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よみがえられたキリストによる新生

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

THE NEW BIRTH – BY THE RESURRECTED CHRIST!
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2009年3月1日、主の日の朝の説教

“ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。 神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ”(ペテロの第一の手紙第 1章3節)。

“生まれさせて”と訳されている本来のギリシャ語は、“新たにする、再び生まれさせる”(Fritz Rienecker, Ph.D., The Linguistic Key to the New Testament, Zondervan Publishing House, 1980, p. 744; note on I Peter 1:3)と言う意味です。 その言葉は、“イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、その手段によって”(R. C. H. Lenski, D.D.の翻訳, The Interpretation of the Epistles of St. Peter, St. John and St. Jude, Augsburg Publishing House, 1966 edition, p. 29)神は、私達を新たに生まれさせると言う意味です。 ギリシャ語は“anagennésas”です。 リンスキー博士(Dr. Lenski)は、“第23節で用いられているこの動詞は、‘新たに霊的な命へ、霊的に生まれさせられた’という意味で、これが、ヨハネによる福音書第3章3節で示されている新生なのです”(Lenski、同書)と語っています。

“父なる神・・・イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、わたしたちを生まれさせ[新しく生まれさせられた]・・・”。

“わたしたちを生まれさせ”。“わたしたち”という言葉は、よみがえられた主を目にした使徒達だけでなく、使徒ペテロとその読者達をも示しているのです(Lenski, p. 32)。新生を体験した全ての人は、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ“、その手段により”生まれさせられました。

ペテロの第一の手紙第1章3節について、トーザー博士(A. W. Tozer)は、“[ここで示されている]新生は、奇跡―大いなる奇跡である!”(A. W. Tozer, D.D., I Call It Heresy, Christian Publications, Inc., 1974, p. 34)と言っています。 この新生という奇跡は、あなた方の決心によって生じたのではありません。 それは求める事、もしくはあなた方のどのような意志によって生じたのでもありません。 新生は“イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ”ることにより生じるものなのです。 “それにより”と訳されている本来のギリシャ語は、“dia”です。 それは“それゆえに”もしくは“その手段により”(Strong)と言う意味です。 ですからレンスキー博士は、“イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、その手段により”というふうに解釈しています。 新生の根拠はよみがえられたキリストにあるのです!

ペテロがこのように言ったのも、驚く事ではありません。 ペテロの説教のすばらしいテーマは、キリストの復活でした。 私達は使徒行伝に記録されている彼の説教によってそれを理解します。 五旬節(ペンテコステ)の日の説教で、彼はこのように語っています、

“このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである”(使徒行伝第2章32節)。

イエスの復活は、ペテロの思考と説教の中心となるテーマでしたが、常にそうではありませんでした。

I. 最初に、ペテロはキリストの復活を拒否していた。

キリストの復活は、ペテロの説教のテーマとなりました。彼自身、自分が“イエス・キリストを死人のなかからよみがえらせ、それにより”新しく生まれ変わったことを知っていました。 キリストの受難とよみがえりは、彼が正に拒否していた事でした

“この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った” (マタイによる福音書第16章21-22節)。

マックギー博士はこのように述べています、

ペテロは、“あなたはメサイアです;あなたは神の御子です。 あなたは十字架へつけられるべきではありません!”と言わんとしている。ペテロは受難についてまったく思ってもいなかった事が理解出来る(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume IV; note on Matthew 16:22)。

II. 次に、ペテロは、キリストの復活を理解していなかった。 

繰り返しますが、イエスがペテロと他の弟子達に語られた時、キリストの受難とよみがえりについて、彼らは理解していませんでした。 

“一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。 彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中からよみがえるとはどういうことかと、互に論じ合った
      (マルコによる福音書第9章9-10節)。

マッカサー博士は、このように適切に言っています、

彼らを困惑させたのは、イエス御自身のよみがえりは切迫しており、従って、彼の死もそうである事のイエスによる暗示であった。 使徒の困惑は、彼らはイエスの救い主としての奉仕を理解していなかったことをより証している(John MacArthur, D.D., The MacArthur Study Bible, Word Bibles, 1997; note on Mark 9:10)。

それはペテロと他の弟子達は、福音をまだ理解していなかったという事です!

“それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。 しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた” (マルコによる福音書第9章30-32節)。

マックギー博士は、このように述べています、

イエスは常に、御自分の死とよみがえりを連結させられていた事に気づくであろう・・・イエスが彼の死とよみがえりについて彼らに話されたのはこれが最初ではない、それでも彼らは理解しなかった(McGee, ibid; note on Mark 9:30-32)。

III. 最後に、ペテロはキリストの復活を聞かされた時、心を痛めた。

“彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。 弟子たちは非常に心をいためた”
      (マタイによる福音書第17章22-23節)。

先週の水曜日に、私達はカトリック、ルター派教会、そしてアングリカン・プロテスタント教派が“受難節”と読んでいる時期に入りました。 “受難節”の前日に、彼らは腹いっぱい食べます。 そして彼らはそれを“Fat Tuesday(ファット・チュ-ズデイ)”または“懺悔火曜日”と読んでいます。受難節は“聖灰の水曜日”に始まり、そして復活祭の日曜日まで続きます。それは復活祭に備えての断食と“心構え”の期間なのです。にもかかわらず、受難節に断食を習慣とする多くの人達は、ぺテロと他の弟子達がもったような悲しみを体験しているだけなのです。

多くのバプテスト教徒そして福音主義者達は更にこれよりも劣っているのではないでしょうか。 彼らはしばしば、復活祭に関して何とも感じていません! 彼らは、キリストの苦しみ、そして死について全て忘れているように思えます。 また、マイケル・ホートン博士(Dr. Michael Horton)が、彼の新しい本(Christless Christianity: The Alternative Gospel of the American Church, Baker Books, 2008, pp. 29-30) の中で指摘しているように、復活祭でのキリストのよみがえりは、心理的な“高揚”をもつこと以上の何の時でもないのです。 

ペテロと他の弟子達は、イエスが話されたのを聞いて“非常に心をいためた”(マタイによる福音書第17章23節)のです。

“「・・・彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」”
      (マタイによる福音書第17章23節)。

マックギー博士はこのように述べています。

イエスが弟子達に、彼の死とよみがえりについて語られたのは、これで三回目である・・・今、キリストはエルサレムへ行く途中のガラリヤにおられ、もう一度それを話された。 [ペテロと]弟子達が出来たのは、心を痛めることだけであった(McGee, ibid., p. 97; note on Matthew 17:22-23)。

ペテロは魚を捕らえる網を捨ててキリストに従いました。 彼は二年間以上もの間、キリストと共にいました。彼は、理解するに十分なある啓蒙を神から授かってもいました、

“「あなたこそ、生ける神の子キリストです」”
        (マタイによる福音書第16章16節)。

そして、イエスはペテロにこう言われました、

“この事をあなたにあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である” (マタイによる福音書第16章17節)。

それであるのに、まだペテロは福音を信じていませんでした。 彼は神からのある啓蒙を授かっていましたが、彼はイエスが十字架で死なれる事そして身体ごと死からえみがえる事は信じていませんでした。 彼は最善を尽くしてイエスに従おうとしていましたが、彼はまだ新たに生まれ変わってはいませんでした。彼は、断食をし、祈り、そして自分自身をむちうち、クリスチャンとして生きるために努力していたマーチン・ルーテルのようであり、クリスチャンになろうと奮闘したジョージ・ウィットフィールドのようであり、クリスチャンの生活を試みていたウェスリー、そしてジョン・バニアンのようでした。 しかし、彼らが生まれ変わる以前に福音を理解していなかった以上に、彼も理解していなかったのです。 彼には復活されたキリストの体験はなかったのです。 ですから、彼は、ルーテル、ウィットフィールド、ウェスリー、そしてバニアンが新たに生まれ変わる前にしくじったように、彼もそうでした。 彼らがイエスを捕らえ、十字架につけるために連れて行った時、ペテロは、同じようにしくじったのです。ペテロは、

“彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。 するとすぐ鶏が鳴いた。 ペテロは・・・外に出て激しく泣いた” (マタイによる福音書第26章74-75節)。

ペテロはキリストに従おうと努めましたが、彼は福音を信じていませんでした。 彼は完全にしくじり、“外に出て激しく泣いた”のです。

彼らはイエスを十字架につけました。 イエスは人の罪を償なわれました。 彼はひとを罪から清めるために御自分の御血を流されました。 彼らはイエスの死体を墓の中に置きました。 彼らは墓の入り口に巨石を転がし置きました。 彼らは石に封印をし、“墓の番をさせた”(マタイによる福音書第27章66節)のです。三日後の朝早く、イエスは死から身体ごとよみがえられたのです。

“〔ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕” (ルカによる福音書第24章12節)。

ペテロはイエスがよみがえられた事に対して、まだ確かではありませんでした。 マックギー博士は、“シモン・ペテロはしばらくの間その事を考えなければならなかった”(McGee, ibid., p. 375; note on Luke 24:12) 。それは日曜日の早朝のことでした。

“その日、すなわち、一週の初めの日の夕方[復活祭の日曜日の晩]、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。 弟子たちは主を見て喜んだイエスはまた彼らに言われた、「安かれ。 父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。”
      (ヨハネによる福音書第20章19-22節)。

マックギー博士は言われました、

ヨハネの福音書第14章16節でイエスは、“わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう”と言われる。 シモン・ペテロは、イエスが自分はキリストであると言われた時、ある認識を示したことは真実であるが、数分後に彼はイエスに、死ぬために十字架に行く事をしないよう話した。私は個人的に私達の主が彼らに息を吹きかけ“聖霊を受けよ”と仰せになったその瞬間、これらの人達は再生[新たに生まれ変わり]させられたと信じる。(McGee, ibid., p. 498; note on John 20:21) 。

ペテロは、よみがえられたキリストに出くわした復活祭の日曜日の夜に“新生”したことを、生涯にわたり覚えていました。五旬節(ペンテコステ)の日に、彼がキリストの復活について説教をした理由がそれです。 使徒行伝に記録されているペテロの説教のテーマが、よみがえられたキリストである理由がそれなのです。 ペテロが神について次のように言った理由がそれなのです、

“イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ”
      (ペテロの第一の手紙第1章3節)。

あなたがイエス・キリストの復活により生れ変わる時、あなたのその体験はペテロの体験と同じようなものとなるでしょう。彼は使徒となるのに、奮闘しました。 彼はクリスチャンの生き方をしようと努力しました。 しかし、彼は失敗しました。 彼は自分の朽ちた罪深い状態を自覚し、自分の罪に対し苦悶し、そして泣きました。 彼は心に悲しみを抱いて暗闇の中にいました。 キリストは死からよみがえり、彼に現れました。ペテロは、“イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ”(ペテロの第一の手紙第1章3節)、それにより、新たに生れさせられました。 しかし、新生が起こる前に、イアイン・ムレーが言ったように、“ひとはまず謙遜しなければならない”のです(Iain H. Murray, Jonathan Edwards: A New Biography, Banner of Truth Trust, 1992 edition, p. 131)。 あなたは謙遜しこころが打ちひしがれなければなりません。 あなたは自分自身が完全に堕落した者であること-あなた自身の罪―あなた自身の無力さ―神の怒りをかうあなた自身の罪悪さ―そして、あなた自身が永遠の罰の中にいる定め、とを感じなければなりません。 自分の罪の重さを非常に深く感じる時、あなたは“新生”を体験するでしょう。 そうして、“神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、(あなた)を新たに生れさせて生ける望みをいだかせ”(ペテロの第一の手紙第1章3節)るでしょう。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:ペテロの第一の手紙第1章1-9節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Alive Again” (by Paul Rader, 1878-1938).

要 綱

よみがえられたキリストによる新生

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

“ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。 神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ”(ペテロの第一の手紙第 1章3節)。

(使徒行伝第2章32節)

I. 最初に、ペテロはキリストの復活を拒否していた。
マタイによる福音書第16章21-22節。

II. 次に、ペテロはキリストの復活を理解していなかった。
マルコによる福音書第9章9-10, 30-32節。

III. 最後に、ペテロはキリストの復活を聞かされた時、心を痛めた。
マタイによる福音書第17章22-23節;第16章16, 17節;
第26章74-75節;第27章66節;ルカによる福音書
第24章12節;ヨハネによる福音書第20章19-22節;第14章16節。