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天国についての質問に聖書は答える

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2013年5月12日、主の日の朝の説教

BIBLE ANSWERS TO QUESTIONS ABOUT HEAVEN
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Morning, May 12, 2013

“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」。神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです”(コリント人への手紙第一2:9-10、新改訳)。

これらの聖句は天国について語っていることを含んでいます! そのことを認めない注解者がいることは私には驚きです。 ひとの目は天国を見たことがありません。 ひとの耳は天国から誰かが語りかけたことを聞いたことはありません。 ひとのこころは天国の栄光を思い描くことができません。 ヘンリー・モーリス博士は、その聖句は天国のことを語っていると言いました、そして、

“「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように・・・”(イザヤ書66:22)の栄光はひとの思い描くことを遥かに凌駕する、なぜなら、それらは私達のためにキリストご自身が“準備”されるからである(ヨハネの福音書14:2, 3)。[しかし]これらの天上の栄光のあるものは、実際には、黙示録21:22で使徒ヨハネを通して私達に掲示された(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishing, 1995, p. 1256; notes on I Corinthians 2:9, 10)。

レンスキー博士は、そのテキストについてこう語っています、

・・・は、しばしば天国についての言及と一緒に使われ、来るべき世で私達を待つ祝福されることの言及と共に使われる。実にこの使用は正当化される・・・(R. C. H. Lenski, Ph.D., St. Paul’s First and Second Epistles to the Corinthians, Augsburg Publishing House, 1963 edition, p. 104; comments on I Corinthians 2:9)。

かってこの地上の目は天国の栄光を見たことがありません。 かってこの地上の耳は天上で歌われる天使の歌声を聞いたことがありません。 他の霊的な真実性の中、天国のことは神の特別な啓示によって知ることが出来るだけです。 ですから第10節は、“神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです”(コリント人への手紙第一2:10)と書かれているのです。 聖書は私達に、他の方法では決して発見することが出来ないことを私達に啓示しています。 そして、神が私達の思いを啓蒙するときに、天国を含むそれらの霊的な事柄について、神が聖書の中で啓示されることを、私達は信じるでしょう。 『The Applied New Testament Commentary応用新約聖書コメンタリー』(Kingsway Publications, Ltd., 1997) は、次の思慮深いコメントをしています、

パウロはここでイザヤ書64:4を引用する。神がご自分を愛するもの達のためにご準備され、愛さないもの達に隠されたことは何か?それは救いであり、永遠の命であり、そして栄光、すなわち、これが神がご自分を愛するもの達のためにご準備されたものである。そして、神がご自分を愛するもの達のためにご準備されたものは、我々が思い描く以上に大いなる、すばらしいものである(同著、p. 631; note on I Corinthians 2:9)。

“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです”(コリント人への手紙第一2:9-10)。

聖霊は、他の方法では私達が知ることの出来ない天国についての事柄を、聖書の中で啓示しました。 将来クリスチャンに起こる事柄について聖書が啓示しているいくつかを、ここに挙げてみます。

I. 最初に、クリスチャンが死んだとき、何が起こるか?

聖書は語ります、

“私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています” (コリント人への手紙第二5:8)。

これは、クリスチャンが死んだ瞬間、彼の魂はキリストと共にいることを表しています。 使徒パウロは、“私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです”(ピリピ人への手紙1:23)と語っています。 これらの聖句は、クリスチャンは霊としてキリストと共にいる為に行くことを表しています。 彼らは、昇天の時まで肉体とは再び融合しません。 しかし、アブラハムとラザロの霊のように、認識はされます(ルカの福音書16:22-25)。 『Westminster Confession of Faith』は、“死んだ後のひとの肉体は、塵にもどり朽ちるが、朽ちることの無い物質をもつ魂(死ぬことも無く眠ることも無い)は、瞬時にそれをお与えになった神のところに戻る。 完全に神聖に作り変えられる義なる魂は、光と栄光の中に・・・受け入れられ、彼らの肉体の完璧なる贖いを待つ”(32:1)と説明しています。

死人の魂は中間の状態に行きます。 魂は、セブンスデー・アドベンティスト派が間違って教えている“睡眠”の状態には入りません。 ルカの福音書16:22-26は、キリストの昇天の前に、“ハデス(黄泉)”は二つの場所に分かれていることを明らかにしています。 救われた者の場所と失われた者の場所があります。 金持ちは“苦痛・苦悩”と知られるハデスの場所にいました。 ラザロは“パラダイス”とイエスが呼んだハデスのもう一つの場所にいました。 ラザロと金持ちの両方は、セブンス・アドベンティスト派の教えが間違っていることを証明するように、目覚めていたのです。

イエスが天国に昇天された時、彼は“パラダイス”を持って行かれました。 そして、その中の救われた魂は、“第三の天にまで・・・パラダイスに引き上げられ・・・”(コリント人への手紙第二12:2, 4)るのです。 エペソ人への手紙4:8 と9は、その成り行きを説明します。 キリストは“捕虜を引き連れ”、“地の低い所に下られた”後、“高い所に上られた”のです。 キリストは、フレデリック・プライス(Frederick K. Price)や他のペンテコスト派達が間違って教えている、“苦痛・苦悩”と呼ばれる場所へは行きませんでした。 キリストは“パラダイス”と呼ばれる場所へ下り、そこにいる全ての救われた魂を、彼が神の御許へ、第三の天へ昇天された時に、ご自分と一緒に持って行かれたのです。

今日、救われていない人は死んだとき、ハデスの“苦痛・苦悩”の場所に瞬時に行きます。 今日、救われている人はキリストと共に“第三の天”(コリント人への手紙第二12:2;5:6)に瞬時に行きます。

“私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を 離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています” (コリント人への第二の手紙5:8)。

スコフィールド・スタディー・バイブル(Scofield Study Bible)のルカの福音書16:23のメモ書き(pp. 1098, 1099)のところで、これらを全て正しく説明しています。

ジョン・マッカーサーは、“特別な客室”もしくは“船の汚水タンク”と読んで、旧約聖書に出てくる“パラダイス”の説明を軽んじます。 マッカーサー博士は、キリストの御血のような他の主題でもしているように、彼の実の父親がスコフィールド・スタディー・バイブルを使って説教した彼の見解を非難する手段として、名ばかりに引用するのです。 彼の、ペテロの手紙第一3:18、19のメモ書きで、マッカーサー博士は、キリストの霊は“地獄に縛られている悪霊のところへ行き、彼らに打ち勝ったと宣言した”と言っています。 しかし、それが、キリストがそこで成された全てでしょうか?  また、エペソ人への手紙4:9は、彼は下られ、そして、エペソ人への手紙4:8で、“彼は多くの捕虜を引き連れ・・・”と語っています。 マッカーサーは、彼は聖句で持ってスコフィールド・バイブルの間違った学説を“暴露”したと言っていますが、そうはしていません。 彼は名ばかりに引用し、ウィルバー・スミスの考えと間違った応用から抜粋しているのに過ぎないのです(John MacArthur, D.D., The Glory of Heaven, Crossway Books, 1996, p. 70)。

ウィルバー・スミスは、マッカーサーが引用した章のスコフィールド・スタディー・バイブルの立場を暴露しませんでした。 スミス博士は、その章の中の、贖罪と魂の睡眠に関する間違った学説だけを扱ったのです。 マッカーサーが引用した章のどこにも、スコフィールドの立場にスミス博士が言及していないのに、スコフィールドの立場の間違いを証明するため、ウィルバー・スミスを引用することは、マッカーサー博士にとっては正直さに欠けた、少なからず不誠実な行為でした(Wilbur M. Smith, D.D., The Biblical Doctrine of Heaven, Moody Press, 1977 edition, pp. 155-170)。

それゆえ私達は、クリスチャンが死んだときに彼に起こる事柄に関して、スコフィールドのとる立場を確かな信頼の置ける教えとするのです。 スコフィールド・スタディー・バイブルの基礎的な教えもまた、他の多くの人達から信頼されています。 以下の書籍を参照にしてください。 ドワイト・ペンテコスト博士(J. Dwight Pentecost, Th.D.)の『Things to Come』(Zondervan Publishing House, 1964 edition, p. 558)。 ヘンリー・モーリス博士(Henry M. Morris, Ph.D.)の『Defender’s Study Bible』(World Publishing, 1995 edition, note on Ephesians 4:8, 9)。 クリスウェル博士(W. A. Criswell, Ph.D.)とペイジ・パターソン博士(Paige Patterson, Ph.D.)の『Heaven』(Tyndale House Publishers, 1991, p. 60)。 そして、ヘンリー・シーセン博士(Henry C. Thiessen, Ph.D.)の『Introductory Lectures in Systematic Theology』(Eerdmans Publishing Company, 1963 edition, pp. 488, 489)。 シーセン博士はこう語っています、

新約聖書は、ハデスには二つの場所があることを指摘する。一つは悪者のためのもの、もう一つは善人のためのもの。義なる者のためには、パラダイスと呼ばれるばしょがある。悪者のためのものは別に名はないが、苦痛・苦悩の場として描かれる・・・。キリストの復活の後・・・信者は死んだときキリストのいる場所へ行き・・・彼らは、今では天上のパラダイスへ行く(コリント第二12:2-4)・・・キリストがよみがえるとき、御自身と一緒にハデスにいる全ての義なる魂を彼はもっていかれる(エペソ4:8と詩篇68:18)。今後、全ての信者は、死んだときキリストの御許へ行き、不信者は、旧約聖書の時代に書かれている、ハデスへ行く(Thiessen, ibid., p. 489)。

それがクリスチャンが死んだ時、彼の魂に起こることです。

II. 次に、クリスチャンは復活した自分の肉体をいつ受けるか?

昇天は、中間の状態以上によく知られています。 ですから、それにはあまり時間を割きません。 テサロニケ人への手紙第二4:15-17に耳を傾けてください。

“私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります” (テサロニケ人への手紙第一4:15-17)。

ジョン・ウォルボード博士は言いました、

     昇天について描かれている主要な聖句は、テサロニケ人への手紙第一4:13-18である。パウロは、大胆に天より中空へ降りて来られる主のご様子として、そして、復活のために死んだクリスチャン達への印となる神のラッパの響きとして、そのシーンを描いている。瞬時に、まだ生きているクリスチャンもまた、中空で主に会うために、復活されたクリスチャンと共に昇天するであろう。彼らが中空で主に会うと、父の家に行くという預言(ヨハネの福音書14:2-3)が成就するように、彼らは天国へ行く。コリント人への第一の手紙第15章は、昇天についてより明白に述べている。 それは、死んだクリスチャンと生存しているクリスチャンの身体は、天国に適するように、瞬時に変えられる、第15章51-52節(John F. Walvoord, Ph.D., The Rapture, Prophecy Study Bible, AMG publishers, 2000, p. 1152)。

III. 三番目に、クリスチャンはさばかれるか?

はい、クリスチャンは自分達の行いによってさばかれるでしょう。 コリント人への第二の手紙第15章10-11節に耳を傾けてください。

“なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです”

(コリント人への手紙第二5:10

-11)。

アーウィン・ルザー博士は言いました、

我々の救い主は、正しく義なることを執行され、我々の不従順に眼を瞑られないであろう・・・。もし我々がパウロの言葉を文字通りとるならば、我々はキリストからの厳しい叱責と褒美もしくは特権を失う可能性に直面しなければならない・・・。信仰深い者達はキリストと共に支配する特権をもつであろう(ヨハネの黙示録3:21);そうでない者達は[地上の王国で]叱責を受け、軽い義務をもたされるであろう・・・すべての者は永久に楽しみ、我々の主に名誉と賛美を捧げる(Erwin Lutzer, D.D., The Judgment Seat of Christ, Prophecy Study Bible, ibid., p. 1247)。

IV. 四番目に、王国の時代にクリスチャンは何をするか?

ヨハネの黙示録20:1-7を開いてください。

“また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され” (ヨハネの黙示録20:1-7)。

この聖句は、前千年王国説を教えています。 ヨハネの黙示録第20章1-7節は文字通りの事実である、と言った初期のクリスチャンは正しかったです。 キリストはこの地上に再臨され、ダビデの王座、エルサレムに彼の御国を設立されます。 真のクリスチャンは、地上に千年の間、彼の御国を設立するために、キリストに従って第三の天国から降りてきます。 このことはエゼキエル書第14:4-9で説明されます。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる” (ゼカリヤ書14:4-9)。

ヨハネの黙示録はこう語っています、

“私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです” (ヨハネの黙示録5:10)。

V. 最後に、この地上でのキリストの千年の王国の後、何が起こるか?

キリストの地上の王国の終わりには、この世と宇宙は火炎の中に燃え尽きるでしょう。 ペテロの手紙第二3:10-13に耳を傾けなさい。

“しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます

(ペテロの手紙第二3:10-13)。

その際、神は新しい天と新しい地を創造されます。 ヨハネの黙示録21:1を開いてください。

“また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない”(ヨハネの黙示録21:1)。

そうして、聖都、新しいエルサレムが降誕されます。 それはキリストの永久の王国の都になるでしょう。 新しいエルサレムの大きさは、ヨハネの黙示録21:16に記されています。

“都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである”(ヨハネの黙示録21:16)。

新しいエルサレムは、長さが15,000マイル(24,000キロ)、幅が15,000マイル(24,000キロ)、そして、高さが15,000マイル(24,000キロ)です。 よって、都市は、一辺をアメリカ合衆国の東海岸からミシシッピー川まで、他辺をカナダとの国境からメキシコ湾までに囲まわれた地域の大きさになります。 その長さと幅に加えて、15,000マイル(24,000キロ)の高さをもちます。 それは数百階建てになります。 ポール・リー・タン博士(Dr. Paul Lee Tan)は、新しいエルサレムは、“720億の住民を収容する”と予測します(Prophecy Study Bible, ibid., p. 751)。 グリフィスさん、『The Pearly White City』の三番目を歌ってください。

その都市では、こころの痛みはなく
   涙を流すこともない
天国には失望するこはなく
   天には妬みと争いもない
聖人はみな完全に捧げられ
   彼らは調和の中にそこに生きる
その都市を思う我がこころ
   いつか祝福を分かちあわん
真珠のように白く輝くその都市に
   我は住居と礼服と冠をもつ
我が思いはそれを請い待ち望む
   ヨハネが降下するのを見た、その白い都市を
(“The Pearly White City” by Arthur F. Ingler, 1902).

タン博士はまた、“ヘブル人への手紙12:22-24は、その都市の住人を挙げている”(同著)と言っています。 彼は、“新しいエルサレムは、天使、教会、審判である神、旧約聖書の聖人、そして、仲介者のイエスを含む”(同著)と言っています。 不思議にも、タン博士はそのリストの最後に言及されていることを除いています。 ヘブル人への手紙12:22-24を開いてください。 最後に載っているのは何ですか? “注ぎかけの血”です。 タン博士が何故それを除いたのか、私には分かりません。 しかし、ジョン・マッカーサーは自分の著書『The Glory of Heaven』の中で、イエスと“注ぎかけの血”を除きました。 マッカーサー博士は、ヘブル人への手紙第12章は、天国について“魅力的な”聖句であると言っています。 そうして、彼はヘブル人への手紙12:22-23を引用しますが、24節の全てを除いているのです!(参照:John F. MacArthur, The Glory of Heaven, Crossway Books, 1996, p. 104)。 なぜ彼が、“仲介者のイエス”と“注ぎかけの血”を除かなければならないのか、私にはわかりません。 私にとって、イエスと彼の御血は天国で最も大事なものの一つですが!

イエスなくして何の望みが私達にあるのでしょうか? 彼の尊い御血がなくして何の望みが私達にあるのでしょうか? 私が言えることは、キリストのいない、御血のない福音は、真の福音ではないことです! 偉大なるスポルジョンはこう語りました、

イエス・キリストの血を説教しない者がいる。彼らに対してこのことをあなた方に話したい。彼らの説教を聞きに行くな! 彼らの言うことに決して耳を傾けるな!イエスの血が無い聖職は、いのちの無いものである。そして、死んだ聖職は誰にとっても好くは無いのだ(C. H. Spurgeon, “Freedom Through Christ’s Blood,” August 2, 1874)。

息が続くかぎり、私は、磔され復活されたキリストの伝統的な福音と、彼の尊い御血による罪の清めを説教します! 天上のエルサレムで、私達は、“新しい契約の仲介者イエス”と“注ぎかけの血”をみて喜ぶでしょう。 そして永久に私達は、“・・・私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち”(ヨハネの黙示録1:5)されたイエス・キリストを褒め称えるでしょう。

ではあなた方に今朝尋ねますが、あなた方は天国への準備ができていますか? あなた方の罪はイエスの御血でもって清められなければなりません。 そうでないと、あなた方は決してそこへは行きません。 あなた方は、“世の罪を取り除く神の小羊”(ヨハネの福音1:29)であるイエスを信頼しなければなりません。 信仰でもってイエスに来なさい。 罪に背を向け、神の小羊であるイエスを信頼しなさい。 彼は、ご自分の尊い御血でもってあなた方の全ての罪から清めてくださるでしょう! 起立してソング・シートの6番目の賛美歌、『あなたのつみあやまちは』を歌いなさい。

あなたのつみあやまちは
   しまつされてあるか
かみなるキリスト・イエスを
   しんじすくわれたか
つみをくいて だれもすがれイエスに
   イエスは十字架のちしおで
つみをきよめたもう

はなむこなるキリストを
   むかえにでられるか
つみのしみのないふくを
   まいにちきておるか
つみをくいて だれもすがれイエスに
   イエスは十字架のちしおで
つみをきよめたもう

すこしでもつみのしみが
   ついておったならば
イエスのちしおでしろくし
   主によろこばれよう
つみをくいて だれもすがれイエスに
   イエスは十字架のちしおで
つみをきよめたもう
   (『あなたのつみあやまちは』“Are You Washed in the Blood?”
            by Elisha A. Hoffman, 1839-1929).

チャン先生、救われる必要のある人たちのために祈りを捧げてください。

(説教終了)
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ヘブル人への手紙第12章22-24節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“The Pearly White City” (by Arthur F. Ingler, 1902).

要 綱

天国についての質問に聖書は答える

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」。神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです”(コリント人への手紙第一2:9-10、新改訳)。

(イザヤ書66:22;ヨハネの福音書14:2, 3;
ヨハネの黙示録21:22;イザヤ書64:4)

I.   最初に、クリスチャンが死んだとき、何が起こるか?
コリント人への手紙第二5:8;
ピリピ人への手紙1:23; ルカの福音書16:22-26;
コリント人への手紙第二12:2、4;
エペソ人への手紙4:8、9;
コリント人への手紙第二5:6、8。

II.  次に、クリスチャンは復活した自分の肉体をいつ受けるか?
テサロニケ人への手紙第一4:15-17。

III. 三番目に、クリスチャンはさばかれるか?
コリント人への手紙第二5:10-11;
ヨハネの黙示録3:21。

IV.  四番目に、王国の時代にクリスチャンは何をするか?
ヨハネの黙示録20:1-7; ゼカリヤ書14:4-9;
ヨハネの黙示録5:10。

V.   最後に、この地上でのキリストの千年の王国の後、何が起こるか?
ペテロの手紙第二3:10-13; ヨハネの黙示録21:1、16;
ヘブル人への手紙12:22-24; ヨハネの黙示録1:5;
ヨハネの福音書1:29。