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回心した祭司達

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

THE CONVERTED PRIESTS!

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年5月9日、主の日の朝の説教

“こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。”(使徒行伝第6章7節)

私はこの説教で、何を話そうかと奮闘し、何時間も祈りました。 キリストの復活に関して再び神は、話す事を私に望んでおられる事は知っていました。 しかしこの主題を私はどのように論じるべきなのでしょうか? どのテキストから話すべきなのでしょうか? 床につく準備をしている時、私の頭はふらふらしてきました。 そして、歯を磨き、パジャマに着替えた時に、この聖句が私の思いに跳躍してきました。 私はこのテキストを忘れはしないかと思ったので、それを小さな紙に書き留め、寝室の引き出しに入れておきました。 私は、神がこの説教の為に、そのテキスト、“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)を下さった事を知って、眠りにつきました。  

弟子達と彼らに従った人達は、偉大な人達でも、また、教養のあるような人達でもありませんでした。 彼らの多くは、まともな教育も受けたことのないただの漁師でした。 彼らの説教は、非常に単純明快なものでした。 過越しの祭りの日のほんの数週間前に、ペテロはキリストの受難と復活について説教しました。 彼の説教の三分の二は、キリストの死からの復活に費やされました。 三千人の人々がペテロの説教の終わりに救われました。 何日か後に、ペテロは神殿の門でその同じ主題で説教しました。

“あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である”(使徒行伝第3章14-15節)。

その説教の終わりに、ペテロはこう言いました、

“神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」”(使徒行伝 第3章 26節)。

そこには多くの魂の収穫がありました。 そして、

“彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった”(使徒行伝第4章4節)。

再び、ペテロが大祭司の手前に連れられて来た時、彼は叫んで、

“あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである”(使徒行伝第4章10節)。

そして、再びペテロは囚われられ、大祭司の目前に連れられました。 彼は何を言ったでしょうか?

わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ” (使徒行伝第 5章 30節)。

キリストの受難と復活、それを彼は述べたのです!

その何日か後の事が、私達のテキストに書かれています、

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった” (使徒行伝第6章7節)。

あぁ、私はこのテキストについて興奮しています! それはアリババの洞窟のように私の目の前に開けられ、私はその中に貴重な宝物を見い出すのです!

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

私は三つの質問を問いかけ、金や宝石をあなた方が見い出す為に、それらに答えます!

I. 最初に、それらの祭司達は、キリストの復活を信じる可能性のある人達だったでしょうか?

いいえ、彼らはそうではありませんでした! 彼らはよみがえられた救い主を信じるにはほど遠いような人達でした。 キリストが死からよみがえられた事を信じる事は、まずありえ無いような、エルサレムの人達でした。 彼らは、何日か前にこのように書かれている、同じ祭司達でした。

“祭司たち、宮守がしら、サドカイ人たちが近寄ってきて彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て”(使徒行伝第4章1-2節) 。

彼らはこのように書かれている、2~3日前のサドカイ派の祭司達と同じ人達かでした。

“・・・大祭司とその仲間の者、すなわち、人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり”(使徒行伝第5章17節)。

そうです、これらの祭司達はサドカイ人でした。 ガエベレイン博士(Dr. Gaebelein)註解書には、“ほとんどの祭司達は、サドカイ宗派の人達であった”(Frank E. Gaebelein, D.D., general editor, The Expositor’s Bible Commentary, Zondervan Publishing House, 1981, vol. 9, p. 301; note on Acts 4:1)。 これらの祭司達は誰で、彼らは何を信じたのでしょうか? ほとんどの祭司達はサドカイ人でした。 マタイによる福音書第22章23節と使徒行伝第23章8節で理解できるように、サドカイ人は死人の復活を信じませんでした。 

復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した”(マタイによる福音書 第22章23節)。

“サドカイ人は、復活・・・は、いっさい存在しないと言い”(マタイによる福音書第22章8節)。

歴史家ヨセパスは、サドカイ人は、“魂は、体と共に滅るが、精製された物質になると思っていた”(Antiquities of the Jews, 18:1, 4)と言いました。 人が死からよみがえると言う考え方に対して、彼らは偏見をもっていました。

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

ギル博士は、このように書いています、

祭司達と彼らの多くは、こうしなければならないと言う事は、非常に驚くべき事である;彼らは福音に対して、最も反対する敵であり、聖徒達への迫害者であった(John Gill, D.D., An Exposition of the New Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume II, p. 191; note on Acts 6:7)。

今朝ここにいるある人は、“あなたは、私にキリストの復活を信じる事を期待出来ない!”と言うかも知れません。 なぜですか?  もしこのような人達が、キリストの復活を信じるようになったのであれば、なぜあなた方にそれが出来ないでしょうか? リベラル主義の聖書批評家、ルドルフ・バルトマン(Rudolf Bultmann)は、現代人にはキリストの復活の、彼いわく、“神話”を受け入れる事は出来ない、と言いました。 これらの祭司達は現代人ではありませんでした。 また彼らも、神の御力が彼らを救うまでは、キリストの復活は作り話であったと思っていました。 それが、正にあなた方のような現代人に今日必要な事―すなわち、回心なのです。 それがキリストの復活に対するあなた方の難問を解消するでしょう! 神の御力が彼らに下った時、

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

まだ他にあります。

II. 次に、キリストがよみがえられた、といった証拠がこれらの祭司達にあったであろうか?

まず、彼らには、空っぽになった墓の証拠がありました。 女たちが空になった墓に来た時、彼女達は言いました、

“もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである”(マタイによる福音書第28章6節)。

シーセン博士(Dr. Thiessen)はこのように書いています、

      聖書は我々に、墓はからであった事を告げている。確かに、もしこれが真実では無かったならば、誰かが弟子達を欺いていた事;墓が空ではなかった事を露にしたであろう(Henry C. Thiessen, Ph.D., Introductory Lectures in Systematic Theology, Eerdmans Publishing Company, 1949 edition, page 335)。

ジョシュ・マクドナルドは、このように書いています、

キリストの復活の[ペテロの]大胆な主張に対する、ユダヤ人からの論破は全く無かった。なぜだろうか?なぜなら、空の墓の証拠は誰でもが調べる為にあり・・・全ての人達は、墓にはイエス・キリストの体は無いと知っていたからである。・・・ユダヤ人達は空になった墓を説明できなかった、・・・フェアバーム(Fairbairn)が書き記しているように:“ユダヤ人の沈黙は、クリスチャン達の言葉と同様に重要であった。・・・第一世紀を通して、クリスチャン達は脅かされ、むち打たれ、そして彼らの信仰(キリストの復活)のゆえに殺された。しかしこのことは全く成されなかったが、イエスの体を作り上げるよりも、彼らを沈黙させる事がもっと簡単だったのであろう(Josh McDowell, The New Evidence that Demands a Verdict, 1999 edition, p. 251)。 

空になった墓とキリストの復活の沈黙の証言は決して論破されなかった。ローマ人とユダヤ人達は、キリストの体をでっち上げ、またそれがどこに行ったかを説明する事はできなかった(McDowell, 同著, p. 252)。

ジョン・スコットが正しく言ったように、キリストの敵の沈黙は“弟子達の証言の如く、復活の証明を強く訴えている(McDowell, 同著, p. 251)。

祭司達は、墓が空である事を知っていました。 そして、彼らはキリストの敵なる誰もそれがなぜ空であったかを説明出来ませんでした。 空の墓はエルサレムのど真ん中にあったので、それらの祭司達の多くは、確かにそこへ出かけ中を見たでしょう。 墓は空でした! エルサレムに住む全ての人達はその事について話していました。 なぜならパウロが言ったように、“それは、片すみで行われたのではないのですから”(使徒行伝第26章26節)。 実際には、その町中の話題でした! 空の墓は、イエスが死からよみがえられたと言う事を彼らに信じさせました。 

彼らはまた、キリストの復活を目にしたと宣言していた弟子達の熱意を見ました。 彼らは、弟子達があざけられ、たたかれ、むち打たれ、そし牢に投げ込まれたのを見ました。 しかし、彼らは釈放されるや否や、使徒達はすぐさま戻って説教をしたのです、

“わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ”(使徒行伝第5章30節)。

ハーバードの弁護士サイモン・グリーンリーフ(Simon Greenleaf)は使徒達について、“もしイエスが実際に死からよみがえっておらず、そして、彼らが知っている他の事実と同様に確かであるこの事実を彼らが知っていないとしたならば、彼らが[説教した]真実を断言し続ける事は不可能であった”(McDowell, 同著, p. 253)と書いています。 ジョン・スコット(John R. W. Stott)は、“イエスの弟子達の一変は、全ての復活についての最も偉大な証拠である”(McDowell, 同著, p. 252)。 祭司達は、彼らのゆるぎない信仰と熱意を目にし、彼らの説教に耳を傾けたのです。

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

私達がもっと熱意と信仰をもつならば、あなた方と私は更に多くの回心を目にする事を私は確信します。 あぁ、私がペテロのような力と熱意とをもって説教できるならば! あぁ、私が彼のようにイエスの復活の証となることが出来るならば! 私達の熱意は、使徒達のものより弱いけれども、神ご自身が、あなた方が“死人の中から最初に生れた者”(ヨハネの黙示録第1章5節)イエスに来るように、あなた方の心を活気づけられるように、私達は祈ります!

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

III. 最後に、何ゆえこれらの祭司達は信仰に従順だったのでしょうか?

彼らを回心させたのは、空っぽになった墓でも、使徒の熱意でもありませんでした。 それ以上に、何かがあったのです。 すべての真の回心には、常にありました。

彼らは福音が説教されるのを聞きました! 福音の説教を“恵みの手段”と呼んだ昔の清教徒に、私は完全に同意します。 使徒パウロは言いました、

“宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか”(ローマ人への手紙第10章14節)。

神は、伝道者と牧師に福音を述べ伝えるよう使命しました(エペソ人への手紙第4章11-13節)。 彼らを回心に導いたのは、福音の説教でした。 彼らの心を和らげ、キリストに信仰の火をつけ、彼らを“信仰に従順”にさせるために使われたのは、十字架にかけられよみがえったキリストの説教でした。

新約聖書の時代には、よみがえったキリストを信じることなく救われたひとは誰もいません! クリスチャンの歴史に於いて、よみがえられた救い主を信頼することなくして救われた偉大な人物は、誰一人としていません―アウグストゥスにしかり、ツィンツェンドルフにしかり、ウェスリーにしかり、スポルジョンにしかり、ムーディーにしかり、また、トーリーにしかりなのです。 私は出くわしたことがありません! 事実、使徒パウロはそれをこのように明白にしています、

“すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる”(ローマ人への手紙第10章9節)。

救われるためには、あなた方は心の中で、“神は死から彼をよみがえらせた”ことを信じなければなりません。 聖書の聖句以上に明白にされているものはありません。 私自身、救われる前の七年間、死んだキリストを信じていました。 私は、彼が私のために死んだことを信じましたが、救われていませんでした。 私は、よみがえられたキリストに拠りどころを見つけるまでは救われていませんでした!

ジョン・ライス博士は、ローマ人への手紙第10章9節に深い憧憬をもっていました。 彼は言いました、

しかし、正直に心で、キリストは死からよみがえり・・・それゆえ罪からお救いになられる、と信じることを公言しない限り、自分の口で告白することは、救いの信仰の証拠にはならない。キリストにあって救いの信仰を経験した者は誰であろうと、神は死から彼をよみがえらせたことを心の中で信じた・・・。イエス・キリストの一個人として身体的に復活されたことに疑いをもつ、新約聖書のクリスチャンの記録を見いだすことはできない (John R. Rice., D.D., The Resurrection of Jesus Christ, Sword of the Lord Publishers, 1953, pp. 11, 7)。

ライス博士は愚人ではありませんでした。 博士は、ベイラー大学(Baylor University)を卒業し、サウスウェスタン・バプテスト・セミナリー(Southwestern Baptist Seminary)で二年間学び、そしてシカゴ大学大学院で学びました。 ライス博士は、聖書を、そして、キリストの復活はそのこと自体救いの福音の一部である(コリント人への第一の手紙第15章1-4節)、と聖書が言ったそのことを信じました。

“もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう”(コリント人への第一の手紙第15章17節)。

“祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった”(使徒行伝第6章7節)。

彼らが従った信仰はでしょうか? それは、数日早くペテロがした説教を彼が聞いた後にもった信仰です!

“わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ”(使徒行伝第5章30節)。

それが、彼らが従った信仰でした!

あなた方が、これらの祭司たちのように“信仰に従順”になるように、私はどのように今朝祈ればよいのでしょうか? 彼らは、“信仰に従順”だったのです。 すべての福音は、“信仰”という一語に要約されることができるようです。 信仰に従順であるというのは、イエスを拠りどころとし、十字架であなた方に代わって苦悩され、あなた方の身代わりとしてそこで死なれ、あなた方の罪を贖われたその方を信じることです。 信仰に従順であるというのは、死からよみがえられ、天国の神の右座に座られ、あなた方の義のために、また、あなた方にいのちを与えられるために、そしてあなた方に新生を与えられるためによみがえられた、神の御子に来るということです。 あなた方が、そう、あなたが、罪をもったままでイエスに来て、信仰においてあなた自身を彼に投げかけるよう、私は祈ります!

奮い勇んで彼を信頼しなさい、完全に信頼しなさい
 他のものに拠りどころを求めることなく
イエスだけが
   イエスだけが
拠りどころのない罪びとを正すことができる
   (“Come, Ye Sinners” by Joseph Hart, 1712-1768).

イエスはあなたを救うことができます! 彼はあなたの罪をゆるし、永遠のいのちを与えることができます! イエスに来なさい! 完全に彼に拠り頼みなさい―他のものを信頼してはいけません! イエスだけが、イエスだけが、拠りどころのない罪びとを正すことができるのです!


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(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 使徒行伝第5章17-30節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“The Strife Is O’er” (translated by Francis Pott, 1832-1909).

要 綱

回心した祭司達

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。”(使徒行伝第6章7節)

(使徒行伝第3章14-15, 26節;第4章4, 10節;第5章30節)

I. 最初に、それらの祭司達は、キリストの復活を信じる可能性のある
人達だったでしょうか? 使徒行伝第4章1-2節;
使徒行伝第5章17節; マタイによる福音書第22章23節;
使徒行伝第23章8節。

II.   次に、キリストがよみがえられた、といった証拠がこれらの祭司達
にあったであろうか? マタイによる福音書第28章6節;
使徒行伝第26章26節; 使徒行伝第5章30節;
ヨハネの黙示録第1章5節。

III.  最後に、何ゆえこれらの祭司達は信仰に従順だったのでしょうか?
ローマ人への手紙第10章14節;エペソ人への手紙第4章11-13節;
ローマ人への手紙第10章9節;
コリント人への第一の手紙第15章1-4, 17節;使徒行伝第5章30節。