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爆発的に信者が増えている教会!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

AN EXPLODING CHURCH!
(Japanese)

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年9月9日、主の日の朝の説教

“そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。 だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」”(マタイによる福音書第9章37, 38節)。

通常説教者達は、彼らの教会員達が魂を導く人になるよう、神が彼らの心を動かされることを祈るように、これらの聖句を通してキリストが私達に語られていると思っています。 それは全く誤った事ではありませんが、それは解釈ではなく、むしろ応用なのです。 それは、クリスチャン達が魂を導くように駆り立てられる為の祈りに応用できるとも言えます。 しかしそれは、キリストが彼の十二弟子にまさしく告げられた事ではありません。 

イエスはご自分の十二弟子に、教会で十分に訓練される前に、またまだ救われていなくとも、神は新しい人達を収穫へと送られるように祈る事を彼らに告げられたのです! イエスがそのように告げられた頃は、ほとんど誰もクリスチャンではありませんでした。 十二弟子自身も未だ訓練されておらず、彼らの内の何人かはまだ回心していませんでした。 マックギー博士(Dr. McGee )は、イエスが死からよみがえられるまで、誰一人として新生していなかったと述べています。 ユダが救われていなかった事は明白です。 トマスは福音を未だ信じていませんでした。 なぜなら、彼はイエスが死からよみがえられる事さえ信じていなかった事は明らかです。 ペテロはイエスの受難を否定しました。 そしてイエスは彼の巌窟な信仰を叱責されました。 にもかかわらず、次の章のマタイによる福音書第10章で、彼らは人を救いに導く為に送り出されています。 そしてキリストは、他の新しく来始めた人達が、魂の収穫を通して、人々を連れて来る為に送りされる事を祈るよう告げられたのです! 

今日では、それは私達に何を告げているでしょうか? 当然それは、私達が教会に来始めた人達を、直ちに送り出すべきであるという事を意味しています。 それ以外どのような意味があるでしょうか? この聖句を、“新たな”見方で考え、イエスが今日の私達の教会に於いて、私達に何を望んでおられるかを考えてみましょう。 もしあなた方が今朝ここに初めて来ているならば、あなた方が私達と共に直ちにこの収穫期の働き手となり、失われた人達を私達の教会で福音の言を聞くよう連れて来るように私達は祈っています。 このテキストにもう一度注意して耳を傾けて下さい。

“そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」” (マタイによる福音書第9章37, 38節)。

私達はあなた方に同じ事を話しています。 私達は,あなた方が教会に来て、この教会で福音を聞いて救われるように、そして他の人達を連れて来るように、私達は祈っています。 このことは、少なくとも二点の異なった方向で間違いではないことを、私達は知っています。

I. 最初に、イエスは彼の十二弟子に向かって、直ちに人を導くよう呼びかけた。

マタイによる福音書第4章18-20節に戻って、起立してこれらの聖句を読み上げて下さい。

“さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った”(マタイによる福音書第4章18-20節)。

それが、イエスが彼らに向かって言われた最初の言葉でした、“わたしについてきなさい。 あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう”。 それを明白にする歌があります。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
(“I Will Make You Fishers of Men” by Harry D. Clarke, 1888-1957).

着席して下さい。

イエスは、人間をとる漁師として、何年間か聖書を勉強してから後出て行き新たな人々を教会に連れてくるようにとは、彼らには語られませんでした。 イエスは、彼らの全ての質問にお答えにならず、そして神学と護教論、またキリスト教史などを彼らに教えられませんでした。 彼は、まづ日曜学校に何ヶ月か来てから、他の新しい人達を教会に連れて来るようにとは、彼らに語られませんでした。 イエスはまた、福音の説明方も彼らには教えられませんでした。 いいえ! 彼は、人間をとる“漁師”になるよう、他の新しい人々を連れて来るよう、彼らを送られたのです! イエスが語られたまず最初の言葉は、“わたしについてきなさい。 あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう”でした。

それ以外の事をあなた方に語るのは、完全に率直な事であるとは私は思いません。 私達はキリストの模範に従うべきだ思います。 私達は、あなた方が教会に初めて来た今の時に、キリストがあなた方に期待されている事を語るべきだと思います。 キリストは、あなた方が外へ出て行き、他の人達を呼び、彼らを教会へ連れて来る事を望んでいます。 キリストは、あなた方が外へ出て行き、誰かを誘って、すぐにも、今晩でさえも、あなた方が彼らを連れて来ることを期待されています!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

そうです、キリストは最初の弟子達に、すぐにも、初めから、人間をとる漁師になるように呼ばれました。 収穫の働き手となるよう、すぐにも、誰かを教会に連れて来ますように、アァメン! アァメン!

II. 次に、イエスは新しい人達を、さっそく魂を導くよう送り出した。

私達はそれをヨハネによる福音書の最初の章で見出します。 バプテスマのヨハネの二人の弟子達は、イエスの住家まで彼に従いました。 二人の内一人は、ペテロの兄弟アンドレでした。 アンドレは早速出て行き、ペテロに、“わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った。・・・そしてシモンをイエスのもとにつれてきた”(ヨハネによる福音書第1章41, 42節)。 翌日、イエスはピリポに、“わたしに従ってきなさい”(ヨハネによる福音書第1章43節)と言われました。 ピリポは早速ナタナエルの所に行き、彼がメシヤに出会ったことを告げました。 ナタナエルはそれを疑いました。 “ピリポは彼に言った、「きて見なさい」”(ヨハネによる福音書第1章46節)。 ピリポはナタナエルをイエスの所に連れて行き、そしてナタナエルもまたすぐ様イエスの弟子となりました。 

アンデレは早速ペテロをイエスの所に連れてきました。 ピリポはすぐさまナタナエルをイエスの所に連れて来ました。 これらの新たな弟子達は、そこで直ぐ、早速、魂を導く者となりました! 彼らは訓練される事を待ちませんでした。 彼らはすぐさま出て行き、遅らす事なく、他の人達をイエスの所に連れて来ました! 彼らは、“きて見なさい”と言っただけでした。 

もう一つの例は、ヨハネによる福音書の第4章に示されています。 ジョン・ライス博士は、このように書いています、

       (ヨハネによる福音書)第4章で、我々は、サマリヤ人の女性が、イエスがメシヤであることを知った時に、彼女の汲んだ水を放って、人々に、“わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません”(ヨハネによる福音書第4章29節)と伝える為に町に出て行った事を学ぶ。ある人達はそこで彼女の証言を聞いて救われ、ある人達は彼ら自身がイエスに来て救われた。そのように、新たに回心した人達は人をイエスに導くべきである(John R. Rice, D.D., The Son of God: A Verse-by-Verse Commentary on the Gospel According to John, Sword of the Lord Publishers, 1976, p. 40)。

これらの例を挙げてライス博士は、“ならば、魂を導く事に関して一番大切な事は、彼らを追い求めて行く事である。 そして個人的な影響力は非常に大切な事であり、もしあなた方が人々に、罪人達の為の救い主がおられ、彼らもその救い主を得る事が出来る事を理解させるならば、難解な説教もしくは長たらしい説明は必要ないであろう。 そのように、アンドレはペテロをイエスに導いた”(同著)。 そのように、井戸にいた女性は、直ちに、多くのサマリヤ人をイエスに導きました。 彼女は、イエスを信頼した正にその日に、魂を導く者となりました! 

“さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた”(ヨハネによる福音書第4章39-41節)。

イエスはガラリヤ湖を渡ってガダラへと行かれました。 そこで彼は悪霊に取り付かれた人に出会いました。 イエスは、彼から悪霊を取り出され、その人は正気に戻りました。 その人はイエスと一緒に行く事を望みましたが、救い主は彼にこのように言われました、

“家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた”(ルカによる福音書第8章39節)。

この人は、イエスがどんな事をして彼を直ちに救って下さったかを言い広め、直ぐ様、魂を導く者となりました!

イエスがエルサレムに行かれる時、彼は重い皮膚病にかかった十人の人に出会いました。 彼らは声を張り上げて、“イエスさま、わたしたちをあわれんでください”(ルカによる福音書第17章13節)と言いました。 イエスは彼らに祭司達の所に行って身体を見せなさいと言われました。 “そして、行く途中で彼らはきよめられた”(ルカによる福音書第17章14節)。 そのうちの一人がイエスに感謝をしに来ました。 しかし彼らは皆、祭司達の所に行って証するように言われたのです。 その同じ年の終わりに、“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)のです。 疑いもなく、それらの祭司達の何人かは、イエスが癒された、皮膚病にかかった人達の証言によって回心に導かれたのでしょう。 ですから、それらの皮膚病にかかった人達は、イエスに癒されると直ぐに、彼らも魂を導く者となったのです!

五旬祭の日に、三千人の人達がペテロの福音の説教を聞き救われました 。 それらのクリスチャンになったばかりの人達は、“神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。 そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章47節)。 ジョン・ライス博士は、“エルサレムの何千人もの教会員達は、毎日のように教会に加えられた回心者達を目にした。 人々を導く事は、単にそれが重要であるだけではなく、それはエルサレムの教会、そして新約聖書のクリスチャン達にとってほぼ唯一の目的と目標であった”(John R. Rice, D.D., Filled With the Spirit: A Verse-by-Verse Commentary on the Acts of the Apostles, Sword of the Lord Publishers, 1980 edition, page 104)。 

エルサレムの教会で人々が救われた時、彼らは直ちに、彼らの友人と近所の人達を追い求め、彼らを連れて来ました。 ですから、“主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”(使徒行伝第2章47節)。

使徒パウロは西暦53年にテサロニケの都に来ました。 私達には、そこで何人かのユダヤ人達がイエスを信じ、多勢のギリシャ人が救われたと知らされています(使徒行伝第17章4節)。 パウロはその時コリントの町にいました。 彼は新約聖書における、“最初のテサロニケ人”と呼ばれるテサロニケの教会に手紙を書きました。 その教会の全ての人々は、たったの一年ないし、それ以下の新しいクリスチャンでした。 しかし使徒パウロはこのように書いています、

“すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである”(テサロニケ人への第一の手紙第1章8節)。

その新しい教会の人達は、マケドニアとアカイアの地まで出て行きました。 彼らは一人としてクリスチャンになって十二ヶ月も経っていませんでしたが、数百人にのぼる人達を救いに導きました!

彼らはこの単純な方法を使ったのです。 彼らは友人や近所の人達に、“来て見なさい”と言っただけなのです。 そうして彼らを集会に連れてきたのです。 これが、爆発的に教会が増えている、共産国の中国で使われている方法なのです。 これが、数千人もの人達がキリスト教に回心している、イスラム教の地で使われている方法なのです。 それがそこでうまく働いているのであれば、ここでもうまく働くはずです。 行って誰かに、“来て見なさい”と言いなさい。 簡単なことです、そして、それは働くのです!

これは、新約聖書に出てくるクリスチャンのパターンであることは明白です。 私達は何度も何度も、クリスチャンになった人達は、直ちに魂を勝ち取るものとなり、彼らの友人や親戚の人達を教会に連れてきて、教会は多くの信者で一杯になったことを読んでいます! 各々の教会が爆発的に信者が増えた教会でした。 神があなた方のこころに語りかけますように! あなた方が私達の教会に留まり、福音の言を聞かせるために友人や家族の人達を教会に連れてきますように。 そして、私達と共に食事をしますように! この教会に於いて、信者が爆発的に増えるよう共に頑張りましょう! “人間をとる漁師”を、立って歌いなさい!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

外に出て行き、あなた方と一緒に誰かを教会に連れてきなさい! 昼食もしくは夕食を、彼らのために用意しています! 彼らのために、いつも誰かの誕生日を祝っています! ここにはいつも、ロスアンゼルス市の他のどこにも見られない楽しいひと時があります! この教会は、ロスアンゼルス市で最も楽しい場所です! 次に来るときに、あなた方と一緒に誰かを連れてきなさい! 何ら複雑なことはありません。 彼らに、“私と一緒に教会に来なさい。 そこは、幸せなすばらしいところです。 今週の日曜日に私と一緒に教会に来ませんか?”というだけです。 それだけです! それをしなさい! 次に来るときに、あなた方と一緒に誰かを連れて来なさい! 着席してください。

イエスが十二弟子に最初に教えたことは、私達があなた方に教えなければならない最初のことです。

“「わたしについてきなさい。 あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」”(マタイによる福音書第4章19節)。

今朝初めてこの教会を訪れた方もいるでしょう。 イエスはあなた方にこう語っています、“わたしについてきなさい。 あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう”と。 今朝、あなた方は誰かに連れて来られました。 そして、イエスがあなた方に最初にしてもらいたいことは、“人間をとる漁師”になることです。 来週の日曜日に、誰かを連れて来なさい! 難しいことではありません! そうしなさい! 合唱の部分をまた歌いなさい。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば 
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

数週間前に教会に来た女の子がいます。 彼女はすでに“人間をとる漁師”になりました。 彼女はすでに三人の女友達を連れてきました! あなた方も同じことができるのです! 外に出て行き、あなた方と一緒に誰かを連れてきなさい! それをしなさい! それをしなさい! あなた方と一緒に誰かを連れてきなさい! 私達と食事を共にしましょう。 昔懐かしいコメディーの映画を見ましょう。 誕生日も祝います。 何ものにも比較することのできない楽しいひと時がこの教会にはあります! 外に出て行き、あなた方と一緒にこの教会の楽しいひと時に誰かを連れて来なさい!合唱の部分をまた歌いなさい!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

あなた方の内で、“私はします! 私は福音の言を聞くために、そして楽しいひと時を教会で過ごすために誰かと一緒に来ます!”という人は、手を挙げてください。 チャン先生が、あなた方がそうできるよう神にお祈りを捧げます(祈り)。

今朝ここにいる人達で、まだクリスチャンとして新生を体験していない人は注意深く聞いてください。 主イエス・キリストは、天国から降誕され、十字架にはりつけにされました。 それは、彼が私達の罪のために死なれるためでした。 彼の死体は墓に納められ、封印をされ、ローマの兵卒がそれを守りました。 しかし、主イエス・キリストは、骨肉をもって身体ごとよみがえられたのです。 三日目に彼は死からよみがえられ、墓から生きて出られました! よみがえられたキリストは、四十日間ご自分に従ってきた人達と親交のときをもちました。 彼らはイエスの手と足にできた釘穴に指を入れ、彼が霊でないことを知りました。 そうして、イエスは他の次元にある天国へ昇天され、そこでは、彼は父であられる神の右座に座られています。

あなたが罪深い生活に背を向けイエスに信頼するとき、彼の尊い御血はあなたの全ての罪からあなたを清められ、イエスはあなたに永遠の命を与えてくださるでしょう。 あなたがすぐにイエスに来て、彼を信頼し、そして救われることを私達は祈ります。 そして、何をしようとも、来週の日曜日に教会に戻って来るようにしなさい! そうして、来週の日曜日に教会に来るとき、誰かを連れてきなさい! そうしなさい!

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   人間をとる漁師に 人間をとる漁師に
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば
もしあなたがたが わたしについてくるならば
   もしあなたがたが わたしについてくるならば 
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう
   もしあなたがたが わたしについてくるならば

あぁ、神よ、彼らを助け給え! アァメン

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:マタイによる福音書第4篇18-20節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“So Little Time” (by Dr. John R. Rice, 1895-1980)/
“I Will Make You Fishers of Men” (by Harry D. Clarke, 1888-1957).

要 綱

爆発的に信者が増えている教会!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。 だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」”(マタイによる福音書第9章37, 38節)。

I.   最初に、イエスは彼の十二弟子に向かって、直ちに人を導く
よう呼びかけた。マタイによる福音書第4章18-20節。

II.  次に、イエスは新しい人達を、さっそく魂を導くよう送り出した。
ヨハネによる福音書第1章41, 42, 43, 46節;
ヨハネによる福音書第4章29, 39-41節;
ルカによる福音書第8章39節;
ルカによる福音書第17章13, 14節;
使徒行伝第6章7節;使徒行伝第2章47節;
使徒行伝第17章4節;テサロニケ人への第一の手紙第1章8節。