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祈りを通して下される、人を主へと導く為の力

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

STRENGTH FOR SOUL WINNING THROUGH PRAYER
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年8月1日、土曜日の晩の説教

“しかし主を待ち望む者は新たなる力を得”
(イザヤ書第40章31節).

トリー博士(Dr. R. A. Torrey)はこの聖句に関してこのように書いています、

祈りには強大な力がある。それはクリスチャンとしての生活と奉仕における我々の持つ大いなる力と非常に関わりがある。祈りに時間を費やさない人は、神がその人に備えられた十分な力を得ることの全ての望みから辞退してもよかろう。それは、“新たな力”を下さる、“主を待ち望む者”(イザヤ書第40章 31節)である。主を待ち望むということは、毎日の朝晩のかたちにはまった祈りに何分かを過ごすこと以上のものである。“主を待ち望む”。  真なる祈りは、時間と思慮を要する、しかしそれは大いなる時間の節約でもある。もし我々が、全てにおいて、十分な力を知るには、我々は祈りの人とならねばならない(R. A. Torrey, D.D., How to Obtain Fulness of Power in Christian Life and Service, Fleming H. Revell, 1897, p. 95)。

“しかし主を待ち望む者は新たなる力を得”(イザヤ書第 40章31節。)

私は、祈りを通して、どのように主を待ち望むかを理解していたトリー博士のこのテキストに関して多少短縮した考慮を挙げます。 

I. 最初に、祈りは人を主に導く為の知恵を私達にもたらすことが出来る。

聖書はこの点に関してこのように明白に示しています、

“あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう”(ヤコブの手紙第1章 5節).

もしあなた方が、神に知恵を求めるならば、神はあなた方を非難、また叱責する事はなさらず、またあなた方を批判される事はありません。 絶対にありません! “与えられるであろう”。 それほど明白なる約束はありません!  私達は、生活の全ての面で、神御自身による知恵を得ることが出来ます。 神は、私達が暗闇を手探りで歩く事は望んでおられません。 神は御自分の計り知れない知恵を私達に下さる事を望んでおられるのです。 私達がただ成すべき事は、信仰を通してそれを求める事です。 多くの人達は、人を主に導く際、彼ら自身の愚かなやり方によってつまずいています。 彼らには、人を主に導く知恵がありません。 あなた方は知恵無しに、人を主に導く事は出来ません。 あなた方が知恵を求める祈り無くして、それを得ることは出来ません!  御言葉には、このように書かれています、  

“あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば・・・神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう”
       (ヤコブの手紙 第1章 5節).

教会に来る人に、私はどのように接したらよいか? 教会に来る人をどうしたら助けることが出来るか? 彼がクリスチャンになるには、どのように自分が助けられるか? 

“あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば・・・神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう”
       (ヤコブの手紙第1章 5節).

しかし、この“願い求めること”は日常の習慣的な祈りであってはなりません。 それは、深く、真剣な祈りでなければなりません、

“しかし主を待ち望む者は新たなる力を得” (イザヤ書第40章 31節)。

祈りの中に力を、主よ、祈りの中に力を、
   まさにここに、この世の罪、嘆き、そして憂い、
絶望の中に、死にかけた失われし人々、
   あぁ、力を、祈りの中に力を与えたまえ。
(“Teach Me to Pray” by Albert S. Reitz, 1879-1966).

II. 次に、祈りは神の恵みなる力によって、私達が人を主に導くよう
に聖霊を下らす事が出来る。

イエスはこのように言われました、

“このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」
       (ルカによる福音書 第 11章 13節).

“一同は聖霊に満たされ”たのは、最初の弟子達が“心を合わせて、ひたすら祈をしていた”(使徒行伝第1章14節)後の事でした。

聖霊の力を私達の生活、そして私達が人々を主に導く為の奉仕へともたらすのは祈りです。 あなた方の多くは、人々を教会へ、そして救いへと導かせる事の、真なる効果を、あなた方は祈りを通して、神を十分に待ち望んでいなかったという事に同意する、と私は思います。 それはあなた方の伝道における聖霊の力の為に、祈っていないことが原因ではないでしょうか?  イエスはこのように、確かな約束をされました、

“天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」”(ルカによる福音書 第 11章 13節).

あなた方が伝道を通して不信者の人達への祝福となれる為に、聖霊の力を神に求めなさい。 もしあなた方が祈りを通して神を待ち望むなら、神はあなた方に聖霊の力を下されるでしょう。

“しかし主を待ち望む者は新たなる力を得” (イザヤ書第40章 31節)。

祈りの中に力を、主よ、祈りの中に力を、
   まさにここに、この世の罪、嘆き、そして憂い、
絶望の中に、死にかけた失われし人々、
   あぁ、力を、祈りの中に力を与えたまえ。

III. 最後に、祈りは街頭での伝道、教会の集会に人々を招くための電話に
よる伝道、そして彼らが教会へ来た際に、私達が彼らにとって祝福と
なる為の、私達の奉仕へと神の力を下す事が出来る。

弟子達が障害に直面した時、“一同はこれを聞くと、口をそろえて、神にむかい声をあげて言った”(使徒行伝第 4章 24節)。 “彼らが祈り終え”神を待ち望んでいると、神の力が注がれ、すべての障害を取り除けました(使徒行伝第4章31-33節、第5章13節)。 あなた方の伝道、そして電話を通しての伝道において、またあなた自身で人々を教会へと連れて来れるように神の力を待ち望みたいと思いませんか? ならば、そのために祈りなさい。 祈りを通して神の力が下り、あなたを助けて下さるように神を待ち望みなさい。

言うことを聞かず、手に負えない息子を持つある母親が、とある日にトリー博士の所にやって来ました。 彼女はトリー博士にどうするべきか、と尋ねました。 彼は、“祈りなさい”と答えました。 彼女の息子はまもなく回心し、すばらしいクリスチャンになりました。 なぜでしょうか? なぜなら彼の母親は、トリー博士の言う事を聞き、毎日痛切な思いで息子の為に祈り、神を待ち望み始めたからです。 そして息子の為に祈りを通して神を待ち望むことに彼女が真剣になった時に、神は彼女の祈りを聞かれました。

祈りを通して神を待ち望むこと無く、偉大なそして真のリバイバルが生じた事はありません。 トリー博士は、“多くの現代における通称リバイバルといわれるものは、人の手順によってもたらされている。 しかし、過去の偉大なリバイバルは、多くの説教無しに、またほぼその手順無くして生じた事もあった。  しかし、多くの祈り無しに、祈りを通して神を待ち望むこと無しに、偉大なそして真のリバイブルが生じた事は無い。 多くの現代における通常リバイバルと呼ばれるものは、人の手順によってなされている”。 しかし、真実のリバイブルは祈りを通して、神を待ち望む事によってもたらされているのです。

多くのクリスチャンは、彼らの牧師の力強い、あるいは力の欠けた説教に、どれほど彼らは祈りをし、また祈りが欠けているかを理解していません。  真摯な祈りを通し神を待ち望む事を軽視する事は、私達が、主の日である日曜日の集会において回心を生み出すかどうかの大きな違いをもたらせます。 これらの集会の為に、説教に力が加えられるように、失われた人が救われる為に、祈りを通して神を待ち望む事に、あなた方が並以上の時間を掛けますように、私はあなた方に懇願します。 私は、あなた方個人個人の祈祷で、これらの集会の為に、真剣な祈りを通して神を待ち望み始めるよう、あなた方にお願いします。 神が牧師に何を説教し、そして不信者達が回心するように、それを力強く述べ伝えるように助けて下さる事を、あなた方が毎日時間をかけて祈るように私は望みます。 また、出来るだけ名前を挙げ、失われた人達の為に、神がこれらの集会で彼らがキリストを受け入れるよう心が開かれるように、祈りに専念してください。 そして、特に多くの人達が、主の日である日曜日の教会の集会に来る時に、あなた方自身が彼らにとって祝福となるように神に祈ってください。 今から神を待ち望むまで、あなた方が毎日時間をかけ、そして私達の教会のこれらの重要な事柄の為に真剣に祈ってくださる事を願っています。 また、これらの事の為に次の土曜日は祈りをし、断食をして下さい。

我を祝福となるように、我を祝福となるように、
   我が人生を通して、イエスが崇められ、
我を祝福となるように、あぁ、主よ、我は祈ります、
   今日、我を誰かの祝福となるように。
(“Make Me a Blessing” by Ira B. Wilson, 1880-1950).

(説教終了)
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要 綱

祈りによる伝道のための力

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

“しかし主を待ち望む者は新たなる力を得”
(イザヤ書第40章31節).

I.   最初に、祈りは人を主に導く為の知恵を私達にもたらすことが出来る。
ヤコブの手紙第1章5節。

II.  次に、祈りは神の恵みなる力によって、私達が人を主に導くように
聖霊を下らす事が出来る。ルカによる福音書第11章13節;
使徒行伝第1章14;第2章4節。

III. 最後に、祈りは街頭での伝道、教会の集会に人々を招くための電話に
よる伝道、そして彼らが教会へ来た際に、私達が彼らにとって祝福
となる為の、私達の奉仕へと神の力を下す事が出来る。
使徒行伝第4章24, 31-33節;使徒行伝第5章13節。