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初期の教会

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

THE EARLY CHURCHES
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年5月31日、主の日の朝の説教

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた”(使徒行伝第 20章7節)。

この聖句は、土曜日を聖なる日としている安息日再臨派や、その他の安息日を厳守する人達が正当ではない事を示しています。ローマ暦では、“一週の初めの日”は日曜日でした。 日曜日は今でも全てのカレンダーで週の最初とされています。 私達は日曜日を週の最後の日と見なしていますが、私達のカレンダーでは“一週の初めの日”として示されています。 安息日再臨派やその他の安息日を厳守する人達は、私達を旧約聖書の仕来りに戻らせ、土曜日である休息の時に礼拝する事を望んでいます。 土曜日の休息の時は、神が天地創造の第7日に休まれた事から由来しています。

“神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである”(創世記第2章3節)。

しかし、日曜日の“一週の初め日”は、キリストのよみがえり、そして新たな契約を由来としています。 キリストは日曜日である週の初めの日に死からよみがえられました。 キリストは日曜日の朝に死からよみがえられました。 キリストは死からよみがえられ、その日曜日の晩に、御自分の弟子達とお会いになりました。

その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた”
       (ヨハネによる福音書第20章19節)。

キリストは弟子達とお会いになり、日曜日である一週の初めの日、御自分が死からよみがえられたその同じ日の晩に、最初のキリスト教の集いを彼らと共にもたれました。

トマスが信じた、次の日曜日にもキリストは彼らと再びお会いになりました(ヨハネによる福音書第20章28-29節)。 ですから、初期のクリスチャン達は、キリストが死からよみがえられたその最初の日曜日から、キリストを礼拝した事が明白です。 私達のテキストで分かるように、何年か後にも、弟子達はそのように続けました。

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた” (使徒行伝第 20章7節)。

安息日再臨派そして他の安息日を厳守する人達は, 新たな契約をもたらす為にキリストが死からよみがえられた日に礼拝をせず、古い契約の安息日の慣例に従って、キリストのよみがえりを適切に崇めていません。 それは私達のテキストの最初の学ぶべき教訓です。

二番目の教訓は、若者達を引きつけるような教会を保つには、私達は使徒行伝で記録されているような初期の教会のやり方に戻らなければなりません。 初期の教会で行われた多くの礼拝は夜になされました。 チャールズ・ジョン・エリコット博士は、“初期の午後の賛美の習慣”(Charles John Ellicott, Ellicott’s Commentary on the Whole Bible, Zondervan, n.d., volume VII, p. 139)を指摘しています。 初期の教会は夜に祈祷会を行いました(使徒行伝第12章5, 6, 12節)。 彼らは、夜に神の言葉を語り、洗礼を夜に授けました(使徒行伝第16章29-34節)。 彼らは、夜に主の晩餐を取り、日曜日に共に食事をしました(使徒行伝第20章7, 11節)。 これは初期の教会で行われた主要な催しもの(アトラクション)でした。 彼らは日曜日の夜に、若者達へのアトラクションを催しましたのです! それは、まさに一世紀に何千人もの若者達が教会へと殺到した一つの原因なのです! ですから、現在私達も彼らの手本に見習うべきです! 今晩教会へ来ませんか! あなたもエンジョイするでしょう!

“互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」”
      (ヨハネによる福音書第13章35節)。

日曜日の夜に、初期のクリスチャン達が行ったように、今晩も、親睦を深めましょう! 私達が互いに愛し合っている事を皆に知らせましょう!  今晩、教会へ来ませんか! そして今日、日曜日の夜にも私達と食事を共にし、神の言葉を聞きましょう!

さて、この聖句(使徒行伝第20章7-12節)は、初期の教会の模範とやり方を私達に教えています。 もし彼らがしたように、私達の教会に若者達を加えたいならば、この聖句から私達が学ぶべき事が、少なくとも三つあります。 

I. 最初に、彼らは日曜日の夜に集いをした。

私達のテキストに注目してください。

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた” (使徒行伝第 20章7節)。

今晩、私は真夜中になるまで説教しません。 私は、50分ほど説教をし、それから親睦会を始めます。 まれに私の説教は長引きます。 かつてクリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)は、日曜日の夜に、聖書の端から端まで通して説教しました。 それは“The Scarlet Thread Through the Bible”と言う彼の有名な説教です。 1961年12月31日の日曜日の夜、テキサス州ダラスのファースト・バプテスト教会にて、彼は4時間半を通して説教しました。 それはすばらしい説教です。 あなた方もこの説教の題名にあるハイパーリンクをクリックして、それを聞く事が可能です。 トロアスの教会でのパウロの長い時間をかけての説教の録音があったならばと私は思います。 それはダラスでのクリスウェル博士による、その夜のすばらしい、記憶すべき4時間半をかけての説教以上にすばらしい説教であったに違いないと想像出来るでしょう。

しかし、使徒行伝第20章7節で注目すべき重要な事は、初期の教会は日曜日の夜に集いを行ったという事です! “一週の初めの日”はローマ暦では日曜日であり、今日のカレンダーにおいてもまた同様です。 その事に関して、バーノン・マックギー博士は、 このように述べています、

それは、彼らが日曜日に主の晩餐を成したと言う事である。それはパウロが彼らに説教したその日であった。初期の教会は一週の初めの日[日曜日]に集いをした。それは重要な日であった、なぜなら、それはイエスが死からよみがえられた日であったからである。天地創造に基づく第7日は、重要な安息日の日であった。それは天地創造においての事ある。 安息日にはイエスは墓の中で死んでいた。一週の最初の日[日曜日]にイエスはよみがえられた。私達はその日に集いをしている、なぜなら、現在私達はキリストに結びついているからである。 それが一週の最初の日[日曜日]についての証言である(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson, 1983, volume IV, p. 602)。

エリコット博士は、“そしてこの日[日曜日]、言うまでもなく日没後の晩に、彼らは共に集まった”(同著, p.138)と付け加えています。  初期の教会は日曜日の夜に集いを行いました。 それは非常に重要な事です。 それは彼らが多くの若者達を引きつける事に成功した一つの秘訣であると私は思います。

教会が年配の人達を中心に進めて行くならば、それは日曜日の夜の集いを止め、またそれをおろそかにする傾向にあります。 しかし、もし私達が、18歳から30歳までの若者達を引きつけようと願うならば、使徒行伝で描かれているような、活気のある日曜日の夜の集会を、私達は行わなければなりません。 今晩、教会へ来なさい! あなた方も説教や親睦を楽しむことでしょう! 一人でいるのではないでしょう? 日曜日の夜、教会へ来なさい! 今晩もまた戻って来なさい!

II. 次に、彼らは日曜日の夜に説教を聞いた。

その夜の使徒パウロの説教は、日曜日の朝に彼が成すどの説教よりも明らかに深刻なものでした。 そして、日曜日の夜に聖書からのより深刻な話題を説く事は、重要な事であると私は思います。 日曜日の午前に私達は理解しやすい説教をしますが、日曜日の夜には聖書に関して深く追求して話します。私は今晩、回心について話します。 あなた方も今晩教会に来て、私達と共にこのすばらしい主題について学びませんか! それはあなた方の信仰をより深めることでしょう!  今晩、パウロのように長引く説教はしない事を私は約束しますが、あなた方が考慮すべき事を説教するよう努めます。 

いかなる場合にも福音を説教する事は重要であると私は信じます。パウロはこのように述べています、

“なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである” (コリント人への第一の手紙第2章2節)。

私は全ての説教で福音のメッセージを中心とするように努めています。 しかし、日曜の夜はより深く、福音の言とそれに関連する主題に入ります。

私の牧師(Dr. Timothy Lin)は、よくこのような引用を言われました、

主の日の一日中を真に主に属するものとして守る。午前に神を創造者として礼拝する事を始め、午後の集会において、神を天なる父として崇めよ(The Testimony of a Shepherd, 1994, p. 8)。

1960年代、1970年代に、リン博士が引用していた事は正しいと思います! もし私達が若者達を引き寄せ、弟子としたいならば、私達は日曜日の夜に活気があり、興味深く、そして彼らにとって為になる集会を催さなくてはなりません!

III. 最後に、彼らは日曜日の夜にすばらしい親交の場をもった。

使徒行伝第20章11節では、

“そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した”
      (使徒行伝第20章11節)。

ハミエソン、ファウセッツ、そしてブラウンはこう語っています、

そのような境遇の中での、親愛なるクリスチャンの自由で喜ばしい親交の記録は、何と真に迫ったものであろうか。それは厳粛なものであったに違いない (A Commentary on the New Testament, Eerdmans, 1976, volume III, p. 147) 。

彼らが食事を共にし“長いあいだ人々と語り合っ”たのが、この日曜日の夜だけであったと考えるべきではありません。 いいえ違います、このことはしばしば起こっています。 使徒行伝第2章46-47節によれば、初期の教会では毎週日曜日の夜に、このような親交をもっていたのです。 ですから、次の聖句に驚くことはありません、

“そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである”
      (使徒行伝第2章47節)!

二世紀に、ジャスティン・マーター(Justin Martyr/西暦100-165)は、これらの初期のクリスチャンは、彼らが“主の日”と呼ぶ日曜日に集会をもったと言っています。 そして、“全ての、町であろうが国であろうが、宗教的礼拝のために一つの場所に集まった”(使徒行伝第20章7節の注解として、ジョン・ギル博士により引用された)と言っています。

マチュー・ヘンリー(Matthew Henry)は、初期のクリスチャンはすばらしい親交をもっていた、と語っています。

彼らは互いに愛し合い、そして思いやりを抱いた。 彼らの慈愛心は、彼らの敬神と同様、卓越したものであった。 そして、互いに神聖な儀式に参加することにより、彼らの心を結び付けた。 それは、彼らを互いに慕わせた(使徒行伝第2章46-47節の注解)。

これらの人々は、日曜日の朝、数時間だけ“教会へ行った”のではありません! 彼らは週に数回、特に夜、お互いに合いました。 彼らは、説教を聞き祈りをしたりしましたが、その時間をそれだけに費やしたと思ってはいけません。 彼らは“長いあいだ人々と語り合”ったのです(使徒行伝第20章11節)。 私達にとって、教会に集い“長いあいだ”語りあうことは大事なことなのです。 お互いに語り合うことは必要なことなのです。 これが教会を第二の家庭にする一つの手段です。 私達は教会に来る事が好きです、そうしてお互いに座り“長いあいだ”語り合うのです。

一歩外へ出ると、そこには、冷めたさびしい世界があります。 数千の人々がいますが、誰一人としてあなたに注意を払ってくれる人はいません。 多くの時、あなたは孤独を感じるでしょう。 家に帰っても、クリスチャンでない両親は忙しすぎてあなたと話をする時間をもってくれません。 あなたは、テレビやコンピューターの前で一人さびしく座るだけです。 多くの若者達は、多くの時、孤独を感じています。 最近の世論調査では、孤独さは、今日の若者達が直面している最も大きな問題であると言っています。

あなた方は今までにこのように感じたことはありませんか? あなた方は、今日の多くの若者達にとりつくうずくような孤独さを感じたことはありませんか? ある若者が私にこう語りました、“自分は泣き出したいほど孤独です、どうしたらよいかわかりません”と。 何をすべきか言いましょう、教会に来なさい! 今夜、そうしなさい! 来週の日曜日にそれをしなさい! 教会に来なさい、そうして私達は一緒に座り、話をし、“長いあいだ”親交をもちましょう。 それが、クリスチャンの親交そのものなのです! 毎週、教会に来なさい! そうして、今夜戻ってくるようにしなさい! それをしなさい!

パウロが説教をしている時に眠りに落ち込んだ若者について、私は話をしようと思いましが、どうやら残された時間が無いようです! あなた方は彼のようになるべきではないことを話せば十分でしょう! あなた方が今夜戻って来たとき、眠りに落ちないよう私は全力を尽くしましょう! そして、あなた方は今夜の説教に注意を払って聞くようにしなさい。 それはあなた方の人生を変えることでしょう!

一世紀のクリスチャンは、説教を聞くために日曜日の夜集会をもちました、そして、各々親交を深めたのです。 当時、数千人の若者達が教会に流れ込んだのも理解できます!

あなた方が、私達の教会を可能な限り初期の教会のような教会にするのを手助けしてくれたら、と私は願っています。 そして、あなた方がイエス・キリスト受け入れ、回心することを私は願い祈っています。 キリストはあなた方の罪の罰を贖うために十字架で亡くなられました。 キリストは、あなた方に永遠の命を与える為に身体ごと死からよみがえられました。 キリストはあなた方のために今天国で、神の右座で祈られています。 キリストに来て、彼の御血でもって罪から清められなさい、そして、神の御力によってキリストに回心しなさい。

“しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである”
       (ヨハネによる福音書第1章12節)。

そうして、彼があなた方の為にも同じ様にそうされるでしょう!

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読: 使徒行伝第20章6-12節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Blest Be the Tie” (by John Fawcett, 1740-1817).

要 綱

初期の教会

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた”(使徒行伝第 20章7節)。

(創世記第2章3節;ヨハネによる黙示録第20章19, 28-29節;
使徒行伝第12章5, 6, 12節;第16章29-34節;第20章11節;
ヨハネによる福音書第13章35節)

I.   最初に、彼らは日曜日の夜に集いをした。使徒行伝第20章7節。

II.  次に、彼らは日曜日の夜に説教を聞いた。
コリント人への第一の手紙第2章2節。

III. 最後に、彼らは日曜日の夜にすばらしい親交の場をもった。
使徒行伝第20章11節;第2章46-47節;
ヨハネによる福音書第1章12節。