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ノアの時代―その5
(創世記からの説教、その十六)
R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

THE DAYS OF NOAH – PART V
(SERMON #16 ON THE BOOK OF GENESIS)
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2007年8月19日、主の日の晩の説教

A sermon preached on Lord's Day Evening, August 19, 2007
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
(マタイによる福音書第24章37節).

この節は“人のこの現れるのも・・・のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節)の言葉で終わっています。 聖書では、イエス・キリストは再び天から雲に乗って戻って来られると教えています。 イエスはこのように言われました。

“またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。 わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである”(ヨハネによる福音書第14章3節)。

イエスが天に戻って行かれた時、それは目に見ることが出来、正にそのものでした。 弟子達は、彼が地から上がって行かれるのを見る事が出来ました。 彼の甦られた身体は雲の中へ上って、消えていきました。 そうして、聖書はこのように語っています。

“イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。 あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」”
       (使徒行伝第1章10-11節)。

“このイエスは、天に上っていかれるのをあなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう”と書かれたこのテキストの言葉は、明白そのものです。 イエスは―雲の間を通りぬけて―上がって行かれたのと同じ有様で地上に戻って来られるのです! イエスは同じ場所-オリーブ山の頂上―に戻って来られます。 イエスは同じ甦られた御身体で、同じ空を通して、オリーブ山に戻って来られるのです。 

さて、イエスが戻って来られる時、この地上の状態がどのようであるかを知る事はとても重要な事なのです。 キリストはノアの時代のようになるであろうと告げられました! キリストが戻って来られる時には、この地上には真のクリスチャンは数少ないでしょう。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

I.  旧約聖書では、キリストは戻って来られる事を私達に告げています。

イエスが初めに来られた時、人々は、彼が御自分の御国を築き上げられ事を期待していました。 彼らは、メシアは苦しめられ、そして死ななければならない(イザヤ書第53章;詩篇第22章などを参照)ように書かれている旧約聖書の節を見落しました。 しかし今日、正にこの逆が起こっています-人々は彼の地上での生涯と死については大いに考慮していますが、彼の輝かしい再臨は軽視されています。 両方とも重要なのです。 私達の罪が許される為に、彼は十字架の上で死なれなければならなかったのであり、イエスは御自分の御国をこの世に築き上げる為に、再び戻って来られなければならないのです!

アダムから七代目にあたるエノクは、ノアの時代にキリストの再臨について説教しました。 ユダの手紙の第14節を開いてください。 ここで聖霊は、エノクが大洪水以前に説教したメッセージを私達に与えています。

“アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言[説教]して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた」”
      (ユダの手紙第14節)。

エノクは、キリストがオリーブ山の頂上へ雲を通って降りて来られる時、甦ったクリスチャン達は、キリストと共に戻って来る事を説教していたのです。 “一万人”というのは的確な数字ではありません。 それは救われた人達の天国にいる全体の会衆を表しています。 一万人とは“全ての聖者達”を表わしている象徴的な数字なのです。 全ての甦らされた信者達は、空からオリーブ山へと、キリストの為にこの世の御国を迎え入れる為に殺到するでしょう。

そうして、エノクはキリストと彼の弟子達は来ると述べました。

“それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである” (ユダの手紙第15節)。

イエスと彼の弟子達がこの世に戻って来る時に、キリストは反抗的な国民に対して大いなる裁きを下されるでしょう。

エノクのこの説教の主題は伝統的に受け継がれており、後に旧約聖書外典のエノクの書に模写されました。 しかし聖霊は、これが大洪水以前にエノクが実際に説教した―キリストの再臨についてのメッセージである事を示す為、このユダの手紙の中にそれを記録しました!

ヨブは、紀元前およそ1520年にモーゼの時代以前に書かれた、聖書の中の一番古い書物を書きました。 ヨブ記第19章25節を開いて下さい。 これが、ヨブがキリストの再臨について言った事です。

“わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。 しかもわたしの味方として見るであろう。 わたしの見る者はこれ以外のものではない。 わたしの心はこれを望んでこがれる” (ヨブ記第19章25-27節)。

これらの節はヨブが文字通りの人間の体の甦りを信じている事を表しています。 そしてまた。それらは、イエス・キリストの身体ごとの再臨を文字通り彼は信じていた事をも示しています。 彼は、聖書の中で最後の時世を説明するための用語“後の日”に、キリストは戻って来られ、この地上に立たれる事を明らかに確信させられました。 ですから、聖書で記録されている一番古い書物ヨブ記で、イエス・キリストの再臨は明白に教えられています。

このように、私達は三つのうちの二つの、再臨についての初期の言及、すなわち、ノアの説教とヨブによる預言を見ました。 さて、キリストの再臨について、最も初期の言及を見てみましょう。 聖書の創世記第3章15節を開いてください。 

“わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。 彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう” (創世記第3章15節)。

神は、キリストとへびとの間の二つの明らかに異なる不一致について悪魔に話されました。 “女のすえ”とはイエス・キリスト を表しています。 創世記第3章15節は、サタンが彼のかかとを砕くであろうと私達に告げています。 この預言が成就するよう、キリストのかかとは、カルバリーの十字架の上で“砕かれ”ました。 しかし、この預言の後半は、悪魔のかしらを砕くキリストについて書いています。 それは、キリストがこの世に彼の御国を築き上げる為に戻って来られ、悪魔を1000年の間つなぎ置き(ヨハネの黙示録第20章2節参照)、彼を永遠に火と硫黄との池に投げ込む(ヨハネの黙示録第20章10節参照)までは、この事は起こりません。

創世記第3章15節の最初の預言は、キリストによって十字架の上で成就されました。 二番目の預言は、キリストが戻って来られ、そして悪魔が裁かれる時に成就されるでしょう。 これはキリストの再臨について聖書に記録されている最も古い預言です。

ですから、私達はずいぶん以前のエデンの園で、再臨について神が与えられた預言、大洪水以前にエノクによって説教された再臨についての預言、モーセの時代以前に、ヨブを通して語られた再臨についての預言を見てきました。

では、ゼカリヤ書の第14章4節を見て下さい。

“その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にあるオリブ山の上に立つ。 そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって、東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、わが山の谷はふさがれる。 裂けた山の谷が、そのかたわらに接触するからである。 そして、あなたがたはユダの王ウジヤの世に、地震を避けて逃げたように逃げる。 こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる
       (ゼカリヤ書第14章4-5節)。

ティム・ラヘイ預言研究聖書(Tim LaHaye Prophecy Study Bible)はこのようなコメントを挙げています。

ゼカリヤは、イエス・キリストの再臨の際に、ハルマゲドンの戦いで反キリストによって導かれた異教徒の国々が負かされる時の、メシヤの最終的勝利を預言している。 ゼカリヤはキリストが戻って来られる時にオリブ山の上に立たれる主を見る。 天へと上がって行かれたその場所へ、彼は再び戻って来られ、そしてこの時に山は二つに裂け、地中海から死海までに平断層を造る
       (ゼカリヤ書第14章1-8節における記述)。

ゼカリヤは、旧約聖書の最後に及んで、キリストの再臨についてこれらの言葉を記録しています。

では、マラキ書の第3章1節が言っている事を聞てください。 ここでは、次のように私達に語っています、

“あなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る”
      (マラキ書第3章1節)。

これは旧約聖書の最後の書物であり、それはキリストの再臨についてのこの明白なメッセージを与えています。

この節をゼカリヤ書第14章4-5節に結びつけると、キリストは、オリブ山の頂上に天から降りて来られ、そして彼はその山を歩いて下られ、シオン山の脇までケドロン川を横切られ、そして大艱難の際に建てられた神殿へと入って来られるのを、私達は描写できるでしょう。

キリストのこの地上での奉仕の間、彼は二回ほど神殿を清められ、一度は彼の奉仕(ヨハネによる福音書第2章13-17節)の最初の時に、そして再び、彼のこの世での生涯を終えられる時になさいました(マタイによる福音書第21章12-13節)。 どちらの場合でも、彼は両替人の台やはとを売る者達の腰掛を覆され、彼はむちを作り、羊や牛と共に彼らを宮から追い出されました。

彼は、“わたしの家は、祈の家ととなえられるべきである”(マタイによる福音書第21章13節)と言われました。 疑いもなく、再臨の際、イエスが“たちまちその宮に来る”時(マラキ書第3章1節)、彼は同じような事をされ、同じような言葉を言われるでしょう

II. 新約聖書でも、またキリストが戻って来られる事を私達に告げています。

イエスはこう言われました。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう
      (マタイによる福音書第24章37節)。

キリストは彼が戻って来られる事を教えられました。 もしあなた方がマタイによる福音書の第24章と第25章そしてルカによる福音書第21章を読むならば、あなた方は、彼がこれらの章で話された主要な事は、彼の戻って来られる事、そして実際の再臨それ自体についての前兆(しるし)でした。 最後の説教で、イエスは彼の弟子達にこう言われたました。

“またきて”(ヨハネによる福音書第14章3節)。

イエスが天に上がられた後で、御使い達が最初に約束した事は、“このイエスは・・・あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう”(使徒行伝第1章11節)でした。

キリストの再臨は、新約聖書の使徒書簡を通して教えられました。 コリント人への第一の手紙第15章51節を開いて下さい。

“ここで、あなたがたに奥義を告げよう。 わたしたちすべては、眠り続けるのではない。 終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである”
        (コリント人への第一の手紙第15章51-52節)。

そして、テサロニケ人への第一の手紙第4章16節には、

“すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。 その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い” (テサロニケ人への第一の手紙第4章16-17節)。

再度、ヨハネの第一の手紙 第3章2節では、

“愛する者たちよ、わたしたちは今や神の子である。 しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。 彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。 そのまことの御姿を見るからである。 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする”
      (ヨハネの第一の手紙第3章2-3節)。

新約聖書にはキリストの再臨について他にも多く聖句がありますが、この説教を終えるにあたって、二つの聖句だけを上げましょう 。

最初に、ヨハネの黙示録の第22章20節で 、私達は最後に記録されたイエスの言葉を読み取れます。

“これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。 アァメン、主イエスよ、きたりませ”
      (ヨハネの黙示録第22章20節)。

では、この説教の終わりに際し、イエスの言われた事に耳を傾けて下さい。

“あなたがたも用意していなさい。 思いがけない時に人の子が来るからである” (ルカによる福音書第12章40節)。

もし、あなたが回心していないならば、あなたは彼の再臨に用意が出来ていません。 あなたは回心しなければなりません、そうでなければ、キリストが戻って来られる時に彼に出会う用意が出来ていません。 回心する為には、あなたの罪なる生活から向きを変え、イエス・キリストに来る事です。 彼の御血があなたの罪を洗い流し、そうしてあなたは神の御国へと行く用意が出来るでしょう。

今日、多くの人達は回心していません。 多くの人達はキリストの再臨の用意が出来ていません。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

あなたが生まれ変わっている事を確かにしてください。 それがキリストの再臨に向かって備える事です!

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: ヨブ記第19章23-27節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Jesus Is Coming Again” (by John W. Peterson, 1957).

要 綱

ノアの時代―その5
(創世記からの説教、その十六)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
(マタイによる福音書第24章37節)

(ヨハネによる福音書第14章3節;使徒行伝第1章10-11節)

I.   旧約聖書では、キリストは戻って来られる事を私達に告げてい ます。
ユダの手紙第14-15節;ヨブ記第19章25-27節;
創世記第3章15節;対照/ヨハネの黙示録第20章2, 10
節;ゼカリヤ書第14章4-5節;マラキ書第3章1節;
対照/ヨハネによる福音書第2章13-17節;
対照/マタイによる福音書第21章12-13節。

II.  新約聖書でも、またキリストが戻って来られる事を私達に告 
げています。ヨハネによる福音書第14章31節;
使徒行伝第1章11節;コリント人への第一の手紙
第15章51-52節;テサロニケ人への第一の手紙
第4章16-17節;ヨハネの第一の手紙第3章2-3節;
ヨハネによる福音書第22章20節;
ルカによる福音書第12章40節。