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ローカル教会の重要性

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2015年8月30日、主の日の朝の説教

THE IMPORTANCE OF THE LOCAL CHURCH
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Morning, August 30, 2015

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”。
(使徒の働き第2章47節、新改訳)

ある人達は、私はローカル教会を重要視し過ぎると言うかもしれません。 しかし私はそうは思いません。 ローカル教会を重要視する古き良き時代のバプテストが、正に今の世代には必要であると私は思います。 教会の成長に寄与しない、私達を混乱させる多くのアイディアを聞きました。 私達は、ローカル教会について教える古き良きバプテストに戻らなければなりません。 今日の混乱する背教の時代に、私達に確実性をもたらすものは他に何もないのです。

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”(使徒2:47)。

この聖句は何を語っているのでしょうか? まず最初に、この節で語られていない事について話しましょう。 この節は、宗派については語っていません。 この節で語られている教会は、メソジスト派、長老派、あるいは、カトリック派などについてではありません。 この聖句が書かれた頃、宗派などはありませんでした! 二番目に、これは教会の建物について語っていません。 西暦一世紀には教会の建物などはありませんでした。 新約聖書を読んで下さい、直ぐにもそれを理解するでしょう。 今日人々が教会について話す時、しばしば建物について話します。 彼らは、「あれはすばらしい教会ではありませんか?」などと言います。 彼らは建物について話しているのです。 しかしこの聖句が書かれた頃は、教会の建物など無かったのです。 ですから、建物について語っているはずがありません。 西暦一世紀の頃は、個人のでクリスチャンの集会をもっていました! ですから私達の今朝のテキストは、教会の建物を指しているはずは無いのです。 三番目に、それは、“普遍的な教会”について語っていません。 この聖句にはそのような意図はありません。 それは明白に、実在する場所、ローカルの教会で共に集まる実在する人々について語っているのです! それは、“エルサレムの教会”(使徒8:1)として知られていました。

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった” (使徒2:47)。

それは、人々が宗派や“教会”の建物に加えられたという事ではありません。 また、“普遍的な教会”のために、人々が結束されたという事でもないのです。 そうではありません! それは単に、主は“救われる人々”をエルサレムの教会に加えられたという事なのです! それは正に語られた通りであり、その通りを語っているのです!

“教会”という言葉はギリシャ語の“ekklesia(エクレシア)”を訳したものです。 それは、前置詞“ek(エク)”(出すの意)、そして動詞“kaleo(カレオ)”(呼ぶの意)を結合させた複合語であり、文字通り“呼び出された者達”という意味なのです(『The Criswell Study Bible』による、エペソ人への手紙第5章23節の注解参照)。

クリスウェル博士は、「“教会”とは、信仰により、罪と不信からキリストへと呼び出され、信者のバプテスマ(洗礼)を通して信仰を証し、そして自発的な交わりへと自らを共に結合させた人達の集まりである」(同著)と指摘しました。 それは適切な定義です。 教会は救われた人々、そして彼らと交わりを結成するよう共に集まった人達の集まりです。 それが、使徒の働き第2章47節で語られている事なのです!

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった” (使徒2:47)。

それが、私がしばしば、「なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ失われているのですか? イエスに来て、救われなさい」と言う理由なのです。 私は、教会に来る事と、キリストに来る事を困惑させているでしょうか? 決してそうではありません!  私は、キリストに来る事と教会に来る事は二つの異なった事であると 何度も話しました。 もしあなた方がキリストに来ないで教会に来るならば、あなた方は地獄へ向かうでしょう! キリストのみがあなた方を救う事が出来るのです。 私はしばしば、使徒の働き第16章31節、“主イエスを信じなさい。 そうすれば、・・・あなたも・・・救われます”を引用しています。 私達はそれを非常に明白にしています。 救いと教会員制は二つの異なる事です。 なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! なぜ失われているのですか? キリストに来なさい! 私達のこのモットーは、救いと教会員制は二つの異なる事であることを非常に明白にしています。

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”(使徒2:47)。

これらは、今朝私が話す四つの簡略した要点です。

I. 最初に、教会に来る事は、あなた方の孤独を癒します。

あなた方は、私が誰に対して語っているのかを理解しなければなりません。 私はあなた方に対して語っているのです! この説教は私達のウェブ・サイトを通して、三十二か国語に翻訳されて一語一句世界中に送られています。 孤独を感じていない人達も、この説教を読んでいるかもしれません。 それは私には判りません。 しかし今日 ほとんどの若者達が孤独を感じている事を私は知っています。

私達の教会は、特にロスアンゼルス地域の一般の大学や、若者達が多く集まる他の場所で、伝道を頻繁に行っています。 その結果として、今朝私達の教会は、大学生や高校生で満ちています―そして、私はあなた方に向かって話しているのです! 私が教会へ来る前に孤独であったように、あなた方も孤独である事を私は知っています。 全ての若者達は、少なくともある時点において、あなた方も同様に孤独を感じています。 そして神は、あなた方が孤独でいる事を望んではいません。 エデンの園で神は、“人が、ひとりでいるのは良くない”(創世記2:18)と言われました。 人が孤独にならないようにと、神はアダムの骨からエバを創造されました(創世記2:18, 21, 22参照)。 神はアダムが独りでいる事を望んでいませんでした。 そしてまた、あなた方が独りでいる事を、神は望んいません。 あなた方が孤独にならないようにと、神が新約聖書に基づいたローカルのバプテスト教会を創られた一つの理由なのです。

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”(使徒2:47)。

この教会に来てまだ数週間の、ある中国人の少女が、この電子メールを私に書いてくれました。 彼女の英語は完璧ではありませんが、心のままを率直に語っています、

ハイマーズ先生、あなたの説教は素晴らしい!あなたは私にキリストを信頼し、救われる事を教えてくださいました!私はあなたの説教をもっと聞きたいと望んでいます!私はこの教会に一生涯来たいと思います!私達のこの教会の為に、私は涙を流しながら祈っています! そしてまた、あなたの説教がもっともっと優れたものとなるように祈っています!!!この教会は、私の二番目の家庭です!いいえ、実にこの教会は、私の一番の家庭となるでしょう!私が長い間探し求めていた家庭です!
 
サンキュー! サンキュー! サンキュー!

ですから私達は、「なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい!」と呼びかけているのです。 この女の子は、私の説教を聞き、教会の扉が開かれる時はいつでも集会に出席しています!

私達がそのように呼びかけるのは正しくない事でしょうか? ある人は、「そのように若者達に呼びかけてはだめです。 彼らが誤った理由で教会に来るかもしれないでしょう」というかもしれません。 そうでしょうか、あなた方が全く教会に来ないよりは、むしろ誤った理由で教会に来る事を私は望みます。 あなた方が教会に来続ければ、おそらく救われでしょう! そうして、あなた方は正しい理由で教会に来ることになるでしょう!

あなた方が孤独であるが為に、教会に来る事が“正しくない理由”であるならば、私自身も正しくない理由で教会に来たのです。 私が十三歳の時に、隣近所の人達が私を教会へ誘ってくれました。 私は孤独だったから来たのです。 私は孤独だったので来続けたのです。 後に私は回心しました。 どうしてそれが誤っているのでしょうか?  それは、何も悪いことでありません!

私達のこの教会を楽しい場所にしましょう! 地上で一番幸せな場所にしましょう! すばらしい福音の歌や賛美歌を歌いましょう! 昔ながらの福音を説教し―そして「アーメン」と声高らかに言いましょう。 共に座り夕食をとりましょう(ランチではなく! ランチはお弁当箱に入れていくものです!)。 古き良き時代の頃、人々がしていたような、“教会の中で”昔ながらの交わりをしましょう。 『Come Home to Dinner』を歌いましょう。 それはあなた方の手元にあるソングシートの最後の歌の三番目の歌詞です! さあ歌って下さい!

大都会の人達は、自分に注意を払ってくれない;
彼らには提供するものはなく、思いやりの愛もない。
しかし、イエスに来れば、あなたは気づくでしょう、
食卓には御馳走があり、友との交わりがあることを!
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!
   (“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.,
      to the tune of “On the Wings of a Dove.”)

十八世紀や十九世紀の過去の伝道集会では、多くの若者達が“教会での夕食”にやって来ました。 神が御力を下された時、夕食に来た若者達はそこに留まり、説教壇をこぶしで打ちながら、聖書を振るい、そしてキリストの福音を大声で告げる説教者に耳を傾けました。 今日、私達にはそれが必要なのです!

“『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい”(ルカ14:23)。

そうです、教会に来る事は、あなた方の孤独を癒します。 なぜ孤独でいるのですか? 教会に来なさい! そのコーラスの部分をもう一度歌って下さい!

教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!

II. しかし、二番目に、教会に来る事があなたを救うのではない。

ある年老いた伝道者が、「車庫に入る事があなたを自動車にしないのと同じで、教会へ行く事は、あなた方をクリスチャンにしない」とよく言いました。 その点において彼は正しかったです。 彼は、毎週日曜日の教会の集会に出席しているので、自分達はクリスチャンであると思っている人達に向かって話していました。 しかし今日、そのような伝道者はロスアンゼルスにはあまりいません。 私達の都市では、ほんの少数の“現代的な”人々が、そのように考えています。 今日彼らは、誤った救いの望を抱いているのです。

しかし、今朝ここにも、教会で生まれ育った救われていない子供達の様に、そう考えている人がいるかもしれません。 あなた方は、「私は教会に来ているから、大丈夫」と思っているかもしれません。 いいえ! その様に考えてはだめです! 教会へ行く事は、車庫に入る事があなた方を自動車にしないのと同様に、あなた方をクリスチャンにはしません! 私の説教を聞いたある人が、「なら、私は教会には来ません」と言いました。 それは、悪魔から来た思い付きです! 教会にいる事は、あなた方を救いませんが、教会にいる事は福音の説教をあなた方に聞かせるでしょう。 そしてあなた方に救いの可能性をもたらすのです! 福音の説教を聞くには、教会に来なければなりません!

キリストは、“あなたがたは新しく生まれなければならない”(ヨハネ3:7)と言われました。 あなた方が救われる為には、新生を体験しなければなりません。

救いは神の恵みのみによるものです。 人の行いは―教会へ来る事も、あなた方を救いません。 回心する事の唯一の道は、神の御子、イエス・キリストに直接来る事です。 イエスはこう言われました、

“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます”(マタイ11:28) 。

救いは、キリストへの信仰のみによる、神の恵みによるものです。 あなた方はイエスに来て、心に彼を信じなければなりません。 “人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです”(ローマ10:10)と書かれてあります。 あなた方はイエスに来ることによって回心するのです。 教会への出席だけではあなた方を救いません。

私達のテキストはこのように語っています、

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”(使徒2:47)。

あなた方は救われる事によってのみ、“仲間に加えられる”のです。 そしてあなた方は、イエスを信頼する事によってのみ、救われるのです。

“「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも…救われます」と言った”(使徒16:31)。

『Come Home to Dinner』の三番とコーラスを歌って下さい。

大都会の人達は、自分に注意を払ってくれない;
彼らには提供するものはなく、思いやりの愛もない。
しかし、イエスに来れば、あなたは気づくでしょう、
食卓には御馳走があり、友との交わりがあることを!
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!

III. 三番目に、教会に来る事は、あなたに福音の説教を聞かせる。 

使徒パウロはこう言いました、

“聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう”(ローマ10:14)。

神が五旬節の時に、三千人の人達を救う(使徒2:37-41)為に用いられたのはペテロの説教でした。 そして、彼らはその弟子に加えられた(使徒2:41, 47)のです。

“三千人ほどが弟子に加えられた”(使徒2:41)。

彼らは、ペテロの説教のもと、仲間に加えられました。

私は福音を説教する事を信じます。 私は毎週日曜日に、この教会で二度福音を説教します。 福音の説教は、多くの教会にとって、時代遅れであることも知っています。 しかし、“流行”など、私は気にしません。 私は、若者達を救いに導く為に説教しなければなりません! アメリカの教会で、毎週日曜日、昔ながらの福音の説教に戻らなければ、私達がリバイバルを体験することは決して無いと思います!

パウロはコリントの教会に向かってこのように言いました、

“しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです”(コリント第一1:23)。

他の教会は人々を楽しませるような話をするかもしれません。 また他の教会では、聖句について長い解説をするかもしれません。 またある教会は、15分程の“感動的なメッセージ”を与えるかもしれません。 “しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです”(コリント第一1:23)。 ここ、バプテスト・タバナクル教会では未だに、“私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです”(コリント第一1:23)。 “しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです”。 他の教会が何を説教しようとも、私達は、毎週日曜日には福音の説教を宣べ伝え続けます!

それは人々を浅はかにさせないでしょうか? 私達の教会のクリスチャン達は、そうではありません! 私達の教会には、私が知る限りで、最もすばらしいクリスチャンが数人います。 彼らのほとんどが、毎週日曜日の午前と晩の集会で、私の福音の説教を聞いて回心しました。 彼らは、日曜日の午前と晩の私の福音の説教によって養われたのです。 彼らは、日曜日の午前と晩の私の福音の説教によって、すばらしいクリスチャンへと育ちました。

私達の教会の執事のグリフィス氏は、私の福音の説教を聞いて救れ、すばらしい神の人となりました。 副牧師の医師チャン先生も、私の福音の説教を聞き救われ、すばらしい神の人となりました。 準牧師のケイガン先生は、彼の回心後まもなくしてこの教会を訪れ、毎週日曜日の午前と晩の私の説教を三十八年間聞いています。 彼は、あなた方が出合う最もすばらしいクリスチャンの一人でしょう。 ケイガン先生とプルードホム氏を除いた全ての私達の教会のリーダー達は皆、私の福音の説教の下で救われました。 彼らは今まで、日曜日の午前と晩の集会で、福音の説教のみを聞いてきました。 彼らはすばらしいクリスチャンです。 彼らは昔ながらの福音の説教を聞き、強固なクリスチャンとなったのです!

いいえ、福音の説教は、それが浅はかな福音の説教で無い限り、あなた方を軽薄なクリスチャンにはしないでしょう。 マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士は、彼の偉大なロンドンの教会で、毎週日曜日の晩に、そしてしばしば日曜日の午前の集会でも、福音を説教しました。 彼は二十世紀に於ける最も偉大な説教者の一人として見なされています。 私は最近、録音から彼の福音の説教を聞きました。 それは本当にすばらしいものでした! 電撃的でした! そのような福音の説教は、神によって回心させられるだけではなく、あなた方を強固なクリスチャンへと育て上げるでしょう。

福音の説教は、聖書の時代にそうであったように、あなた方を救わせ、クリスチャンとして育て上げるでしょう。 使徒の働きの中の、一つを除いて全ての説教は、福音の説教でした。 使徒パウロは、このように言いました、

“なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです”(コリント第一2:2)。

そうです、教会に来なさい。 そしてまた、説教を聞き、イエスに来なさい。 悔い改めて、イエス・キリストを信頼しなさい。 イエスの血があなたの全ての罪を清めるでしょう! イエスはあなたの罪を償う為に、十字架で死なれました。 イエスはあなた方に永遠の命を与える為に、死からよみがえりました。 イエスに来て、彼を信頼し、そして救われなさい! 私の説教に耳を傾けなさい、五旬節で人々がしたように。 そうすれば、あなたも救われるでしょう! ソングシートの最後の歌、『Come Home to Dinner』を歌って下さい。

イエスに来なさい、食卓は調いました;
夕食に来なさい、パンを裂こう。
イエスは私達と一緒に、
夕食に来なさい、パンを裂こう!
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!

ここにいる友との交わりは心地よい;
食卓に着き、心は喜びで満ちる。
イエスは私達と一緒に、
夕食に来なさい、パンを裂こう!
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!

大都会の人達は、自分に注意を払ってくれない;
彼らには提供するものはなく、思いやりの愛もない。
しかし、イエスに来れば、あなたは気づくでしょう、
食卓には御馳走があり、友との交わりがあることを!
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!

イエスに来なさい、食卓は調いました;
夕食に来なさい、食事を共に。
あなたの共はあなたを待つ、
夕食に来なさい、パンを裂こう。
教会に来て食卓に着き、親交のために集まりなさい;
食事を共にする、それは中々のおもてなし!
(“Come Home to Dinner” by Dr. R. L. Hymers, Jr.,
to the tune of “On the Wings of a Dove”).

チャン先生、私達を祈りに導いて下さい。

もしあなたがこの説教で祝福されたのでしたら、ハイマーズ博士に電子メールを送って下さい。 また、あなたの国の名前も記してください。 ハイマーズ博士の電子メールの住所は―rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)。 どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、英語で書いてください。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。

You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。

アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:使徒2:41-47。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Blest Be the Tie That Binds” (by John Fawcett, 1740-1817).

要 綱

ローカル教会の重要性

THE IMPORTANCE OF THE LOCAL CHURCH

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった”
(使徒の働き第2章47節、新改訳)。

(使徒8:1;エペソ5:23;使徒16:31)

I. 最初に、教会に来る事は、あなた方の孤独を癒します。 創世記2:18;ルカ14:23。

II. しかし、二番目に、教会に来る事があなたを救うのではない。
ヨハネ3:7;マタイ11:28;ローマ10:10;使徒16:31。

III. 三番目に、教会に来る事は、あなたに福音の説教を聞かせる。
ローマ10:14;使徒2:41;コリント第一1:23;2:2。