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ノアの箱舟によって描かれる福音

R. L.ハイマーズJr.神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2017年6月18日、主の日の晩の説教

THE GOSPEL PICTURED BY THE ARK OF NOAH
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Evening, June 18, 2017

“人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。”(イザヤ書第53章3節、新改訳)

もし、あなた方が救われていないならば、これがあなた方のするべきことです。 あなた方はキリストから顔を背けています。 あなた方はキリストを尊んでいません。 あなた方はそのようにキリストについて考えているのです。 あなた方は自分はそうではないと否定するかもしれません。 また、イエスについてそのようには考えていないと言うかもしれません。 そして、あなた方はイエスを愛していると考えているでしょう。 しかし、あなた方は自分を欺いています。 預言者エレミヤは、“人の心は何よりも陰険で”(エレミヤ17:9)と言っています。 あなた方の心が、自分はイエスを愛していると言う時、あなた方の心は正しいと思い込んでいます。 あなた方は自分の心は真実であると思いこんでいます。 しかし、あなた方は誤っています。 あなた方の心は、“何よりも”陰険なのです。 あなた方の心以上に陰険なものはありません。 それは、不誠実、錯覚、不正直で満ちているのです。 あなた方の心は、“何よりも”不誠実なのです。 あなた方の心以上に不誠実なものはありません。

あなた方は、自分の心は他の人以上に不誠実であるわけが無い、と安易に考えています。 そして、自分は正しいと思っています。 ある意味では、それは真実でしょう。 しかし、全ての人の心は、原罪によって損なわれているので、そのことが真実である事を認めないのです。 私は七十五年間、他に理由を見出そうとしましたが、原罪に戻る他ありませんでした。 なぜなら、アダムがエデンの園で、人の姿で現れる前のキリストから顔を背けたように、私の知る限りの人達が、“顔をそむけるほどさげすんで”いた事を説明できる他の理由を、何一つ見出せないからです。

“人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。”(イザヤ53:3)

あなた方はイエスを尊重していません。 あなた方はイエスが重要な方であると見なしていません。

あなた方は、この聖句は誤っていて、実際にはイエスを愛していると、また、イエスを真から大いに尊重している、というような思い違いをしながら、生活しています。 原罪と個人的な罪によって毒され、曲解されたあなた方自身の心が語る事を受け入れないのです。 自分自身の心の評価を疑うべきです。

あなた方は、キリストの素晴らしさについて、何か考えを持っていますか? このようにあなた方は言えるでしょうか? 身を入れて聞き、正直にこのように言えるかどうか、自分自身に尋ねて見なさい―「以前には、退屈で活気の無かった福音が、今ではイエスについて聞く時、私を感動させます」とあなた方は言えるでしょうか? そう言えないならば、エミ・ザバラガのようには、あなた方はイエスを尊重していない事を示しています。

それとも、「私が未だイエスの敵であり、彼に屈服するつもりも無い時、イエスは自分の為に十字架につけられました。 この思いは、私の心を引き裂きました。 キリストは、私の為に御自分の命を捧げて下さいました。 それゆえに、私は自分の全てをキリストに捧げます。 ・・・イエスは私の救世者、私の休息、そして私の救い主です。 キリストの為に十分果たすことは決して出来ませんが、イエスに仕える事は私の喜びです」と言えますか? ジョン・サミュエルが言ったように、それらの言葉を正直に口に出せますか? あなた方がそれを躊躇するのは、あなた方自身イエスから顔を背け、イエスを尊重していない事が分かっているからではないでしょうか?

イエスへの愛を証明するもう一つの方法は、罪を自覚する事です。 あなた方が、イエスを拒否している事を罪と感じるまでは、決してイエス・キリストを尊重しないでしょう! イエスはこのように言われました、

“その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。” (ヨハネ16:8, 9)

もし、あなた方がイエスを拒否する事に罪の意識を感じないならば、それは“彼を尊ばなかった”ことの確かなしるしです。 W・G・T・シェッド博士(Dr. W. G. T. Shedd)はかつて、「聖霊は、人が罪を自覚するまで、通常その人を再生しない」と言いました。 罪の意識は、主によって人をそれから解放させる備えをします。

あなたは、どんなにキリストが尊い方であるかを、
 真剣になるまで、
  死を恐れるまで、
   自分自身に愛想を尽かすまで、
    そして、罪を自覚するまで、理解することはないでしょう。

ある人は、「それらは困難な備えです」と言うでしょう。 しかし、それがあなた方に必要な備えなのです!

イエスが、聖書全体を通しての素晴らしい主題です。

イエスが弟子達にお会いになった時、時間をかけて彼らに教えられました。 ルカの福音書第24章25節から27節を開いて下さい。 起立して下さい。 私は、それらの聖句を読み上げます、

“それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。” (ルカ24:25-27)。

イエスは、何時間も掛けてそれらを教えられました。 旧約聖書は長く、キング・ジェイムズ訳版の私の聖書では984ページにもなります。 創世記の第6章、7章、そして8章にきた時、イエスは、ノアの箱舟がどのように御自分について描写しているかを説明されました。 ノア、大洪水、そして箱舟の記述にきた時、イエスは、“ご自分について書いてある事がら”(ルカ24:27)を、彼らに解き明かされたに違いありません。 創世記のこれらの章は非常に重要で、イエスはそれらを解き明かす事なく、その章節を経過する事はされなかったはずです。

実際、創世記の第6章、7章、8章は、キリストの典型、解説、描写で満ちています。 そして彼は、創世記の人なる著者、モーセによる文書で始まり、そこで“ご自分について書いてある事がら”(ルカ24:27)を説明されました。 イエスがどのように箱舟が御自分について語っているかを説明された事は、言うまでもないでしょう。 そうです、イエスは聖書全体の偉大な主題です。 そして、ノアの箱舟を学ぶ事を通して、イエスについて学べる事が沢山あります。 “聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。”(ルカ24:25-27)と、説明されているように、ここには、疑う余地なく、イエスが触れられた福音の幾つかの要点が挙げられます。

I. 最初に、ノアの箱舟は、魅力ないものとしてキリストを描写している。

先に私が話したように、ノアの箱舟は、愚かな教師達がしばしば日曜学校の生徒達に教えているような、きれいな、明るい色に塗られた船ではありません。 いいえ! そうではありません! その箱舟は、木で造られた巨大な黒い箱でした。 それは内側も外側も黒いコールタールで塗られていたのです。

“あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。”(創世記6:14)

箱舟は底が平らな真っ黒な箱でした。 その長さは約500フィート(152.4メートル)でした。 幅は約90フィート(27.4メートル)で、高さは約60フィート(18.3メートル)でした。 それは海原を航海するのではなく、単に水に浮くように造られました。 それはキリストを描写しています。 聖書は、このようにキリストについて語っています、

“彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。”(イザヤ53:2-3)

それは正に、大洪水が起こる前に、地上に置かれた箱舟を見たほぼ全ての人々の様子ではありませんか? それには美しさや輝きはありませんでした。 彼らはそれを慕いませんでした。 そして、それは正にイエスのように、人々からさげすまれ拒否されました。 正にイエスに顔を背けたように、彼らはその箱舟から顔を背けました。 その箱舟はさげすまれ、彼らはそれを尊びませんでした。 ですから彼らは、人々がイエスに来る事を拒否したように、その箱舟に入る事を拒否したのです。

「どうして、この醜く、黒い奇妙なものが我々を救えるのか」と彼らは言ったに違いありません。 そして今日、ほとんどの人々は、その同じ理由によって、キリストに来て救われる事を拒否するのです。 彼らは、「この古めかしく、醜い黒い船に入る為に、なぜ日々の生活、楽しみ、そして快楽を断念しなければならないのだろうか?」と考えるのです。 マタイの福音書第24章37節と、それに続く聖句はこう語っています、

“人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。”(マタイ24:37-39)

それは、彼らが大宴会等で飲み食いする事を断念したがらない事を示しています。 当時、人々は病みつきの贅沢で、長時間な結婚式への出席を断念したがりませんでした。 なぜ、「楽しさ」が全く途絶えてしまう、古めかしい、真っ暗らな船に入る為に、パーティー、「クラビング(社交)」とダンス、お酒、そして快楽を断念しなければならないのか、と彼らは考えたのです。

しかし、彼らは当然間違えていました。 大洪水の間に、「楽しさ」や楽しみが持続する唯一の場所は、箱舟の中でした。 ノアや彼の家族は、地上を水が覆っていた間、共に動物の世話をし養い、働きながら、素晴らしい交わりをもったのです。

大洪水によるその恐怖なる期間には、箱舟だけが、全世界でただ唯一の教会でした。 教会は建物を指すのではなく、人、すなわち、ノアと彼の家族だけが、当時、地上で唯一の教会でした。 そして、彼らはその箱舟の中で、交わり、愛のこもった礼拝、そして敬虔な楽しみで素晴らし時間を過ごしました。

しかし、信者でない人々は、今日アメリカのローカルの教会をそのように見ていないのではないでしょうか? 信者でない多くの親達は、「なぜそれらの若い人達は、それほどまでして、あの教会に行きたがるのでしょうか? 何が彼らを引きつけるのでしょうか? あの教会には、飲酒、ドラッグ、みだらなパーティなどはありません。 あの教会には、不純な性行為も見られません。 しかし、彼らはいつもあの教会に行きたがるのです。 街の中心にある、あの見ばえもしない、古めかしい、(私の息子や娘がいつも行きたがる)その教会の建物には一体何があるのだろうか? 」と言っています。

「このように、あなた方の不信者の家族や友人達に対して答えられるでしょう:教会は私達の箱舟です。 それは、私達の住む、うんざりする、孤独な俗世間から私達を救います。 私達は今このローカルのバプテスト教会に住んでいます。 私達の教会には,予想以上にもっと健全な楽しみがあります! 一人ぼっちでいる理由はありません? 教会に、来なさい! この見ばえのしない、いささか不快適で、古めかしい教会の建物の中に、私達は冷淡で、孤独な俗世間からの避難場所を見出しました。 私達がこのローカルの教会で見出した、喜び、友好、そして安らぎに、あなた方も来て見出しませんか? 私達が見出した同じ安らぎと喜びを得る事が出来るこの箱舟、この教会に、毎週来なさい。」

そうです、ノアの箱舟は見ばえのしない、黒く古めかしい物でした。 しかし、それは喜び、友好、そして愛に満ちた場所でもありました。 教会の家に入りなさい! 私達と一緒に、このさげすまれ、古めかしいローカルの教会なる箱舟に入りなさい! あなた方は救われるでしょう。 そして、私達と共に幸せな暮らしを体験出来るでしょう!

II. 二番目に、この箱舟はキリストの血を描写している。

聖書の創世記第6章14節を開いて下さい。 神はノアに言われました、

“あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。”(創世記6:14)

保守的な解説者、H・C・ルーポールド博士(Dr. H. C. Leupold)は、それを、「内と外とを木のやにで塗りなさい」と訳しています(Exposition of Genesis, Baker, 1976, volume 1, p. 269)。

またH・C・ルーポールド博士は、箱舟の部屋とそれを覆う木のやに、についてこのように語っています、

「小部屋」(qinnim)という語意は、「隠れ家」としても用いられている。それ故に、そのような部屋は様々な動物の必要性に適合するように意図されている。…それは船ではなく、巨大なほぼ船舶に匹敵する大きさの、水に浮かぶ箱である。それは浮かぶようにデザインされていた。それは、「木のやに」(kopher)で内側と外側を十分に塗装され、防水化されていた(同著, p. 270)。

ルーポールド博士は更に続けて、「木のやに(kaphar)」は「kopher(ゴフェル)」からの由来と説明しています。(同著)

ヘブル語「Kaphar」は、聖書で「贖い」と訳されています。 「Kaphar」の動詞形は、何度も旧約聖書で「贖い」として訳されています。

レビ記第17章11節は、この語意をこのように記しています。

“なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。”(レビ17:11)

「贖う」と「贖い」のそれぞれの言葉は「kaphar」の訳であり、「覆う」という意味です。 イエス・キリストの血が私達の罪を「覆う」のです。 私達は新約聖書で明瞭にこう告げられています、

“不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。” (ローマ4:7)

ノアの箱舟は、大洪水による裁きの水を防止する為に、木のやにで覆われたのです。 あなた方がキリストに来る時、あなた方はイエスの血によって覆われるのです。 そして神の裁きは、あなた方を害する事は無いのです。 神がノアに、“箱舟に入りなさい”(創7:1)と言われました。 ノアが入った時、彼は、木のやにで覆われた壁によって囲まれました。 木のやには、キリストの血の典型です。 あなた方がキリストに来る時、文字通りキリストの血によって囲まれ、そして、あなた方の“罪はおおわれる”(ローマ4:7)のです!

“御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。” (ヨハネ第一1:7)

ですから、イエスは十字架で死なれたのです―彼の血があなた方の罪過を清め、あなた方の罪を覆う事が出来るのです。

“不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。” (ローマ4:7)

III. 三番目に、箱舟は復活の描写である。

ノアの箱舟は、復活の典型です。 その箱舟はアララト山に、その日置かれたました。 そのようにキリストは死から甦られたのです。

では、もう一事に目を留めて下さい。 創世記第8章18節に耳を傾けて下さい。

“そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。”(創8:18)

それは、イエス・キリストの死からの復活を描写します:

“さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っていますここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。”(マタイ28:1-6)

ノアが箱舟から出て来たように、キリストは復活祭の朝に、墓から出て来ました。 それは、“そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た”と言っています。 それはクリスチャンが、キリストと空中で出会う為の携挙(ラプチャー)を描写しています(テサロニケ第一4:16-17)。 ノアが箱舟から出て来る事は、キリストが墓から出て来る事の描写です。 ノアの家族が、彼の後について箱舟から出て来る事は、クリスチャンの携挙(ラプチャー)の描写です。

これら全ては象徴的で典型的なものです。 ジョン・ワーウィック・モンゴメリー博士は、このように語っています、

水と[箱舟]からの神の恵みのみによる―ノアの救出の動きは、初期の教会に、新しい契約として提供される典型的な救いの先駆者として、全体的な出来事を理解させる。箱舟自体が教会の象徴として着想された(そこで提供された恵みを求める人達だけが、洪水なる邪悪な世に耐え抜く事が出来る);教会の建築それ自体が、この比喩で永遠に印を押された(例:ラテン語「navis」「船舶」から来た「nave(教会の会衆席)」)初期のクリスチャンは(描画)―例えば、カタコーム等で―神が最後の日に信者を甦らされる事、そして神がノアを致命的な大洪水から救出された事から、箱舟は埋葬もしくは棺桶の場所を象徴するものとして用いられた(John Warwick Montgomery, Ph.D., The Quest for Noah’s Ark, Bethany, 1972, p.284)。

二世紀の前半に、ジャスティン・マーターはこう言いました、

大洪水時の義なるノアと他の人達、すなわち、彼の妻、彼らの三人の息子達、そして彼らの妻達、合計八人の数になり、その当時の象徴となった。数の上では八人だが、キリストは、死から甦られた事の力としては第一である。「造られたすべてのものより先に生まれた方」キリストは、新たな意味では、ノアが彼の家族と共に、水に浮く箱舟の木によって救出されたように、キリストが新たな命を、水、信仰、そして十字架の啓示を支える木によって生み出される、もう一つの人種の先頭となられた(Justin Martyr, Dialogue with Trypho, cxxxvii, 1-2)

初期のクリスチャンが正確に観察したように、福音の全てはノアの箱舟で描写されています。 (1)それは見ばえのない箱舟だった。 そのように、キリストは人を魅了しなかった。 そして福音は愚かな事のように思える。 (2)箱舟は、内も外も木のやにで覆われていた。 これは、神が回心者の罪を御覧にならないように、彼を覆うキリストの血を描写している。(3)箱舟はアララト山に置かれ、ノアは生きてそこから出て来た。 それは、復活祭の朝に、死から甦られ、墓から出て来られたキリストを描写している。

更にもう一つ、箱舟は山の頂上に置かれました。 それは、キリストが第三の天の、神の都、シオン山に上がられた事を描写しています。 キリストは今現在、神の右座、天にいます。 キリストに来なさい、そうすればあなた方は救われます。 キリストに来るなら、あなた方の罪は、「木のやに」なる彼の血で覆われるでしょう。 キリストに来るなら、あなた方は天国に行くことが出来ます。 ノアと彼の家族が大洪水を逃れたように、あなた方は地獄から逃れるでしょう。 ノアが箱舟に入ったように、あなた方はキリストに入らなければなりません!


ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。そうでなければ、ハイマーズ博士はあなたの電子メールに答えられません。 もしあなたがこれらの説教で祝福されるのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。送られる時は、どこの国から送っているのかをいつも明記して下さい。 ハイマーズ博士の電子メールの住所はここをクリックしてくださいrlhymersjr@sbcglobal.net。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。また、郵便で送りたい方は、P.O. Box 15308, Los Ángeles, CA 90015に送って下さい。 ハイマーズ博士の自宅電話番号は(818)352-0452です。

(説教終了)
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ノア・ソング氏による説教前の聖書の朗読:マタイ28:1-6。
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Saved by the Blood” (by S. J. Henderson, 19th century).

要 綱

ノアの箱舟によって描かれる福音

THE GOSPEL PICTURED BY THE ARK OF NOAH

R. L.ハイマーズJr. 神学博士 著

“人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。”(イザヤ書第53章3節、新改訳)

(エレミヤ17:9;ヨハネ16:8, 9;ルカ 24:24-27)

I.    最初に、ノアの箱舟は、魅力ないものとしてキリストを描写している。
創世記6:14;イザヤ53:2-3;マタイ24:37-39。

II.   二番目に、この箱舟はキリストの血を描写している。
創世記6:14;レビ記17:11;ローマ4:7;創世記7:1; ヨハネ第一1:7。

III.  三番目に、箱舟は復活の描写である。
創世記8:18;マタイ28:1-6;テサロニケ第一4:16-17。