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改心のしるし

ロバート ハイマース 神学博士 著

SIGNS OF CONVERSION
by Dr. Robert Hymers

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2006年2月5日、主の日の朝に説かれた説教

A sermon preached on Lord’s Day Morning, February 5, 2006
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。”(ヨハネの第一の手紙第4章1節)


どうしたら人が真にキリストに来たということが見分けられるのでしょうか? ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)は、これについて“What are Distinguishing Scripture Evidences of a Work of the Sprit of God(神の霊の働きを特徴づける聖書の明証)”(The Works of Jonathan Edwards, Banner of Truth Trust, 1992 reprint, volume 2, pp. 266-269)とタイトルのついたメッセージの中で、かなり詳細に取り上げています。 私はエドワーズが指摘しているしるしのうち四つを取り上げ、“それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい”を考査してみます。 ここに簡単な言葉でもって、エドワーズが指摘している四つの真の改心のしるしを取り上げてみましょう。

Ⅰ 最初に、彼らのキリストへの尊敬の念が高揚される時。

この2節と3節に気をつけてください。

“あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。 すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。・・・”(ヨハネの第一の手紙第4章2-3節)

エドワーズはこのように言っています。

新約聖書の中でしばしば使われる、告白する、という言葉は、ただ単に認める[白状する]以上の意味を含んでいる・・・だから、人々のうちで働かれているその霊が、もし彼らをキリストに改心させるように明確に[見える]ならば、そして、彼らを彼(キリスト)に導き-彼らの思いが、彼(キリスト)のみが救い主であり、彼(キリスト)の必要性が大であることを確かにさせ、結果として、彼(キリスト)に対して、今まで以上により高揚した、そしてより尊敬の念を抱いた思いが彼らの中に起こり、彼らの[愛]をより彼(キリスト)に傾けさせるならば、それは真実の正しい霊であることの確かなしるしである・・・一方、その使徒の言った言葉は注目すべきである。 その霊に証(あかし)された[人]は、肉体をとって現れたイエスでなければならず、彼(イエス)に[代わる]他のキリストであってはならない。 また、神秘的な、空想的な、たとえば内なる光、といったようなキリストでもない。 これは、[その]キリストの外見-あるいは、人間として来られたキリストへの彼らの尊敬の念そして信頼の思いを[減少]させ、彼らを彼(キリスト)から遠ざけるのである。 しかし、[真の]イエスの証(あかし)をし、彼(イエス)に導く霊は、神の霊以外にありえない。(同著)

しかるに、真に改心した人は、自分の罪を償うために実際に十字架に磔(はりつけ)にされ、体ごと死からよみがえられ、そして、今では御自信の復活された体で神の右座にいらっしゃる、その聖書のキリストをたいへん尊く思うのです。 その真のキリストに悟らされ、信仰でもって彼(キリスト)に来た人は、“神から出ているものである”(ヨハネの第一の手紙第4章2節)。 その人は、“霊的なキリスト”に来たのではありません。 いいえ! 彼は、天国にいらっしゃる復活された実際の(肉体をもった)キリストに来たのです。 その人は自分の中のフィーリングや感情に頼ってはいません。 いいえ! 彼は天国にいらっしゃる父なる神の右座につかれた、イエス様に来たのです。 それが、その人が告白するキリストなのです。 それが、その人が信頼するキリストなのです。 それが、彼をお救いになるキリストなのです。 それが、救われる人なのです。

Ⅱ 次に、彼らの心がこの世から神の事柄へと転向させられた時。

4節から6節の初めを通して見てください。

“子たちよ。 あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。 あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。 彼らは世から出たものである。 だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。 しかし、わたしたちは神から出たものである・・・”(ヨハネの第一の手紙第4章4-6甲節)。

エドワーズは、これはその違いを表している、と言っています。

神から出た者は、この世の霊にうち勝ち、この世から出た者は、この世の事柄を語り、[喜ぶ]のである。(同著)

神のことを思い、神の事柄を喜ぶ人達、心がこの世のものから神の事柄に転向させられた人達、そのような人達は“神から出た者”なのです。

Ⅲ 三番目に、彼らの聖書に関する評価が、人間の論理に関する評価より大きい場合。

エドワーズはこう言っています。

人間の内に、聖書に関してより多くの敬意を払わせ、聖書を信じる思いを起こさせる、そのような[しかた]で働かれる霊は、確かに神の霊である。(同著)

6節を見てください。 一緒に立って声を上げてそれを読んでみましょう。

“しかし、わたしたちは神から出たものである。 神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。 これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。”(ヨハネの第一の手紙第4章6節)

お座りください。

使徒ヨハネは、“わたしたち”の言うことを聞く、について語っています。 ここでは、使徒達と彼らが聖書の中に書いたことを意味しています。 救われた人は聖書に耳を傾け、聖書に書かれてあることを信じます。 救われていない人は聖書を聞かないし信じません。 “これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。” エドワーズはこう言っています。

悪魔は聖なる本、聖書に対して非常な・・・憎悪を表している。 悪魔はその光を消すために力の限りをつくし、その光から人を[遥かかなたへ]引き離そうとしている。 彼は、彼の暗黒の王国が倒されるのは、その光によってであることを知っており・・・彼(悪魔)を突き刺し、彼を征服するのは、その霊の剣であることを知っている。 それゆえ、彼(悪魔)は聖書に反対し、その一語一語を嫌うのである。 そして、彼(悪魔)はけっして[私たちがそれ(聖書)を信じそれを愛する]ことを意図しようとしない、ことは確かである。 [それゆえ]、彼らは[それ(聖書)を高く評価しない]、そして、[心の中の感情もしくは他の本]をそれ(聖書)以上に高く評価することを、私たちは通常[狂信者]の中に見てきている。(同著)

しかし、真のクリスチャンは、他のどんな本よりも聖書を尊重し、聖書はまさに“神が息を吹きかけられた”主の言葉であることを信じます。 真のクリスチャンは聖書を読み、それを信じ、そしてそれをもとに行動します。 真のクリスチャンは、人間の論理や推論、そして人間の哲学よりも多大の敬意を聖書に捧げます。 なぜなら、この書物(聖書)のみが、まさに霊感を受けた、誤謬のない神の言葉だと知っているからです。 しかるに、真実のクリスチャンであることの第三のしるしは、彼は聖書を-最初から終わりまで-信じている、ということです。

“神を知っている者は、わたしたち[聖書の著者]の言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。”(ヨハネの第一の手紙第4章6節)

私たちは、救われた人と失われている人との違いを次の四番目のしるしでも理解します。

Ⅳ 四番目に、彼らが自分達の教会のメンバーを愛する時。

立って7節と8節を声を上げて読んでください。

“愛する者たちよ。 わたしたちは互いに愛し合おうではないか。 愛は、神から出たものなのである。 すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。”(ヨハネの第一の手紙第4章7-8節)

お座りください。 自分がメンバーであるローカル教会の仲間を、純粋な神の愛でもって愛する男性や女性は、クリスチャンなのです。 教会の兄弟や姉妹(仲間)を愛さない人は、“神を知らない。 神は愛である。”(ヨハネの第一の手紙第4章8節)

彼は神を愛していると言うかもしれません。 しかし、なぜならキリストが死なれた教会の兄弟や姉妹(仲間)を彼は愛さないので、彼の言っていることは偽りなのです。 よって、ローカル教会のメンバーへの真の神の愛は、人が救われているかどうかの、はっきりしたしるしなのです。

“愛する者たちよ。 わたしたちは互いに愛し合おうではないか。・・・愛さない者は、神を知らない。神は愛である。”(ヨハネの第一の手紙第4章7-8節)

“彼らはわたしたちから出て行った。 しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。 しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。”(ヨハネの第一の手紙第2章19節)

このヨハネの第一の手紙第2章19節について、マッカーサー・スタディー・バイブル(The MacArthur Study Bible)の中の、ジョン・マッカーサー(John MacArthur)の正しい注釈を見なさい。 マッカーサー博士は、(イエスの)血については間違ってはいるけれども、この彼の注釈は正しいと私は信じます。 教会のメンバーへの愛が欠けているために自分の教会を去った男性や女性は、マッカーサー博士がその注釈の中で観察しているように、おそらく救われていなかったのです。

偉大なエドワーズの、この要約された説教から要点を拾い出してみると、


1. 救われた人は、イエス・キリストへの高揚した尊敬の念と愛をもっている。

2. 救われた人は、この世の事柄からイエス・キリストに目を向けている。

3. 救われた人は、心から聖書を愛し、それを読み、そして、最善をつくしてそれに従う。

4. 救われた人は、自分の行くローカル教会の兄弟や姉妹を愛し、その親交を大事にする。


救いの証拠は主観的な感情や思いによらない。 むしろ、その人が心からキリストを愛しているかどうか、罪の世界からキリストに転向したかどうか、聖書を愛し自分のローカル教会を愛しているかどうか、にかかっています。 それらが改心の証拠となるのです。

あなたはキリストに対して高い尊敬の念をもっていますか? あなたはこの世のもろもろのものから離れ、キリストと教会に転向しましたか? あなたは心から聖書を愛していますか? あなたは自分のローカル教会の親愛なる仲間を愛していますか? もしこれらの四つのことがあなたに真に相当するのであれば、おそらくあなたは改心しており、真の神の子であり、確かにそして永遠に救われているのです。

一方、もしあなたがこのようなシンプルな基準に達していないならば、たぶんあなたはまだ失われた状態にあるのです。 もしそうであらば、悔い改め、救い主であるイエス様に完全に転向することを、私はあなたに勧めます。 イエス様はあなたをまだ愛していらっしゃいます。 もしあなたが単純な信仰でもってイエス様に来れば、彼はあなたの罪をゆるし、あなたに永遠の命を与えてくださるでしょう。 アーメン。

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L チャン医師 (Dr. Kreighton L. Chan) による説教前の聖書朗読:
ヨハネの第一の手紙第4章1-8節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏 (Mr. Benjamin Kincaid Griffith)
による説教前の独唱: “I am Amazed”(作詞by A. H. Ackley, 1887-1960)


要 綱

改心のしるし

ロバート ハイマース 神学博士 著


“それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。”(ヨハネの第一の手紙第4章1節

I.   彼らのキリストへの尊敬の念が高揚される時、ヨハネの第一
の手紙第4章2-3節

II.  彼らの心がこの世から神の事柄へと転向させられた時、
ヨハネの第一の手紙第4章 4-6甲節

III. 彼らの聖書に関する評価が、人間の論理に関する評価より
大きい場合、ヨハネの第 一の手紙第4章6節

IV. 彼らが自分達の教会のメンバーを愛する時、ヨハネの第一
の手紙第4章7-8節;ヨ ハネの第一の手紙第2章19節