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ときのしるし―沈黙な説教者達と
中絶ホロコースト

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

SIGNS OF THE TIMES – SILENT PREACHERS
AND THE ABORTION HOLOCAUST

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2008年9月21日、主の日の晩の説教

さて、テモテへの第二の手紙第4章1節から4節を開いて見てください。スコーフィールド・スタディー・バイブル[Scofield Study Bible (Oxford University Press, 1917 edition)]をお持ちでしたら、その1281ページに、その箇所はあります。 これは聖書にある最も重要な予言に関する句節の一つです。 これはこの世の終わりの、キリストの再臨の前の“最後の日々”での社会的・心理的状態を私達に語っているのです。

“御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”
      (テモテへの第二の手紙第4章2-4節)。

もし“終焉のしるし”についての説教の歴史を知っている人にとっては、今日、ほとんどその説教が聞かれないのを不思議に思うかもしれません。 19世紀の後半の初めのころ、ジョン・ネルソン。ダービー(John Nelson Darby (1800-1882))と他の多くの説教者達は、彼らの説教の最初に聖書の予言を置いていました。 ニューヨーク市にあるファースト・バプテスト教会の牧師であったハルデマン博士(Dr. I. M. Haldeman)は、聖書の予言、キリストの再臨のしるし、そして、それに関する予言的説教を毎週日曜日の晩に1930年代の第一次世界大戦の年から30年以上にわたり説教をしました。 毎週日曜日の晩に、この偉大なる尊敬の止まない牧師は、この世の終焉とキリストの再臨に関する聖書の予言の説教をしました。 1960年代に亡くなるまで、著名な聖書の説教者であったデハン博士(Dr. M. R. DeHaan)は、彼の時間を、キリストの再臨と他の聖書の予言に関する説教をラジオのプログラムでするために費やしました。 50年以上に渡り、ビリー・グラハムは毎回クルセードの終わりには時のしるしとキリストの再臨についての説教をしました。 ビリー・グラハムは自身の最後のクルセードを2005年の6月24日から26日にかけてニューヨーク(Flushing Meadows Corona Park, Queens)で行いました。 数十万の人達がパークにやって来て、この老齢の伝道者の話を聞きましたが、彼らが覚えていることは、これは最後の彼のクルセードだけだと思います。 彼の主題は何だったのでしょうか? 調べたところによると、各クルセードを終えるにあたり、50年以上に渡り彼は“When Christ Comes Again”の説教をしました (Billy Graham, The New York Crusade, G. P. Putnam’s Sons, 2005, p. 103)。それが彼の普段する説教でした。 説教はキリストの再臨のしるしとこの世の終焉についてです。 1950年代に彼の説教を聞いたとき、鳥肌になり、髪の毛が立つほどの興奮を覚えた事を覚えています! そして、20世紀の初期は、数え切れない説教者達がハルデマン、デハーン、そしてビリー・グラハムを手本にしたのです。 しかし、そのような説教者達は今どこにいるのでしょうか? 今日では、キリストの再臨とこの世の終焉に関しての、人を震えさせるような古き良き時代の説教を聞くのは非常に稀です。 私は、彼のカリスマ的スタイルには同意できませんが、ジョン・ハギー(John Hagee)の説教を除いて、聖書の予言を強調する説教は今日では消えてしまいました。 私の知る限りでは、ハギーは、聖書の予言、特にキリストの再臨とこの世の終焉を説教する唯一の説教者のように思われます。

ある日ケイガン先生は私にこう語りました、“20世紀の初期に彼らはしるしについて説教をした。 しかし、そのしるしは本当に今ここに来ていることは明白であるが、説教者達は惰眠をむさぼり、キリストの再臨とこの世の終焉が近づいている事を忘れている”。 説教者達はどこにいるのですか? 彼らはなぜ聖書でそれほどまでに重要な主題に対して沈黙をしているのですか? あなた方はいつ“ときのしるし”についての説教を聞きましたか? それが私の最初の点です。

I. 最初に、聖書の予言に関して、説教者たちの寡黙さは、それ自体、こ
の時代の終わりとキリストの再臨が近づいているというしるしである。

テモテへの第二の手紙第4章2-4節を開いてください。ここでは、この主題に対する使徒パウロの予言が宣べられています。

“御言を宣べ伝えなさい・・・人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”(テモテへの第二の手紙第4章2-4節)。

これらの終焉の予言について語る事を無視する説教者の主な理由は、“御言を宣べ伝えなさい”というパウロの忠告にもはや従わないからです。

ニューヨークでの彼の最後の説教で、ビリーグラハムは、正しくこのように言いました、

私は[キリストは]戻ってくると信じる。新約聖書には、キリストの再臨について多くのところで語られている、おそらく午後いっぱいを通して説教ができるほどである(Graham, ibid., p. 113)。

彼はこの点に関して、全く正しかったです! 新約聖書は、キリストの再臨に関する預言で満ちており、それが近い事を現しています。 しかし、私達はどうしてこの種の説教をあまり聞かなくなったのでしょうか? 簡単に言えば、多くの説教者たちはこの主題に対して説教をしなくなったのです!

そうして、パウロはその理由を私達にこう語っています。彼は“人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め”と言っています(テモテへの第二の手紙第4章3節)。バーノン・マクギー博士はこう述べました、

彼らは耳障りの良い話をするクリスチャンの話してから宗教的な娯楽を聞くことを欲している・・・聖書を開く説教者は嫌われ、浅はかな宗教的娯楽がもてはやされる。そして第4節は、耳障りのよい話を聞く耳は、人々が真実から遠ざかり、人の作り話を信じるようになるように、すぐに耳が聞こえなくなる(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1983, volume 5, page 476)。

テモテへの第二の手紙第4章4節を見なさい。

“そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう” (テモテへの第二の手紙第4章4節)。

聖書の偉大なテーマ、例えば贖い、新生、そして預言等を説教する代わりに、多くの説教者は作り話、文字通りの“神話”を語るようになってしまいました。 彼らは今日では、心理学の“神話”と“自己補助”について説教をします。 彼らは“思考の可能性”の神話を説教します。 彼らは“繁栄の神学”の作り話を説教します。 彼らは社会学者や心理学者が提唱する子供の養育の仕方の神話を説教します。 そして、彼らは神話的な“目的動機”の説教をします。 しかし、多くの説教者は十字架でのキリストの贖いについての完全な説教から離れてしまいました、そして、彼らはいつ聖書の明白な預言的御言の伝道的説教をするのでしょうか?

“そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”(テモテへの第二の手紙第4章4節)。

今日、そんなに多くの説教者達がこれらの重要な教義を拒否するという事実は、この世の終焉とキリストの再臨のしるしなのです! これらのしるしに、すなわち一般的な聖書の預言に対する説教者の沈黙は、私達は急速にこの時代の終わりに近づいて、歴史のクライマックスを迎えようとしているしるしです。

私達がこれらのしるしと預言を聞く必要がるのであれば、その時はなのです、すなわち、ほとんどの説教者がそれらについての説教を止めた、今なのです。

多くの説教者達は今日、この世にやって来るであろう審判を説教する事によって人々を震え上がらせたり、乱したりする事を好みません。 彼らは誰も“震え上がらせる”ことをしたがりません。 しかし、私は彼らは間違っていると確信します。誰一人としてこころをかき乱さない説教は誰一人として回心させることはありません! ときのしるしと神の審判の予言についての説教は、正しい恐れを起させるものです。 聖書はこのように語っています、

“主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる”(箴言第1章7節)。

恐れるときがあります、そして、すべての聖書を信じる説教者達は、神から授けられた義務、すなわち私達の時代に起こるであろう、聖書で予言された恐るべき事の事実を話す義務があります! もし私が、今日の世界の問題についての偉大な予言が語られず、堕落したこの世を地獄に追いやる、これからやって来る審判が語られず、苦しい試練の時の恐ろしさ、あるいは今後の怖ろしいしるしが語られない教会にいるならば、私は一刻もさきにその教会から出て行き、神の予言的審判を説教する事を恐れない牧師の教会を探します! それが今夜私があなた方に与える最初のしるしです、すなわち、神聖な言葉の中に語られる審判について話す事を恐れない説教者です。

ところで、それが、アメリカの保守的なバプテストの説教者達が、中絶のホロコーストを止めようと実際には何もしない理由です。 彼らは同意しますが、沈黙をしています、なぜなら誰をも怒らせたくないからです。 神よ、私達を助けたまえ! マーチン・ルター・キング牧師はこのために亡くなりました。 今日、大変少ない人達が、彼は正義のために亡くならなかった語ります。 今日、ほとんど全ての人達は、彼が“弱い人々”のために声を上げたことは正しかった言うでしょう。 しかし、保守的な説教者達は、5千百万人の無実な、語る事の出来ない子供達を殺戮する中絶を止めさせようとするのでしょうか? 説教者はどこにいるのでしょうか? 彼らは神の審判の予言に対して沈黙であるように、中絶に対しても沈黙をします。 彼らは語りません、そして、その事に対して私は憤りを覚えます。 やって来るであろう審判に対して、そして中絶のホロコーストに対して彼らが沈黙をしている事を恥ずかしく思います。 いつか、彼らは沈黙をし続けるこの罪に対して、神に答えなければならないでしょう。

II. 次に、すさまじい無神的な中絶による五千百万のアメリカの子供達
の殺戮はそのしるしである。

テモテへの第二の手紙第3章1-3節に戻ってください。起立をして声を出してこれらの三節を読んでください。

“しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者”(テモテへの第二の手紙第3章1-3節)。

着席してください。

さて、使徒パウロが、“終わりの時には、苦難の時代が来る”と言った事に注意してください。 大多数の注解者達は、“終わりの時”は、“キリストの再臨のすぐ前の期間”を言及していると言っている(Charles John Ellicott, D.D., Ellicott’s Commentary on the Whole Bible, Zondervan Publishing House, reprinted from the 1860 edition, volume VIII, p. 232)。 私は、これは全ての時代の教会に応用されますが、使徒パウロは将来のこと、すなわち私達の時代のことを書いていたと確信しています。  彼は第13節でこのように言っています、

“悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく”

その予言は将来においてより深いものとなるであろう意味合いを含んでおり、再びこの使徒はこのように言っています、

“人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして”(テモテへの第二の手紙第4章3節)。

これらの節は、“終わりの時”の予言は、将来のことを表しています。

次に注意を払ってもらいたい言葉は“終わりの時には、苦難の時代が来る”の中の“苦難の”という言葉です。 この“苦難の”と訳されている原語のギリシャ語は、“chalepoi”です。 その意味は“危険な”とか“どう猛な”という意味です(Strong)。 ジョン・マッカーサー博士(Dr. John MacArthur)は正しくこう述べています、“苦難の”の単語は、マタイによる福音書第8章28節の悪魔に取り付かれた二人の男のどう猛な状態を描写している(John MacArthur, D.D., The MacArthur Study Bible, Word Bibles, 1997, note on II Timothy 3:1)。 このギリシャ語は新約聖書の中で二度だけ使われています。 テモテへの第二の手紙第3章1節とマタイによる福音書第8章28節です。

“それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった”(マタイによる福音書8第28章節)。

テモテへの第二の手紙第3章1節の“終わりの時には”の中で、その時の人々を描写するために使われている同じギリシャ語の“chalepoi”です。 それら悪魔に取り付かれた二人が彼らの住む墓の近くに来た者に対して、誰にでも攻撃したように、人々はどう猛になるでしょう。

“終わりの時”の日々に見る荒々しさ、そして危険さは、悪魔に取り付かれた人々からやって来ます。 彼らについては後の四つの節(テモテへの第二の手紙第3章2-5節)で特徴付けられています。 私は、今夜は全てのリストを挙げるつもりはありませんが、第3節の“終わりの時”の中で、特に重要な特徴を挙げたいと思います。 起立して、第3節を声を出して読んでください。

“無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者”(テモテへの第二の手紙第3章3節)。

着席してください。

“生まれつきの感性なくして(注意:日本語の聖書ではこれらの言葉は直接には翻訳されていない)”は、ギリシャ語の一つの単語“astorgoi”の英訳です。 ヴァインは、その意味は“親族の愛、特に子供に対する親の愛・・・その生まれつきの感性なくして”(W. E. Vine, An Expository Dictionary of New Testament Words, Revell, 1966, p. 37)の意味であると言っています。

使徒パウロは、この言葉をローマ人への手紙第1章31節の中で、一世紀のローマ人を描写するために使いました。 ローマ人にとって、赤ん坊を母親の胎内から取り出し、赤ん坊が死ぬまで外にそのままにしておくことは、大変よく見かけられた光景です。 ローマ時代には、望んでいなかった赤ん坊を処理する方法が、このやり方でした。 そして、使徒はそのような人々を“生まれつきの感性なくして、無情、無慈悲”な人々と言っています(ローマ人への手紙第1章31節)。

西洋がそのような状態に戻るのに1900年あまりを費やしました。 それは中世では起こりえませんでした。 それは啓蒙運動期には起こりえませんでした。 それは大覚醒運動の時には起こりえませんでした。 それは19世紀、もしくは20世紀の初期でさえ起こりえませんでした。 人が、子宮の中で小さな赤ん坊を沸騰させて死なせたり、その赤ん坊の手や足を胎内から引っ張り出すような野蛮な者に変わったのは、私達の時代になってからなのです。 人が一世紀のローマ人のようになったのは、すなわち、子供を愛するという生まれつきの感性を失ってしまったのは、私達の時代になってからなのです!

“しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者”(テモテへの第二の手紙第3章1-3節)。

何という予言なのでしょうか! “子供を愛するという、生まれつき備わった感性をもたない”中絶支持者の描写なのでしょうか?

女性が子宮の中の子供を愛するのは、“自然な”ことなのですが、中絶支持者は、“生まれつき備わった感性をもたない”“非人情な”人達なのです。 これは、間違いなく私達が、この世の終わり、そしてキリストの再臨の前の“終わりの時”にいる予言的しるしなのです!

ロスアンゼル・タイムズ紙(Los Angeles Times)は、中絶ではなく何か他の事について、私達に考えさせようとしています。 その最近の新聞記事によると、

数十年にわたる中絶に対する口論は・・・わずかばかりに政治的影響を与えたにすぎない。 今回は、何か他の事について語ろうではないか?(Los Angeles Times, September 18, 2008, p. A24).

ノー、 黒人の7人に4人の割合で、中絶支持者に殺戮されている限り、私達は“何か他の事について語る”ことは出来ません。 年間百万以上のアメリカの赤ん坊が、“生まれつきの感性なくして”母親の胎内から腕と足を引っ掛けられ無情にも引き出され殺されている限り、私達は“何か他の事について語る”ことは出来ません。 アメリカ独立宣言がこれらの子供達でさえ“生きる権利、自由の権利、そして、幸福を追い求める権利”があることを謳っている限り、私達は“何か他の事について語る”ことは出来ません。 そして、モーセの十戒の第六番にあるように、私達は“何か他の事について語る”ことは出来ません。

“あなたは殺してはならない”(出エジプト記第20章13節)。

さかのぼること1965年に、バリー・マクガイヤーは言いました、

少年よ、あなたの周りを見よ、
   少年よ、それはまさにあなたを脅そうとする、
そして、あなたは信じない
   私達は崩壊の前の日にいることを。
(“The Eve of Destruction” by Barry McGuire, 1965).

各々のしるしは成就します。この世の中は終焉へと突き進んでいます。 そして、聖書はこう語っています、

“あなたの神に会う備えをせよ”(アモス書第4章12節)。

あなたは準備ができていますか? 準備をしようにも、遅すぎたがためにそうすることの出来ない時が来るでしょう。 まだ時間があるうちに、あなたは信仰でもってキリストに来る必要があります。 まだ時間があるうちに、あなたはキリストの御血によって神の記録からあなたの罪を洗い流す必要があります。 まだ時間があるうちに、あなたは悔い改めキリストへ向かい、回心をする必要があります。 そして、まだ時間があるうちに、あなたはローカル教会の親交の輪に加わる必要があります。神があなたをそのようにさせてくださるように。 イエスの名に於いて、アーメン。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:マタイによる福音書第24章3-8, 22節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“The Eve of Destruction” (by Barry McGuire, 1965).

要 綱

ときのしるし―沈黙な説教者達と
中絶ホロコースト

R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

“御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう” (テモテへの第二の手紙第4章2-4節)。

I.   最初に、聖書の予言に関して、説教者たちの寡黙さは、それ自体、
この時代の終わりとキリストの再臨が近づいているというしるしで
ある。 テモテへの第二の手紙第4章2-4節。箴言第1章7節。

II.  次に、すさまじい無神的な中絶による五千百万のアメリカの子供
達の殺戮はそのしるしである。テモテへの第二の手紙第3章1-3
節、13節;第4章3節;マタイによる福音書第8章28節;ロー
マ人への手紙第1章31節;出エジプト記第20章13節;アモス書
第4章12節。