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カインの孤独
(創世記からの説教、その二十三)
R. L. ハイマース、Jr. 神学博士 著

THE LONELINESS OF CAIN
(SERMON #23 ON THE BOOK OF GENESIS)
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached on Lord’s Day Morning, September 30, 2007
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2007年9月30日、主の日の朝の説教

“あなたは地上の放浪者となるでしょう” (創世記第4章12節)。

2006年6月23日のUSA Today(全国紙)は、見出しの報道として、今日の社会における驚くべき孤独の増大について特集をしました。 その記事は、“アメリカ人は、20年前に比べて三分の一ほど少数の親しい友達や相談相手を持っている”(USA Today, June 23, 2006, p. A1) と言っています。 考えてみてください! 今日人々は、20年前に比べて三分の一ほど少数の友達を持っているのです! そして、その報告によると、その25パーセントの人々は、“信頼できる相手がいない”―まったく友達がいないのです!(同紙) そして、その記事は、これは“過去に比べて、人々は更により孤独に生きており、孤立した生活をしているというしるし”であると伝えています。 私はその報道は全く正当だと思います。 

社会学者や心理学者などは、近代の歴史の中でどの時代よりも、今日の人々は孤独であると語っています。 そして、孤独は若者達に非常な打撃を与えています。 多くの大学や高校の年頃の若者達は、自殺をするほど孤独になり、落胆をしているのです。 自殺が18歳から25歳までの若者達の間で、二番目の死の原因である主な理由は、それであると私は思います。 孤独! それは文字どうり今日の多くの若者達の命を奪っています。

“グリーン・デイ(Green Day)”は、三年以上にわたりラジオでしばしば流れている曲を歌っています。 それは、世界中で若者達が反応を示した歌です。 その歌のタイトルは“Boulevard of Broken Dreams.”です。 私はロック・ミュージックは勧めませんが、今日多くの若者達が聴いている音楽です。 それは今日の若者達の孤独について歌っています。

あなたはそのように感じた事がありますか? あなたは悲痛な孤独の思いを感じた事がありますか? 最近、アメリカン・ソシオロジー・リビュー(American Sociological Review)は、孤独について調査をしました。 その調査は、1985年には、標準的な一般の人々は三人の友達を持っていましたが、今日その数は“二人となり、四人のうち一人はまったく親しい友達を持っていない”と報告していました。(同誌) 考えてみてください! 四人のうち一人は全く親しい友達がいないのです! そして、あなたの世代の若者達以上に孤独によって打撃を受けている世代はありません。 デュ-ク大学(Duke University)の社会学の教授であるリン・スミス‐ラヴィン博士(Dr. Lynn Smith-Lovin)は、“通常、そのような大きな社会的な変化は、20年の間では見る事はない”(同誌)と述べています。 “そしてまた、調査は社会的孤立と孤独を、精神的なそして[更に]身体的な災いへと関連付けた”(同誌)。

なぜ今日、若者達は非常なる孤独を体験しているのでしょうか? 私達の時代で、孤独のめざましい増加にはいくつかの理由があると私は思います。

I. 最初に、孤独は人の堕落に根付いている。

聖書では、神は、罪のない最初の人達を造られ、エデンの園という完全な環境の下に彼らを置かれた事を教えています。 しかし、最初の人達は神に対して反抗し、そして罪を犯しました。 神学者達はそれを“堕落”と呼んでいます、なぜなら人は彼らの元来の義から罪の状態へと落ちて言ったからです。 そして神は彼らに言われました、

“地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る”(創世記第3章17節)。

全人類は“のろいの下にある”(ガラテヤ人への手紙第3章10節)。 “ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように”(ローマ人への手紙第5章18節)。 全世界がのろいの下にあり、そして、その結果として、人は悲しみと孤独を体験するのです。

最初の両親アダムとエバは、カインとアベルという二人の息子達がいました。 罪により、カインは弟のアベルを殺し、神は彼に更にひどいのろいを下されました、

“今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。 この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです・・・あなたは地上の放浪者となるでしょう”(創世記第4章11-12節)。

カインは逃亡者、居住者、地上の孤独な放浪者となりました。 彼の罪により、彼は野原そして山々を一人でさまよう追放者となりました。 グリーン・デイによる最近のパンク・ロックの歌で表されているように、彼は一人で歩きました。

“彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ”(エペソ人への手紙第4章18節)。

孤独は元来の罪が原因であり、エデンの園での人間の堕落に根付いていると私は信じます。 人間はそれ以来、歴史を通してあらゆる度合いの孤独を体験しています。 しかし、今日孤独の問題は悪化しています。 USA Todayの記事は、人々は“過去に比べて更に孤独となり、より孤立した生活を送っている”と述べています。(同紙) なぜ孤独は近代の世界でそれほどにも増大してきたのでしょうか? 第二の点に移りましょう。

II. 次に、孤独は現代人がカインのようになるにつれて増大している。

神はカインにこのように言われました、

“あなたは地上の放浪者となるでしょう”(創世記第4章12節)。

スコフィールド・スタディー・バイブル(The Scofield Study Bible)は、“カインは・・・地に住む人の典型(タイプ)であると言っています。 彼の宗教は罪による意識、もしくは購いの必要性に欠けていた・・・[彼は]神に対して怒り、[そして]罪のためのささげ物を持ってくる事を拒否した(創世記第4章1節の備考)。 カインは“地に住む人 ”であり、神を求めていませんでした。 彼の名前は“獲得”という意味です(同書)。 彼はひたすら、何を獲得出来るか、どうしたら“昇進”出来るか、どれ程の楽しみを得れるかと言う事に興味があったのです。 

“彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである”
      (ヨハネの第一の手紙第3章12節)。

偉大な宗教改革者マーチン・ルーテルは、“この世は神に関する事において、ひどく邪悪な怪物のようであり、それは[正当なクリスチャン達を]嫌悪し、迫害し、そして殺す。 この不道理なもの・・・それは彼の父親カインから受け継いだ”と述べています。

聖書は、人はこの世の終わり、すなわちキリストの再来の直前にはカインのようになるであろうと預言しました。 私達はその時代あたりに住んでいると私は信じます。 全ての印は聖書が言う“最後の時”に私達は住んでいる事を示しているように思えます。 使徒パウロはどの時代よりも私達のこの時代に当てはまると思えるような預言を与えています、

“終りの時には、苦難の時代が来る。 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者・・・神よりも快楽を愛する者・・・信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう”(テモテへの第二の手紙第3章1-2,4-5節)。

これは、今日非常なる孤独を生み出している社会的な状況を表していると私は思います。 人々はカインのようになっています。 それは、私達が現在この世の最後の辺りに住んでいる事の表れだと思います。 私はUSA Today が それを“しるし(前兆)”と呼んでいる事は興味をそそる事だと思います。 この記事は、孤独の増大は“過去に比べて、人々は更により孤独に生きており、孤立した生活をしているしるし”であると言っています(同紙)。 それはこの世が終わりに近づいている事のしるし(前兆)の一つであると、私は思います。 そして神はカインにこう言われました、

“あなたは地上の放浪者となるでしょう”(創世記第4章12節)。

グリーン・デイは“Boulevard of Broken Dreams.”と言う歌を歌いました。


自分は一人ぼっちの道を歩く、

自分が知っている唯一の道、

どこにたどり着くかも知らない、

しかし、それが自分のホーム、そして一人で歩く、

自分はこの空しい道を歩く、

壊れた夢の大通り、

街はねむり、

そして自分はひとり、一人で歩く・・・、

一人ぼっち、一人ぼっち、一人ぼっち。

   (Green Day, “Boulevard of Broken Dreams,” 2004).


多くの若者達は孤独です、なぜなら彼らは、神は重要ではないように生きていたカインのように、生きているからです。

“人々は自分を愛する者”(テモテへの第二の手紙第3章2節)。 自己中心の人々は自分達の事に大変関心を持ち、彼らには真の友達―もしくは神の余地はないのです。 そのような人々は、孤独となるのです。

彼らは“金を愛する者”なのです(テモテへの第二の手紙第3章2節)。 彼らはお金をとても愛している為に、彼らは日曜日には教会へ来ないで、働いているのです。 彼らが教会へ来るべき時にはいつも、彼らは多少の収入の為に稼いでいるか、ないしは、後にもっと稼げるように勉強をします。 彼らの生活は自分達の職業においての“出世”そして彼らの“昇進”が中心となっています。 彼らの生き方は、神や教会中心ではありません。

彼らは“信心深い様子”(テモテへの第二の手紙第3章5節)かもしれませんが、それは“形”だけなのです。 ギリシャ語では“外見”という意味です。 カインは宗教的な“外見”を持っていましたが、彼は救われていなかったのです。 スコーフィールド・スタディー・バイブルは、“カインの血のないささげ物は、神聖なやり方を拒否しているのです(創世記第4章7節備考)。

聖書では、あなたの罪は血によって清められなければならないと教えています。 なぜなら、

“血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない”
       (ヘブル人への手紙第9章22節)。

血を流すことなくしては、罪の赦免、ゆるしはありません。 カインはそれを知っていました。 彼はそれを学んでいました。 彼は神に血のささげ物を持っていく必要があることを知っていました。 しかし、彼は拒否しました。 彼が“キリストに来るように”と勧められた時に 、彼は様々な言い訳をしました。 ですから彼の罪の“赦免はなく”ゆるしもなかったのです。

今朝、あなたもカインのようではないのでしょうか。 あなたは自分自身の事だけを考えていますか? あなたはキリストの血なしに天国へいけると思いますか? あなたは今の状態で十分だと思いますか?

自分の心を深く探って見なさい。 邪悪な思いで満ちていませんか? そのような事を時々考えませんか? イエス・キリストの血によって罪が清められない限り、あなたのような自分勝手で罪深い人がどのようにして天国へ入る事を望めるのでしょうか? もしあなたが今のままでいるならば、いつかあなたはこの宇宙で最もさびしい場所である地獄へ落ちていくでしょう。 地獄であなたは、永遠に“放浪者”(創世記第4章12節)となるのです。 ルカによる福音書第16章で、地獄にいる金持ちの人には、誰も彼を助ける人はいませんでした。  彼は、彼と救われた人々との間にある“大きな淵”(ルカによる福音書第16章26節)のため、一人きりでした。

III. 最後に、キリストは罪をゆるすため、そして孤独を癒すために来られた。

聖書では、こう言っています、

“キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった”
      (テモテへの第一の手紙第1章15節)。

キリストは彼の道徳的な教え、重要な事ではありますが、それらを通して私達を救われるのではありません。 私達は一生涯を通して彼の道徳的な教えを学ぶ事は出来ますが、それでも救われません。 多くの人々はそのような事を行っています。 キリストの来られた主な理由は、道徳的な教えを単に与えるのではなく、十字架の上で私達の罪の報いを償う為でした。 聖書ではこう言っています、

“キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだ” (コリント人への第一の手紙第15章3節)。

キリストは私達の全ての罪を十字架の上で贖なわれました。 彼は、

“わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木[十字架]にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある”(ガラテア人への手紙第3章13節).

キリストは私達の罪の為に十字架で死なれただけではなく、彼の苦しみによって、

“まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった・・・その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ”
      (イザヤ書第53章4-5節)。

孤独の病と悲しみは、十字架の上で、イエスによって負われました。 彼のはりつけを通して、われわれの罪をゆるすことによって、彼はわれわれの“悲しみ”と“病”も同様に負われたのです。

あなたが信仰でもってキリストに来るとき、あなたの罪は即座に無効とされ、放免されるのです。 罪の大いなる悲しみと病もまた、癒されるのです。 彼らが、イエスを十字架につける前にむち打った、“その打たれた傷”―彼の背にできた深い切り傷でもって、罪の産物である多くの悲しみと病から私達は癒されるのです。 そして、その中には多くの若者達がキリストにおける信仰を通して回心する前に体験する、ものすごく残酷な孤独の悲しみと病も含まれるのです。

“まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった”

十字架の上で(イザヤ書第53章4節)。 彼は、カインのように、あなた方の多くが人生で体験する悲嘆な孤独を癒すでしょう。

“その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ”
     (イザヤ書第53章5節)。

聖書はこのように言っています、

“主は心の打ち砕かれた者をいやし” (詩篇第147篇3節)。

彼の最近の著書(Bowling Alone)の中で、ロバート・プッツマン(Robert Putnam)は以下のように語っています、

親しい友人の数がより少なくなっている理由は定かでない・・・考えられる主な理由の中に、人々は郊外[そこでは、隣近所さえ誰であるか知らない]に住み、より多くの時間を仕事で取られ、人との付き合いの時間や、クラブに参加する時間が削られていることが挙げられる。 人々は、テレビやiPods、そしてコンピューターといった娯楽の機器をより多くもち、家に閉じこもるのである(USA Today, 同書).

しかし、これらの近代的な機器は、真の友人の代わりにはなりません、そして、これらの機械は、神との個人的な関係をあなたにもたらさないし、教会において真の友人をあなたに与えません。 イエス・キリストだけがそのことができます。 唯一彼のみがあなたの孤独をいやし、あなたが生涯わかち合える真の友人関係をもたず―そして、神との個人的な関係をもたず、あなたが夜中に一人ぼっちで通りを歩くことを遠ざけることができるのです。

すべての近代的な娯楽と携帯電話のような機器のゆえ、私達は、人そして神との真の友人関係からかけはなされているのです。 キリストのみその答えを持っているのです! この理由のために、私はあなた方にこの教会に戻ってくるように心から急き立てているのです。 説教を聞きなさい。 キリストに来なさい。 そして、このバプテスト教会の親交と友人関係の中に完全に来なさい、神は、あなたに生涯にわたり付き合える新しい友をもたらすでしょう。 そのわけで、私達は繰り返し何度も、“なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ失われているのですか? イエス・キリストに来なさい”と言っているのです。

“見よ、世の罪を取り除く神の小羊”
       (ヨハネによる福音書第1章29節)。

もしあなたがキリストに来、あなたの罪を悔い、そして信仰でもって心をつくして完全に彼を信頼するならば、キリストは、あなたが今まで生涯でもったことのない最良の真実な友となるでしょう。

キリストは、あなたをローカルの教会に呼んでいるのです。 ここの教会では、あなたは生涯の友を持つことができるのです。 私には40年以上にわたり、真の友達と呼べるクリスチャンの友がいます。 私は、昼夜を問わず、彼らに電話をかけたり、尋ねたりすることができます。 もし私が不意に彼らの家の玄関口に立てば、彼らは両手を広げて暖かく私を迎えてくれるのです。

あなたもまた、カインがあなたのように若かった時に彼をだいなしにした孤独感に打ち勝つことができるのです。 カインのようになってはいけません。 “なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ失われているのですか? 神の御子であるイエス・キリストに来なさい”、なぜなら、

“まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった・・・その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ”
      (イザヤ書第53章4-5節)。

なぜ来週の日曜日にまた、教会に戻ってこないのですか? 実際のところ、今夜戻ってこないのですか? あなたの孤独をいやすことのできる、生涯の友を持つには、教会ほどよいところはありません。 何度も言ったように、“この地上で最もハッピーな場所”はディズニーランドではありません! もし一人で行けば、そこはこの地上で最も孤独な場所であることに気づくでしょう! 教会に来なさい、そしてキリストを信頼しなさい。 このローカル教会は、ロスアンゼルスで最も親しい場所です。 来週の日曜日に私達と一緒に来なさい! よりよいことは、今夜―6時にここに戻ってきて、説教、ファン、そしてクリスチャン・フェロシップを楽しみなさい。 そうしてよかったと思うでしょう! 起立して賛美歌集の最初の賛美歌(Come Home to Dinner)を声を出して歌ってください。 

イエスに来なさい、食卓は準備された;
晩餐に来なさい、食事を共にしよう。
イエスは私たちと共にいらっしゃる、
晩餐に来なさい、そして食事を共にしよう!
教会に来て食事をしよう、
甘い友好を共に;
それはちょっとしたおもてなし
食事のために席に着くとき!

大都会の人々は、無関心;
何ら彼らが提供するものはなく、思いやる愛もない。
しかし、イエスに来なさい、気づくでしょう、
食卓には料理があり、共有する友好がある!
教会に来て食事をしよう、
甘い友好を共に;
それはちょっとしたおもてなし
食事のために席に着くとき!
   (“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.,
      to the tune of “On the Wings of a Dove”).

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 創世記第4章1-12節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Boulevard of Broken Dreams” (by Green Day, 2004).

要 綱

カインの孤独
(創世記からの説教、その二十三)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“あなたは地上の放浪者となるでしょう” (創世記第4章12節)。

I.   最初に、孤独は人の堕落に根付いている。
創世記第3章17節;創世記第3章10節;
ローマ人への手紙第5章18節;創世記第4章11-12節;
エペソ人への手紙第4章18節。

II.  次に、孤独は現代人がカインのようになるにつれて増大してい
る。ヨハネの第一の手紙第3章12節;テモテへの第二の手紙
第3章1-2, 4-5節;へブル人への手紙第9章22節;
ルカによる福音書第16章26節。

III. 最後に、キリストは罪をゆるすため、そして孤独を癒すため
に来られた。テモテへの第一の手紙第1章15節;
コリント人への 第一の手紙第15章3節;
ガラテ人への手紙第3章13節;
イザヤ書第53章4-5節;詩篇第147篇3節;
ヨハネによる福音書第1章29節。