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報いを考えること、そして、入る為に努力奮闘すること!

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

COUNTING THE COST – AND STRUGGLING TO ENTER IN!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年6月6日、主の日の晩の説教

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから” (ルカによる福音書13章24節)。

キリストは、救いついて語ってい事を思い出して下さい。 ある人がキリストに、“救われる人は少ないのですか”(ルカによる福音書第13章23節)と尋ねました。 イエスはそこで、全会衆に向かって、救われる為には何をしなければならないかを告げられました。 “狭い戸口からはいるように努めなさい”。 “狭い戸口”とはキリスト御自身を示しています。 “努める”という言葉は、ギリシャ語の言葉“agonizōmai(アゴニッツォマイ)”の複数形から来ています。 ダンカー・バウアー(Danker Bauer, A Greek-English Lexicon of the New Testament and Other Early Christian Literature, University of Chicago Press, 2000, p. 17Danker Bauer)は、その原語は、本来では運動競技での奮闘と関連していたが、後に、新約聖書の時代になって、戦いと苦闘を示すための言葉として使われるようになった、と指摘しています。 それは、使徒パウロが“わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした”(テモテへの第二の手紙第4章7節)といった時に、彼によって用いられました。  

ですから“アゴニッツォマイ”という言葉は、戦う事と奮闘する事を示しており、私達のテキストでは、“狭い戸口”であるキリストに入る為に戦い、そして奮闘する事を表しているのです。 レンスキ博士(Dr. Lenski)は、“私達が、今だに使う‘苦闘する事’からの、‘奮闘’[agonizesthe ]と言う強い動詞形がある”・・・我々は、入る為に、自分自身を最大限に努力させなければならない・・・。 それは、無頓着、無関心、また誤った救いの思いの中に生きている、ことなどの逆である”(R. C. H. Lenski, D.D., The Interpretation of St. Luke’s Gospel, Augsburg Publishing House, 1961 reprint, p. 747; note on Luke 13:23)。 レンスキ博士は、今晩のテキストを、“狭い戸口から入るように奮闘せよ”(同著、p746)として解説しています。

それが遅すぎるならば、彼らは自覚し“求め”ても、“来る事”は出来ない・・・なぜなら扉は閉ざされるからである。それゆえに、“入ろうとしていても”“出来ないであろう”のように未来形となっている。どちらも、扉が閉ざされる時を指している・・・悔い改め・・・は、その時には不可能となるのである(R. C. H. Lenski, D.D., ibid., p. 748)。

それを語っている昔の賛美歌があります。

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?
   (“Have You Counted the Cost?” by A. J. Hodge, 1923).

“狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

私は先週の日曜日の晩に、あなた方はキリストに入る為には、何に対して奮闘しなければならないかを示しました-すなわち、あなた方は悪魔に対抗して奮闘しなければなりません、あなた方は自分自身の堕落した本性-すなわち、あなた方の自尊心とキリストに服従したがらない意志に対抗して奮闘しなければならないのです。 マーティン・ロイドージョーンズ博士(Dr. Martyn Lloyd-Jones)は、“自分自身を注視する為に立ち止まらない限り、決して誰もクリスチャンにはなれないであろう”(Iain H. Murray, Lloyd-Jones: Messenger of Grace, The Banner of Truth Trust, 2008, p. 212)と書いています。 あなた方は、自分自身を死に定められた罪人として自覚した事がありますか?  あなた方は、キリストに対する自分の反抗に疑問を感じた事がありますか? あなた方は、キリスト以上に、この事について知っていると思っている事を認めますか? あなた方は、キリストに対して反発している、何ヶ月も、また何年もの間、キリストを跳ねつけ、キリストの愛を妨げ、そして彼を突き放していた事を認めますか? あなた方は、それら全てをキリストに、そして自分自身に認めた事がありますか? もし無かったならば、あなた方は決してキリストに入る事は無く、決して回心する事もなく、“常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない”(テモテへの第二の手紙第3章7節)状態から決して動く事は無いでしょう。

“狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

立ってコーラスの部分を歌って下さい!

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

着席して下さい。

“狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

I. 最初に、もしあなた方が入る為に努力奮闘しないならば、何があなた方に起こるかを考えなさい。

“それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し・・・”
       (テサロニケ人への第二の手紙第1章7-8節)。

シェッド博士(Dr. W. G. T. Shedd)は、このように指摘しました、

尽きない処罰は確かである・・・なぜなら、人間の良心がそれを支持するからである。“神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に”(ローマ人への手紙第2章16節)、罪人自身の良心が、“証人となり”、宣告を承認するであろう・・・ウェストミンスター・ラーガー教理問答書89では、彼ら自身の良心による明らかな証明、そして完全な自覚により、邪悪な者には、正当な罪に対する宣告が彼らに対して申し渡されるであろう”(W.G.T. Shedd, Ph.D., Dogmatic Theology, P and R Publishing, 2003 edition, p. 920)。

フレデリック・ファイバー(Frederick W. Faber)が述べたように、

恐怖に慄く思い! 一つの罪の行い
その中に潜む
神の終焉のない忌み嫌う御力
永遠の痛み。
   (Frederick W. Faber, 1814-1863).

コーラスを歌って下さい!

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

着席してください。 シェッド博士はこのように述べています、

罪は人間の意志による自殺的行為である。人は自分自身を 殺すようには強いられていない;しかし、もし彼がそうするならば、その人は自分自身を再び生かす事は出来ない。そしてまた、人は罪を犯すようには強いられていない、しかし、もし彼が罪を犯したならば、彼は自分自身を、罪を犯した以前に戻す事は出来ない。彼は無罪の状態に戻る事は出来ない。[彼は罪の奴隷となる]。“すべて罪を犯す者は罪の奴隷である”(ヨハネによる福音書第8章34節)(Shedd, ibid., pp. 923-924)。

更にシェッド博士は、このように述べています、

尽きない処罰は、道理にかなっており、罪人自身による選択によって、真実である事が示される。 服従せず、反抗的、傲慢、そして悔い改めのない魂は、天国よりも地獄を好む。ミルトンはこのように正確に悪魔を表している・・・“天国で仕えるよりも、地獄で主権を握るほうが良い”・・・邪悪な者は天国よりも地獄にいるほうが楽しいであろう・・・不信心な者は、むしろ・・・クリスチャン社会の純正さよりも・・・罪の自由を好む(Shedd, ibid., p. 926)。

“そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない”(ヨハネによる福音書第3章19-20節)。

もう一度歌って下さい!

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

着席してください。 イエスはこのように言われました、

“この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう”
       (マタイによる福音書第25章30節)。

“のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ”
       (マタイによる福音書第25章41節)。

聖書はこのように語っています、

“しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」”(ヨハネの黙示録第21章8節)。

考えて下さい! もし、キリストの命令に従わないならば、あなた方に何が起こるか、考えなさい!

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

歌って下さい!

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

その人が死んで七日後に、その死体は見つかりました。 私は、“棺のふたを閉めなさい、彼は腐っている!”と言いました。 しかし、彼の家族は聞き入れませんでした。 私達はその棺の横を歩き、彼の腐敗した顔を眺めなければなりませんでした。 彼の歯は腐敗した唇からはみ出ていました。 想像してみて下さい! あなた方の顔はいつかそのように腐敗してしまうでしょう! しかし、あなた方の魂は永遠なる炎へと落ちていくのです!

“われわれのうち、だれが焼きつくす火の中におることができよう。われわれのうち、だれがとこしえの燃える火の中におることができよう”(イザヤ書第33章14節)。

神様! “今晩ここにいる人のうち、だれがとこしえの燃える火の中におることができよう”。

繰り返し歌って下さい!

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

“狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

魂よ、これらの恐れから逃れないのか? 入る為の努力無くしては-すなわち、キリストに入る為に、あなた方の全力を絞って、努力し、苦戦し、奮闘する事無くしては!

“狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

II. 次に、あなた方は入る為にどのように努力奮闘しなければならないか。

生まれながらにして、人は罪を悟るために、自身の罪深い状態を感じるために、すなわち、救いの必要性を知るために努力奮闘しなければなりません! しかし、その人はどのように自分自身を準備することができるのでしょうか? シェッド博士は、人が行わなければならない三つの“義務”を挙げています―熱意をもって、尽力をつくして、そして集中力をもってです。

1.  神の言葉を読み、そして聞くこと。“したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。”(ローマ人への手紙第10章17節)。 ウェストミンスターラーガー教理問答集(Westminster Larger Catechism)では、“神の御霊が読む事を仕向けさすが、特に、罪びとを開明させ、悟らせ、謙らせ、自己からキリストへ導くための手段としての説教を読ませる”。

2.  その効力を理解し感じるために、真摯な、精神の応用と真実さの吟味。“だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ・・・”(ルカによる福音書第8章18節)。 ジョン・オーウェンは言った、“もし人々が、俗世間の諸事に携わるのと同様に霊的な事々に関わりあうならば、それはその人達にとり大いに異なることとなるであろう”。 悟りのためのこれらの手段の使用は、律法に従う義務、それに従え得ないという思いを起こさせ、失われた魂を罪の悟りに導く傾向をもつ。

3.  罪の悟りでの、聖霊の働きのための祈り:“このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」”(ルカによる福音書第11章13節)。 あなたの頑なな思いが和らぐまで、神の御霊があなたを罪の悟りに置かれるよう、そして、あなたのこころが自分の罪の思いのゆえに恐怖で満たされるまで祈りなさい。 そうすれば、あなたを救われるキリストの必要性を知るであろう(Abbreviated from Shedd, ibid., page 774)。

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから”(ルカによる福音書第13章24節)。

もう一度歌いなさい。

たとえ、この世をあなたのものとしたとしても、
   もしあなたの魂が失われるならば、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
今でさえ、あなたはその分岐線を越えてしまったかも知れない、
   あなたはその報いを考えた事がありますか?
あなたはその報いを考えた事がありますか?

私は、あなた方が罪を悟り、そして神があなた方を“世の罪を取り除く神の小羊”(ヨハネによる福音書第1章29節)であるイエスへ導かれることを祈ります。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。

クレイトン L. チャン医師による、説教前の祈り: ルカによる福音書第13章22-28節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
       “The Unpardonable Sin” (author unknown; sung to the tune of “O Set Ye Open Unto Me”).

要 綱

報いを考えること、そして、入る為に努力奮闘すること!

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから” (ルカによる福音書13章24節)。

(ルカによる福音書13章23節;
テモテへの第二の手紙第4章7節;第3章7節)。

I.   最初に、もしあなた方が入る為に努力奮闘しないならば、
何があなた方に起こるかを考えなさい。
テサロニケ人への第二の手紙第1章7-8節;
ローマ人への手紙第2章16節;ヨハネによる福音書第8章34節;
第3章19-20節;マタイによる福音書第25章30, 41節;
ヨハネの黙示録第21章8節;イザヤ書第33章14節。

II.  次に、あなた方は入る為にどのように努力奮闘しなければならないか。
ローマ人への手紙第10章17節;ルカによる福音書第8章18節;
第11章13節;ヨハネによる福音書第1章29節。