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聖書のバプテスマ(洗礼)とローカル教会のメンバーシップ

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

BIBLE BAPTISM AND LOCAL CHURCH MEMBERSHIP
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2005年9月3日、主の日の晩に説かれた説教

A sermon preached on Lord’s Day Evening, September 3, 2005
at the Baptist Tabernacle of Los Angeles

“イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。”(マタイによる福音書第3章16節)


新約聖書は、バプテスマ(洗礼)について全ての疑問に答えています。 もしあなた方が、バプテスマの主題について注意深く学ぶならば、全ての疑問は聖書によってすぐに解答されるでしょう。

Ⅰ. 最初に、どのようにバプテスマを受けるか。

“Baptism(バプテスマを施す)”と字訳されたギリシャ語は、“Baptizo(バプテッソ)”からきており、それは“(完全に)浸す”や“水に沈める”という意味です。 多くの幼児洗礼をしているバプテスト達は、それに同意しているけれども、引き継がれたカトリックの伝統や影響により、水をふりかける洗礼を続けてきました。 彼らはプロテスタントであるにもかかわらず、カトリックの水をふりかけるやり方を維持しました。

ジョン・カルバン(John Calvin)は、幼児洗礼を施す改革派で長老派教会の創始者でした。 しかし、彼はこう言っています、

“本当のバプテッソ(Baptizo)は、完全に水に浸すことを意味している。”(John Calvin, Institutes of the Christian Religion, Presbyterian Board of Publication, 1902, pp. 822-824)

マーティン・ルーテル(Martin Luther)は、水をふりかける幼児洗礼を行っているルーテル教会の創始者でした。 しかし、彼はこう言っています、

“バプテスマを施す(Baptize)という言葉は、完全に水に浸すというように訳されたギリシャ語である。 私はバプテスマを受ける者達を完全に水に浸すであろう。”(Luther’s Primary Works, Hodder and Stoughton, 1896, p.347)

しかしながら、彼に従った人達は、ルーテルの好んだ完全に水に浸すやり方を継承しませんでしたし、今でもそうしていません。

ジョン・ウェスリー(John Wesley)は、幼児洗礼を実施するメソジスト教会の創始者でした。 しかし、彼はこう言っています、

“古代のやり方は浸礼であった。”(John Wesley, Notes Upon the New Testament, note on Romans 6:4)

しかし、浸礼がより正しいことだと知りながら、ウェスリーは赤ん坊に水をふりかける習慣を続けました。

イエスは水に(完全に)浸されました。 そのことは英語訳のバプテスマが施される描写の中に明白に描かれています。

“イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。”(マタイによる福音書第3章16節)

キリストは、“すべての正しいことを成就する”(マタイによる福音書第3章15節)ために、水に浸され水から上がられたのです。

“たくさんの水”がそこになければならなかった、という事実は、彼らが水に浸されたことを示しています。

“そこには水がたくさんあったからである。”(ヨハネによる福音書第3章23節)

もし、彼らが水をふりかけるやり方をしていたのであれば、“たくさんの水”は必要なかったのです。

Ⅱ. 次に、だれがバプテスマを受けるべきであるか。

1.  新約聖書では、水をふりかけるやり方であろうと、水に浸すやり方であろうと、“バプテスマを施され”た幼児は誰一人いません。 誰一人としていなかったのです。

a.  カトリックは、新生はバプテスマを受けて起こる、と教えているが、これは聖書には書かれていません。 彼らが赤ん坊に水をふりかけるのはそのためなのです。

b.  幼児洗礼を行う人達は、赤ん坊はその父母とバプテスマを受ける教会との契約関係の下もたらされる、と教えているが、これは聖書には書かれていません。

2.  新約聖書の中には、改心をするまでにバプテスマを施された人は誰一人としていません。 これは、バプテストを他の宗派と著しく異ならせる、“信者のバプテスマ”と呼ばれるものです。 改心をした者だけがバプテスマを受けるべきです。

“そこで、彼の勧めの言葉を受け入れた者たちは、バプテスマを受けた”(使徒行伝第2章41節)

彼らは、バプテスマを受ける前に彼の勧めの言葉を受け入れなければならなかったのです。 これには赤ん坊は含みません。

“ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。”(使徒行伝第8章12節)

彼らはバプテスマを受ける前に信じなければなりませんでした。 このことは、まだ信じることのできていない、そして改心をすることもできない赤ん坊を除外します。 赤ん坊はバプテスマを受けることの意味を理解するには若すぎるのです。 新約聖書では、バプテスマはいつも改心の後にきます、けっして改心の前ではありません。

Ⅲ 最後に、なぜ私達はバプテスマを受けるのか。

1.  キリストの例えに従いたいという気持ちから。

2.  バプテスマを受ける、と言われたキリストに従うため。

“それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し”(マタイによる福音書第28章19節)

3.  ローカル教会のメンバーであることの自覚を持つため。

“そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。”(使徒行伝第2章41節)

彼らはエルサレムのローカル教会のメンバーになることにより、バプテスマでその教会に加えられたのです。

バプテスマは、改心した人がローカル教会のメンバーになる方法なのです。 バプテスマは、聖霊のこころの内での働きを外見的に現した印(サイン)で、それは改心者とローカル教会を一緒に結ぶのです。

“からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。”(コリント人への第一の手紙第12章12‐13節)

水によるバプテスマはまた、ご自身の死、葬り、そして復活(水の下に―死と葬り;水からあがること―復活)をされたキリストと人とを結びつける聖霊のこころの内なる働きを描写します。

“それとも、あなたがたは知らないのか。 キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。 それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。”(ローマ人への手紙第6章3‐4節)

それゆえ、バプテスマは、こころの中の働きを現わす、外見的な印(サイン)なのです。 それは、(1)改心者のローカル教会のメンバーシップ、 そして(2)改心者のキリストとの結びつき、を示しています。 聖書に於けるバプテスマ(洗礼)は、改心者が、キリストの死と復活により、キリストと結びつく、ことを示しています。 そして、バプテスマはまた、改心者が、メンバーとしてローカル教会と結びついていることを示しています。

(説教終了)
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要 綱

聖書のバプテスマ(洗礼)とローカル教会のメンバーシップ

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。”(マタイによる福音書第3章16節)

I.   最初に、どのようにバプテスマを受けるか。
マタイによる福音書第3章16節;ヨハネによる福音書第3章23節。

II.  次に、だれがバプテスマを受けるべきであるか。
使徒行伝第2章41節;使徒行伝第8章12節。

III. 最後に、なぜ私達はバプテスマを受けるのか。
マタイによる福音書第28章19節;使徒行伝第2章41節;
コリント人への第一の手紙第12章12‐13節;
ローマ人への手紙第6章3‐4節