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神の僕による苦悩そして克服
(イザヤ書第53章からの説教、その一)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

THE SUFFERING AND TRIUMPH OF GOD’S SERVANT!
(Sermon number 1 on Isaiah 53)
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2007年2月18日、主の日の朝の礼拝での説教

A sermon preached on Lord’s Day Morning, February 18, 2007
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“見よ、わがしもべは栄える。 彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。 多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである――彼は多くの国民を驚かす。 王たちは彼のゆえに口をつぐむ。 それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。”(イザヤ書第52章13-15節)


ジョン・ギル博士(Dr. John Gill)、そして“大多数の”近代の注解者などによると、これらの節は52章にではなく53章に加えられるべきである。(Frank E. Gaebelein, D.D., The Expositor’s Bible Commentary, Regency Reference Library, 1986 ,volume 6, p.300) 13節から53章の12節に至るまでの節は、神の“苦しんでいる僕”について言及しています。 マチュー・ヘンリー(Mathew Henry)は次のように述べています。       

ここから始まり次の章の最後まで続いているこの預言は、可能な限り明白にイエス・キリストについて指適している。;近代のユダヤ人達は、それを曲解するよう大いに努めているけれども、古代のユダヤ人達は、それが救世主の事であると理解していた・・・宦官に[この節から]キリストについて説いたピリポは、彼について、“ここで預言者が語っている彼”とはキリストのことで、他の何人でもないことを教え諭した。 使徒行伝第8章34-35節( Matthew Henry’s Commentary on the Whole Bible, Hendrickson Publishers, 1996 reprint, volume 4, p.235)

古代のユダヤ・タルグム(Targum:旧約聖書のアラム語訳)は、古代の宗教指導者達、アベン・エズラ(Aben Ezra)とアルシェク(Alshech)が言ったように、それは救い主について言及している、と言っています。 (John Gill, D. D., An Exposition of the Old Testament, The Baptist Standard Bearer, 1989 reprint, volume I, p.309)  歴史を隔ててクリスチャンの注解者達は、この節を主であるイエス・キリストの預言と理解して来ました。 スポルジョン(Spurgeon)は次のように言いました。

それ以外にどのように理解できるであろうか? その預言者は他に誰を指す事が出来たか? もし、ナザレのその方、神の御子が、これらの三つの節の中で明らかでなければ、それらは真夜中の暗闇それ自体と同じように、暗闇そのものである。 我々はそれらの言葉を主イエス・キリストと結びつける事を一瞬たりとも躊躇する事はない。(C. H. Spurgeon,” The Sure Triumph of the Crucified One,” The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1971 reprint volume XXI, p. 241)

すでに、マチュー・ヘンリー(Matthew Henry)が言及したように、伝道者ピリポは、この聖書の節はキリストの苦しみを予告していると言いました。

“宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。 自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた。”(使徒行伝第8章34-35節)

古代のタルグム、古代の宗教指導者達、伝道者ピリポ、あるいはその時代時代の注解者達以上には、私達はうまく言及することはできません。 今日のテキストの一語一語は、メシヤ、救い主である主イエス・キリストの預言なのです。

Ⅰ. 最初に、神へのイエスの奉仕を理解すること 

ここ13節で述べられている言葉は、父なる神が言われたのです。

“見よ、わがしもべは栄える。 彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。”(イザヤ書第52章13節)

神は私達に彼の“僕”を見るように言われました。 イエスがこの地上に降りて来られた時、彼は、

“おのれをむなしうしてのかたちをとり、人間の姿になられた。”(ピリピ人への手紙第2章7節)

地上での神の僕として、キリストは慎重に事に対応され、思慮深く行動されました。 この地上における奉仕の期間、イエスが語られそしてなされた事は、大いなる分別をもってされました。 少年の時に、神の宮の中で宗教指導者達は彼の知恵に驚かされました。 パリサイ人やサドカイ人達は、彼に答える事が出きませんでした。 そして、イエスが話された時、ローマ総裁のピラトの口は閉ざされました。

そして、私達のテキストは、神の僕についてこう述べています。

“わがしもべは栄える。 彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。”(イザヤ書第52章13節)

現代英語の言葉では、“上げられる”、“高く上げられる”、そして“非常に高く引き上げられる”、と言い表すことが出来ます。 ヤング博士(Dr, Young)は、「ピリピ人への手紙第2章9-11節、そして使徒行伝第2章33節で描写されている、キリストの高く上げられることを思わされずには、これらの言葉を読む事は不可能である。”(Edward J. Young, Ph.D., The Book of Isaiah, Eerdmans,1972, volume 3, p.336)

“それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。”(ピリピ人への手紙第2章9-11節)

“このイエスを、神はよみがえらせた。 そして、わたしたちは皆その証人なのである。 それで、イエスは神の右に上げられ、・・・それをわたしたちに注がれたのである。”(使徒行伝第2章32-33節)

“見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。”(イザヤ書第52章13節)

高められ-“あげられ”。 あげられ-“引き上げられ”。 非常に高く-“高く上げられる”。 ここには、キリストの高く上げられる段階が表されています。 彼は死からよみがえられました! 彼は、昇天時に、天まで引き上げられました。 彼は今現在、神の右におられ、あなた方の為に祈っておられのです! 高められ-“あげられ”! あげられ-“引き上げられ”。 非常に高く―天の神の右へと! アーメン!

彼は死なれ引き上げられ、
   “すべてはおわった”と叫ばれた。
今では天へと高く上げられた。
   ハレルヤ! なんという救い主よ!
(“Hallelujah, What a Saviour! ” by Philip P. Bliss, 1838-1876)

死からよみがえられ、天に上げられ、父なる神の右座におられるイエスは、父なる神の僕-神の御子-であり、そして、永遠にそうなのです!

Ⅱ. 次に、罪の為の彼の犠牲を理解すること

14節を声を上げて読んでください。

“多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである。”(イザヤ書第52章14節)

ヤング博士(Dr. Young)は、「その僕のひどく外観を損なった姿は、畏れによりぞっとさせ衝撃を与える[であろう]。・・・彼の外観の損ないはあまりにもひどく、人としての姿を彼には見ない[であろう]。・・・彼の外観はあまりにも損われており、彼はもはや人のようには見えなくなった。 これは、イエスの苦しみがどんなにひどいものであったかを物語る、非常に強い言い方である。」”(同著、pp.337-338) 

苦痛を受けられた間、イエスは容赦なく外観をそこなわされました。 彼が十字架につけられる前の晩に、彼は”苦しまれた”。

“そして、その汗が血のしたたりのように落ちた。”(ルカによる福音書第22章44節)

これは彼が捕らえられるでした。 ゲツセマネの暗闇の中で、キリストの上にあなた方の罪による裁きが落ち始めた。 兵卒達が彼を捕らえに来た時、彼はすでに血なる汗でびしょぬれでした。

そこで彼らはイエスを捕らえ、彼の顔を殴りました。 イザヤは苦しまれている僕が、次のように言われたと述べています。

“わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。”(イザヤ書第50章6節)

ルカは、“かれらはイエスを打ちたたき”(ルカによる福音書第22章64節)と言っています。 ピラトは“イエスをむち打った”(マルコによる福音書第15章15節)、とマルコは語っています。 ヨハネはこのように言っています。

“そこでピラトは、イエスを捕え、むちで打たせた。 兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、それから、その前に進み出て、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。 そして平手でイエスを打ちつづけた。”(ヨハネによる福音書第19章1-3節)       

そして彼らは、彼の手と足を十字架に釘づけにしました。 ヤング博士(Dr. Young)が指摘しているように、“彼の外観はあまりにも損われており、彼はもはや人のようには見えなくなった。”のです。(同著, p.338)

“多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである。”(イザヤ書第52章14節)

スコーフィールド・スタディー・バイブル (The Scofield Study Bible)はこの節について、“その文字どおりの解釈は恐ろしい。‘彼の顔立ちは、損なわれて 人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである。’ 言い換えれば、人のようではない-マタイによる福音書第26章に描写されている残虐行為の結果・・・”

とげで彼のこめかみは突き刺され、深く傷つけられ
すべての傷から血の流れがほとばしり、
彼の背はからまるむちで激しく打たれ、
されど、さらに鋭いむちは彼の心を引き裂くことなり      

のろわれた木にむき出しにされた身体を釘づけされ
、 地と天にさらけ出され、
血と傷による哀れな光

景 何たる傷つかれた愛よ!

   ("Thine Unknown Sufferings” by Joseph Hart, 1712-1768)

何ゆえ、愛する救い主よ、教えたまえ
何ゆえ、そなたは血まみれの苦しまれる方となられたか?
何たる力強き動機がそなたを動揺させたか!
その動機は明白なり-それはすべて愛の故!
   (”Gethsemane” by Joseph Hart,1712-1768)

何ゆえ、愛する救い主よ、教えたまえ、なぜそなたの顔立ちは、“そこなわれて人と異なり、[そなたの]姿は人の子と異なっていた”のかを? その答えは、53章の12節の終わりに、“彼は多くの人の罪を負い”と書かれています。 これはあなたの罪のための彼の犠牲、身代わりとなる犠牲です―キリストはあなたの罪のために十字架の上で、あなたに代わって苦しまれ、そして死なれたのです! そのように、私達は神へのキリストの奉仕を理解します。 そのように、私達はあなた方の罪を償う為のキリストの犠牲を理解します。

Ⅲ. 最後に、キリストによる救いが応用される事を知ること

立ってイザヤ書第52章15節を声を上げて読んでください。

“彼は多くの国民を驚かす。 王たちは彼のゆえに口をつぐむ。 それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。”(イザヤ書第52章15節)

着席して下さい。 ヤング博士(Dr. Young)は、この節で、14節でのキリストによる身代わりの犠牲、そして彼の苦しみが説明され、応用される、と言いました。

その預言者は、なぜ彼[キリスト]が外観を損なわれたかを説明している。 それゆえ、・・・この外観の損なわれた状態によって“彼は多くの国民を驚かす”。 [その]外観を損なわれた者、すなわち僕は、罪を清める儀式を行う事によって、他の者達の為によき事を行う。 [苦しみの中で]彼の外観の損ないは・・・彼、ご自身が国民の為の清めをもたらそうとされている状態であった。 “彼は驚かす”の動詞は、清めの為の水または血をふりかけることを物語っている。・・・ここで示されているのは、[大祭司としてのキリスト]の奉仕であり、この奉仕の目的は、他の者達に清めと浄罪をもたらす事である。・・・大祭司として彼自身が水と血をふりかけ、そのようにして多くの国民を清めるのである。 彼は、苦しみを受けられる者として、すなわち清めのための苦しみをもって、これを行う。・・・ そしてその苦しみは、彼を注視する者達の態度の中に重大な変化をもたらす。(同著pp.338-339)

この預言の正に成就された事で、キリストの福音の説教は、ユダヤ教の拘束から離脱し、普遍の宗教となりました。 最初の一世紀の初めから“多くの国民”は伝道され ました。 そして、全世界における人々はイエスの血によって清められ、キリストによる救いへと彼らを導き、ヤング博士(Dr. Young)が言ったように、“彼に注視する者達の態度の中に重大な変化をもたらした”のです。 この世の国家の王達の全てが救われた者達ではないにしても、初期の歴史におけるキリスト教の普及を通して、彼らは少なからず、“口をつぐんだ”、そして、彼に反する事もなく、外見上のクリスチャンとなりました。 今日の時代、エリザベス女王二世(Queen Elizabeth II)でさえも、ウエスト・ミンスター寺院(Westminster Abbey)でのクリスマスのようなクリスチャンの行事の時に、“彼のゆえに”口をつぐみ、キリストの前に沈黙の敬意で頭をさげました。 多く他の西洋や東洋の君主主義の国でも、少なからず、キリストに対して外見的な敬意を表し、そしてビクトリア女王(Queen Victoria)のように、彼らの多くは外見的な敬意を表す以上の事をし、事実、キリスト教初期の時代においては、コンスタンチン皇帝(Emperor Constantine)はそうしました。 また他の多くもそうしたのです。

“それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。”(イザヤ書第52章15節)

ここで預言者によって予告されたように、キリストの福音は世界の国々へと普及していきました。

“彼は多くの国民を驚かす。”(イザヤ書第52章15節)

外見上のクリスチャンであるアメリカ合衆国の大統領でさえ、毎週日曜日に教会で頭を垂れ、“彼のゆえに[自分の]口をつぐむ”のです。

しかし、ここで言わなければならないことは、このすばらしい予言は、ヨーロッパや、英国、そしてアメリカでは、かってのようには語られないのです。 西洋諸国の教会は、“リベラル(革新主義者)”の聖書に対する攻撃のゆえに、混乱が起こっており、フィニー(Finney)による福音の曲解を通して、西洋の教会は弱められ、近代、いろいろな形での彼の悪魔のような“決断主義”の方法を信奉する者達のゆえに、動揺が起こっているのです。 であるにしても、第三世界の多くの国々では、かって弱められた西洋の教会で見られたような、力強い覚醒とリバイバルが未だに大せいに起こっています。 喜ばしいことに、中国、東南アジア、アフリカ、インド、中南米、そしてメキシコの国々では、福音を語られている教会に、人々は洪水のように、今この時、押し寄せています! もちろん、彼らはしばしば迫害を受けますが、二世紀にテルトゥリアヌス(Tertullian)が言ったように、“殉教者の血は、教会の種である。” これは、今日しばしば“第三世界”と呼ばれる国々を通して、真実なことなのです。 一方、アメリカや一般的な西洋諸国は、キリスト教の伝統的な背景から離れ落ち、ヒューマニスティックな、懐疑的な、霊的混乱に解消されているのです。 偉大なスポルジョン(Spurgeon)は次のような予測をたてました。

露が落ちるような、そして雨が滴るような語りを通して、イエスは、ユダヤ人だけでなく、他のすべての異邦人に対して、語りかけるであろう。・・・すべての土地は、汝の語るのを聞き、にわか雨が芝に降り注ぐように、汝がやって来られるのを感じる。 はるかかなたの浅黒い部族、そして陽の没する土地の住人は、汝の教えを聞き、それを飲み干すであろう。・・・汝は、汝の恵みあふれる御言葉でもって、多くの国民に語りかけるであろう。(同著、p.248)

スポルジョンの“預言的”メッセージは、彼がそれらの言葉を語った100年前以上に、今日ではより真実味をおびています。 私達はそうであることに喜びを禁じえません! アーメン!

この約束は完全には成就されていません。 しかし、そうなるでしょう―主がそのように言われたのですから―預言者イザヤによって。 彼はこのように言いました。

“もろもろの国は、あなたの光に来、”(イザヤ書第60章3節)

“もろもろの国の宝が、あなたに来るからである。”(イザヤ書第60章5節)

“見よ、人々は遠くから来る。 見よ、人々は北から西から、またスエネの地から来る。”(イザヤ書第49章12節)

初期の中国での宣教師であったジェームズ・ハドソン・テイラー(James Hudson Taylor)は、しばしば、“スエネ”は中国の地であったと言いました。 そのように、スコーフィールド・スタディー・バイブル (The Scofield Study Bible)のイザヤ書第49章12節の注意書きに書かれています。 今日私達の目の前で起こっている中国の出来事を見るとき、誰がテイラー、そしてスコーフィールドに反対すでしょうか? 確かに、それは、少なくとも応用として、真実なのです! 中華人民共和国では、毎時間数千人の人達がキリストに改心しています。 そして、はるかかなたの多くの土地でも起こっているのです。 そのことに喜びを禁じえません!

新生児の中絶で、毎日三千人もの無力な子供達を殺害し、数千もの教会を閉ざす、ここアメリカと違い、はるかかなたの地で、神の働きが育ち、普及するでしょう! 神は、彼らにより多くの改心者を加えてくださるでしょう! 神は、キリストを知る者達、そして彼の名のために喜んで苦しむ人達に、多くの国民の間で、彼らに栄冠を与えてくださるでしょう!

しかし、私は今朝あなたに尋ねたいことがあります、“あなたはキリストを知っていますか? あなたは、あなたの罪(そうです、あなたのです!)の罰のために‘彼の顔だちは、そこなわれて人と異な’ったイエスを信仰でもって見たことがありますか? イエスは、彼の御血を、天の神の書物に記録されているあなたの罪にふりかけましたか? この世の罪を取り除く神の小羊の血でもって、あなたは洗い清められましたか? そして、もしそうでなかったならば、イエスの御前で、‘口をつぐみ’ませんか? そして、イエスにひざまずき、彼をあなた自身の主・救い主として受け入れませんか?  今、それをしませんか?”

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医士による説教前の聖書の朗読: マタイによる福音書第27章26-36節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith) による説教前の独唱:
“Love in Agony” (by William Williams, 1759;
“Majestic Sweetness Sits Enthroned”のチューンで独唱)


要 綱

神の僕による苦悩そして克服
(イザヤ書第53章からの説教、その一)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著


“見よ、わがしもべは栄える。 彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。 多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである――彼は多くの国民を驚かす。 王たちは彼のゆえに口をつぐむ。 それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。”(イザヤ書第52章13-15節)

(使徒行伝第8章34‐35章)

I.   最初に、神へのイエスの奉仕を理解すること。 ピリピ人への手紙第2章7節;
ピリピ人への手紙第2章9節;使徒行伝第2章32‐33章。

II.  次に、罪の為の彼の犠牲を理解すること。 イザヤ書第52章14節;
ルカによる 福音書第22章44節;イザヤ書第50章6節;
ルカによる福音書第22章64節; マルコによる福音書第15章15節;
ヨハネによる福音書第19章1-3節; イザヤ書第53章12節。

III. 最後に、キリストによる救いが応用される事を知ること。イザヤ書第52章15 節;
60章3,5節;49章12節。