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今日におけるリバイバルの切迫した必要性-
マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士からの改作
R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

THE URGENT NEED FOR REVIVAL TODAY –
ADAPTED FROM DR. MARTYN LLOYD-JONES
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2008年1月20日、主の日の朝の説教

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Morning, January 20, 2008

“家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。 すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」”(マルコによる福音書第9章28-29節)。

今朝、私はマーティン・ロイド‐ジョーンズ博士の説教“The Urgent Need for Revival Today(今日におけるリバイバルの切迫した必要性)”(D. Martyn Lloyd-Jones, M.D., Revival, Crossway Books, 1994 printing, pp. 7-20) の分析解釈版をあなた方に述べる事にします。 彼の説教の最初の部分は省いて、そのテキストの彼の説明から初めます。 彼の有名な説教の意図に出来る限り沿いながら、彼の言った幾つかの部分を変えて校訂します。 ロイド‐ジョーンズ博士は、20世紀の最も偉大な説教者の一人でした。 彼の初期の奉仕は、ウェールズとイギリスでの真のリバイバルによって知られています。 彼には清教徒や18世紀の偉大なリバイバル(大覚醒)に関して多くの知識がありました。 今朝、彼の話を聞いてください。

初めにマルコによる福音書の第9章にあるこの出来事を考慮しながら、これらの最後の二つの節に集中してみましょう。

“家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。 すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」”(マルコによる福音書第9章28-29節)。

前の節で、キリストがペテロ、ヤコブそしてヨハネを連れ、彼らと一緒に“高い山に登られた”事が書かれています。 そして、キリストの山上における変容のその山で、彼らはそこで起こった驚くべき出来事を見ました。 しかし、彼らが山から下りてきた時、彼らはそこに残っていた弟子達を囲んで口論や疑問を投げかけている群衆に気が付きました。 イエス、ペテロ、ヤコブそしてヨハネは、それが何の事かわかりませんでした。 突然、ひとりの人が群衆から出て来て“これは私の責任です。 私には小さい頃からひきつけを起こし、痙攣の発作のある一人息子がここにいます”、“そして”と、彼は引き続き“彼を癒してもらうためにあなた方のところに連れてきました。 私があなたの弟子のところに来ると、彼らは何も出来ないのです。 彼らがしようとしても、出来ませんでした”と言いました。 

キリストは彼にいくつかの質問をし、彼の息子について確かな状況を得ました。 そして、いとも簡単にこの少年から悪霊を追い出し、少年は癒されもとに戻りました。

そうしてキリストは家へ入られ、弟子達も彼について行きました。 そして彼らが家へ入って行くと、弟子達はキリストに向かって“わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか?”と尋ねました。 彼らがそのように思うのも無理はありません。 彼らは悪霊を取り出そうと努力しましたが出来なかったのです。 彼らは他の多くの場合にはそうする事が出来ました。 しかし、ここでは彼らはまったく出来なかったのです。 そして、それにもかかわらず、キリストは非常に容易に、一言話され、その子は救い出され癒されました。 “わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか?”と彼らは言いました。 すると キリストは“このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない”と答えられました。

では、私達の今日の問題の完璧な描写として、私はこの話を取り上げ、用いたいと思います。 ここで、この少年に、“一度は悪魔に捕えられてその欲するままになって”(テモテへの第二の手紙第2章26節)失われている今日の人々を私は見い出します。 そして、これらの弟子達に、私は今日の教会を見い出します。 福音の説教される教会が、哀れにも、失われた人々を回心に導くことが出来ないことを知るのは、容易ではありませんか? 確かに、今日の教会には100年前の教会にあったような伝道的な力はありません。 全ての状況がその真実さを表しています。 そして今日、教会は弟子達のように、彼らのベストを尽くして、ある意味では今まで以上に活動的に試みています、それでも、明らかに失われた人と通じる事が出来ません。 教会で育った若者達であっても通例出て行ってしまいます。[ある世論調査は、福音を支持する教会でも、現在彼らの若者達が25歳に達する前に88パーセントが戻って来ないと示している。]* そして、私達の出来る限りの伝道的な活動にもかかわらず、私達は成功していません。 ですから当然の如く、そして真剣に問う疑問は、“わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか?”“いったいどうした事か?”“何が私達の失敗の原因なのか?、何が私達の伝道の失敗の理由なのか?”なのです。

私達のテキストの中で、キリストは正にその疑問について対応しているように思えます。 彼らはその疑問を三つの主な要点に分けました。 どうして私達は霊を追い出すことが出来ないのか? その最初の答えは“このたぐい”の悪霊なのです。 そこには重要な声明があります。 “わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか?” “このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない”とキリストは言われました。 言葉を変えれば、彼らは、場合によっての違いを知らなければならない、とキリストは言っているのです。 キリストによって、弟子達は説教し、霊を追い出すように送り出され、彼らは正にそれらの事を成しとげました。 そして、彼らはへびやさそりを踏みつけ、“敵のあらゆる力に打ち勝つ・・・”(ルカによる福音書第10章19節)たのです。 彼らは感激して戻って来ました。 彼らはあらゆる悪霊が彼らに服従し、そして悪魔自身が彼らの前にひれ伏したのを見たと言いました。

ですから、その人が悪に取り付かれた自分の息子を彼らに連れて来た時、彼らはそれを追い出すことが出来るであろうという大いなる確信と自信をもっていました。 しかし、彼らの全ての努力にもかかわらず、その子はまったく良くならなかったのです。 彼は、父親が最初に彼らに連れて来た時と同じほど、悪に取り付かれていました。 彼らは困っていました、その時点でキリストは彼らを助けられました。 キリストは、“このたぐい”-“このたぐい”とあなた方が以前うまく対応していた、たぐい、との間には違いがある、と言われました。

これは、あなたが新約聖書を通して読んで気付かずにはおられない主要な事なのです。 これは他の場合と同じように、悪魔に取り付かれた実情でした。 ですが、あるたぐいの霊と他の霊とには違いがあります。 悪魔の領域では異なった悪霊の階級、段階があるのです。 使徒パウロはこう言っています。

“わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである” (エペソ人への手紙第6章12節)。

悪霊の階級、そしてそれらの頭には悪魔(サタン)、彼自身がいます。

“空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊”(エペソ人への手紙第2章2節)。

悪魔(サタン)には大いなる権力があります。 しかし、彼の下にはあらゆる他の悪魔がおり、異なった段階の力と権力をもち、霊そして権力と勢力があります。

ですから、弟子達は力のない悪魔との対応、そしてそれらを処理し、執行し、取り出す事は簡単に出来たのです。 しかし、これはより権力な悪魔である、とキリストは言います。 彼はあなた方が追い出すことの出来たような弱い霊でありません。 “このたぐい”はまったくそれらとは異なっており、したがって、もっとひどく扱いにくいものなのです。

私達がこれを知る事は重要です、なぜなら今日でもそれは以前と同じように真実だからです。 しかし、あなた方が正確な判断をし、その問題の真の原因を理解するまでに、何らかの取り扱いを試みることは、まったく狂気な事であり、労力の無駄なのです。 あなた方が対応している問題の本質を完全に知る前に、行動に突進する事は危険な事です

ですから、私達が“このたぐい“と言った表現に注目する際、クリスチャンの人達は、私達に対面している問題の真の深さに気が付いているのであろうかと感じます。 私はこの疑問を投げかけます、なぜなら多くのクリスチャンの行動からして、彼らがその問題を理解し始めてさえいない事は明白に思えるからです。 かつては成功していたような、何らかの伝道の方法を彼らは続けていますが、彼らが成功していないだけではなく、成功する事が出来ないという事を理解していません。 なぜなら、彼らは今日彼らが直面している問題の本質を理解していないからです。

この父親が息子を弟子達に連れて来た時、そこには明らかにその必要性がありました。 弟子達はそれが何であるかわかりませんでした。 今日の私達の問題は同じです-すなわち、この必要性の確な本質を知るということです。 それは正確には何なのでしょうか? 医者が[ロイド‐ジョーンズ博士は聖職者になる前は医者でした]手術をする前や薬などの確かな処方箋を出す前に、その患者の様態を理解しなければなりません。 もし彼がその患者の様態を理解しなかったならば、手術を始めたり何らかの薬を処方する事は愚かな事です。

今日、教会での伝道が必要である事は全ての人がわかっています。 しかし正確に、何が必要なのでしょうか? 私は現在と過去との非常な違いを見ます。 200年前、クリスチャンの信仰に対する拒否は一般にはありませんでした。 人々が通常、信仰を習慣としなかったことだけでした。 彼らはだいたいそのような事は心得ていました。 成されなければならなかった事は、彼らをかき乱し、彼らを眠気から覚ます事でした。 当時、必要であった事は、人々を刺激し、そして彼らを自覚させるような、時折の伝道的な活動でした。 それだけでも-その当時は十分でした。

しかし、疑問はそれが未だに通用する解決法であるかどうかと言う事です。 “このたぐい”とは何なのでしょうか? 今日、私達が直面している悪霊による問題とは何なのでしょうか? 私達が直面している悪霊的な問題は、何世紀もの間クリスチャンの教会が直面していたどのような問題よりも、深遠で絶望的なものであると私は感じます。 私達の問題は、無関心だけではありません。 それははるかに深く、そして邪悪であり、悪霊による極めて有害なものなのです。 それは、全ての霊的な物事に対する完全なる無自覚、更に拒絶であるように私には思えます。 全体的な霊的思考は今では消えてしまったのです。 聖書に基づく神への信仰はほとんど無くなってしまいました。 私達はそれに対する原因を求める必要はありませんが、現実では、今日一般の人は神や救いに関する信仰、そして全て教会で教える事は、私達の世俗の世界、もしくは一般生活の中には属さないと感じています。 一般の人は、キリスト教が人類の発展そして進化を妨げており、抑制していると思っています。 彼らはキリスト教は危険であり、完全に無くしてしまわなければならないと感じています。 現代人はキリスト教を嫌っており、そして自分の生活そして考慮の中から完全に退けています。[もちろん、世俗の大学へ通っている若者達は、ロイド‐ジョーンズ博士が明らかに正しい事を知っています。 そうでしょう?]

神の言葉である聖書は、誤りや間違いで満ちている物として攻撃されています。 神としてのキリストの神聖は否定されています。 彼の処女降誕をも否定されています。 彼の十字架上での私達の罪の贖罪は否定されています。 私達にとってキリストに関する全ての価値有る事は否定されており、そして明らかに人間の身体を持った神などという考慮はなく、キリストは単なる人の模範もしくは偉大な教師として見下されています。 当然、宇宙の創造者として従うに値するものではないのです!

そうして、私達は人々の生き方に直面させられています。 それはもはや不道徳における疑問ではないのです。 それは道徳観念のない、もしくは道徳のない社会となってきました。 ほとんどの人々によって“道徳性”の観念はまったく認められません。

では、確かに、クリスチャンである私達は、このような神の存在しない社会において、私達に立ち向かう反キリスト教的な哲学をより以上に理解をする時なのです。 私達の福音は彼らにとって無意味なのです。 彼らは十分なお金を持っています。 彼らは、ほしいものは何でも手に入れられ、そして-祈り、キリストの死による罪の贖罪、教会へ行くことの必要性、などのような霊的な事柄には何の気も使わず、 彼らはこれらの一つをも関心を持たず:彼らの魂にも関心を持たず、神との親交にも関心がありません。 彼らはただこの地上において、食べる事、飲む事、性的な遊び、自分自身を喜ばせる事、裕福になり生活を楽しむ為に出世する事などだけに関心があるのです! 彼らはほしいものは持っています。 そして、彼らの気がかりなことは、それをできるだけ持ち続けることなのです。

そこで、 私達が今日、近代の西洋世界を伝道しようと努力する際に、あなた方そして私が直面している悪霊による問題 である“このたぐい”を私は見ます。 それは重要な事です、なぜならキリストは続けて“このたぐいは祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない”と言われているからです。

弟子達には優れた力がありました、それは弱い悪魔を追い出すには十分だったのですが、それにはこの少年を助ける能力はなかったのです。 あなた方や私がそれを知るまで、そして私達が今日の伝道において、より偉大な必要性を知るようになるまで、私達は回心を求める事に関して、そして真のリバイブルに対してまったく効果なく続けるでしょう。

何が役に立たない事柄なのでしょうか? キリスト教の信仰は今日真に受け入れられる事を証明しようとする分野―護教学の弁明から始めましょう。 それはまったく役に立ちません。 一般の人を納得させる事は出来ないという事です。 その人はクリスチャンの信仰を“証明する”本によっては感銘させられないのです。 唯一の護教学の弁明の価値は、すでにクリスチャンである人の信仰を強めるということです。 少数の人がそれによって伝道されており、少数の人がそれよって回心しました。

では“現代訳”の聖書はどうでしょうか? 現代訳は人々を“このたぐい”から救うと言われていますが、私はそのようには見ません。 全ての人はこれらの“新改訳書”を買いますが、果たして彼らはそれらを読むでしょうか? それを読んだとしても、役に立っているでしょうか? キング・ジェームスの訳は難しいのでしょうか? いいえ、今までと同様正しいのです。 それらがいかに価値あるものであっても、これらの新改訳書が問題を解決する事はありません。

“このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない” (マルコによる福音書第9章29節)。

[ もしロイド‐ジョーンズ博士が今日この説教をしたならば、彼は音楽についても言葉を加える事は確かでしょう。 彼はしばしば現代の音楽に関して批判を書きました。 彼は集会の中にあまりにも音楽があり過ぎ、それはしばしば俗的であったと感じました。 私達は、音楽によるこの強調は人々を助けるだろうかと自分達自身に問うべきです。 それはこの俗世間から実際に人々をクリスチャンへの回心と もたらせるでしょうか? それとも、それは福音のメッセージからそらしてしまうのでしょうか? ロイド‐ジョーンズ博士は、それはメッセージからそらしてしまい、役に立たないと言うであろうと私は思います。]

“このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない”(マルコによる福音書第9章29節)。

更に彼らが言う事は、私達は新しい読み物とトラクトが必要であるという事です。 そして彼らは出て行きそれらのトラクトを配ります。 彼らはそれを大衆向きの書式で書いています。 そうすれば人々がそのメッセージが理解できるであろうと彼らは言います。 しかし今日では、トラクトはほぼ役に立たない事を私達は知っています。[それらはほとんどの場合が“決断主義”のメッセージであり、どちらにしても、人々はそれらを読みません。] それらは解決策ではありません。

次に、大衆向けの伝道集会があります。 現代人に知られている全てのテクニックはこれらの集会に詰め込まれています。 しかし、それらの結末は何であろうか、というような単純な疑問を持つべき時が来たように私は思います。 その現代的な“たぐい”は人の心を動かせたのでしょうか? 教会にすでに来ている人達を除いて、誰か教会に加わったのでしょうか? 私達の国の宗教的な状態はどうなのでしょうか? 社会の全体的な状態はどうでしょうか? [ビリー・グラハム(Billy Graham)のクルセードは私達を助けてくれたのでしょうか? フランクリン・グラハム大集会(the Franklin Graham Festivals)は影響を及ぼしているのでしょうか? ロバート・シュラー(Robert Schuller)あるいはベニー・ヒン(Benny Hinn)は、以前教会に来ていなかった何人の人達(いたとしても)をローカルの教会に送り込んだでしょうか? リック・ウォーレン(Rick Warren)は何人の新しい人達を教会に加えたのでしょうか? それとも彼は多くの人達を他の教会から移しただけなのでしょうか? 何人の俗世的な人達が彼らの集会へ来ているのかを知っていますか? 誰かを知っていますか? そのような努力をしても、結果は哀れなほどに小さいように思えます。]** 社会は、私達の全ての活動によって影響されていますか?

私の答えは、このような全ての活動は、“わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか?”と 弟子達が言った時の、彼らと同じ状況に私達を置くということです。 その意味で、それらは霊を追い出すことができますか?

“このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことが出来ない”(マルコによる福音書第9章29節)。

あなた方は出来なかった、イエスはこれらの弟子達にこのように言われました、なぜならあなた方には、神からの十分な力がなかったからである。 あなた方が神に向かって、罪を悟らせ、回心させるリバイバルの力を熱心に祈らなければ、 あなた方には“このたぐい”と対応す事は決して出来ないでしょう。 あなた方のやり方で霊を追い出し、もしくは対応するには強すぎるような悪の力と直面させられている事を、あなた方は知らなければなりません。 あなた方は悪の力を下に置き、それを打ち砕くような何かが必要であり、それが出来るのは、ただ一つの事しかありません、それが神の力なのです。

絶望的になるまで、私達は自分達の無力を感じなければなりませ。 私達は自分達の必要性を完全に、そして断固として悟らされなければなりません。  私達はどんなに“このたぐい”が偉大であっても、神の力は無限に、より偉大である事を理解しなければなりません。 人々の魂に入り込みそして彼らをくじけさせ、彼らを強打し、そして彼らを謙虚にさせ、そして彼らの罪を悟らせ、そうして彼らを新しく創造された者達へとさせる力が、私達には必要なのです。 そして、神が100年前そして、200年前に持っておられた力を今日でも持っておられると言う事を、私達は確信しなければなりません。 ですから私達は、罪を人々に悟らせ、そして彼らをキリストへと回心させる神の力の為に祈り初めらければなりません。

神は私達自身が出来ない事-邪悪な心による過ちから、失われた罪人を回心させる事をなさなければなりません。 神のみが“このたぐい”と対応する事ができるのです。 神は、キリストの時代に持っておられたほど、エドワード、ホワイトフィールドそしてウェスリーの時代に持っておられたほどの力を、今日でも持っておられます!

私達は、自分達自身の努力、また試みの無益さ、そして断固とした徹底した祈りの必要性、そして神御自身のみの回心の力を求める事などを理解するまで、真のリバイバルに関心を持たないことです。

“「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」”(マルコによる福音書第9章28-29節)。

*世論調査委員ジョージ・バーナによる統計
**ロイド‐ジョーンズ博士による言葉でなければ、意図としてハイマース先生
    によって付け加えられた箇所。 ロイド‐ジョーンズ博士は“決断主義者”の
    方法に反対して書いており、ビリー・グラハムからそれに関しては、分離している。 

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: ルカによる福音書第11章1-13節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Revive Thy Work” (by Albert Midlane, 1825-1909).