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バプテスマ(洗礼)による再生-改訂

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

BAPTISMAL REGENERATION - UPDATED FOR OUR TIME
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2006年9月9日、主の日の晩に説かれた説教

A sermon preached on Saturday Evening, September 9, 2006
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 信じてバプテスマを受ける者は救われる。 しかし、不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書第16章15‐16節)


チャールズ・スポルジョン(C. H. Spurgeon)はイギリスがかつて生み出した最も偉大な説教者でした。1864年6月5日にこのテキストからとった「バプテスマによる再生」と題した説教をしました。 「スポルジョンは知った」、とエリック・ハイデン(Eric W. Hayden)は語り、「彼が‘毒ヘビをかき乱したこと’を、そして彼の出版した説教の売り上げが落ちることも十分に覚悟していた。 しかし‘それら直ちに上昇していった。’ スポルジョンのバプテスマに関する説教は、この偉大な説教者の成した最も議論を呼ぶ説教のうちの一つである。」(Eric W. Hayden, “1864 in the life of C. H. Spurgeon,” back jacket of The Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1991 reprint, volume X, pp.313-328)。

私はここでスポルジョンの説教を簡略にし、そしてスポルジョンの時以来、私達のバプテストの教会などで非常な勢いで持ち上がってきた「即時のバプテスマ」熱に関するいくつかの新しい資料を加えます。 「即時のバプテスマ」は、19世紀に「決断主義者(decisionist)」の誤った教師であるチャールズ・フィニー(Charles G. Finney)の弟子であった「決断主義者」の伝道者ヤコブ・クナップ(Jacob Knapp)によって私達の教会にもちこまれした。

バプテスマを正しく理解する為には、まずは私達のテキストから始め、そして私はこの主題に関してのスポルジョンの偉大な説教からほとんどの資料を取り上げてみましょう。

“そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書16章15‐16節)

今晩、私は神の御前に思ったことを正直に話します。 それによってあなた方が私が正しいかどうかを決めてください。

Ⅰ 最初に、キリストへの信仰なしのバプテスマは誰も救わない。       

このテキストは、「信じてバプテストマを受ける者は救われる。」と言っています。 しかし、人がバプテスマを受けようが、受けまいが、「不信仰の者は罪に定められる。」とも言っています。 ですから、バプテスマは不信者を救いません。 それはすべての不信者への共通した定めから人を救い出すことはしません。 人がバプテスマを受けていようが、受けていまいが、その人が信じていないのなら、どちらにしても彼が罪に定められるのは確かです。 大人が水に完全に浸されようが、赤ん坊の時に水をふりかけられてバプテスマを受けていようが、そういう事は問題ではありません。 もしその人がイエス・キリストに救いの信仰を持っていなければ、この恐ろしい定めがその人の上にもたらされるのです-「不信仰の者は罪に定められる。」のです。

私は、カトリック、エピスコパル(監督教会派)、ギリシャ正教会以外にバプテスマによる新生と救いを教えている教会を知りません。 これらの三つの教派がバプテスマによる救いと新生を教えていることは、バプテスト派や、ほとんどのプロテスタント派にとっては奇妙なことに思えますが、彼らはそのようにしています。 監督教会派の教義書の中に書いてあることに注意してください。 それは小さな子供たちにも読まれるように簡単な言葉で書いてありました。 子供は名前を尋ねられます。 そして「誰がその名前をくれましたか?」との質問に、「私がキリストの体の一部、神の子、そして、天の御国の相続人とされた時の:私のバプテスマに立ち会った名付けの親達です。」と、それは十分わかりやすく、明白ではありませんか。誤解する余地もありません。 さらに、このバプテスマのための、監督教会派の形態は大変に間便です。 神に感謝が捧げられます、なぜなら、バプテスマを受けた人は、再生され、生まれ変わったと考えられるからです。 「そうして、司祭はこう言うでしょう、‘愛する兄弟たちよ、御覧なさい、この子供は再生され(生まれ変わり)キリストの教会の体へと一つにされました。 これらの恩恵のために、全能の神に感謝を捧げ、この子供がこの始まりにのっとって生涯を送るよう、心を共にして祈りを捧げましょう・・・われわれは、聖霊によりこの幼子を再生され、その幼子を汝の養子としてお受けになり、聖なる教会に加えられたことに、最も憐れみ深い父であられるあなた様に感謝を捧げます。」

したがって、これが英国国教会(エピスコパル〈監督教会派〉)、ローマカトリック、そして、ギリシャ正教会で教えられているのです。 私は幼児洗礼のことについて語っているのではありません。 それに関しては、今晩少し話してみましょう。 私はバプテスマによる再生だけについて話をしています。 すなわち、大人であろうと幼児であろうと、水をふりかけようが、水を注ぎかけようが、水に浸されようが―バプテスマによって、人は生まれ変わり救いを受けられるかどうか、を語っているのです。

それらの教会の中に、キリストにある生きた信仰による福音的な新生を信じる、という聖職者は幾人かいると思います。 しかし、バプテスマによる新生を教える信仰の条項を保つ教会で、彼らが聖職者として留まることは不誠実なことだと言いたいのです。 これらの聖職者達が彼らの信じていないことを承諾していることは不誠実なのです。

私達は自分達が信じていることには非常に素直です。 私達は、バプテスマによっては人々は救われない、と主張します。 バプテスマはあなた方に新しい心を与えません。 それは、あなた方に新しい霊を与えません。 それは、あなた方の罪を洗い流しません。 それは、あなた方に新生を与えません。 キリストにある信仰のないバプテスマは、誰も救いません。

バプテスマを通して救われるという考え方は、キリストが教えのために来られた 霊的な宗教をもつ特性から外れています。 この世の宗教は、物資的で表面上の事柄にたよっています。 仏教徒の祈りは、“聖なる階段”を上るために、同じことを何度も言い回し、言葉とは言えない言葉を語ったりします。 しかし、キリストが与えた宗教は、内面的で、霊的な知識に基づいています。 赤ん坊の頭にふりかける水は、その赤ん坊の罪を洗い流す、という司祭の考え方は、人の宗教の魔術的な着想があります―霊的な、キリストが教えられた心の宗教ではないのです。

更に、バプテスマによる救いの教義は事実によって裏づけされていません。 バプテスマを受けた人はみなほんとうに神の子なのでしょうか? 幼児のときにバプテスマを受けた数千人に上る人達は、今刑務所にいます。 略奪、重罪、強盗、あるいは偽造などで生きてきたこれらの人達は、生まれ変わった人達だと思いますか? もしそうであれば、神は私達をそのような新生から遠ざけて下さいますように! カール・マルクスはバプテスマを受けました。 彼はクリスチャンでしたか? ダーウィンとスターリンはバプテスマを受けました。 彼らはクリスチャンだったのでしょうか? 毛沢東はバプテスマを受けました。 彼はクリスチャンでしたか? フィデール・カストロはバプテスマを受けました。 彼はクリスチャンだったのでしょうか? あなた方は、これらの幾人かはクリスチャンであったかどうか定かではないかもしれません[私はそう確信できますが]-しかし、私はもう一人上げてみましょう。 この男はバプテスマを受けました。 彼のバプテスマは彼を“神の子、そして天の御国の相続者”にしたと思いますか? 彼は“新生され、キリストの教会の体と一つにされ”たと思いますか? バプテスマは彼をクリスチャンにしたのでしょうか? 彼の名前ですか? アドルフ・ヒットラーです。 そう、ヒットラー―悪魔―はバプテスマを受けたのです!

教会のリーダー達は、ヒットラーは赤ん坊のときにバプテスマを受けたので、“神の子”であったと言うかもしれません。 しかし、私は、ヒットラーは悪魔の子であったと言いましょう。 バプテスマは彼を救わなかったのです―そして、彼は今晩黄泉の燃える炎で苦しみもだえています。 もし、バプテスマがヒットラーを救わなかったならば、あなたはどのように救われることができるのでしょうか?

“信じてバプテスマを受ける者は救われる。 しかし、不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書第16章16節)

Ⅱ 次に、キリストへの信仰は救いになくてはならない。

“あなたを清くできる外面的な事柄は何もありません;らい病が内に深く入っています。”

あなたは新しい心と新しい霊とをもたなければならないこと、そして、バプテスマはこれらをあなたに与えることはできませんことを思い留めてください。 あなたの生活を清くし、あなたの言葉敬虔にさせるような新しい信仰を、あなたはもたなければなりません。 そうでなかったならば、あなたは神の選民への救いの信仰をもっておらず、そして、あなたはけっして神の御国に来ることないでしょう。 私は、あなた方がこのような腐りはてた土台、この惑わすような反キリストの作り事などに頼ることのないように祈ります。 神が、バプテスマがあなた方の魂を救うことができるというような誤った悪魔の教えから、あなた方を救ってくださるように! あなた方の耳にそのような邪悪な教えをささやくような悪魔達から救い出されますように! あなた方がバプテスマに頼ることのないように祈ります!

“あなたを清くできる外面的な事柄は何もありません;らい病が内に深く入っています。”

あなた方が救われる唯一の道は、キリストにおける信仰を通してなのです。

信じてバプテスマを受ける者は救われる。 しかし、不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書第16章16節)

キリストにおける信仰が、救いにとって一つのそして唯一の必須事項なのです。 キリストを“信じる”とはどういうことなのでしょうか? 最初に、聖書がキリストについて語っていることを信じる、という意味です。 あなた方は、キリストはあなた方の罪の罰を贖うために十字架で亡くなられたことを信じなければなりません。 あなた方は、キリストは死からよみがえり、天に上げられことを信じなければなりません。 あなた方は、キリストは今日でも生きており、天で神の右側に座られていることを信じなければなりません。 しかし、二番として、あなた方はキリストその方を信じなければなりません。 あなた方は、キリストについてのことをただ信じるだけでなく、それ以上のことをしなければなりません。 あなた方は、実際にキリストを信じなければなりません。

“御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。”(ヨハネによる福音書第3章16節)

もし救われたいのであれば、あなた方は主であるイエス・キリストを信じなければなりません。 あなた方の救いのために、キリスト以外のことを求めないよう心から勧めます。 もしあなた方が、バプテスマを含む、何かの外面的な儀式に頼るのであれば、あなた方は難に会うでしょう。 あなた方は、キリストのみを信じなければなりません。

“この人による以外に救はない。 わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。”(使徒行伝第4章12節)

イエス・キリストをしっかりとつかむことをあなた方に懇願します。 キリストは土台です。 キリストは救いの岩です。 キリストに来なさい。 キリストに信頼しなさい。 キリストの御血によってあなた方の罪を清くさせなさい。

イエスだけが、イエスだけが、
無力な罪人を救われる。
   (”Come, Ye Sinners,” by Joseph Hart, 1712-1768)

神がイエス・キリストにおける最も大切な、中心となる信仰をくださいますように。 それ以外に救いはありません。 バプテスマを受け、再びバプテスマを受け、割礼され、堅信礼を受け、聖餐を受け、そして神聖なる土に埋められる―あなた方はキリストを信じない限り滅びてしまうでしょう。

“不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書16章16節)

「だけど」、とあなた方は言うかもしれません。 「そのテキストにはバプテスマについて書いてある。 それについてはどうなのか?」  このテキストのバプテスマについてはキリストへの信仰と関連しています。

“信じてバプテスマを受ける者は救われる。”
      (マルコによる福音書16章15節)

ここには誰もイエスを信じないでバプテスマを受けるという考慮はありません。 いや、 もしそのような人がいたならば、彼がバプテスマを受けようが受けまいが、彼のバプテスマは何の益にもならないことはとても明白であり、なぜなら彼は罪に定められるからです。 バプテスマは信仰の後に来るものと私には思えます。 バプテスマは信じることの次に来るべきです。 人はキリストを信じることによって救われるということを知っている人は、彼がバプテスマを受けるとき、彼のバプテスマを救いの儀式とは評価しません。 事実、その間違いに対して彼はまさに一番の抗議者です。 なぜなら彼は自分が救われる後まで彼がバプテスマを受けることはふさわしくないことを知っているからです。

宦官はこのようにパウロに言いました

“「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか。」 これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」といった。” (使徒行伝8章36‐37節)

その人は最初に信じ、その後バプテスマを受けました。 それが信者によるバプテスマです。 そのように、聖書のバプテスマは信者だけのものなのです。 バプテスマは人の信仰の公式表明です。 その人はすでに救われています。 彼はこのように公表します。 「苦しみの中でバプテスマをお受けになれ、実際に亡くなり、そして葬られた神の御子イエス・キリストを信じます。 それゆえ、私はバプテスマの水の中でイエス と共に葬られます。 私が水の中から上がる時、私が甦られたイエスを信じることをすべての人達に知らせます。 私達のバプテスマによってキリストは葬られ、そして死から甦られたと宣言します。 キリストは私達の救いの土台です。 バプテスマはキリストによって命じられています。(マタイによる福音書28章29‐30節)  そして、キリストに信仰を持つ人はキリストの命令に従います。

罪はバプテスマによって洗い流される、という人達もいます。 彼らは間違っています。 聖書はこう言っています。

“御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。” (ヨハネの第一の手紙第1章7節)

罪の一つもバプテスマによって洗い流されることはありません。 キリストの血によるものです。 そして、キリストの血のみがすべての罪を洗い流してくれるのです。(ヨハネの第一の手紙第1章7節)

私は真実を語りました。 私達の聖なる主イエス・キリストによる救いではなく、バプテスマによる救いの誤った教えについて私は明らかです。

信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコによる福音書第16章16節)

現在、多くの人達は「前の方へ出て行き」、そしてすぐにバプテスマを受けます。ですが、彼らはイエスを信じることによって救われているのでしょうか。 単純な一つか二つの質問がそれに答えてくれるでしょう。 「なぜ、あなたは前に出てきたのですか。」 「私の生涯を再び捧げるために出てきました。」 そういう人にバプテスマを授けてはなりません。 その人はイエスを信じることによっては救われていません。 その人は自分を再び捧げることを信じています。 さらにまた、「なぜ、あなたは前の方へ出てきたすか。」 「私は教会に加わりたくて出てきました。」 その人にバプテスマを授けてはなのでりません。 彼もイエスを信じてはいません。 彼はただ教会に加わりたいだけなのです。

私は、ほんのわずかな人達だけが正しい理由をもって「前の方へ出てくる」ことに気がつきました。 ごく少数の人がイエス・キリストにある真の、生きた信仰を持っています。 「問われることもなく」前の方に出てくる人達全てにバプテスマを授ける近代的なやり方は、幼児洗礼と同じく悪いことであり、いえ、幼児洗礼と同じなのです。 どういう事かと言うと、幼児はキリストにある救いの信仰をもっていません。 その子にバプテスマを授ける事はまったく何の益にもなりません。; 実際、それは、後にはその子にとってつまずきとなり、「私は、だいじょうぶ、洗礼を受けたのだから、」と言うでしょう。 そして、それは、自らを捧げ、もしくは捧げ直す為に感情に走り前の方に出てくる人達とまさに同様なのです。 彼らの何千人もの人達はキリストに救いの信仰をもっていません。 私達は本来のバプテストのやり方に戻るべきです。 そして、人が感情の落ち着いている状態の時に、また個人的に(ここで“Instant Baptism Examined”をクリックして読んでください。) キリストへの信仰を通しての救いを慎重に説明することです。

そして、今晩、あなた方もイエス・キリストに来るべきであると提案します。 イエスに頼ることです。 彼の血によってあなた方の罪は洗い流されなければなりません。 このことに関して私と話したいのであれば、私は週7日間、電話で(818)352‐0452)いつでも相談にのります。 あるいは、教会で、礼拝の後に、私か教会の執事の一人と相談が出来ます。

貧しく、哀れな、力もなく、そして傷つけられ、
   弱く悲嘆な罪びとよ、来なさい、
哀れみ、慈愛、力に満ち、イエス・キリストは
   汝を救う為に 待っておられる。
もう疑ってはならない、
   イエスには可能、イエスには可能、イエスは望んでおられる。

汝の良心をながびかせるな、
   たわいもない夢に合わせるな、  
すべてイエスの求めておられる事は、
   汝がイエスを必要とすることを知ることである。
それをイエスが下さる、イエスが下さる。
   それは、御霊の上がられた輝きである。   
それをイエスが下さる、イエスが下さる。
   それは、御霊の上がられた輝きである。   
(”Come Ye Sinners” by Joseph Hart, 1712-1768)

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医学博士による説教前の聖書の朗読:
マルコによる福音書第16章14‐16節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith)
による説教前の独唱:      “Come, Ye Sinners” (by Joseph Hart, 1712-1768).


要 綱

バプテスマ(洗礼)による再生-改訂

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著


“そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 信じてバプテスマを受ける者は救われる。 しかし、不信仰の者は罪に定められる。”(マルコによる福音書第16章15‐16節)

I.   キリストへの信仰のないバプテスマは誰も救わない。
マルコによる福音書第16章16節。

II.  キリストへの信仰は救いになくてはならない。
ヨハネによる福音書第3章16節;使徒行伝第4章12節; 
使徒行伝第8章36‐37節;ヨハネの第一の手紙第1章7節。