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偽のキリスト達―この世の終わりのしるし―その2

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

FALSE CHRISTS – A SIGN OF THE END – PART II
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2008年10月19日、主の日の晩の説教

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”(マタイによる福音書第24章24節)。

弟子達はキリストに“あなたがまたおいでになる時や、の終りには、どんな前兆がありますか”(マタイによる福音書第24章3節)と尋ねました。

キリストは、彼らが尋ねた一つだけのしるしではなく、多くのしるしを示されました。 彼が与えた最初のサインは、キリストが誰であるかに関する霊的な惑わしでした。

“そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう”(マタイによる福音書第24章4-5節)。

そして私達のテキストはこう書いています。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”
      (マタイによる福音書第24章24節)。

それらの節で“惑わし”と訳されている言葉は、ギリシャ語の“planaō”という語形から来ています。それは“真実から・・・道をそらさせる”(Strong)、“過ちに導く事によって、欺く事”(Vine)という意味です。 要するに、神によるこの世の摂理の最後には、キリストに関しての非常な惑わしが起こるであろう、と言う事です。 多くの偽の“キリスト達”が現れるでしょう。 それが、イエスが与えられた、この世の最後の、多くの誤った偽のキリスト達のしるしです。

デハーン博士(Dr. M. R. DeHaan)は、The Days of Noah(ノアの時代)と言う良い本を書きました(Zondervan Publishing House, 1971 edition)。 その一つの章は“The Age of Deception(偽りの時代)”と題し、私達のテキストのコメントをデハーン博士は書いています、

この世の最後は、まず最初に、誤った教えの増加、そして惑わしのカルトなどで特徴づけられるであろう、とイエスは言われる・・・彼らは皆、自分達の正しさを主張している、しかし全ては、互いに大なり小なり異なっている。 人々が困惑し、何を信じられるか? いったい誰が正しいのか?、どこで真実は見つけられるか? と尋ねるのも不思議はあるか? 非常なる力でイエスの答えがもどってくるのは正に、これである。

“人に惑わされないように気をつけなさい”
      (マタイによる福音書第24章4節)。

その試す手段はこれである。 すなわち、それが神の言葉[聖書]の中にあるか、もしくは人による付加であるか・・・それが、単独、また独占的に、聖書に基づいているか、それとも何か―付加された黙示、または想像、空想もしくは、お告げ、もしくは付加された文書の発見など、を聖書に付け足したものに基づくものか?

それは人による信条、もしくは、教条、もしくは伝統かもしれない。 聖書にある六十六書の、神の御言葉に付け足されたものは何であっても、キリストがあらかじめ警告された事の、誤りそして危険として、それを極印とす(M. R. DeHaan, M.D., The Days of Noah, Zondervan Publishing House, 1971 edition, pp. 55-56)。

イエスはこの世の最後のしるしの一つは、偽のキリスト達の現れであろうと言われました。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”
       (マタイによる福音書第24章24節)。

イエスは多くの人々が、誤りに導かれ、そして真実の方ではなく、偽のキリストを信じるであろうと言われました。 私達は今日、本当に多くの偽りの“キリスト達”に出くわしており、平均的な人は当惑させられています。

では、どのように私達は真のキリストを見分ける事が出来るでしょうか? デハーン博士はこのように述べています、

その試す手段はこれである。 すなわち、それが神の言葉[聖書]の中にあるか、もしくは人による付加であるか・・・それが、単独、また独占的に、聖書に基づいているか、それとも何か―付加された黙示・・・聖書にある六十六書の、神の御言葉に付け足されたものは何であっても、キリストがあらかじめ警告された事の、誤りそして危険として、それを極印とす。(同著)

真実なるキリストのみが聖書で示されるキリストです。 使徒パウロは、

“わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエス”
      (コリント人への第二の手紙第11章4節)。

を信じる事を警告しています。

先週の日曜日、私は聖書に示されていない偽の“キリスト”、“異なるイエス”の二つの例を挙げました。 私は、単なる人である、神学的に自由主義の“偽のキリスト”を挙げました。 そしてまた、聖書による、天国で神の右の座におられる(エペソ人への手紙第1章20節;マルコによる福音書第16章19節、他)、真実のキリストではなく、むしろ彼らの心中に住むと仮定する“霊”である、正に“決断主義”なる伝道主義の偽の“キリスト”を挙げました。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って”
       (マタイによる福音書第24章24節)。

今晩、私は今日多くの人々を惑わす、五つの偽の“キリスト達”を加えます。

I. 最初に、モルモン教の偽の“キリスト”。

ウォルター・マーティン博士(Dr. Walter Martin)はこのように述べています、

モルモン教の教えは・・・彼らの神は多くの神々の中の一つである・・・実際、モルモン教徒達は多くの神々を保持している。 人間化される前のイエスは、ルシファーの霊的な兄弟であり、マリアとマータの夫である、一夫多妻主義者であったと主張している。 多様性の神、そして人々が求める事が出来る神格への賞賛、があるという思想の完全なる誤りを[聖書は明らかに示している]。 イエスの一夫多妻主義、そしてルシファーの霊的兄弟とされるイエスの発想に関しては、これ以上の注解をもって威厳をつける必要はない。 モルモンのイエスは、まったく言うまでもなく“他のイエスであり、彼がジョセフ・スミスへの、使者モロニの天使としての宣言の全ての資格と共に、光の見使いとして装ったとしても、人を救われた方とは何ら共通点はない(Walter Martin, Ph.D., The Kingdom of the Cults, Bethany House Publishers, 2003 edition, p. 472)。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って”
      (マタイによる福音書第24章24節)。

モルモン教のキリストが“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、この世の終わりに多くの人々を惑わす“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)である事には疑問はありません。

II. 次に、エホバの証人の偽の“キリスト”。

ジョシュ・マクドエル(Josh McDowell)はこのように述べています。

エホバの証人の神学上の制度では、イエス・キリストは人間の身体を持つ神ではなく、むしろ創造された人である・・・[彼らは、このように言っています]、

“彼はある神であったが、エホバである全能の神ではなかった・・・”(Let God Be True, p. 88)。

キリストの神性の否定は最近の事ではない・・・アリウス主義[西暦4世紀のアリウス否定論]として知られる古代の異端信仰のリバイバルである。 アリウス主義は、(神の)子は(神)父より実質は異なり、事実、創造されたものである、と教えている。 エホバの証人にとって、キリストはエホバの神と同等ではない。 キリストはむしろ、彼の先在の状態である天使長ミカエルであった(Josh McDowell, Don Stewart, Handbook of Today’s Religions, Thomas Nelson Publishers, 1992 edition, p. 46)。

しかし、ヨハネの第一の手紙第5章7節にはこう書かれています、

“あかしをするものが、三つある。[父と御言と聖霊とである。そして、この三つのものは一つである]” ( ヨハネの第一の手紙第5章7節)。

そして、イエスは言われました、

“わたしと父とは一つである” (ヨハネによる福音書第10章30節)。

更に、エホバの証人はこのように教えています、

キリストは肉体ではなく、霊的な身体でよみがえった (Make Sure of All Things, 1965, p. 426)。

しかし、イエス御自身が、死からよみがえられた後、ルカによる福音書第24章39節のところでこのように言われました、

“わたしの手や足を見なさい。 まさしくわたしなのだ。 さわって見なさい。 霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ” ( ルカによる福音書第24章39節)。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って・・・”
      (マタイによる福音書第24章24節)。

エホバの証人の“キリスト”が、この世の終わりに多くの人々を惑わす“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)である事に疑問はありません。

III. 三番目に、イスラム教の偽の“キリスト”。

ジョシュ・マクドエル(Josh McDowell)はこのように述べています、

クリスチャンにとって、肉体をそなえた神の御子のイエス・キリストの復活は、信仰の致命的な土台である、しかしイスラム教は、キリストが神の子であり、また彼が十字架の・・死から甦ったことの、どちらの真実をも保持しない・・・イスラム教の経典、コーランは、スラー書4:157で、“彼らはイエスを殺してもおらず、十字架につけもしなかったが、彼らに現れた”と言明している。 ほとんどのイスラム教徒は、ユダがキリストのみ代わりに置かれ、[キリストは十字架につけられることなく]昇天したと信じている・・・コーランは、イエスは偉大な預言者の一人であるように示している・・・しかし彼らはイエスが神の子、また、救い主ではない事を頑強に主張している・・・それ以上に、彼らはイエスが十字架につけられた事を信じていない。 そうではなく、死ぬことなしに、神が彼を取られ、そして他の誰かが彼の代わりとなって死んだ(Josh McDowell and Don Stewart, ibid., pp. 394-395)。 

イスラム教はキリストに於ける神の人間化を否定しています。 彼らは、死からのキリストのよみがえりを否定しています。 彼らは、キリストが私達の罪を償われる為に十字架で死なれた事を信じません。 彼らは、神の御子そして救い主としてのイエスを否定しています。

ジョン・ウォードリップ博士(Dr. John S. Waldrip said)は、このように述べています、

聖書に描かれているイエスは、イスラム教の彼についての概念から、まったく異なっている・・・イスラム教の“イエス”は明らかに聖書のイエスではない(John S. Waldrip, “The Blight of Islam,” in Demons in the Smoke of the World Trade Center, with Dr. R. L. Hymers, Jr., Hearthstone Publishing, Ltd., 2002, pp. 132, 133)。

しかし、新約聖書では、何度もイエスを“神の子”と呼んでいます。 そして、新約聖書は明白にこのように語っています、

“キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと” (コリント人への第一の手紙第15章3-4節)。

イスラム教徒は、イエスは偉大な預言者ではあるが、私達の罪のために亡くなられ、私達に命を与えるために再びよみがえられた、神の子、人間となられた神ではないと言っています。

イスラム教徒は、彼らはイエスを信じる、と言うかもしれません。 しかし、彼らが信じる“イエス”は単なる預言者なのです。 ですから、イエスが、ろばに乗ってエルサレムに入られ、何百人もの人達が叫んで、“いと高き所に、ホサナ”(マタイによる福音書第21章9節)と叫んだ時、あるユダヤ人達がした同じ過ちを、彼らは犯すのです。 エルサレムで他の人達が、“この人は誰か”と尋ねた時に、“群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」”と言いました(マタイによる福音書第21章11節)。 これらのユダヤ人達は、イスラム教徒達と同じ過ちを犯しました。 彼らは、イエスは、聖書が教えている、救い主(メシヤ)ではなく、また人間の姿となった神ではなく、ただの預言者であると言ったのです。

エホバの証人の“キリスト”が、この世の終わりに多くの人々を惑わす“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)である事に疑問はありません。

イスラム教の“キリスト”が、この世の終わりに多くの人々を惑わす“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)である事に疑問の余地はありません。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って・・・”
      (マタイによる福音書第24章24節)。

IV. 四番目に、カトリック教の偽の“キリスト.”

これを説明するには、少し困難を要します、なぜなら、紙面上では、カトリック教会は聖書の正しいキリストを語っているからです。 それゆえ、カトリック教会は、モルモン教、エホバの証人、そしてイスラム教とは違ったカテゴリーに入ります。 紙面上の、キリストその人自身についてのカトリックの信仰は、オーソドックスでほとんどの部分で聖書に忠実です。

しかし、カトリック教会のキリストの見方は、変形され変わっていきました。 そのため、彼らが“紙面上”で信じることは、教理問答書で説明されている事ではなく、ミサの儀式の間、聖堂信者席に座っている人の信心なのです。

数世紀に渡る、救いに対する偽りの教えのために、カトリックのキリストは、愛する救い主ではなく、“パントクレイター”審判官になりました。 キリストは将来審判を下す人であるということは真実です、しかし、カトリック教の間違った強調は、キリストを、今の時の愛するキリストではなく、将来の怒った審判官に今しています。 カトリック教徒は、彼らが罪人であるために、キリストは彼らを怒っていると思う傾向があります。 私はこれが真実であることを知っています、なぜなら、数え切れないほどのカトリック教徒が、キリストは彼らに対して怒っているということを、救いに関するカウンセリングの時に、彼らがそう言うのを聞いていますから。 これが、彼らが信じるキリストを“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、そして“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)にしているのです。 聖書のキリストは、将来くる最後の審判時の怒った審判官ではありません。 彼は、愛する救い主でした、そして今でもそうです。

“すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう” (マタイによる福音書第11章28節)。

この体制下に於いて、審判官としてイエスを強調する彼らの間違った見解のため、ほとんどのカトリック教徒が信じる“キリスト”は、この世の終わりに多くの人々を惑わす“異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)、“偽のキリスト”(マタイによる福音書第24章24節)である事に疑問の余地はない、と私達は言わなければなりません。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”
       (マタイによる福音書第24章24節)。

カトリック教の偽の“キリスト”は、罪の告白と司祭による罪の赦しを要求します。 彼はローマ・カトリック教会への忠実を要求します。 救いを確実にするために、彼は洗礼と良い業を要求します。 宗教改革者達が、新約聖書から聖書の真実を教えたように、これは、キリストのみに置く信仰を通して、恵みのみによって罪人を救う聖書のキリストではありません。

ウォルター・マーチン博士(Dr. Walter Martin)によれば、これらの全てのキリストに関する見解は偽であり、真実のキリストについての新約聖書の明白な教えに見合うものは、何一つありません。 彼は言いました、

クリスチャンサイエンスのイエス、モルモン教のイエス、エホバの証人のイエス、そして全てのカルト集団のイエスは、神の啓示されたキリストの軽薄な物まねである。 カルト神学では、イエスは抽象したものとなり(クリスチャンサイエンス、ユニティー、机上の空論、新解釈)、二番目の神(エホバの証人、モルモン、他)・・・しかし、口論する余地もなく、彼は、異なる福音書と神聖とは呼ぶに呼べない異なる霊を代弁する“異なるイエス”である。ここに、クリスチャンが対峙しなければならない問題があり、それは、ただ単に私達の責任としてだけでなく、そうする義務があるという高貴な理由があるのである (Walter Martin, ibid.)。

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”
       (マタイによる福音書第24章24節)。

V. 最後に、多くのペンテコストの偽の“キリスト.”

そして、もう一つ覚えておく事があります。 バーノン・マクギー博士(Dr. J. Vernon McGee)は、私達のテキストに関して次のコメントをしています、

私達の今の時代で、奇跡を起す能力を持つ者を、疑いの念をもって捉えるべきだ、なぜなら、次の偉大な奇跡を起す者はキリストではないからだ。 彼は、偽りの預言を持つ、反(アンチ)キリストであろう(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, Volume IV, p. 129).

多くのペンテコストの集会で話される“聖霊”は、聖書で語られているキリストではありません。 聖霊とイエス・キリストの人となりを、彼らは混同しているように私には思われます。 キリストは霊ではありません、“霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ”(ルカによる福音書第24章39節)。

キリストは再び来られます。 しかし、来られる“キリスト”は偽ものではありません。 聖書の中で語られている真実のキリストが来られるのです。 彼は天国からエルサレムのオリーブ山へ下って来られます。

“そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう” (マタイによる福音書第24章30節)。

“その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。 ・・・こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる” (ザカリヤ書第14章4-5節)。

彼は再び来られる;彼は再び来られる、
人に拒絶された、正に同じイエス
彼は再び来られる;彼は再び来られる、
力と偉大な栄光を携えて、彼は再び来られる。
   (“He Is Coming Again” by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).

その人が、三位一体の第二位の方であるキリストです。 その人が、完全な神であり完璧な人であるキリストです! その人が、あなたの罪の罰を償うために十字架で亡くなったキリストです。 その人が、ご自身の尊い御血でもってあなたの罪を洗い流す事の出来るキリストです。 その人が、天国で神の右座で生きられているキリストです。 そして、その人が、もしあなたが救われたいと思うならば、あなたが来て、信頼を置かなければならないキリストです。 あなたがすぐにそうする事を願って、アーメン。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の朗読:ルカによる福音書第21章7-19節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“He Is Coming Again” (by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).

要 綱

偽りのキリスト達―この世の終わりのしるし―その2

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”(マタイによる福音書第24章24節)。

(マタイによる福音書第24章3, 4-5節;
コリント人への第二の手紙第11章4節)

I.   最初に、モルモン教の偽の“キリスト”
コリント人への第二の手紙第11章4節。

II.  次に、エホバの証人の偽の“キリスト”
ヨハネの第一の手紙第5章7節;
ヨハネによる福音書第10章30節;
ルカによる福音書第24章39節。

III. 三番目に、イスラム教の偽の“キリスト”
コリント人への第一の手紙第15章3-4節;
マタイによる福音書第21章9, 11節。

IV.  四番目に、カトリック教の偽の“キリスト”
マタイによる福音書第11章28節。

V.   最後に、多くのペンテコストの偽の“キリスト”
ルカによる福音書第24章39節;マタイによる福音書
第24章30節;ザカリヤ書第14章4-5節。