ルカの福音書9:42甲;コリント人への手紙第二4:4;
ヨハネの手紙第一5:19;使徒行伝26:18;
エペソ人への手紙2:2;ルカの福音書18:9;
テモテへの手紙第二2:26。

II.  次に、その子がイエスに近づいて来る描写は、救いの信仰を反映する。
ルカの福音書9:42乙; ヨハネの福音書16:8, 9。