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ロバート・ベルは、
神には一つだけの特質しかないと考えているのか?

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

DOES ROB BELL THINK
GOD HAS ONLY ONE ATTRIBUTE?

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2011年5月15日、主の日の朝の説教

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。”(ルカによる福音書第13章24-27節)

ロバート・ベルはベストセラーのLove Wins;天国、地獄、そしてこの世に生きた全ての人の運命についての本(HarperOne, 2011)と題した本を書いた若い牧師です。 ベルは、地獄にいる人達を含めた全ての人は、最終的には救われると考えています。

タイム・マガジン(英語版)はベルを、今日“最も影響を及ぼす”100人のうちの一人であると呼んでいます。 もしそれが真実ならば、神が私達を哀れんでくださいますように! ベルの本は、神は罪人に対して怒っておられない、そして更に彼らの死後、救われていなかった罪人達は、救われる“チャンスがもう一度”与えられる、と書いています。 彼はヒットラーのような人達でさえも含めているのです! そして、連続殺人犯、子供への性犯罪者、強姦犯罪者、オサマ・ビン・ラデンのようなテロリストなどもです。 ベルは、“神の愛は後々には最も無情な心をも変えるであろう・・・地獄は永遠ではない、そして最後には愛が打ち勝ち、全ての人は神と和解する”Love Wins, 同著、pp. 108, 109)と言っています。 ケンタッキー州ルイスビル市にある南部バプテスト神学校の学長であるアルバート・モーラー博士(Dr. Albert Mohler, Jr.)は、ベルの本は“神学的に破滅をもたらす”と言っています。 そして、神学上重要な事柄を翻すよう仕掛けられるとき、我々誰であってもそれを気にかけるべきである(タイム・マガジン、2011年4月25日, p. 40)と警鐘しています。 ロバート・ベルの説教のビデオを見て、イングランド国教会の牧師マイケル・ヨウセフ博士(Dr. Michael Youssef)は、“私はむかついた・・・私はこの若者は何とも厄介であり、自分を有名なものに仕立て上げる努力の中、彼は、[彼を聞く人達を]混乱させ始め、彼自身の魂と彼らの魂を非常に害し・・・私はベルの質問は、エデンの園での狡猾な蛇の質問(“ほんとうに神が言われたのですか”)と非常に似ていると思った・・・Love Winsの本で、ロバート・ベルがやり遂げようとしている事は・・・彼は、普遍救済主義者である事を我々に示している(One News Now, quoted in The Sword of the Lord, April 15, 2011, p. 10)。

“普遍救済主義者”とは、聖書の明白な言葉を拒否し、全ての者は最終的には地獄から救われるであろうと言う人のことです。 この教えは真新しい事ではありません。 ユニテリアン派の普遍救済主義者達は、この事を何十年も教えています。 ハリー・エマーソン・フォスディック(Harry Emerson Fosdick)のような自由主義者達はこの事を百年も前から教えました。 それが新たな事のように思えるのは、ロバート・ベルは福音主義派と主張しているからです。 もう一人の福音主義派と称する(ベルが修士号を取得した)フラー神学校の学長リチャード・マウ博士は、Love Winsを“すばらしい著作”(Daily News Journal)とほめています。  私はベルの本を二度読みましたが、全くどう見てもこの本は“すばらしい著作”ではありません。 それは単純な小本で、未熟な混乱で満ち、無意味な推測と聖書の歪曲の寄せ集めです。

そのことが私達のテキストへと導きます。 主イエス・キリストがエルサレムへ旅していた時に、彼に従った群衆は減り始めました。 ある人が彼に、“主よ、救われる人は少ないのですか”と問いかけました。 イエスは彼の質問に答えませんでした。 その人は厚かましい、自信たっぷりのロバート・ベルによく似ています。 “主よ、救われる人は少ないのですか?” 彼にお答えにならず、キリストは群衆に向かってこう言われました。

“「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、・・・『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう”
        (ルカによる福音書第13章 24-25節、27乙節)。

この聖句の中で、主イエス・キリストはロバート・ベルの著作Love Winsの誤りのひとつに、直接答えられています。

ロバート・ベルは、“神は、真から謙虚になり、心を砕き、和解を求める人に向かって、‘残念だが遅すぎる’と言われるでしょうか? ある人が扉を叩き、謝罪し、悔い改め[?]、そして神に入れてもらうように頼んでいるとし、神が鍵穴から、扉は閉ざされている、気の毒だが。 もしここに早く来ていたならば、どうにか出来たかもしれない。 しかしもう遅すぎる、と言うようなシナリオを多くの人達は受け入れる事を拒否している”(Love Wins, p. 108)。

神はそのような事を人に言われるでしょうか? 当然、そうされるでしょう! それは正にキリストが言われたことではないですか? 

“家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、・・・『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう”(ルカによる福音書第13章25, 27節)。

そうです。 それは正に神が、生涯の終わりまでキリストを拒否している人達に言われることでしょう。 神は彼らに救いの“戸を閉じ”られるでしょう(ルカによる福音書第13章25節)。 そしてそれは正に、神が思慮の浅いおとめ達にされるとキリストが言われたことではないですか? 

“彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った”
       (マタイによる福音書第25章10-12節)。

そうして、神が旧約聖書で同じ事を成された偉大な典型的な実例があります。 “人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節)。 聖書は、ノアと彼の妻、そして彼らの息子達と彼らの妻達が箱舟に入った後に起きたと告げています。 

“・・・ノアのもとにきて、箱舟にはいった。・・・そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた”(創世記第7章15, 16節)。

“ただノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った”
       (創世記第7章23節)。

神が、彼が箱舟に入った後に“戸を閉ざされた”のです。 誰も入る事は出来ませんでした、なぜなら箱舟の扉は神ご自身によって閉ざされたからです。 

神は、初めから今日まで変わっておられません。 私達は、旧約聖書の神は、新約聖書の神と同じではないと言うような古代グノーシス派的な異端説を決して信じてはなりません! 彼は永遠なる神であられます。 使徒ペテロは、神についてこのように言っています。 神は、

“また、古い世界をそのままにしておかないで、(新共同訳:神は昔の人々を容赦しないで、)その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された”
       (ペテロの第二の手紙第2章5節)。

地上の多くの人達の中のたったの8人だけが救われました! “そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた”(創世記第7章16節)。 “そして戸がしめられた”(マタイによる福音書第25章10節)。 “家の主人が立って戸を閉じてしまって”(ルカによる福音書第13章25節)。 神が救いの扉を閉ざされる時、誰も入る事は出来ません! へブル人への手紙では、“そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように”(へブル人への手紙第9章27節)。 この聖句では、死後に“二度目のチャンス”は与えられていません。 アブラハムは地獄にいる金持ちに言いました。 “そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらから[地獄から]わたしたちの方へ越えて来ることもできない”(ルカによる福音書第16章26節)。 いいえ、死後の“二度目のチャンス”はこの聖句でも与えられていません。

なぜロバート・ベルは、“神の愛が後々には最も無情な心をも変えるであろう・・・地獄は永遠ではない、そして最後には愛が打ち勝ち、全ての人は神と和解する”(Love Wins, pp, 108, 109)と言ったのでしょうか?

ロバート・ベルがそう言ったのは、彼は神について誤っているからです! 彼は、神は一つの特質-哀れみ(愛)の特質しかないと考えているようです。 しかし、聖書に表されている神にはもう一つの特質-義を含む神聖の特質があるのです。 シェッド博士(Dr. W. G. T. Shedd)は、神の義についてこのようなコメントを挙げています。

      クリスチャンの宗教では・・・当然報うる処罰が絶えず現れる。それを示す聖句はこれらである:“こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら”(ローマ人への手紙第1章32節);“悪を行うすべての人には・・・患難と苦悩とが与えられ”(ローマ人への手紙第2章9節);“主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に・・・主は神を認めない者たちや・・・報復し”(テサロニケ人への第二の手紙 第1章7-8節);“彼を生かしてはおかないのだ”(使徒行伝第28章4節);“主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する”(ローマ人への手紙第12章19節);・・・“律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである”(ガラテヤ人への手紙第3章10節);“罪の支払う報酬は死である”(ローマ人への手紙第6章23節);・・・“悪しき者の上に炭火と硫黄とを降らせられる。燃える風は彼らがその杯にうくべきものである”(詩篇第11篇6節);“永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい”(マタイによる福音書第18章8節);“永遠の火の刑罰を受け”(ユダの手紙第7節);“更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい”(ルカによる福音書第12章5節);その他(W. G. T. Shedd, Ph.D., Dogmatic Theology, edited by Alan W. Gomes, P and R Publishing, third edition, 2003, pp. 295, 301)。

マーティン・ロイド・ジョーンズ博士は、このように述べています。 

      これらの現代の教師達は、神の怒りを信じていない;彼らはそれは取り除かれるべきであると言っている。しかし旧約聖書では、この教えは580回ほど我々に示されている。神が罪に対して怒られておられる事、神は罪を嫌悪されている事、などが基本的な主張である(イアン・ムライによる引用、Lloyd-Jones: Messenger of Grace, The Banner of Truth Trust, 2008, p. 209)。

この事は、次の聖句などにみられるように新約聖書についても同等に真実です。

“へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか” (マタイによる福音書第23章33節)。

“地獄では、うじがつきず、火も消えることがない”
      (マルコによる福音書第9章48節)。

“彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう”
      (テサロニケ人への第二の手紙第1章9節)。

では、罪人がどのように神の裁きを免れる事が出来るのでしょうか? 私達の本日のテキストの始めの聖句はこのように言っています。 

“「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

ジョン・ギル博士(1697-1771)は、狭い戸口とはキリストご自身であると言っています。 彼は言いました、

“狭い戸口からはいるように努めなさい”・・・努めるという事は、熱心に、注意を払って聖書を求め、堅固に御言葉の説教を注意して聞くなどの手段を通して絶えず努力する事;また、霊的なひらめき、知識、そして恵みのために熱心に祈ること、軽視しないこと;それから、罪、悪魔、そして俗世などのような魂の救いに対立する全ての敵と戦うこと、努力するに値する物の為に、全ての叱責と迫害に耐え、そして全ての困難を通して努めること・・・。“はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”。 それが遅すぎか、扉が閉ざされるか、それともその前か、超自然的に、唯一幸福[だけ]を追い求める自己主義から、非直接的で不適切なやり方、宗教の告白、福音の言葉をもってうわべだけの信仰、そしてキリストによらず、信仰をもたない(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume I, p. 626; note on Luke 13:24)。

私はスポルジョンの回心を彼の自叙伝で読んでいます。 彼が15歳で回心する前に体験した5年に渡る魂の苦悶! 彼が狭き門を通ってキリストへ入っていったときの彼のことばをいくつか取り挙げましょう。 彼はこのように言っています、

子供のころのとある5年間、私の目にはただ罪の意識だけが映った・・・。昼夜、神の御手が私に重く圧し掛かった。私の魂は自分の中で弱り果てたので、私はそこから抜け出すのにやけになった。 私はまざに天が崩れ落ち私の罪の意識にある魂を打ち砕くのでは、と恐れた。神の律法は私に圧し掛かり、私の罪をあからさまにした。夜眠ると、私は底なしの穴の夢を見た。目を覚ますと、涙と苦悩で・・・夢を見たことに惨めさを感じた。私は望もなくひとり祈りをした。 なぜならば、神の律法は棘のある鞭で私を鞭打ち、傷口に塩を塗りつぶした。それゆえ、激痛と苦悶で私は慄き、非常に悲しみに置かれたので、私の魂は、生より死を選んだ。その悲惨さはこの理由のために送られた、すなわち私がイエスに泣き求めるために。天にいられる私たちの父は、彼が私たちの自信を明白に鞭打つまでは、私たちが救い主を求めることを普通は起こさせない。私たちが地獄の前兆である疼く良心の何か耐えることのできない拷問を感じるまでは、彼は私たちが天国を求めることをさせない(C. H. Spurgeon, Autobiography, Volume I: The Early Years, originally compiled by Susannah Spurgeon and Joseph Harrald, The Banner of Truth Trust, 1985 reprint, p. 58)。

まだ回心していないあなた方の誰かが、スポルジョンが若いときに経験したような、罪の悟りに置かれるようになるには、私はどう祈ればよいのでしょうか。 そうして、あなた方は、イエスを必要とするように深く感じ、あなた方自身を彼に投げかけ、まことの回心を経験することでしょう。 アーメン。 起立してソング・シートの7番目の賛美歌、アイザック・ワッツ博士の“Our Unregenerated State”を、『おどろくばかりの』の旋律で歌ってください。

栄光と恵みの大いなる神、我々は砕けた恥辱でもって負う、
我らの堕落した人類と最初の父の名は、何と卑しむべきこと。

アダムから流れ下る腐れた血、その中は毒で満ち、
我らを善に背かせ、罪の奴隷へと導く。

我らは日々、神の聖なる律法を破り、そして彼の恩恵を拒絶する。
神の聖なる御顔に反するサタンの恐ろしい企てに染まる。

我らは、遠く神と彼の愛から離され、
我らは、罪と地獄へ通じる危険な道へと素早く走る。

我らはご自身の御霊を送られる、天の父の御名を高く上げる
反逆の罪びとを近くに、そしてキリストの敵を友に向けさす。

そのような反逆者は直り、盲目は輝きをみるか?
汝の御子を罪びとにみさせ、彼の神聖なる御血を感じさせよ。
   (“Our Unregenerated State” by Dr. Isaac Watts, 1674-1748;       to the tune of “Amazing Grace.”)

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: ルカによる福音書第13章22-29節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“What Will You Say Then?” (by Dr. John R. Rice, 1895-1980).

要 綱

ロバート・ベルは、
神には一つだけの特質しかないと考えているのか?

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。”(ルカによる福音書第13章24-27節)

(マタイによる福音書第25章10-12節;第24章37節;
創世記第7章15, 16, 23節; ペテロの第二の手紙第2章5節;
へブル人への手紙第9章27節;
ルカによる福音書第16章26節;
ローマ人への手紙第1章32節;第2章9節;
テサロニケ人への第二の手紙第1章8節;
使徒行伝第28章4節;ローマ人への手紙第12章19節;
ガラテ人への手紙第3章10節;
ローマ人への手紙第6章23節;
詩篇第11篇6節;マタイによる福音書第18章8節;
ユダの手紙第7節;ルカによる福音書第12章5節;
マタイによる福音書第23章33節;
マルコによる福音書第9章48節;
テサロニケ人への第二の手紙第1章9節)