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ノアの時代―その3
(創世記からの説教、その十四)
R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

THE DAYS OF NOAH – PART III
(SERMON #13 ON THE BOOK OF GENESIS)
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2007年8月18日、土曜日の晩の説教

A sermon preached on Saturday Evening, August 18, 2007
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節).

これは、“ノアの時代”について私が説教をした三番目の説教です。 キリストは、この世の最後は大洪水以前にノアが生きていた時と同じようになるであろうと、弟子達に語られました。 私は、私達の時代がノアが生きていた時代に似ている六つの点について説教をしました。 もし、あなた方が創世記の第4章、5章、そして6章を読めば、私達が歴史の最後に接近して生きているという事に私と同意すると思います。 これら聖書の三つの章 が、ノアの時代がどのようであったかを私達に知らせてくれます。 あなた方はそれらを私達の時代と比べることができます、そして私達の世の中は最後の時が迫っている事を知るでしょう。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

この主題に関して、私は、最初の二つの説教でこのような事を表示しました。


(1)  それは、 背教の時代-多くの人々が神の真実に背を向けた時代であった。

(3)  それは、人々が常に動き回った-はなはだしい移動の時代であった。

(3)  それは、彼らの心が非常にかたくなになり、彼らが救われるのが不可能になるまで、真の救いを拒否する事により-多くの人々が許されることのない罪を犯した時代であった。

(4)  それは、人々が神の一人の人との結婚における規定を破った時-多重婚(複合的な結婚)の時代であった。

(5)  それは、広範囲において悪魔に占有された時代であった。

(6)  それは、頻繁なる邪悪の思考の時代であった。


では今晩、私はあなた方が私達の時代とノアの時代とのさらに三つの類似点を考慮してほしいと思います。


(1)  それは、音楽によって著しく影響されていた時代であった。

(2)  それは、非常なる暴力行為の時代であった。

(3)  それは、熱心な説教が拒絶された時代であった。

I. 最初に、ノアの時代は多大な音楽の影響力によって特徴づけられていた。

創世記第4章21節を開いて下さい。

“その弟の名はユバルといった。 彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった”(創世記第4章21節)。

これは、聖書が楽器や音楽について私達に述べている最初の節です。 ここで再び、私達はキリストの言葉を思わされます。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

今日、音楽は至る所で聴かれます。 私が幼かった頃よりもより頻繁に音楽を聴きます。 私達の入って行くほぼ全ての建物の中で音楽は流れています。 エレベーターの中でも音楽は流れています。 あなたの運転する車の中でも音楽は流れています。 私が公園を毎日のように散歩する際にも音楽が聞こえます。 私がジムで泳ぐ時にも、音楽は建物中、トレーニングの部屋、そしてシャワー室の中までも流れています。 音楽はテープレコーディング、CD、ラジオ、テレビ、そして映画などを通して私達に伝わってきます。 人々は彼らの車の中でもとても大きく鳴らしており、それから避ける事は出来ません。

1963年のずいぶん前に、デハーン博士(Dr. M. R. DeHaan)はこのような事を陳述しています。

至る所に-音楽、音楽、音楽! キーキー、ガーガー、そして無意味なうめき、また、ベイビートークや猿の鳴き声、私達が、人々が モダンジャズの反復の律動による呪文の下で、ほぼ完全に気が狂っていくのが分かるまで・・・そのとおり! イエスは、彼がノアの時代を私達が現在生きている時代と比べられた時、御自分が何を話しておられたかを承知しておられた。(M. R. DeHaan, M.D., The Days of Noah, Zondervan, 1963, pp. 46-47).

デハーン博士は続けて言っています。

音楽の付き物無しには何もなされる事が出来ないように思える:我々は音楽によって商品を売っており、我々は音楽によって自分達の製品を売り歩く。 しかし、悲しい事には、それが我々の教会へと、そして聖なる区域へも、神の言葉における説教を音楽と代用する事によって侵入して来ている。 思慮のないコーラス、不愉快な霊歌などは人の心を福音へと備えさせるように思われている。 緊張のもとでの感情的に不安定が砕け、彼らが天からの声を聞いたように思い込むまで、無意味なフレーズはジャズのスイングスタイルやシンコペーションに合わせて、何度も何度も繰り返される。  まったくそうである! “その時も・・・そうなるであろう”(ibid.).

デハーン博士はほぼ40年前の1963年の昔に、これらの言葉を書いています。 彼が言った事は当時に於いて真実であり、今では それは更に真実なのです。 教会の中での“思慮のない”音楽と彼が言っている事はそのように増えており、ほとんどの集会の半分以上がこのような場当たりにそそがれています。 その多くはただのまったく退屈させるものです! もう一つの“There’s within my heart a melody(わが心にメロディーあり)”のコーラス。 生気のない、明らかに“録音された”と分かる音楽と一緒に歌われる気の長いゴスペルソングの数曲。

誤解しないでください。 私は教会での適度な望ましい音楽に反対しているのではありません。 しかし、私はほとんど全ての音楽は会衆による歌であるべきだと思います。 そして、私達はただのゴスペルソングのようなものではなく、真の賛美歌 を歌う必要がある私は思います。 私達はアイゼック・ワッツ(Isaac Watts)、チャールズ・ウェスリー(Charles Wesley)の賛美歌、そして最初の、また二番目の偉大な真のリバイバルの時からの他の賛美歌などを歌う必要があります。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

II. 次に、ノアの時代は非常なる暴力行為によって特徴付けられた。

創世記第6章11節を開いて下さい。

“時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。 神が地を見られると、それは乱れていた。 すべての人が地の上でその道を乱したからである。 そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。 彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう”(創世記第6章11-13節)。

第一次世界大戦以来、人類はますます暴力行為へと向かって行きました。 過去60年間は、他のどの歴史上の時代よりも多くの暴力行為により特徴付けられます。 創世記の第4章23節で、ノアの時代の人殺し、そして暴力行為についての話が挙げられています。

“レメクはその妻たちに言った、「アダとチラよ、わたしの声を聞け、レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。 わたしは受ける傷のために、人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」”(創世記第4章23-24節)。

デハーン博士はこのように述べています。

これは後に創世記の第6章で発展していった時代の描写が挙げれている。 それは暴力行為、殺人、そして理由のない殺害、また、虐殺的な犯罪などの世代であった。 これに関してコメントが必要であろうか? 歴史上で、今日ほど残酷な、理由なしの虐殺行為などを記録する世代があったであろうか? 正に加虐の世代である。 全ての新聞は、嘆かわしい話題を伝えており、そしてそれは非常に切迫してきており、真昼であっても市街地だけではなく、田舎の地方であっても襲われる事を恐れ、人々はかんぬきを掛けられたドアと錠前や鍵の背後に生きている。 我々の街路では女性は安全ではなく、また、子供たちは、裁きへと急激的に達している今日の邪悪な世代の加虐的で不人情な傾向に対して、並外れた保護を与えられなければならない。 この主題はなんとも浅ましい事であり、詳細に触れようとは思わない。 我々は新聞を読み、そして特に青少年の間で、犯罪のすさまじい増加についての統計を読み取り、イエスの言葉、“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”という真実を 知る事ができる。(ibid., pp. 48-49).

私達の時代の暴行は、第二次世界大戦以前の時代、特に第一次世界大戦の時代とはまったく異なっています。 歴史に関して何も知らない人達は、今日の社会で見るような暴行が常にあったとあなた方に告げるでしょう 。 しかし彼らは知らないのです。 私の記憶では、暴行は警急の如く増加しました。例えば、9月11日以前は、アメリカ人はテロ対策の脅迫や核兵器による攻撃などは予期しませんでした。 私達の時代には、前例のない暴行やあらゆる手におけるテロ対策があります。イエスはこう言われました。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

III. 最後に、ノアの時代は熱心な説教の拒絶によって
特徴付けられていた。

聖書は、大洪水以前の時代には二人の偉大な説教者がいたことを教えています。 彼らの名前はエノクとノアでした。 彼らの説教の主題は聖書の中に挙げられています。 ユダ書の第14節を開いてください。

“アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴虐とを責めるためである」”
      (ユダの手紙第14-15節)。

エノクは罪に対して激しく説教をしました。 彼はキリストの再臨においての裁きについて熱心に説教をしました。 彼は黄泉について説教をしました。 これらがエノクが大洪水以前に説教をした題目でした。 エノクはこれらの主題を大洪水以前に何度も繰り返して説教をしました。

では、ペテロの第二の手紙第2章を開いて下さい。 ここ第5節で私達はノアの説教について読み取れます。

“また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された” (ペテロの第二の手紙第2章5節)。

ノアはエノクと同様説教者でした。 彼は聖書の教師、もしくは 霊的な動機を与える人ではありませんでした。 いいえ、そうではありません! いいえ! 彼は“義の説教者”でした。 “説教者”と訳されたギリシャ語は“ケルックス(kerux)”と言い、”公共のふれ役として布告する、宣言する“という意味です(Strong’s Concordance, #2783, 2784)。 これは、最後の時代の“教師”とは完全に異なります。

“人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め”
      (テモテへの第二の手紙第4章3節)。

“教師”という意味は、ギリシャ語の“ディダスカロス(didaskalos)”からきており、“教える事”という意味です(Strong’s Concordance, #1320, 1321)。

私達は、説教(公共のふれ役のように宣言する事)から背を向ける事、そして、聖書が、最後の時に教会を特徴付けるであろうと言っている、説教をする事の代用として“教え”を用いる、その体験をしています(テモテへの第二の手紙第4章2-4節を参照)。

デハーン博士はこのような解説をしています。

我々は再度、ノアの時代についてこの頃の時代の推論を指摘している。 マタイによる福音書第24章 の核心で、イエスは、大洪水以前の時のように、彼が戻って来られる時もそのようであろうと言われています。 確かに、大洪水以前のノアの時代は非常なる惑わしの時代であったに違いない。 ・・・エノクそしてノアのような勢力のある説教のにもかかわらず、この世はこれらの説教者を信じず;そして大洪水が起った時、救われていた8人のみが残った (ibid., p. 56).

エノクは、来るべき裁きについて説教をしました。 ノアは、義と裁きについて説教をしました。 彼は、来るべき大洪水による裁きについて説教をしました(ペテロの第二の手紙第2章5節;へブル人への手紙第11章7節を参照)。 立派な説教者であった彼ら二人が話しをした時、実際には誰一人として救われませんでした。 人々は、裁きは来ないかのように生活を送っていました。

あなたはどうですか? あなたは裁きのための準備ができていますか? あなたは説教者に耳を傾け、悔い改めますか? あなたは救いの箱舟―すなわち、キリストに入って来ますか?

私はあなたに、キリストはあなたの罪の贖いのために十字架で死なれたことを話すためにここにいます。 彼は死からよみがえられ、天の聖なる父の右座に上げられました。 あなたは、もしキリストに来ないならば、来るべき裁きのための準備はできていません。 あなたは、実際にキリスト、その方に来なければなりません。 さもなければ、ノアの時代の人々のように、あなたは裁かれ、黄泉に下らなければなりません。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節).

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:創世記第4章21-24節;第6章11-13節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“In Times Like These” (by Ruth Caye Jones, 1944).

要 綱

ノアの時代―その3
(創世記からの説教、その十四)
R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節).

I.   最初に、ノアの時代は多大な音楽の影響力によって 特徴づけられていた。
創世記第4章21節。

II.  次に、ノアの時代は非常なる暴力行為によって特徴付けられた。
創世記第6章11‐13節;創世記第4章23-24節。

III. ノアの時代は熱心な説教の拒絶によって特徴付けられていた。
ユダの手紙第14-15節;ペテロの第二の手紙第2章5節;
テモテへの第二の手紙第4章3節。