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なぜ、ロバート・ベルは、
地獄に関してそのような誤りを信じるのか?

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

WHY IS ROB BELL SO WRONG ABOUT HELL?

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2011年5月8日、主の日の朝の説教

“そして彼らは永遠の刑罰を受け、・・・”(マタイによる福音書第25章46節)

これは『母の日』の説教には、ふさわしくないように思われるかもしれません。 しかし実際これは、地獄に関しての説教ではありません。 この説教の主題は、“新生教会”の若い牧師、ロバート・ベル・ジュニアによる偽りの教えです。 この説教の主要点は、ベルのような多くの若い福音主義者は回心していないと言う事です。 

クリスチャンの母親達が、子供達に“簡単な祈り”をさせ、まことの回心の体験を通さずに洗礼を受けさす事は、非常に分別のない事です。 “祈りによる救い”が、数百万もの福音主義派の子供達を偽った回心に導いています。 ですから88パーセントの福音主義派の子供達は、彼らが25才ぐらいになると教会から完全に去って行き、後に居残った彼らの12パーセントは、しばしば“目的主動”という誤ったムーブメント、もしくは“新生教会”の異端信仰へと向かっています。 福音主義派の母親達は、子供達がまことの回心を体験する事を、できる限り確かにする義務があります。 私達の教会にいる全ての母親達がそうするように、私は勧めています。  

例年通り『復活祭』の時期に、聖書に基づいたキリスト教に対する非難で、タイム・マガジン(英語版)は“もし地獄が存在しないならば”(2011年4月25日)という見出しを書きました。 この記事の主題は、ロバート・ベルの地獄に関する見解です。 私は、“悪魔に仕返しをする”為に、タイム・マガジンの記事の見出しはロバート・ベルの見解を正確に示していない事を指摘しなければなりません。 それはタイム・マガジンは、ロバート・ベルは地獄を信じないと言う事をほのめかすように誤解させていますが、彼は地獄を信じています。 しかし(ここが彼の誤りです)彼は、それが“永遠に”続くことを信じていません。 ロバート・ベル・ジュニアは、彼の地獄についての、聖書に基づいていない教えのために、多くの説教者達に危惧されている“新生教会”の牧師です。 ジョン・パイパー博士(Dr. John Piper)やケンタッキー州ルイスビルの南部バプテスト神学校の校長であるアルバート・モーラー博士(Dr. Albert Mohler)といった有名なキリスト教指導者達は、ベルの偽った教えを公式に拒認しています。

イエスは、“そして彼らは永遠の刑罰を受け、・・・”(マタイによる福音書第25章46節)と言われました。 ベルはそれを信じていません。 ベルは、“地獄は永遠ではない、最後には愛が打ち勝ち、全ての人は神と和解する”(Rob Bell, Love Wins, HarperOne, 2011, p. 109)と書いています。

イエスは“そして彼らは永遠の刑罰を受け”(マタイによる福音書第25章46節)と言われました。 “永遠の”と訳されたギリシャ語の語源は、“絶え間のない、永久に”(James Strong, A Greek Dictionary of the New Testament)、“終わりのない、永遠に続く”(George Ricker Berry, A Greek-English Lexicon, number 166, coded to Strong )と言う意味です。 ベルは、この言葉は“始めと終わりのある一時期”(Love Wins, p. 32)を示す、というように曲解しています。 しかしジェイムズ・ストロングやジョージ・リッカー・ベリーは、ロバート・ベルが知る以上にギリシャ語に関してはるかに理解しています。 そして彼らはギリシャ語では、“絶え間のない、永久に”と言う意味であると述べています。 イエスは、“そして彼らは永遠の刑罰を受け、・・・”(マタイによる福音書第25章46節)と言われたのです。

ロバート・ベルは、イエスが言われた事を、“誤って導かれた、どうしても容認できない”(Love Wins, p. viii)事とみなしています。 私のアソシエイトである、ケイガン先生(Dr. C. L. Cagan)は、“ベルは、昔からの聖書に基づくキリスト教、特に死後の裁きに関してのキリストの見解を嫌悪し、拒否している事は明白である。”と言っています。 ジョン・ギル博士(Dr. John Gill 、1697-1771)は、聖書に基づいた言語の深い知識があります。 この聖句の注解でギル博士はこう語っています。

彼らには永遠なる刑罰が続くであろう・・・。そして魂と身体の両方共に、公正が、完全なる神に対して犯す、そして有限なる者によって償う事の出来ない罪の為に見捨てる時・・・(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume I, p. 318; note on Matthew 25:46) 。

主イエス・キリストは言われました。

“彼らは永遠の刑罰を受け”(マタイによる福音書第25章46節)。

この説教における私の意図は、“永遠の刑罰”の教義を正当化する事ではありません。 それについてはイエスが非常に明白に、そして四つの福音書において語っていられるので、皆が全てそうではないとしても、ほとんどの人達はその事について信じていると思います。 ですから私はこの説教では、永遠なる刑罰についての教えを正当化することはしません。 私のこの説教での意図は、なぜロバート・ベルが永遠なる地獄の本質を否定しているかを説明する事です。 そして、“彼らは永遠の刑罰を受け” という主イエス・キリストの言葉を彼が否定する根本的な理由が二つあるように思えます。 

I. 最初に、ロバート・ベルは“彼らは永遠の刑罰を受け”を否定している、なぜなら、彼は自由主義によって困惑させられたからである。

ロバート・ベルは、カリフォルニア州パサデナ市にあるフラー神学校を卒業しました。 ベルはそこで、聖書の権威に関して困惑させられました。 

フラー神学校の最初の信仰宣言は、“元来与えられた旧約と新約聖書の規範は、完全に神の霊感による、全く誤りのないものである。 これらの書物は神によって書かれた言葉とみなされ、更に信仰行為における絶対的な規則である”(ハロルド・リンゼルによる引用)と主張しています(quoted in Harold Lindsell, Ph.D., The Battle for the Bible, Zondervan Publishing House, 1978 edition, p. 107) 。 したがって、フラー神学校の元来の信仰宣言は聖書の絶対性、聖書は“全体を通して誤りのないもの”である事、そして聖書は“神によって書かれた言葉”である事を謳っています。 彼らの最初の信仰宣言はそのように主張したけれども、それは後に変えられました。 しかしフラー神学校は、聖書に書かれている事を最初は教えていたのです。

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である”
       (テモテへの第二の手紙第3章16節)。

フラー神学校がどのように変わっていったのか、そして神学校が自由主義制度になった際に、どのようにロバート・ベルを困惑させたかは後に説明します。 最初に、聖書の誤りのない事に関しての、クリスウェル博士(W. A. Criswell、1909-2002)の言及を読んでみます。

テキサス州ダラスのファースト・バプテスト教会で長い間牧師を務めたクリスウェル博士は、彼の画期的な名著、Why I Preach that the Bible is Literally Trueの中で、テモテへの第二の手紙第3章 16節についてこのように書いています。

“聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって”。 このテキストで使われている二つの言葉は、聖書の霊感に関しての十二使徒の見解を我々に示している。一つの言葉は、“書かれたもの”と意味するgraphe 、そしてもう一つは、“神が吹きかけられたもの”と意味するtheopneustosである。それは“書かれた物もの”、すなわち聖書であり、それは“神によって吹きかえられたもの”、すなわち霊感によるものである。元来の羊皮紙の全ての語句、言葉、行、印、ペン筆、書き留め、そして書名は、神の霊感によってそこに置かれた。それ以外の疑問はありえない・・・。それを否定する多くの人達がいる、そして彼らは、聖書はある箇所、部分的に、断片的に、神の霊感を受けて書かれていると言っている。しかしそのような教義を聖書に見出す事はない。 歴史的な書、モーゼによる律法の書、詩的な書、預言的な書、福音書、使徒による書、黙示録、それらは全て詳細に霊感を受けて書かれている。神の霊感は、内容どおりの形態、思考どおりの言葉を表している。それは霊感による言葉の理論と呼ばれている、それは多くの近代の神学者達によって激しく否定されている・・・。しかし私は聖書に見出される事以外の理論はありえない事を主張し、また説教する(W. A. Criswell, Ph.D., Why I Preach that the Bible is Literally True, Broadman Press, 1969 edition, pp. 33-34)。

ロバート・ベルは、クリスウェル博士が述べた事を信じていません。 彼は神の霊感による聖書の全ての言葉(完全な霊感による言葉)を信じていません。 なぜでしょうか? なぜなら、彼はフラー神学校を卒業したからです。 フラー神学校は、ベルが通っていた随分前の1970年代に彼らの信仰宣言を変えたからです。 フラー神学校は、現在聖書に多くの過ちがある事を教えています。 それがどのようにして起こったのかをもっと完全な形で説明が必要ならば、ハロルド・リンゼルの著作、The Battle for the Bibleの“The Strange Case of Fuller Theological Seminary” (Zondervan Publishing House, 1978 edition, pp. 106-121)と題した第6章を読んで下さい。 フラー神学校は現在、聖書の言葉どおり霊感を受けて書かれた事(完全な神の霊感による言葉)を信じていません。

ロバート・ベルはこの神学校を卒業したのです。 彼はそこで聖書の言葉を信じないように習ったのです。 ロバート・ベルはそこで聖書を曲解する事を学んだのです。 ですから、現在のフラー神学校の学長リチャード・モウ博士(Dr. Richard Mouw)は、地獄での永遠なる刑罰を非難しているロバート・ベルの著作を支持しているのです。 フラー神学校の学長モウ博士は、“〔フラーに通い〕、神学に関して断固な境界線を引く偏狭的な考えも持って去って行く事は、 非常に困難である”と語りました(Time, ibid., p. 43)。

私はフラー神学校のような自由主義的神学校を二校卒業しましたが、私は、聖書は“全て”真実であると言う“偏狭的な考えで”そこを去っていきました。 私は、改格法的批評そして組織的批評、バース(Barth)、ブランバー(Brunner)、ティリッチ(Tillich)、ルドルフ・ボルトマン(Rudolf Bultmann)をそこで学びました。 しかし、私は決して、ヘブライ語とギリシャ語の言葉どおりの、神の霊感による言葉を信じる事を止めませんでした。 なぜなら、私は聖書の言葉を信じており、“神学に関して断固な境界線”を引くことに対して全く問題はありませんでした。 主イエス・キリストはこう言われました、 

“彼らは永遠の刑罰を受け”(マタイによる福音書第25章46節)。

私はそれを好きではないかもしれません。 それは私の欲することではないかもしれません。 しかし、キリストがそう言われたのです。 私はそれを信じます。 それだけです! 何ら“交渉する”余地はありません。 ルターが言われたように、“我が本心は、神の言の前で閉ざされる”とルターが言ったようにです。

“彼らは永遠の刑罰を受け”(マタイによる福音書第25章46節)。

なぜロバート・ベルは、主イエス・キリストの御言葉を拒絶するするのか、にはもう一つの理由があると私は確信しています。

II. そして、ロバート・ベルが“永遠の刑罰”を拒絶しているのは、決断主義に欺かれたからである。

フラー神学校の自由主義は、ベルの聖書に対する信仰をむしばむことができました、なぜなら、彼自身の言葉から、彼はまことの回心を経験する代わりに“決断”したからです。 ロバート・ベルは、私の孫と呼べるほどの年若い青年です。 もし彼がインターネットでこの説教を読む機械があり、読み通してくれたら、彼がもう一度彼自身の“回心”を考えてくれることを私は望み祈ります。 私は彼にまことの回心をもってもらいたいと思います。 聖書はこのように語っています、

“あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい”(コリント人への第二の手紙第13章5節)。

私と一緒に自由主義的な神学校で学び、後にまことに回心した二人の人を私は知っています。 そのことがロバート・ベルにも起こることを祈ります。

ロバート・ベルは、新生そして回心することなく、一般的にいわれる“罪びとの祈り”をしたと思います。 彼の本の中でベルはこう書いています、

      わたしが小学生のころのある晩に、自分の部屋の寝台の横でひざまずき祈りをした・・・。両親がそれぞれ私の側にいて、私はイエスを私のこころの中に招いた。私は神に、自分は罪びとであること、そしてイエスが私を救うために来たことを私は信じ、私はクリスチャンになりたいことを神に話した。
      私は今でもその時の祈りを覚えている。 それは私にとって特別な出来事であった。私の中に何かが。罪の無い小学生であった私は、神が私を愛し、イエスがその愛を私に示すために来たこと、私はその愛を受け入れるよう招かれた(Rob Bell, Love Wins, ibid., pp. 193-194)。

ここでは何が問題なのでしょうか? いくつかあります。 まず最初に、彼はイエスを“彼のこころの中”に招いたこと。 それはまったくの誤りです。 聖書は何度も私達に、イエス・キリストは天国に昇天され、神の右座に座られていることを話しています。 聖書は決して一度も、救われていない人に、“イエスをこころに招く”ようには言っていません。 聖書のどこにもそう書かれていません。 次に、彼は“自分は罪びとであることを信じている”と神に話しました。 そうです、彼は神にそう話したと私は思います。 しかし、彼は罪の悟りに置かれていたのでしょうか? 彼はそのことについて語っていません。 彼は自分の罪深さを悟っていたのでしょうか? 万能の神の怒りとさばきが受ける報いであることを悟っていたのでしょうか? 彼がその祈りをした時、自分を“罪の無い小学生”であったと言いました。 “罪がない”状態で、どうして人は“罪・・・について、・・・目を開く”(ヨハネによる福音書第16章8-9節)ことが起こりえるのでしょうか? 彼は、“イエスが私を救うために来たことを私は信じ”たと言いました。 何からなのでしょうか? 彼は、自分は“罪の無い”ものであると感じていたので、彼が、イエスによる罪からの許しが何にも代えて必要である、とは感じていなかったことは確かです。 キリストが、彼の身代わりのために十字架で死なれたことを彼が言及しなかったのは、当然のことです! キリストの御血が彼を彼の罪から清めることを言及しなかったのは、当然のことです! 罪の悟りの無さ! 十字架の無視! キリストの御血の無さ! まったく典型的な新しい伝道主義的祈りにすぎません。 そうして彼は、“私は今でもその時の祈りを覚えている。 それは私にとって特別な出来事であった”と言いました。 彼は正しいように思えます。 その祈りは、彼にとって何かをしたのです。 それは彼を欺いたのです

私は、クリスチャンの母親は、彼女達の子供達を意味の無い“キリストのための決断”にしむけることを止めるべきだと祈ります。 今日の若者達は、何かより深いものが必要です。 彼らのこころは変化が必要です、そしてそれができるのは神です。 母親達は、子供達の運命は、彼らを罪の悟りに置き、キリストに引き寄せられる神のみによることを知るべきです。 母親達は、神が子供達にそうされることを“絶え間なく”祈るべきです。

あぁ、若者達よ、ロバート・ベルのようなに欺かれてはいけません! 神があなた方を罪深いものと感じさせられるように祈りなさい、すなわち、神がスポルジョンをそう感じさせたように。 15歳の少年であったスポルジョンは、“私は自分自身が恐ろしいほどに罪深いものであることを知ったので、神が罪の為に私をさばかれないように感じたことを今でも覚えている”。 もし神があなた方をそのように感じさせられるのであれば、次の聖句を言われた主イエス・キリストを信じるのに問題は無いでしょう。 彼は言われました、

“彼らは永遠の刑罰を受け”(マタイによる福音書第25章46節)。

事実、あなた方は自分自身が“永遠の刑罰”を受けないことに対して驚くでしょう。 マーチン・ロイド・ジョーンズ博士は、“救罪とあがないのためにキリストへ急ぐ者は、この方法で自己に罪があることを知らされた者だけである”と言われました (D. Martyn Lloyd-Jones, M.D., Studies in the Sermon on the Mount, InterVarsity, 1959, p. 235) 。

私は、神の御霊があなた方を深い罪の悟りに置かれますことを祈ります。 私は、神があなた方を、ゆるしのために十字架で身代わりの死を遂げられたイエス・キリストの御血による罪からの清めのために、彼に導かれますことを祈ります。 私は、あなた方が神の恩恵とキリストの苦悩を通して、まことの回心を経験しますことを祈ります。 アーメン。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:
テサロニケ人への第二の手紙第1章7-10節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I Know the Bible is True” (by Dr. B. B. McKinney, 1886-1952).

要 綱

なぜ、ロバート・ベルは、
地獄に関してそのような誤りを信じるのか?

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“そして彼らは永遠の刑罰を受け、・・・”(マタイによる福音書第25章46節)

I.   最初に、ロバート・ベルは“彼らは永遠の刑罰を受け”を否定している、
なぜなら彼は自由主義によって困惑させられたからである。
テモテへの第二の手紙第3章16節。

II.  そして、ロバート・ベルが“永遠の刑罰”を拒絶しているのは、
決断主義に欺かれたからである。 コリント人への第二の手紙第13章5節;
 ヨハネによる福音書第16章8-9節。