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人間の孤独への神の癒し

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

GOD’S CURE FOR MAN’S LONELINESS
(Japanese)

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年9月16日、主の日の朝の説教

私は、23年間、ロスアンゼルスのファースト・チャイニーズ教会の会員でした。 私のチャイニーズ教会での牧師はティモシー・リン博士(Dr. Timothy Lin)でした。 彼は、ボブ・ジョーンズ・ユニバーシティで聖書語学と神学を教え、それからこの教会へ来られました。 今日の私の多くの知識は、かってのチャイニーズ教会でリン博士から教授されたものです。 リン博士は、説教に関して多くの事を私に教えてくださいました。 彼はこのように書いています、

      牧師として多くある使命の中で、最も困難であり、また、最も重要な奉仕は、疑いもなく毎週主の日に神が彼に意図された説教すべきメッセージを知ることである・・・時には、木曜日になっても説教すべきメッセージが明らかでないことがある。もし[それが]あなた方に当てはまるのであれば、牧師断食をし、熱心に祈るべきである・・・我々が断食をし、祈り始める時、我々の霊的な配慮への障害がしばしば取り除かれ、神の意図された説教すべきメッセージが非常に明白になってくるであろう。これは私の個人的な体験から語るのである(Timothy Lin, Ph.D., The Secret of Church Growth, First Chinese Baptist Church, 1992, p. 23)。

最近、全く問題なく、神は毎週のように説教を私に示して下さいます。 日曜日の朝と晩、そして土曜日の晩に、何を説教すべきかを知る事は私にとって容易に感じます! ある牧師が、“どうしたら毎週三回異なった説教をしながら、人々の注意を維持する事が出来るのですか?”と私に尋ねました。 私は、ただ神の恵みによるとだけしか言えません! また、何を説教するかを知る事が非常に容易であるように感じる理由として、私達は毎週土曜日に断食をし祈っているからだと思います。 毎週土曜日に断食をし祈る事が、神からの祝福をもたらし、私が説教の内容を知る事を容易にさせるのです!

先週もそうでした。 私は、日曜日の説教に長い間取り組んでいましたが、日曜日の朝の説教で何を話すべきか全く思いつきませんでした。 しかし、神は私に“心配してはならない。 晩の説教を書き終わった時点で、日曜日の朝に何を説教すべきかを、私が示すであろう”と言われたように思えました。 正にそのとおりでした!

私が日曜日の晩の説教を書き終えるやいなや、朝話す説教を神は私に示して下さいました。 私は晩の説教を書き終え、昼食のために部屋から出て来ました。 私は、昼食をしながらフォックス・ニュースを見るのが常です。 私はテレビのスイッチを入れました。 不思議にも、私が普通全く見ない違った番組が映ってきました。 私がテレビのスイッチを入れた時、ジョージ・べバリー・シェ(George Beverly Shea)が歌っていたのです。。 

鐘はその日の終わりを告げる
   疲れ果てた人 それはあなた?
強さを、そして勇気付けられることを あなたは望む
   こころを頑なにせず あなたに知らせたいことがある
神がなされたことは あなたにもされる
   神は腕は開き あなたをゆるされる それは密かなことではない
(“It Is No Secret” by Stuart Hamblen, 1908-1989).

妻がシェ氏の歌を聞きに応接間に入って来ました。 ビリー・グラハム(Billy Graham)が説教をし始めました。 それは、1988年のコロラド州デンバーで作成された古い番組でした。 テレビを入れた時、私は全くそれを予期していませんでした。 グラハム氏は、孤独に関してすばらしい説教を始めました。 その瞬間神は私に、日曜日の朝それと同じ主題の説教をするよう示されました。 妻は、“ロバート、来週の日曜日にはその主題に関して説教する必要があるわよ”と言って、その主題を決定付けました。 彼女が教会の事に関して私に語るのは非常にです。 しかし、彼女がそうする時、常に彼女の意見に私は耳を傾けます。 次に、グラハム氏の有名な孤独に関しての説教の、私の解釈を話します。

起立して詩篇第102篇6節から7節を開いて下さい。

“わたしは荒野のはげたかのごとく、荒れた跡のふくろうのようです。わたしは眠らずに/屋根にひとりいるすずめのようです”(詩篇第102篇6-7節)。

着席して下さい。 ジョン・ギル博士(1697-1771)は、これらの聖句に関して傾聴に値する意見を述べています。 ギル博士は言われました、

      ユダヤ人の住居の屋根は平らであり、独居の鳥が夜に来てそこにとまる。詩篇の著者は彼自身を[比較している];彼の友人と知人から見捨てられ、あるいは[悲しい、そして孤独な]状況に居るよう、彼は一人でいる事を選び、彼の悲しい状態と状況に嘆く(John Gill, D.D., An Exposition of the Old Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume IV, p. 127; note on Psalm 102:6-7)。

“わたしは荒野のはげたかのごとく、荒れた跡のふくろうのようです。わたしは眠らずに/屋根にひとりいるすずめのようです”(詩篇第102篇6-7節)。

多くの若者達は、荒野のはげたか、もしくは、荒涼とした地のふくろうのように孤独を感じています。 大学に通う年頃の若 者達が、屋根にいるすずめのように孤独を感じるのは稀にあることです。 私は、高校生や大学に通う年頃の人達を前に五十五年間奉仕をして来ました。 多くの若者達が、心に辛い孤独を感じている事を、私は知らされました。 ある若者はこのように言いました、

      私は誰かにとって特別な人となりたいが、、自分の事を気にかけてくれる人は一人もいない。誰かが私に触れたこと、私に微笑をかけたこと、私といる事を望んだこと、それらすら私には覚えがない・・・私はどうしようもないほど孤独である(quoted by Josh McDowell, The Disconnected Generation, Word, 2000, p. 11)。

今日、 何千人もの若者達がこのように感じています。 有名な精神科医、レオナルド・ズーニン博士(Dr. Leonard Zunin)は、“人間にとって最悪な問題は孤独である事である”と言いました。 精神分析医、エリック・フロム(Erich Fromm)は、“人の一番深刻な必要性は、彼の隔離を克服する必要性、すなわち、孤独な独房から抜け出すことである”と言いました。

そして、ロスアンゼルスのような大都市ほど、若者達にとって孤独を感じさせる場所はありません。 著者ハーバート・プロコノウ (Herbert Prochnow )は、“大都市とは、人々が孤独である大きな共同社会である”と言いました。 一人の中国からの学生がかって、“誰も自分を理解してくれない。 朝起きた瞬間から、夜床に着くまで、自分は孤独です”と言いました。 少しでもそのように感じたことがありますか? 誰もあなたの事を気にかけてくれない、と感じたことがありますか? 誰もあなたを理解してくれない、あるいは同情してくれない、と感じた事がありますか? あなたは人ごみの中にいるにも関わらず、孤独を感じなければならなかった事がありますか? 私は、若者達はただ群集の中にいるだけの為に、モールなどを歩き回っているということを耳にしました。 しかしそれは何の助にもなりません! 彼らは楽しんでいる人達の周りにいても孤独を感じます。 他の人達は、笑い、そして冗談を言うけれども、彼らは孤独な独房から逃れることは出来ないのです。 

リン博士は、しばしば、“若者達の孤独”に関して話しました。 先生はそれを非常によく理解し、その事についてしばしば語り、先生自身もかってそのように感じていた事があるのを知っています。 遠く故郷から離れ中国の大学で勉強をしていた時、先生も非常な孤独を感じたに違いありません。 あなた方はどうですか? そのように感じた事がありますか? あなた方は、孤独を感じ、誰からも不必要とされている、と感じた事がありますか? 

ノーベル賞受賞作家、アーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway/1899-1961)は、お金で得られる全てのものを所有していました。 ジョン・ケネディーは、大統領就任式に彼を招き、スピーチを頼みました。 しかしヘミングウェイは、あまりのうつ状態の為にそれをすることが出来ませんでした。 彼は非常に孤独であることを感じ、“ラジオの中の燃え尽きた管”のように感じたと言いました。 しばらく後に、彼は自殺をしました。 私が家族とフロリダ州のキーウェストに行った時、彼が七割以上の彼の長編小説や短編小説を書いた家を見学に行きました。 イレアナと息子達が他の所を見ている間に、私はヘミングウェイの家を散策しました。 夕方近くの事でした。 それはひんやりさせられるような体験でした。 その家は、意気消沈し孤独にすっぽりと包まれているような気配を私は感じました。 完全に悪魔に取り付かれ、希望と喜びのない、人が孤独によって狂わされるような場所であるように感じたのです。 何年か後に、アイダホ州ケッチャムで、ヘミングウェイは銃を取り、彼の頭を吹き飛ばしました。 私達は休暇をとりケッチャムにも行きました。 私はそこでまた、彼に付きまとい、彼を死へと陥らせた孤独の悪霊を感じました。 彼の伝記作家の一人は、“むごたらしく、ぞっとさせるような彼の死は、いつまでも記憶に残る”と言いました(Kenneth S. Lynn, Hemingway, Harvard University Press, 1987, p. 593)。

自殺が25才以下の若者達の間で第二の死因であるのを知っていましたか? 私にアーネスト・へミングウェイのように自殺した高校のときの友人がいました。 彼は頭に銃を発砲しました。 後で彼の母親は私に、私だけが彼の唯一の友人だったと語りました。 何年もの間、それは私の良心を苦しめました。 なぜなら、私は彼を助けてやれなかったからです。 私が彼を死に追い詰めたように感じました。 なぜなら、私は彼を教会に一度も連れて来なかったからです。 どうか私が犯した同じ過ちを犯さないで下さい。 あなた方の全ての友人を、福音を聞くために連れて来なさい! 重ねて言いますが、あなた方の全ての友人が福音を聞くように教会に連れて来なさい! そうすれば、あなた方は決して後悔をしないでしょう! “Help Somebody Today”を歌いなさい!

今日、誰かを助けよ、人生の歩みの中
   広がる交友をもって、孤独は終焉す
あぁ、今日、誰かを助けよ!
   (“Help Somebody Today” by Carrie E. Breck, 1855-1934;
     altered by the Pastor).

私の友人のジョン・ウォードリップ先生は牧師です。 彼が若い時の事をこのように書いています、

      私は、若い男性と女性で満ちているナイトクラブにいた。混雑したクラブの中で、私は完全に孤立し、周りの全ての人達から引き離された・・・私達はひっきり無しのイベント・スケジュールを組んでいる・・・しかし、それら全てのスケジュールにもかかわらず、私達は他の人達と親密に関連する事はほとんど無い。私達は友人と言うよりも、単なる知り合いの集まりとなった(John S. Waldrip, Th.D., “Cure for the Lonely Heart,” May 2, 2004)。

多くの若者達が詩篇の著者のように感じるは不思議ではありません!

“わたしは荒野のはげたかのごとく、荒れた跡のふくろうのようです。わたしは眠らずに/屋根にひとりいるすずめのようです”(詩篇第102篇6-7節)。

“Help Somebody Today”を歌いなさい!

今日、誰かを助けよ、人生の歩みの中
   広がる交友をもって、孤独は終焉す
あぁ、今日、誰かを助けよ!

しかし、神はあなた方が孤独になる事は望んでいません。 エデンの園で神は、“人がひとりでいるのは良くない”(創世記第2章18節)と言われました。 クリスチャンで詩人のジョン・ミルトン(John Milton/1608-1674)は、“孤独は神が最初によくないと指摘して言われたことである”と言いました。 それは今日でも当時と同じように真実です。 神はあなた方が孤独になることを望んでいません。 神は、“人がひとりでいるのは良くない”と言われたのです。 ですから、神は孤独を癒す為の二つの事を用意されました。

I. 最初に、あなた方の霊的な孤独と疎外感を癒すために、神は御自分の御子を十字架につける為に送られた。

私達の最初の両親が罪を犯した時、彼らは瞬時に神から疎外され、引き離されました。 アダムは神から身を隠しました(創世記第3章10節)。 アダムと彼の妻は、罪の為にエデンの園から追い出されました。 彼らは、神との親睦から引き離されました。 聖書は、彼らの罪なる性質は、後の全ての人類へ引き継がれたと教えています。 ですから、あなた方にとって神は真実ではないように感じるのです。 罪はあなた方を神から引き離しました。 聖書はこのように言っています、

“あなたがたの不義が/あなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が/主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ”(イザヤ書第59章2節)。

今日でも、人々は神なしに世界を彷徨しています。 無神論者のウェールズ(H. G. Wells/1866-1946)は、“私は65歳である。 そして私は孤独であり、安らぎを得た事が一度もない”と言いました。 しかし、神はあなた方がこのような状態にいることを望んでいません。 神はあなた方に、御自身と親睦を復興する事を望んでいます。 ですから神は、あなた方の罪が許され、神へ戻ることが出来るようにするために、イエスをこの世に送られ十字架につけられたのです。 聖書はこのように言っています、

“御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう”(ローマ人への手紙第5章10節)。

あなた方が、信仰でもってイエス・キリストに来る時、あなた方の罪は、十字架であなた方の代わりとなられた御子の死によって許され、そして神と和解されるのです! そして、イエスはあなた方に永遠の命を与えられる為に身体ごとよみがえられました。 信仰でもってイエスに来なさい。 そうすれば、彼があなた方を罪と神からの疎外から救ってくださるでしょう。 私は、イエスを信頼し救われたい方と、いつでも相談する事が可能です。 “Help Somebody Today”を歌って下さい!

今日、誰かを助けよ、人生の歩みの中
   広がる交友をもって、孤独は終焉す
あぁ、今日、誰かを助けよ!

II. 次に、私達の感情的な孤独を癒すために、神はローカルの教会を与えられた。

私は、あなた方を救われたい神が、この冷たい不親切な世の中にあなた方を孤独にしておかれるとは信じません。 私は、全部ではありませんがビリー・グラハムの説教が好きでした。 しかし、彼は十分に語ったとは思いません。 彼は、キリストを信頼して、霊的な疎外感から、そして神からの孤独感から救われなさい、と言いました。 しかし、彼はもう少し言うべきでした。 それは、キリストはまた、あなた方を感情的な孤独感から救うために、御自分の教会を建てられるために来られたと。 彼は言われました、

“そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない”(マタイによる福音書第16章18節)。

神は、親睦と喜びの場としてローカルの教会を与えられました。 そこでは、あなた方の感情的な孤独感は癒されるでしょう。 “Help Somebody Today”を歌いなさい!

今日、誰かを助けよ、人生の歩みの中
   広がる交友をもって、孤独は終焉す
あぁ、今日、誰かを助けよ!

あなた方が高校や大学を卒業する時、“連絡を取り合いましょう、あるいは、すぐにまた合いましょう”とお互いに声をかけありますが、それは起りません。 それが起るとすれば40年や50年後で、お互いに見分けがつきません! しかし、あなた方は決してローカルの教会から卒業しません。 たとえ死んだとしても、お互いに天国で会うのです! ですから、先ほどグリフィスさんが歌った歌を、私は書いたのです、

大都会の人達は 誰もかまってくれない
   与えてくれるものもなく 思いやる愛もない
しかしイエスに来て あなたは知る
   食事が準備され 交友が待っていることを
教会に来て食を共にし、甘い交友のため共に集う
   食のために共に座るとき、それはほんのお手もなし!
(“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.; to the tune of
     “On the Wings of a Dove”).

私と一緒に合唱の部分を歌ってください!

教会に来て食を共にし、甘い交友のため共に集う
   食のために共に座るとき、それはほんのお手もなし!

しかし、日曜日の朝数時間だけ教会に来てもあなた方の孤独感は癒されません! いいえ、違います! 多くの教会は日曜日の晩の礼拝を止めているので、若い人達をこの世から救いに導けないのです! それ以上にばかげていることを私には考えられません! 彼らには、それが主流の宗派の教会に影響を与えていることが見えないのでしょうか? それが、メソジスト派と長老派教会を台無しにしたのです。 そして、日曜日の晩の集会を止めると、独立系のバプテスト派をも台無しにするでしょう! それによってあなた方の教会はすぐには駄目にならないでしょうが、数十年以内になくなるでしょう。 若い人達を日曜日の晩の礼拝に戻さなければなりません、さもなければ、彼らの孤独感は癒されることはないでしょう。 彼らは、日曜日の晩に、教会にいる必要があるのです。 リン博士はよく、“教会をあなた方の二番目の家にしなさい”と言いました。 彼は正しかったです。 ですから、彼が牧師であったころ、彼の教会には多くの若い中国人の若者達が来ていたのです。 リバイバルが訪れ、その教会はエルサレムの教会のようになったのです。 彼らは、“神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。 そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章47節)。

そして、もう一つあります。 もしあなた方が本当にこの教会を孤独を癒す場にしたいのであれば、次回に誰かを連れて来なさい! そうです! 友人や家族の人をあなた方と一緒に連れてきなさい、もしかしたら今夜にも連れてきなさい! 数週間この教会に来ている中国人の少年は、私の言うことを先週の日曜日の朝聞き、彼はその晩に友人を連れてきました! あなたの孤独感が癒されるのは、その方法です。 誰かを助けることを考えなさい! イエスが一番最初に弟子に言われたことは、“「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」”(マタイによる福音書第4章19節)でした。今日の午後、人間をとる漁に行きなさい! 今晩あるいは来週の日曜日に、友人や家族の人を連れてくるために、出て行きなさい!“I Will Make You Fishers of Men”を歌いなさい!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
        (“I Will Make You Fishers of Men” by Harry D. Clarke, 1888-1957).

あなた方が、他の人を教会へ連れてくるのに忙しいとき、あなた方には孤独に陥る時間はないでしょう!

“先生、私はそうします。 私が教会に戻ってくるとき、誰かを連れてくるよう努力します”という人は何人いますか? 手を挙げてください。 チャン先生、ここに来て彼らのために祈ってください。 (祈り) 合唱の部分をもう一度歌いなさい!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

誕生日を祝う面白さのために、誰かを連れて来なさい、そして、昼食や夕食を共にし、福音の言葉を聞きましょう! 『教会へ来なさい』の合唱の部分をもう一度歌いなさい!

教会に来て食を共にし、甘い交友のため共に集う
   食のために共に座るとき、それはほんのお手もなし!

神よ、彼らがそうすることを助け給え! 主の名において、アァメン。 “今日、誰かを助けよ”を歌いなさい!

今日、誰かを助けよ、人生の歩みの中
   広がる交友をもって、孤独は終焉す
あぁ、今日、誰かを助けよ!

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:詩篇第102篇1-7節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Come Home to Dinner” (by Dr. R. L. Hymers, Jr.;
to the tune of “On the Wings of a Dove”)/
“I Will Make You Fishers of Men” (by Harry D. Clarke, 1888-1957)/
“Help Somebody Today” (by Carrie E. Breck, 1855-1934;
altered by the Pastor).

要 綱

人間の孤独への神の癒し

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“わたしは荒野のはげたかのごとく、荒れた跡のふくろうのようです。わたしは眠らずに/屋根にひとりいるすずめのようです”(詩篇第102篇6-7節)。

(創世記第2篇18節)

I.   最初に、あなた方の霊的な孤独と疎外感を癒すために、神は御自分の御子を十
字架につける為に送られた。
創世記第3章10節; イザヤ書第59章2節; ローマ人への手紙第5章10節。

II.  次に、私達の感情的な孤独を癒すために、神はローカルの教会を 与えられた。
マタイによる福音書第16章18節; 使徒行伝第2章47節;
マタイによる福音書第4章19節。