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感謝の念を忘れた人-感謝祭の説教

(創世記シリーズ、その65)

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

THE MAN WHO FORGOT TO BE THANKFUL –
A THANKSGIVING SERMON
(SERMON #65 ON THE BOOK OF GENESIS)
(Japanese)

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年11月18日、主の日の朝の説教

“ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”。
(創世記第40章23節)

その給仕役の長はパロに罪を犯しました。 彼はヨセフがつながれている地下牢に入れられました。 さて、ヨセフはユダヤ人で、犯していない罪のために咎められました。 しかし主がヨセフと一緒にいられたので、その地下牢の監視役はすべての犯罪人をヨセフの監視の下に置きました。 牢獄での最初の晩に、その給仕役は夢をみました。 彼はヨセフにその夢の解き明かしを問いました。 ヨセフは、神の助けをもってその夢を解き明かせることができると彼に答えました。 そうして、ヨセフはその給仕役の夢を解き明かし、彼は三日目に釈放されて元の地位に戻るであろうことを言いました。 その給仕役はヨセフに、もし釈放されたならば、ヨセフは無実であることをパロに進言することを約束しました。 三日後にヨセフが解き明かした夢が現実に起こりました。 その給仕役は釈放され元の地位に戻りました。

ヨセフは、パロに自分の無実を伝えてくれる友人を王室にもったと確信しました。 しかし、数週間数ヶ月が経ちましたが、給仕役の長からは何の知らせもありませんでした。 その給仕役の長はヨセフのことを完全に忘れることができる筈もないのですが、それをパロに進言するのを恐れていたのは間違いありません。 進言をすればパロを怒らせ、また地下牢に入れられると思ったのかもしれません。 あるいは、他の理由があったのかも知れません。 理由が何であれ、その給仕役の長はヨセフを忘れました。 もしヨセフがその給仕役の長を傷つけたのであれば、彼はヨセフを忘れなかったでしょう。 しかしヨセフは彼を助けたがために、その給仕役の長は簡単に忘れてしまったのです。 “ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”(創世記第40章23節)。

これは何と感謝の念をもたない人を描写しているのでしょうか! 堕落した人々が感謝の念をもたないのは、何と普通なことになってしまったのでしょうか! その給仕役の長は、感謝の念をもつことを忘れた人だったのです。 それは、今日の邪悪な世の中で増えている、人々の特徴なのです。 使徒パウロはこう語りました、

“しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来るその時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者” (テモテへの第二の手紙第3章1-2節)。

“親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者”。 何とこれは、“終りの時”のこの世代を言い表しているのでしょうか! その給仕役の長は、今日のたいへん多くの人達を描写しています。 “ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”(創世記第40章23節)なのです。 今は、“恩を知らぬ”、そして“神聖を汚す”世代なのです。 多くの若者達が感謝の念をもつことを忘れてしまった、三つの主な点をみてみましょう。

I. 最初に、多くの人は親に感謝の念をもつことを忘れている。

聖書は、“あなたの父と母を敬え”と言っています。 それは旧約聖書の中で二度(出エジプト記第20章12節と申命記第5章16節)出てきます。 そして、新約聖書の中で六度(マタイによる福音書第15章4節;第19章19節、マルコによる福音書第7章10節;第10章19節、ルカによる福音書第18章20節、エペソ人への手紙第6章2節)出てきます。 これは、いかなる条件もなく絶対的な戒です。 それは決して、“あなたの父と母を敬え、もし彼らがあなたによいことをするのであれば”とは言っていません。 いいえ違います。 それは単に彼らを敬えと言っているのです。 泣いている赤ちゃんが母親の腕に抱きかかえられるのを見る時、あなた方の母親もあなた方にそうしたのを思い起こさせませんか? 母親があなた方にしてくれたことを考えたことがありますか? 汚いおしめを代えてくれたり、目を離さずにいてくれたり、洋服を洗いアイロンをかけてくれたり、食事の用意をしてくれたり、あなた方のために祈りを挙げてくれたり、帰りが遅いときは寝ずにあなた方を待ってくれたり、そうです、彼女の宝のようにあなた方を思い心配してくれたことを考えたことがありますか?

私は生まれて6ヶ月の頃から話すことを教えてくれた母に対して、神に感謝します。 私が幼少の頃病気であった時に、テレビのない時代で、よく本を読んでくれた母に対して、私は神に感謝します。 母が亡くなって多くの年月が経ちますが、今でも私の額に置かれた母の手、私の頬にキスをしてくれた母のことが思い浮かびます。 私は、愛おしい母のことで、毎日神に感謝しています。 あなた方はどうですか? 母親に、あなた方がどんなにか愛していることを最後に言ったのはいつですか?

タダイ・スティーブンス(Thaddeus Stevens)は、南北戦争時に最も影響力を与えた言論者の一人でした。 彼は片足が不具でした。 彼の母親は息子によい教育を受けてもらいたく日夜働きました。 彼が弁護士として成功した時、母親が行っているバプテスト教会に献金するために、彼は母親に小さな金の一片を毎週渡しました。 今日まで、毎年春と夏には、彼女の墓の周りにはバラと他の草花が生い茂っているのを見るでしょう。 タダイ・スティーブンスは遺書の中で、彼の母親の墓に永遠に花が飾られるように、多大な遺産を残したのです。

スコットランドの教会の墓地に、偉大な宣教師であったディビッド・リビングストン博士(Dr. David Livingstone)と兄弟姉妹によって立てられた墓石があります。 それには以下の言葉が刻まれています、

ニール・リビングストンと
   妻のアグネス・ハンターの
永眠の地を示すために
そして、貧しくも神聖であった
   父母に対し、子供たちからの
神に対する感謝の念を現すために

シェイクスピアは、リア王の中に必滅の悲しみの深みを謳いました。 年老いた王である父親に、“恩知らずな子供をもつことは、蛇の歯よりも研ぎ澄まされたものに噛まれようなものだ”と言わしめました。 感謝をしないことはいつも悪いことですが、それが子供から親にされるときは最も醜くなります。 シェイクスピアは言いました、

忘恩よ、汝は頑強なこころを根ざした魔神
汝を子に見るとき、
海の化け物より、忌まわしい!

あなた方は、母親に愛していますと最後に言ったのはいつか覚えていますか?  あなた方は、父親に育ててくれたことを感謝したのはいつか覚えていますか? 親に感謝をしないことは、子供にとって卑劣で残忍なことなのです。 “ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”。

II. 次に、多くの人は友人と恩人に対して感謝の念をもたない。

イエスは重い皮膚病にかかった十人を癒し、彼らが癒されたことをみせるために、彼らを祭司たちのところに送りました。 しかし、そのうちの一人だけがイエスの御許にもどり、彼に感謝をしました。 救い主は言われました、“・・・「きよめられたのは、十人ではなかったか。 ほかの九人は、どこにいるのか。 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」”(ルカによる福音書第17章17-18節)。

私達は、怪我をしたこと、侮辱を受けたことは覚えていますが、私達を助けてくれた人達のことを覚えている人は何と少ないのでしょうか。 私が子供の頃、多くの困難を体験しましたが、いつも誰かが私を助け、勇気付けてくれたことに驚かされます。 今朝、そのような方々に対して、私は神に感謝をしたいと思います。 私がまだ救われず一人であった寂しい十代の頃に、私を最初にバプテスト教会に連れて行き、毎晩彼らの家に招いてくれた、ヘンリー・マックゴーワン先生ご夫妻のことを覚えています。 私に公で話すことを最初に教えてくれた、レイ・フィリップス先生を私は覚えています。 私一人が白人であった中国系の教会で、私をいつも暖かく出迎えてくれたマーフィー・ラムご夫妻を私は覚えています。 私はグェン・デブリンさんを覚えています。 彼女は、仕事場で同僚の皆が帰った後、夜間に大学へ行くことを勇気付けてくれました。 私は50年間の友人であったジーン・ウィルカーソンさんを覚えています。 私が行くところがない時、夜半でも彼のところのアパートに行き寝ることが出来ることは、何と私を安心にさせたことでしょうか。 そのような思いは、いつも寝る場所のある人達には奇妙に思えるかもしれません。 しかし、私のような貧しい青年にとっては、ウィルカーソンさんのような友達を持つことは、本当にこころ安らぐことでした。 私はティモシー・リン博士を覚えています。 彼はあるときは非常に厳しい方でしたが、先生なくしては、今日の私はありません。 私はこころから先生を愛しています、なぜなら、私は聖職に関してはすべてのことを先生から学んだからです。 先生は私の恩人です。 いつも私の側にいて、私をいつも愛し、私をいつも助け、私に仕えてくれる妻に感謝をします。 私は、今までに出会った最良の友であるケイガン先生に感謝をします。 私は、私達の教会の存続を守るために、多くの犠牲を払ってくれた“サーティーナイン(39)”の教会員に感謝をします。 これらの人達は、私の祈りの時間に、意識して感謝の気持ちを表したい人達です。 あなた方はそのようなリストをもっていますか? あなた方は、そのような人達に自分の感謝の念を伝えたことがありますか?

貧しい少年時に私を励まし助けてくれた人達、特に今述べた人達に感謝の念を、生涯をとおして持ち続けたいです。 そうすることはいつも心温まることです。 それは彼らに感謝をしたい気持ちを私に起こさせます。 そして、私はあなた方も同じようにすることを勧めます。 よき友、真の恩師は、金と同じ価値のあるものです!

シーザーを殺したのは、ブルトゥスの短刀ではなく、ブルトゥスの恩を知らないこころでした。 シェイクスピアが書いているように、

高貴なシーザーが、彼が刺すのをみたとき、
恩を知らぬこころは、裏切り者の剣よりも強く
静かに彼を負かし、彼の強靭なこころを破裂させる
顔を覆いかぶせた彼の外套には
ポンペイウスの像の土台にでさえ
血は流れ落ち、偉大なるシーザーは倒れた。
   – ジュリアス・シーザーIII, 2

私達の教会から仲間を“奪って”いった人達、そして、感謝の言葉もなく教会を去っていた人達に、私はいつも驚きと悲しみの念をもちました。 私達の教会のリーダーで、彼の妻同様学校にも行かせていましたが、感謝の言葉を一言もかけることなく教会を去り、教会の分裂を引き起こした人のことを私は考えています。 私の母に大変世話になった若者がいましたが、彼はある晩黙って家を出て行き、彼女の大事にしていた結婚記念の銀食器を盗んで行きました。 彼女にとっては二番目の実の子の様なこの若者にこのようにされ、母が泣き崩れたのを今でも私は思い出します。 あなた方が、このような卑怯な恩知らずなことを決してしないように、私は神に祈ります! そのような人達がどうして自分達は人類の一員であると考えるのでしょうか! 卑劣です! 使徒パウロはそのような人達についてこのように言っています、

“なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり”(ローマ人への手紙第1章21-22節)。

“ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”。 私はここで神聖なる長老教会派の牧師であったクラレンス・マッカートニ博士(Dr. Clarence Macartney / 1879-1957)に、この説教のアイデアといくつかの描写を頂いたことに対して感謝をしたいと思います。 マッカートニ博士は1957年に亡くなられました。

III. 最後に、多くの人は神に対して感謝の念をもたない。

使徒パウロは、この世の異邦人は神を崇めることをせず、彼に感謝の念をもたないので不信人なものになると言いました。 異邦人の国々に関して彼はこう語りました、

“なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである”(ローマ人への手紙第1章21節)。

感謝の念をもたないことは、神に対する罪でス。 私達はしばしば神が与えてくれた恵みに対し、彼に感謝することを忘れます。 それは罪なのです。 使徒パウロは言いました、“すべての事について、感謝しなさい”(テサロニケ人への第一の手紙第5章18節)。

私の母は80歳になるまで回心しませんでした。 人生に対して母は、悲しみに満ち気落ちしていましたが、ついにイエスに来て回心したときに、それはすべて変わりました。 母との最後の会話で、私はキリストがどのように彼女のこころを変えたのかを見ました。 彼女は大手術のために病院に入院していました。 死に直面してはいましたが、そこでは、彼女は神に対する言い尽くせない感謝の念で満ちていました。 私達は彼女の好みの大統領であるリンカーンについて話しました。 私達は彼女の好みの祝日である、感謝祭について話しました。 母は私と一緒にこの歌を歌いました、

のぞみもきえゆくまでに
   よのあらしになやむとき
かぞえてみよ主のめぐみ
   ながこころはやすきをえん
(『のぞみも消えゆくまでに』“Count Your Blessings”
     by Johnson Oatman, Jr., 1856-1926).

母は言いました、“ロバート、神様が私達にされたことは本当に驚くべきことです”と。 母は病床にいましたが、神が私達にされたことに関して、神は母に感謝の念を与えられました。

私がこの説教を準備しているとき、ある女性から罪に走った娘さんのことで電話をもらいました。 私はその女性に、私が母のことについて書いたことを読んで聞かせました。 私は彼女に、娘さんがまだ生きていること、まだ彼女のために祈る時間があること、今までの人生で多大な恵みを与えられたことを感謝するように言いました。 そして、使徒パウロは彼の奉仕をとおして多くの艱難を徹し他にもかかわらず、彼が“すべての事について、感謝しなさい”と言われたことを彼女に話しました。

かぞえてみよ主のめぐみ
   ながこころはやすきをえん

神が私達に与えてくださった最も偉大な贈り物は、神の御子、主イエス・キリストです。 パウロは広漠たる言葉の泉をもっていましたが、イエスについて語るとき、彼は言葉に窮しました。 彼が言うことのできたことは、“言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する”(コリント人への第二の手紙第9章15節)事でした。

リチャード・ウォンブランド牧師は、福音の言葉を説教したがために、共産党政権下のルーマニアで14年間牢獄で過ごしました。 彼は、数ヶ月に渡る独房生活、年をとおしての身体への拷問、空腹と寒さへの我慢、洗脳と精神的な残忍さに対する苦悶を体験させられました。 彼はどのようにしてその苦難を徹し、信仰を守りとおしたすばらしいクリスチャンになったのでしょうか? 彼はこう言いました、

もしこころがイエス・キリストの愛によって清められるならば、もしこころが彼を愛するならば、ひとはすべての迫害に耐えることができる・・・。もしあなたが、マリアが赤子のキリストを腕の中に抱擁して愛したようにキリストを愛するならば、あなたは迫害に耐えることができるのである(Richard Wurmbrand, Th.D., Tortured for Christ, Living Sacrifice Books, 1998 edition, p. 38)。

ですから、本当の問いは、あなたはキリストを愛しますか?、と言う質問に行き当たります。 もしそうであるならば、どんな迫害が臨もうともあなた方は、神の御子ゆえに、神に感謝を捧げられるのです。 しかし、もしキリストを愛さないならば、遅かれ早かれあなた方はすべての望みから見放され、こころの苦悶に陥るでしょう。

今朝あなた方がイエスに来て、彼を信頼し救われることを私は懇願します! この世には、キリストなくしては真の望みはありません。 しかし、もしキリストを知っているのであれば、たとえどんなことが起ころうとも、あなた方は使徒パウロと一緒になって、“言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する”と言えることでしょう。 真の感謝は、私達の罪を贖うために十字架で死なれ、私達にいのちとこの世を克服する望みを与えられるために死からよみがえられた、キリストの愛を体験した人達のこころから起こります。

起立してソングシートの三番目の賛美歌を歌ってください。 この賛美歌は私の母の好きだった歌です。

のぞみもきえゆくまでに
   よのあらしになやむとき
かぞえてみよ主のめぐみ
   ながこころはやすきをえん
かぞえよ主のめぐみ
   かぞえよ主のめぐみ
かぞえよひとつずつ
   かぞえてみよ主のめぐみ

主のたまいしじゅうじかを
   にないきれずしずむとき
かぞえてみよ主のめぐみ
   つぶやきなどいかであらん
かぞえよ主のめぐみ
   かぞえよ主のめぐみ
かぞえよひとつずつ
   かぞえてみよ主のめぐみ

よのたのしみとみちしき
   ながこころをさそうとき
かぞえてみよ主のめぐみ
   みあまつくにのさちによわん
かぞえよ主のめぐみ
   かぞえよ主のめぐみ
かぞえよひとつずつ
   かぞえてみよ主のめぐみ

かっとうのただなかにありて
   のぞみをうしないしとき
かぞえてみよ主のめぐみ
   たすけとへいあんとがあたえられん
かぞえよ主のめぐみ
   かぞえよ主のめぐみ
かぞえよひとつずつ
   かぞえてみよ主のめぐみ
(『のぞみも消えゆくまでに』“Count Your Blessings”
     by Johnson Oatman, Jr., 1856-1926).

(説教終了)
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You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:コロサイ人への手紙第3章12-15節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Great is Thy Faithfulness” (by Thomas O. Chisholm, 1866-1960).

要 綱

感謝の念を忘れた人-感謝祭の説教

(創世記シリーズ、その65)

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった”。
(創世記第40章23節)

(テモテへの第二の手紙第3章1-2節)

I.   最初に、多くの人は親に感謝の念をもつことを忘れている。
出エジプト記第20章12節;
申命記第5章16節;
マタイによる福音書第15章4節;第19章19節;
マルコによる福音書第7章10節;第10章19節;
ルカによる福音書第18章20節;
エペソ人への手紙第6章2節。

II.  次に、多くの人は友人と恩人に対して感謝の念をもたない。
ルカによる福音書第17章17-18節;
ローマ人への手紙第1章21-22節。

III. 最後に、多くの人は神に対して不感謝である。
ローマ人への手紙第1章21節;
テサロニケ人への第一の手紙第5章18節;
コリント人への第二の手紙第9章15節。