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大いなる恐るべき神よ-その二

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

THE GREAT AND TERRIBLE GOD – PART II

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年2月5日、主の日の晩の説教

“大いなる恐るべき神よ”(ネヘミヤ記第1章5節)。

“ああ、大いなる恐るべき神”(ダニエル書第9章4節)。

この説教もまた、ジョン・ライス博士の著書『The Great and Terrible God(大いなる恐るべき神よ)』(Sword of the Lord, 1977, pp. 7-38)から翻案したものです。 

これらの聖句は、神を、大いなる、恐れるべき神、と呼んでいます。 それはあなた方の神ではないかもしれません。 しかし、それが聖書の中に示された神なのです。 あなた方が何を信じようと信じまいと、私達の神は、“大いなる恐れるべき神”なのです。 聖書の中では、人々を恐れおののかせる神というように表現されています。 

アダムが神に対して罪を犯した後、彼は、“あなたの歩まれる音を聞き、わたしは・・・恐れて”(創世記第3章10節)と言いました。 神がアブラムと契約を結ばれた時、ある晩遅くに、“大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ”(創世記第15章12節)。 そしてヨブはこのように言っています、

“『わたしの床はわたしを慰め、わたしの寝床はわが嘆きを軽くする』とわたしが言うとき、あなたは夢をもってわたしを驚かし、幻をもってわたしを恐れさせられる”(ヨブ記第7章12節)。

神がノアに大洪水を警告された後、彼は“恐れかしこみつつ”(ヘブル人への手紙第11章7節)と、聖書には書かかれています。 詩篇の著者は、“わが肉はあなたを恐れるので震えます。 わたしはあなたのさばきを恐れます”(詩篇第119篇120節)と言っています。 神が、御自身の意思をダニエルに伝えられた時、その預言者は、“わたしは恐れて、ひれ伏した”(ダニエル書 第8章17節)と書いています。 ハバククは、“わたしはあなたのことを聞きました。 主よ、わたしはあなたのみわざを見て恐れます”(ハバクク書第3章2節)と言いました。 神は、御使いを通してコルネリオに語られました、そして、“彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって”(使徒行伝第10章4節)と書いています。 そうして、コルネリオは私達に、“神を畏れ”(使徒行伝第10章22節、新共同訳)と告げています。 そして、使徒ペテロがコルネリオの家族に話した時、彼は、“神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さる”(使徒行伝第10章34‐35節)と言いました。 神は、聖書の中で人々が恐れおののくように表現されました。

ジョン・ライス博士は、 “この恐ろしい神を恐るべきである! 聖書を通して主を恐れる事は、全ての美徳の中で最も大いなる事の一つとされている。 それはクリスチャンの性格と清さの土台である。 それは真からの悔い改めと真の回心に必要な事である”(John R. Rice, D.D., “O Great and Terrible God” in The Great and Terrible God, Sword of the Lord Foundation, 1977 edition, p. 14)。

神は、“大いなる恐るべき神”(ダニエル書第9章4節)。 神は、“大いなる恐るべき神”(ネヘミヤ記第1章5節)。 神の、全ての人類との関係は、神は大いなる恐れるべき神である事を示しています。

かって最初の男と女は病気のない、苦痛のない、悩みもない、彼らに必要なものは全て供給された、美しいパラダイスに住んでいました。 そこには凶暴な野獣動物はいませんでした。 病気もありませんでした。 とげやいばらもありませんでした。 そして、神御自身がその園を歩かれ、神が御自身を模範にして創造された人と完全なる親交がありました。 しかしアダムは、神に対して反抗し最初の罪を犯しました。 そしてまもなく、神は怒りによって人と女をエデンの園から追い出されました。 神は人間に死を宣告されました。 アダムとエバはすでに霊的に死んでしまい、彼らは回心するか、もしくは神の御前から離れ、永遠に地獄にいかなければなりませんでした。

彼らの罪ゆえに、彼らの年は増しました。 死はすでに彼らの身体の中で進んでいきました。 彼らは疲れを感じ始めました。 彼らの頭髪は白くなり始めました。 彼らの関節は不都合になり始めました。 死は全ての人類に引き継がれました。 エバは子を生みますが、最初の子を産むとき、産みの苦しみを煩いました。 そして、生まれてきた子供は堕落し、殺人者となり、放たれました。

今では、木からくだものも簡単には取れません。 アダムは懸命に働かなければならず、顔に汗を流し、少しの収穫をとるために地を懸命に耕さなければなりませんでした。 動物は人の敵になりました。 棘がでて傷つき、癒さなければなりませんでした。 嵐と洪水が起こり、時には猛暑と大寒が襲ってきました。 多くの病、痛み、そして死が起こりました。 この地上は呪われているという事実に向き合いませんか! 大いなる恐れるべき神は、怒りの御顔をこの世界と我々人類に向けているのです!

アダムは最初にエバを園で見たとき一目ぼれしました。 彼女は、神の御手で肉体を持ちました。 彼女の顔には、笑みと、清潔さと、美しさとがありました。 しかし、今では、悲しみと、痛みと、悩みとでできたしわのある彼女の顔を見て、彼は悲嘆します。 彼らはすぐに、息子アベルが殺されたことに驚嘆します。 彼らの思いはすぐに、彼らのもう一人の息子カインの罪と反逆で痛みました。

聖書が真実であるように、神御自身が、彼らののろい、彼らの涙、この増した年、痛み、そして罪の結果生じた避けれない死に対して責任を取られなければなりません。 神は罪を忌み嫌うのです! 彼の怒りは懺悔しない罪びとに注がれるのです! 死の種は罪の中にあることは真実ですが、罪を裁くのは神なのです。 罪びとが罰せられるのを確かな事にするのは神なのです。 あぁ、アダムとエバを園から追放され、罪を犯した彼らに対して怒りを向けられた神は、何と大いなる恐れるべき神なのでしょうか! 罪のために死を全人類にもたらされた神は、何と大いなる恐れるべき神なのでしょうか!

この世に、神がコントロールすることのできないことがあるなどと思ってはいけません。 何もありません。 神がコントロールできない事象があるなどとも思ってはいけません。 それは真実なことではありません。 私達は、ぞっとするような歴史上の戦いがあることを見ます。 それらは罪に対して怒りを落とし、罪に対する罰を下さす神を証明します。 全ての流された血、涙、叫び、痛み、そして死は、恐れるべき神の存在と彼の怒りが罪に注がれることを証します。 恐ろしき神よ! 大いなる恐れるべき神よ!

来週、私達は、恐ろしく慄くべき神はどのようにイスラエルの罪を罰しているのかを見てみます。 しかし、今晩は、神の恐ろしく慄くべき地獄について考え、この説教を終えようと思います。 神は、他の教義に勝って、地獄の教義のためにしばしばより嫌われています。 ヴォルテール、トマス・ペイン、HGウェールズ、ロバート・インゲルソル等の無神論者は、地獄の考えを忌み嫌い、地獄ゆえに神を罵っています。 しかし、無神論者だけが地獄を嫌っているのではありません。 現代の全てのカルト信奉者は、聖書に出てくる永遠の地獄を拒否します。 考えてみてください! 現代の全てのカルト信奉者、例えば、モルモン教、エホバの証人(ものみの塔)、クリスチャン・サイエンス、ニューエージ全てが例外なく地獄のことについて、そしてそこへ回心しなかった罪びとを送る神を拒否しているのです!

無神論者やカルト信奉者が、地獄を嫌い拒否することは、私達は理解できます。 しかし、永遠なる地獄やそこへ回心しなかった罪びとを送る神を拒絶する、多くの偽クリスチャン達が今日多くいます。 永遠なる地獄を拒否する福音伝道主義・セミナリーが多くある事を、教会の会員に分からせることは非常に困難です。 私は、大いなる恐れるべき神を拒否し、地獄の永遠に燃える火炎を小ばかにして拒否する、サザン・バプテスト・セミナリーと長老派教会のセミナリーを卒業しました。 ロブ・ベル(Rob Bell)は自分を福音伝道主義者と呼んでいますが、地獄での永遠の刑罰と、そこに回心しなかった罪びとを送る大いなる恐れるべき神を拒否する著書を数冊書いています。 ロブ・ベルは、地獄について書いている聖書を拒否するのを、カリフォルニア州パサデナ市にある、フラー・セミナリーで学びました。 私が1970年代の初めにゴールデン・ゲート・バプテスト・セミナリーで学んでいた頃、そこの教授は私達に、『Interpreter’s Bible 』を読んで学ぶように指導しました。 ジョージ・バトリック博士(Dr. George A. Buttrick)は、クリスチャン信仰で重要な教義すべてに攻撃を与える註解書の編集者でした。 編集者のジョージ・バトリック博士は、聖書の大いなる恐れるべき神を攻撃しました。 彼は、“我々が言及する、そのような神は、フランス懐疑論者(ヴォルテール)の言う、‘あなたの神は私の悪魔である’という評決が下された”と言いました。 よって、この聖書を拒否するリベラル主義者は、大いなる恐れるべき聖書の神を、悪魔と呼んでいるのです! ワシントンDCのリベラルなメソジスト派の司教であるブロメリー・オクスナム博士(Dr. G. Bromely Oxnam)は、大いなる恐れるべき聖書の神を、“汚い暴漢”と呼びました。 私が卒業した、聖書を拒否するサザン・バプテストや長老派セミナリーで、繰り返しこのようなことが、救われていないリベラル主義者の間で語られていたのを覚えています。 これらの教授達は、困惑させられましたが、聖書の見地に立ち返る機会があったかもしれません。 しかし、彼らは決して生まれ変わってはいない事実を私は気づかなければなりませんでした。 この世の神である悪魔が、“不信の者たちの思いをくらませ”(コリント人への第二の手紙第4章4節)たのです。

ダニエル・フラー(Daniel P. Fuller)の奇妙な例えを見てください。 彼の父親は、署名な福音伝道者チャールズ・フラー(Charles E. Fuller)です。 しかし彼の父親は、“決断主義者”でした。 彼の息子は、真の回心を経験することなく、手を上げ、罪びとの祈りをし、幼少のころに洗礼を受けたのです。 フラー・セミナリーが開設されたころ、チャールズ・フラーは、神の御言以上に自分の息子を愛しました。 彼は、カール・バース(Karl Barth)のようなリベラル主義者の下で息子を勉強させるために、スイスのバーセルに彼を送りました。 ダニエルは戻って来て、父親のセミナリーの教師の一員となり、学校をリベラル主義の方向へ開きました。 ロブ・ベル(Rob Bell)が、地獄での永遠の刑罰を拒否することを学んだのは、このフラー・セミナリーでした(see Harold Lindsell, Ph.D., “The Strange Case of Fuller Theological Seminary,” The Battle for the Bible, Zondervan Publishing House, 1976, pp. 106-121)。

“ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす”
      (伝道の書第9章18節)。

フラー・セミナリーのリベラル主義は、ダニエル・フラー(Daniel P. Fuller)の盲目の思いに根ざしています。 へりくだることもなく、神によって罪を悟らされ、回心したこともない人は、簡単にリベラル主義に行くのです。 その人は、聖書の正確さを拒否し、罪びとを火炎のうみに送る大いなる恐れるべき神を嫌悪するのです。 それゆえ、私達は、私達の教会の若者達が、神によってへりくだり、罪を悟り、聖霊によって主イエス・キリストに生きた信仰を持つよう新生される、その機会を“逃す”ことをさせてはいけません! 

大いなる恐れるべき神は、永遠に燃える地獄の火炎へ、回心しなかった罪びとを落とすのです。 地獄はそんなにも恐ろしい場所なので、思いのあるすべての人達を震え慄かす。 地獄は、罪を嫌い、それに罰を与えなければならない大いなる恐れるべき神の復讐の場であり、怒りのしるしでもあるのです。

ライス博士は、“地獄が火炎の場であるのは、驚愕に値する。 私は飛行機事故の記事を読んだ。 飛行士が燃える機内に閉じ込められた。 炎は、泣き叫ぶ飛行士を少しずつ焼き尽くす・・・彼は自分を撃ち殺すように皆に懇願し、警察官が実際に彼の頭を撃つまで、その飛行士は苦しみ喘いだ。 誰一人、彼を救えなかった! 彼のこの火炎の拷問のことが、数日私の脳裏から離れなかった。 大いなる恐ろしい神、永遠に燃える火炎のうみの地獄、苦しみは永遠に続くのである! 火炎は燃え盛る! 彼らは、救われる機会を逃したのを思い浮かべる、キリストを拒否したことを悔いる、そして彼らが犯した罪を思う! そして、その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼる(ヨハネの黙示録第14章11節)。 彼らには一息の暇もなく、夜半を通して、苦しみは続く。 神と仲たがいする望みもなく、悔い改める機会もない。 実際、地獄では、悔い改めようとすることすらない。 悔い改めのない罪びとに裁きを下される神は、何と大いなる恐ろしい神であられるのか!”(Rice、同著)。

これは大いなる恐れるべき聖書の神なのです。 これが、あなた方が今日まで深く思いをめぐらしたことのない神なのです。 事実、夜半にあなた方がひとりになって、思いをめぐらしたことのない神なのです。 私はあなた方を怖がらせているのでしょうか? もちろん、その通りです! もしあなた方がヤコブ、モーセ、そしてパウロの神を決して恐れないならば、あなた方には何ら救われる望みはないのです。 聖書は、“主を恐れて、悪を離れよ”(箴言第3章7節)と言っています。 神を恐れる思いがあなた方を、“キリスト・イエス・・・を立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物・・・”(ローマ人への手紙第3章24-25節)に導かれますように。 あなた方は、キリストを知らない限り、あなた方の罪は彼の御血でもって清まりません。 そして、私達の大いなる恐れるべき神の怒りに直面しなければならないのです。 第二大覚醒のころ歌われた賛美歌にあるように、

怒りの神、恐るべき裁き
   主は何と義であられ、聖であられるのか!
畏れかしこむクリスチャンの望み
   罪びとが御言に慄くように

律法は、不義なるものを問いただし
   裁きは彼らの破滅を記す
前代未聞の怒りは緩やかに
   屍を超えて燃えつくす
(“God Angry With the Wicked” by L. M. Lee, no date;
      from Village Hymns for Social Worship, compiled by
      Dr. Asahel Nettleton, 1997 reprint, International Outreach,
      P. O. Box 1286, Ames, Iowa 50014).

起立してソングシートの4番目の賛美歌、“The Lord Hath Laid on Him” を『おどろくばかりの』の曲で歌いなさい。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: ヨハネの黙示録第14章9-12節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“God Angry with the Wicked” (by L. M. Lee, no date).