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空中に引き上げられる事についての警告

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

A WARNING ABOUT THE RAPTURE
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2008年11月9日、主の日の晩の説教

“またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。”
(ヨハネによる福音書第14章3節).

私達はキリストが戻って来られる日、またその時を知る事は出来ません。 キリスト御自身が、“その日、その時は、だれも知らない。 天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる”(マタイによる福音書第24章36節)と言っています。

しかし、キリストの来臨が近づいていることを示す印が多くあります。 私達は、歴史のクライマックスに、そしてキリストの来臨に急速に近づいています。 キリストはこのように述べています、

“そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい” (マタイによる福音書第24章33節)。

全ての“しるし”は、キリストの来臨が戸口まで近づいている事を示しているように思えます。 彼は直ぐにでも戻って来られるでしょう。

1.  自然現象による前兆(マタイによる福音書第24章7節):飢きん、地震、疫病・・・。

2.  否定的な霊的前兆:偽のキリストと[不法な]預言者達・・・(マタイによる福音書24章24節)、[教会]内の背教、異端の普及(テモテへの第二の手紙第3章5節;4章1-4節)、宗教と経済による世界規模の策略(ヨハネの黙示録第17章18節)、[クリスチャン]への迫害(マタイによる福音書第24章9-10節;マルコによる福音書第13章9節、11章13節;ルカによる福音書第21章12-19節)、悪霊の特発とオカルト宗教による活動(テモテへの第一の手紙第4章1節)。

3.  肯定的な霊的前兆:・・・世界にあまねく福音伝道(マタイによる福音書第24章14節;マルコによる福音書第13章10節)、聖書による予言の理解(ダニエル書第12章4節、第8章9節)。

4.  世界の政治上の前兆:・・・戦争と戦争のうわさ(マタイによる福音書第24章6-7節;マルコによる福音書第13章7-8節;ルカによる福音書第21章10節)、ヨーロッパ再結合(ダニエル書第2章41-44節;第7章8節;第24章25節;第9章26節)。

5.  加速化している前兆:人口の激増(ヨハネの黙示録第9章15-16節)、知識の増進(ダニエル書第12章4節)、暴力行為の増加(マタイによる福音書第24章12節)。

6.  イスラエルにおける前兆:ユダヤ民族の帰還(イザヤ書第11章10-12節;エゼキエル書第37章1-12節)、国家の再建(ザカリヤ書第12章1-6節)、他

(David R. Regan, Ph.D., “The Signs of Our Lord’s Return,” The Tim LaHaye Prophecy Study Bible, AMG Publishers, 2000, p. 1127).

私達はキリストの来臨の日、またその時を知る事は出来ません。 しかし、それらの“しるし”は、キリストが直ぐにも来臨される事実を指しています。 イエスは来臨されます、そして彼は直ぐにも来られる―この事は確実です。 イエスはこのように言われました、

“そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。 わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである” (ヨハネによる福音書第14章3節)。

これは、神学者達が呼ぶ“引き上げられる事”- 真のクリスチャン達が空中でキリストにあう為に、上げられる出来事を指しています。 今晩、私は その空中に引き上げられる事について、私達に語られている聖書の三つの聖句を見てほしいと思います。 

I.  最初に、真のクリスチャンは空中でキリストに会う為に引き上げ
られると、聖書は私達に伝えています。

テサロニケ人への手紙第4章16-17節を開いて、立ってそれらの二つの節を朗読して下さい。

“すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。 その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう”
       (テサロニケ人への第一の手紙第4章16-17節)。

着席して下さい。

これらの節は、キリストが地上に戻って来られる事を伝えているのではない事に気をつけて下さい。 彼は後にオリブ山の上に下って来られます。 それは適切に“第二の来臨”と呼ばれています。 しかし、空中に引き上げられる事が最初に起こります。 そしてその出来事はこれらの二つの節に示されています。

キリストは天から地上の大気空中に下って来られます。 “キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり”(テサロニケ人への第一の手紙第4章16節)。 何世紀を通しての、クリスチャンの死んだ身体がよみがえり、空中でキリストに会うのです。 “それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう”( テサロニケ人への第一の第4章17節)。 キリストへ真に回心している人達は、キリストに会うために“引き上げられる”でしょう。 旧約聖書では、“エノクは死を見ないように天に移された”(へブル人への手紙第11章5節)。 そして、“エリヤはつむじ風に乗って天にのぼった”(列王紀下第2章11節)。 エノクとエリヤは、空中に引き上げられる事のタイプ(予型)であり、真のクリスチャン達が“引き上げられ、空中で主に会い”(テサロニケ人への第一の手紙第4章17節)、その時に起こるであろう事の描写なのです。 

喜び!楽しみ!我ら死ぬこと事無くして上げられるとは、
   病無く、悲哀無く、恐怖無く、そして泣く事も無くして、
我らの主と共に栄光へと空中に引き上げられ、
   イエス・キリストが“御自分の民”を受入れられる時には、
主イエスよ、どれ程、どれ程、
   我らが喜びの歌を唱えるまで、
キリストは再臨される!ハレルヤ!ハレルヤ!アーメン。
   ハレルヤ、アーメン。
(“Christ Returneth” by H. L. Turner, 1878)。

“またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう”(ヨハネによる福音書第14章3節)。

II. 次に、空中に引き上げられる事は一瞬に起こると、聖書は私に
伝えています。

コリント人への第一の手紙第15章51-54節)を開いて下さい。

“ここで、あなたがたに奥義を告げよう。 わたしたちすべては、眠り続けるのではない。 終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである”
       (コリント人への第一の手紙第15章51-54節)。

“ここで、あなたがたに奥義を告げよう。 わたしたちすべては、眠り続けるのではない。 終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる”( コリント人への第一の手紙第15章51)。 クリスウェル博士(Dr. Criswell)は、“‘奥義’は、人が人間の英知によって識別する事の出来ない真実を明らかにさせた”と書いています( W. A. Criswell, Ph.D., The Criswell Study Bible, Thomas Nelson Publishers, 1979, note on I Corinthians 15:51)。 これは引き上げられる事の“musterion(マステリオン)”“奥義”です。 それは神御自身によって明らかにされなければならなかった真実なのです。 それが奥義と呼ばれているのは、私達が人間の推論で理解できるような事ではないからです。 それは神御自身によって表示されなければならなかった事実なのです。

“わたしたちすべては、眠り続けるのではない”(コリント人への第一の手紙第15章51節乙)。 全てのクリスチャンが死ぬのではなく、“一瞬にして変えられる”のです。 死んだクリスチャン達、そしてまだ死んでいないクリスチャン達は、“変えられる”、変形させられる、また“特異”にさせられるのです(Strong)。

“ 一瞬にして、まばたきをする間に”、“最も微量の期間・・・一瞬の内、秒の分数ほどの内に”とマクギー博士(Dr. McGee)は言っています( J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume V, p. 80)。

その微量の期間について、クリスウェル博士はこのように書いています、

キリストに死んだ者達は、よみがえられ、そして称讃されるであろう。 まだ生きているクリスチャン達は空中に上げられ、即座にして、主のよみがえられた身体のように、永久なる、朽ちる事の無い、栄光なる身体へと変えられるであろう(同著)。

死んだクリスチャン達の人間なる身体は、まだ生きているクリスチャンの身体と同様、死からよみがえったキリストの身体のように瞬間的に、変えられのです。 

“愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。 そのまことの御姿を見るからである” (ヨハネの第一の手紙第3章2節)。

それが、キリストよりもだいぶ以前にヨブが預言した偉大な出来事、空中へ引き上げられる事なのです。 ヨブはこのように言いました、

“わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう。 しかもわたしの味方として見るであろう。 わたしの見る者はこれ以外のものではない。 わたしの心はこれを望んでこがれる” (ヨブ記第19章26-27節)。

それは昼間であるかも、黄昏時であるかもしれない、
   それは、もしかしたら、暗闇なる真夜中かもしれない。
   イエスが“御自身の民”を受入れられる時、
イエスの栄光なる輝きのきらめきへと突発するであろう。
   (“Christ Returneth” by H. L. Turner, 1878).

私達はイエスを仰ぎ見るであろう
   私達はイエスを仰ぎ見るであろう
彼の栄光のなかで、 直に
   私達はイエスを仰ぎ見るであろう
直に、私達の救い主を!! 私達の主を!
   (“We Shall Behold Him” by Dottie Rambo, 1934-2008).

III. 最後に、空中に引き上げられる機会を見逃してはならないと、
聖書は私達に伝えています。

ルカによる福音書第17章34-36節を開いて下さい。 立ってそれらの節を朗読して下さい。

“あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」”(ルカによる福音書第17章34-36節)。

着席して下さい。 私は1960年代後半に歌われたこの歌を思い出します。 空中に引き上げられるその時が、今日更に近づいています。

人生は武器と戦いで満ち、
全ての者床に踏みつけられた。
私達全ての者がその準備を出来ていたら。
子供達は死に、日増しに寂れていく、
一切れのパンが一袋の金の値打ちになる、
私達全ての者がその準備を出来ていたら。

夫とその妻は床で眠る、
雑音で目覚めた妻は、夫が消えてしまったのを知る。
私達全ての者がその準備を出来ていたら。
丘を歩く二人の人、
一人は消え、もう一人は残される、
私達全ての者がその準備を出来ていたら。

心を入れ替える時間はない、
いつまであなたは盲目でいられようか?
救い主は呼んだが、あなたは聞かない、
御子は来るとき、あなたは残される。
あなたは残される、あなたは残される。
   (“I Wish We’d All Been Ready” by Larry Norman, 1947-2008;
      chorus slightly altered by Dr. R. L. Hymers, Jr.)

私は、この歌のコーラスの部分を編詞しました。 私は、コーラスの三番目である“父は話し、悪魔は食につく”の意味が理解できないからです。 それを“救い主は呼んだが、あなたは聞かない”に変えました。 これの方が、より意味を成すように思います。

分かりますか、イエスが“御自身の民”を受け入れられる時、あなたは残される理由が、それなのです。 イエスは“御自身の民”のためにだけ来、他の人のためには来ません。 もしイエスがあなたに彼に来るよう様に呼びかけ、あなたはその呼びかけを拒否し、彼に来ないあらば、あなたは後に残されるでしょう―なぜなら、イエスは“御自身の民”を空中に引き上げられるためにだけ来ているからです。 他の人のためにではありません。

イエスの呼びかけを拒否する人達は、空中に引き上げられる準備が出来ていないのです。 ルカによる福音書第17章34-36節とマタイによる福音書第24章40-41節は、空中に引き上げられることとは関連がないと言う、署名な注解者がいるのは知っていますが、彼らは間違っていると私は思います。 次のように言ったライス博士(Dr. John R. Rice)に、私は同意します。

この聖句は空中に引き上げられる事について語っていると私達は思う・・・だが、ここには反論が存在する。  生きている聖者は変えられ、亡くなったクリスチャンはよみがえる。クリスチャンは空中に引き上げられ、救われていない者は残される。救われた者の空中に引き上げられるその際にも、救われていない者は取り残される・・・。[ルカによる福音書第17章34節]34節は、イエスが来るとき、地上のある地域は夜である事を示している。 すなわち、床に居る二人の人の内、一人は取り上げられ、もう一人は取り残される。35節は、ある地域では朝にそのことが起こるであろうことを示している。 すなわち、その日のパンを作る女達、一人は取り上げられ、もう一人は取り残される。36節は、それは日中に起こるであろう事を示している。 すなわち、田畑で働く二人の男達、一人は取り上げられ、もう一人は取り残される・・・そのように、キリストはそれが夜であり、朝であり、日中である事を知っていた。この聖句は明白に、当時の人々には知られていなかった地球の公転を示している(John R. Rice, D.D., Litt.D., The Son of Man: A Verse-by-Verse Commentary on Luke, Sword of the Lord Publishers, 1971, pp. 421-422) 。

聖書が、空中に引き上げられる事について警告をしている理由が、それなのです。 キリストに来る事を拒む人は、準備が出来ていません、そして“空中で”(テサロニケ人への第一の手紙第4章17節)キリストに会うために引き上げられないでしょう。 彼らは取り残されるのです―そして、その次に続く大いなる苦難の時を通して、反キリストによる怖ろしい迫害に直面するのです。 彼らは大いなる痛みを経験し、今までに話された事のないような苦しむに遭うのです―なぜなら、まだ時間があったのに、彼らはキリストに来る事を拒否したからです。

あなたは、空中に引き上げられるその準備が出来ていますか? もしあなたがキリストに“いいえ”と言うのであれば、あなたは準備が出来ていません。 もしあなたが彼に来る呼びかけを拒否したのであれば、あなたは救われないでしょう。 空中に引き上げられる時がくる時、あなたはその準備がさせていないでしょう。 それゆえ、イエスに来る事を私は急き立てているのです。 彼はあなたの罪の贖いのために十字架で亡くなりました。 彼は、神のご覧になるあなたの罪を清めるために自らの御血を流されました。 あなたが彼に来る事を、心を尽くしてあなたにお願いします。 預言者のイザヤはこのように言いました、

“あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ” (イザヤ書第55章6節)。

私か執事の方達に、カウンセリングをお願いしなさい、そしてあなたがキリストに来る手助けをしてもらいなさい。 あなたがすぐにそうする事を願って。 時間は刻々と過ぎ去っています、そして、時間は限られているのです。

“そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから” (ルカによる福音書第13章24節)。

グリフィスさん、ここに来てもう一度先ほどの歌(“I Wish We’d All Been Ready”)を歌ってください。 彼が歌っている時、その歌詞を注意をして聴いてください。

人生は武器と戦いで満ち、
全ての者床に踏みつけられた。
私達全ての者がその準備を出来ていたら。
子供達は死に、日増しに寂れていく、
一切れのパンが一袋の金の値打ちになる、
私達全ての者がその準備を出来ていたら。

夫とその妻は床で眠る、
雑音で目覚めた妻は、夫が消えてしまったのを知る。
私達全ての者がその準備を出来ていたら。
丘を歩く二人の人、
一人は消え、もう一人は残される、
私達全ての者がその準備を出来ていたら。

心を入れ替える時間はない、
いつまであなたは盲目でいられようか?
救い主は呼んだが、あなたは聞かない、
御子は来るとき、あなたは残される。
あなたは残される、あなたは残される。
   (“I Wish We’d All Been Ready” by Larry Norman, 1947-2008;
      chorus slightly altered by Dr. R. L. Hymers, Jr.)

真剣にクリスチャンになろうと考えている人は、毎週の日曜日、そしてクリスマスと元旦の日に教会に来るようにしなさい。 この“ホリデー”シーズンには、毎週日曜日に教会に来る事を、今心に決めておきなさい。

罪からの救いのために、イエスに来ることのカウンセリングを希望する人は、部屋の後方に行きなさい。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:テサロニケ人への第一の手紙第4章13-18節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Christ Returneth” (by H. L. Turner, 1878)/
“We Shall Behold Him” (by Dottie Rambo, 1934-2008).

要 綱

空中に引き上げられる事についての警告

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。”
(ヨハネによる福音書第14章3節)

(マタイによる福音書第24章36, 33節)

I.   最初に、真のクリスチャンは空中でキリストに会う為に引き上げ
られると、聖書は私達に伝えています。
テサロニケ人への第一の手紙第4章16-17節。

II.  次に、空中に引き上げられる事は一瞬に起こると、聖書は私に
伝えています。コリント人への第一の手紙第15章51-54節;
ヨハネの第一の手紙第3章2節;ヨブ記第19章26-27節。

III. 最後に、空中に引き上げられる機会を見逃してはならないと、
聖書は私達に伝えています。ルカによる福音書第17章34-36節;
[マタイによる福音書第24章40-41節];
イザヤ書第55章6節;ルカによる福音書第13章24節。