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良心と回心

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

CONSCIENCE AND CONVERSION
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年6月14日、主の日の晩の説教

“彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである”(ローマ人への手紙第 2章15節)。

リフォメーション・スタディ・バイブル(the Reformation Study Bible)には“良心と律法”に関する正しい論説が記されています。 その論説はこう説明しています、

良心とは、自分達の行い、思い、計画を正当化または不当化し、そして我々が成した事が・・・不当であるならば、それに対するこうむりが値する事を我々に示し、我々自身の道徳的な判断を下す・・身についた力である。パウロは、神は人間全ての心に彼の律法の明確な知識をしるしている(ローマ人への手紙第2章14-15節)、と言っている(The Reformation Study Bible, Ligonier Ministries, 2005 edition, p. 415)。

私達のテキストはこのように言っています、

“彼らの良心も共にあかしをし” (ローマ人への手紙第2章15節)。

人間の良心についての三つの疑問に対する聖書の答えを調べてみましょう。

I. 最初に、人間の良心とはどこから生じたか?

神が人を創造された時に、このように言われました、

“主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった” (創世記第2章7節)。

人を動物と異にするものは、“命の息”でした。 ヘブライ語では“neshamah(ネシャマ)”です。 それは“命の息”と訳されています。 ストロング注解書は、それは“霊”を意味すると指摘しています(#5397)。 “neshamah”は、機能として魂(精神)と身体から切り離され、人の霊となりました。 この“命の息”は、どの動物にも無い二つの事を人に与えました。 すなわち、(1) 神を知る能力、そして(2) 善悪を見分ける能力です。 もしくは、彼の内にある“命の息”は、人に、彼の精神(魂として知られる)が活性化された後に彼の人間としての霊を与えたとも言えるでしょう。 この精神によって彼は考える事と決断をする事が出来ます。 しかし、動物も精神を持っています。 “命の息”から生じた、人を動物と異にする人の霊となりました。 “neshamah”もしくは“命の息”は、人の人間としての霊となり、それが、人のみに神を個人的に知る能力、そして善悪を見分ける能力を与えたのです。

良心の機能は箴言第20章27節で示されています、

“人の魂は主のともしびであり、人の心の奥を探る”。

この聖句にある“魂”は、“霊感”または“霊”を意味するへブル語の“neshamah”から来ており、“命の息”と同じ語源から来ています。 箴言第20章27節では、神がアダムに与えられた“neshamah”は“人の魂”(箴言第20章27節)となった事を表しています。 これは人としての三つの機能要素-魂、精神、身体のうちのまず最初のものです。 精神は心を指します。 魂は良心と神を知る能力を指します。 身体は肉体です。 “neshamah”は、人の内なる心を探る良心を伴い、人の魂となりました。 それが人の良心なのです。人が正しくない時、彼にそれを示す人の一部なのです。

“しかしダビデは民を数えた後、心に責められた”
      (サムエル記下第24章10節)。

その“心”とは、ダビデの “neshamah”、 彼の良心の機能を示してます。 それは彼の良心がとがめられたと言う事です、なぜなら、彼は民を数える事によって罪を犯したからです。 (長期間に渡る私自身の元牧師であり、ボブ・ジョーンズ・ユニバーシティの修士課程で旧約聖書のヘブライ語の元教授でもあり、台湾の中国福音神学校の元学長であったテモテ・リン博士にこれらの見解に関して恩を受けています。)

コロジ(Collodi)の古い物語り“ピノキオ”は、人間の子供になりたがる操り人形の話を物語っています。 彼が操り人形である限り、彼は一匹のコオロギを彼の良心として伴いました。 しかし、彼が真の人間の子供になった時、彼の心に善悪を見分ける真の良心が授かりました。 私達の最初の両親は、真に機能を果たす良心を携えて創造されました、しかし、彼らの良心は後に機能を損ないました、ですからそれらはピノキオのコオロギのように信頼できない物となりました!

II. 次に、人間の良心に何が生じたか?

私達の最初の両親はエデンの園で罪を犯しました。 その堕落によって、神の表象が人の内から損なわれ、人間の良心は不完全なものとなってしまいました。 それが原因となり、アダムが彼の罪に対して神に直面された時に、彼はエバと同様に多くの弁解をしました(創世記第3章11-13節)。 彼らの両方共が良心の呵責を感じませんでした、なぜなら彼らの良心はゆがみ、損なわれてしまったからです。 アダムの最初の息子カインも同じでした。 神に、彼が兄弟を殺した事で問われた時も、彼は罪の意識が無く、ただ自分自身を弁解しました。 それは、エデンの園での堕落以来、人の良心が信頼出来ない物となった事を表しています。 そのように、信頼出来ない、ゆがんだ良心はアダムから私達へと受け継がれて来たのです。  

しかし、それはもっとひどくなってきます。 人が罪を犯せば犯すほど、彼の良心は更に汚され損なわれます。 人が罪を犯すほど、その人の良心はあいまいになり、信頼できないものとなります。 彼らは、

“・・・かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである” (ローマ人への手紙第1章21節)。

そして、パウロの時代までには、人についての描写はこのようになりました、

“彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている”(エペソ人への手紙第4章18-19節)。

“・・・しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている”(テトスへの手紙第1章15節)。

そして、人々が罪を犯し続ける時、罪を更に犯す事によって、彼らは自分達の良心を麻痺させます、

“それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである”(テモテへの第一の手紙第4章2節)。

私は、 1950年代の初めに、母が私を連れて行ってくれたリングング・ブラザーズ・バーナム・サーカスの“見世物”の例を私はしばしば話します。 それはまだ木のくずを床に敷き、テントの下で行われていた頃です。 サーカスに入る前に、 “見世物ショー”での様々の奇妙なそして驚かされる見世物を見る為に入って行きます。 昔ならではの“見世物”が無くなってしまったのは、残念です。 それは昔ながらのテントの下での見事なサーカスの一部でした。

その“見世物ショー”で、私はワニの皮のような硬質な肌をした男性を見ました。 それは本物でした。 頭が二つある女性も見ました。 世界で一番背の高い男性も見ました。 そして、私は、剣が真っ赤に熱くなるまで炎の前に置いている男性を見ました。 そして彼は、その真っ赤に熱せれた剣を彼の舌に横たえました。 彼の口から蒸気が出てきました。私は彼の身近に行きました。 それはごまかしではありませんでした!  その人は、何の苦痛もなく、真っ赤に燃えた剣を実際彼の舌の上に置く事が出来たのです!  私の母は、彼がそれを何度も繰り返しているうちに、彼はまったく痛みを感じることがなくなったと私に教えてくれました。 彼の舌は、何度も焼かれているうちに、無感覚となってしまい、何の痛みも感じなくなってしまったのです!  なんともそれは“良心に焼き印をおされている”人々の描写ではないでしょうか!  言葉を変えて言えば、あなたが罪を犯すほど、あなたの良心は無感覚になり、罪の炎によって焼き印を押おされるように、あなたがいくら罪を犯しても、あなたの良心は何の苦痛も感じなくなってしまうのです。ヒットラーは長い間、罪を犯してきました。 第二次世界大戦までに、彼は冷酷な連続殺人者、ユダヤ人の子供達の腹を切り開き、彼らが死ぬまでどのくらい掛かるかを調べる事を好んで行いました。 メンゲール博士を使い、ユダヤ人の子供達の拷問を命令する事もしました。 ヒットラーは、彼の良心に少しの呵責を感じることなく、600万人のユダヤ人達を殺人ガスによって殺すよう命令しました。 それは単に彼らがユダヤ人であったからです。 同じように、ヘンリー8世は、無罪の自分の二人の妻達の頭を切り落とす事をしました。 その後で、彼は何の良心の咎めも無く、大食いし眠りにつきました。 正に、彼の良心に、“焼き印をおされて”いたのです!    

そして、あなた方が産まれた時、すでにあなた方の良心はゆがんでいた、と私達の教会の若者達に向かって私は警告しなければなりません。 あなた方の祖先アダムから、不完全な良心をあなた方は相続しています。  ですから、あなた方は子供の頃から、すでに完全に機能を果たさない良心を備えていたのです。 それに加えて、あなた方の子供の頃の罪もあります。 あなた方が母親にうそをつく度に、あなた方の良心は汚されました。あなた方が物を盗む度に、学校であなた方がカンニングする度に、あなた方がみだらな事にふける度に、あなた方の良心は徐々に汚れ、最終的に、あなた方は実に、良心に焼印をおされ始めたのです。 燃えた金具によって、あなた方は実に、良心に焼印をおされ始めたのです。 あなた方は顔に奇妙な微笑みを浮かべ、歯をむき出しに、笑いながら、教会では口に出す事も出来ないような、ひどい罪によって何度も何度もあなた方の良心に熱く燃えた罪の金具を使って、焼き印をおしています。 あなた方の何人かは、良心の咎めも無く罪を非常に楽しみながら、大胆に自分達の良心に焼き印を押しています。 私はそれらの罪を名指しする必要はありません。 あなた方はすでに、それらを弁えているはずです。 あなた方は、それらがどのように自分達の良心を麻痺させたか知っているでしょう。 あなた方は、それらがどのようにあなた方の不当な認識を鈍くさせたか知っています。 それは、あなた方が故意に良心を麻痺させ、故意に神の御前であざ笑い、あなた方が大胆に罪を犯し、あなた方のかつては柔和であった良心を堕落させたからなのです。 あなた方が拒絶へと手放され、許されない罪を犯したのではないか、とあなた方が何度も思った事は確かでしょう! 今、あなた方は私の所に来て罪を自覚するよう助けを求めています!何が私に出来るでしょうか? 堕落した良心を抱いているのはあなた方です。 あなた方自身の良心を麻痺させているのはあなた方です。自分自身の心を台無しにし、認識する事も出来ないほど、自分の良心を焼失した人に対して、私に何の助けがあなた方に出来るでしょうか?  私は無力です。私が出来るのはただ、前途、また望みも無い堕落した人間として、あなた方を哀れむ事だけです。 私はあなた方を哀れに思えるだけで、私はあなた方を助ける事は出来ません、なぜならあなた方はすでに運命付けられているからです。そうです、麻痺した良心を持つ人はすでに運命付けられており、罪に定められているのです。 イエスはこのように語られました、

“信じない者は、すでにさばかれている” (ヨハネによる福音書第3章18節)。

あなた方が後に死んで行く時、罪に定められるのでありません。 そうではなく、私があなた方を哀れむのは、あなた方は“すでに罪にさばかれている”(ヨハネによる福音書第3章18節)からです。 あなた方の焼き印され、無感覚となり、そして堕落した良心は、修復される事は出来ません。 そしてあなた方に望みは無いのです。 あたかもあなた方が、すでに地獄にいるように、“すでにさばかれている”のです。 そして私の言う事、また成す事等は、何としてもあなた方を助ける事は出来ません。

III. 最後に、神はどのようにされるのでしょうか?

もしかしたら、・・・私が“もしかしたら”と言ったことに注意を払ってください。  もしあなた方がそれを当然の事のように取るならば、あなた方へのさばきは倍増されます。 この事を当然のごとく取るならば、それは非常に、恐ろしく、危険な事です、ですから私は、神があなた方に罪の自覚を与えて下さるかもしれない、と言う事を非常に警戒して伝えます。 神は、誰にも罪の自覚を与えて下さる事は約束なさいません。もし神がいくらかの罪の自覚を以前に授けて下さったならば、神が再びそれをして下さる保証はありません。 多くの場合、いくらかの罪の自覚をかつて体験した事のある人達には、二度と神の御霊による訪れはありません。 しかしひょっとしたら、あなた方にいくらかの罪の自覚を授けて下さるかもしれません。

“・・・罪と義とさばきとについて・・・”
      (ヨハネによる福音書第16章8節)。

あなた方の拒絶、あざ笑い、軽蔑、そして愚かさに応じて、あなた方は一瞬の罪の自覚も値しないのです。 ですからもし神があなた方の罪に対する自覚を授けて下さるならば、あなた方の罪の意識をあたかもそれが金で作られたブリックレンガのようであるように、それを大切に重んじなさい。 もしあなた方が罪の自覚を失うならば、それは再びあなた方に戻って来ないかも知れません! 

神の御前に、物乞いのように来なさい! 万能の王はあなた方に何の恩義も無い事をわきまえながら、へりくだり、頭を低くして御前に来なさい! 今まで、あなた方は神の御顔に、あなた方の心中でつばを吐きました。 考えて見なさい!  あなた方はまさに自分達の態度を通してキリストの身顔につばを吐きかけました。 ですから、キリストはあなた方に対して何の恩義もないのです。 あなた方には、ただキリストの怒り、罰、そして地獄の炎の報いのみが値するのです。 そして今、あなた方は、心から“それが真実であり、神は私に何の恩義も無く、ただ地獄の炎のみが自分には値する。 それ以外の何も自分には値しない!”、と思っているかもしれません。 それならば、もしあなた方が恐ろしい裁きのみが、自分には値すると感じるならば、罪を犯した女性がキリストに来て彼の足に口づけしたように、私はあなた方がキリストに来るよう懇願します。 哀れな虫けらとしてキリストに来なさい。 ジョン・宋が彼の寮の部屋で夜間にキリストに来たように、泣き叫びながら、キリストに来なさい。 バニヤンとウィットフィールドなどは、哀れみを請うって、泣き叫びました。 キリストに来てあなた方の罪を告白しなさい。 ひょっとして、キリストはあなた方に哀れみを施されるかも知れません。 しかし私は、“ひょっとして”としか言えません、なぜなら、あなた方にとってその時がすでに過ぎ去っているかどうかは、確かではないからです。 あなた方はすでに罪を犯し、永遠に恵みの時を去っているかもしれません。 泣きすがってキリストに来なさい、あなた方の場合、彼がチャンスを下さる事は確信出来ませんが、ひょっとして、キリストはあなた方にもう一度チャンスを与えて下さるかもしれません。 ここの説教壇の前に出て来なさい。 ここに来てひざまずき、そして哀れみを請って泣きすがりなさい、そうすれば神はあなた方に答え、もう一度神の哀れみを受けるチャンスを与えて下さり、そしてキリストの聖なる御血であなた方を清めて下さるかもしれません。 聖書はこのよう教えています、“キリストの御血”のみが、

“わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか” (ヘブル人への手紙第9章14節)。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:テトスへの手紙第1章10-16節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Search Me, O God” (Psalm 139:23-24).

要 綱

良心と回心

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

“彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである” (ローマ人への手紙第 2章15節)。

I.   最初に、人間の良心とはどこから生じたか?
創世記第2章7節;箴言第20章27節;
サムエル記下第24章10節。

II.  次に、人間の良心に何が生じたか?
創世記第3章11-13節;ローマ人への手紙第1章21節;
エペソ人への手紙第4章18-19節;
テトスへの手紙第1章15節;
テモテへの第一の手紙第4章2節;
ヨハネによる福音書第3章18節。

III. 最後に、神はどのようにされるのでしょうか?
ヨハネによる福音書第16章8節;
へブル人への手紙第9章14節。