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ノアの時代―その1
(創世記からの説教、その十二)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

THE DAYS OF NOAH – PART I
(SERMON #12 ON THE BOOK OF GENESIS)

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて  
2007年8月12日、主の日の朝の説教

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節).

弟子達は、“あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか”(マタイによる福音書第24章3節)とイエスに尋ねました。 彼らの質問は、“あなたが再び戻って来られる時を、どうしたら私達はわかりますか?”というとても明白なものでした。 キリストは、御自分が再び戻って来る事を明白に彼らに話されました。 キリストは“またきて”(ヨハネによる福音書第14章3節)と言われました。 キリストは、“人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう”(マタイによる福音書第24章30節)と御自分が天の雲に乗って来られる事を、彼らに話されました。

しかし、彼らがいつ キリストは来られるか、どのようにわかるでしょうか? 彼らは、それを知りたかったのです。 彼らは前兆が知りたかったのです。 そうして、キリストは彼らに、多くの前兆を上げられました。 しかし、彼が戻って来られる事が近づいている一番の前兆は、このように表示されています、

もしあなた方が私の再臨の前兆を知りたいのであれば、大洪水以前のノアの時代を学ぶように、とイエスは言われている。 大洪水以前に存在した状態が繰り返される時、それが近づいている事がわかる(M. R. DeHaan, M.D., The Days of Noah, Zondervan, 1971, p. 20) 。

私達がすべき事は、創世記の第4章から6章を読む事です。 聖書のこれらの三つの章は、ノアの時代はどのようであったのかを正確に物語っています。 このような状態が再び世界情勢に現れる時、私達が知るように、キリストの再臨とこの世の終わりが近づいているのです。

ですから、ノアの時代はどのようであったのでしょうか? この説教で、私は、私達の時代とノアの時代との三つの類似点を挙げます。 もし、あなた方が、これらの類似点に注目するならば、私達は現在その時代に生きている事をあなた方が知るであろうと思います。 イエスはこのように言われました、

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

これらが、チャン先生が少し前に読まれた、創世記第4章1-16節と創世記第6章3節に書かれている、私達の時代とノアの時代との類似点です。


1.  背教の時代

2.  進み動く時代

3.  多くの人々が許されることのない罪を犯した時代


これらの状態は、今日私達の周囲で繰り返されています。

I. 最初に、背教の時代であった。

創世記の第4章を開いて下さい。 ここでは、私達は、カインと彼の弟アベルの二人について読み取れます。 彼らは、今日の世界に存在する二つの宗教を象徴しています。 創世記第4章1節のスコーフィールド(Scofield)の記述はこう書いています、

カイン(“取得”)は、地上の単なる人の典型(タイプ)であり、彼の宗教は、罪の適切な自覚、もしくは償いの必要性にかなった自覚に欠けていた 。

カインは、今日、自分自身をクリスチャンと自称している大多数の人々の描写です。 創世記第4章3節に注目して下さい。

“日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした”(創世記第4章3節)。

カインの供え物は血の無い物でした。 彼は、神が彼の両親をまとう為に動物をほふられた(創世記第3章21節参照)という事実から、血を捧げるべきである事を知っていた。 にもかかわらず、彼は地の産物を神に捧げた。 それゆえ、スコーフィールドの記述は、“彼の宗教は、罪の適切な自覚、もしくは償いの必要性にかなった自覚に欠けていた”と書いているのである。

神が彼の供え物を拒絶された時、彼の応答ぶりから、彼は罪における真の自覚 が無い事を、更に私達は理解します。

“しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた” (創世記第4章5節)。

カインは、正しい事をなす事、そして、血の供え物を持ってくる事を拒否しました。 彼の宗教が神に拒絶された時、彼は悔い改めることなく、憤りました。

カインの弟アベルは、正しい供え物を持ってきて、神はそれを受け入れられました。 第4節を読んで下さい。

“アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。 主はアベルとその供え物とを顧みられた” (創世記第4章4節)。

神は、血のいけにえによるアベルの宗教を受け入れられ、カインの血のない供え物を拒否されました。 カインは憤りました。 彼は悔い改めず、彼の宗教観を変えませんでした。 そうはせず、彼は自分の敬虔な弟を殺しました。 第8節はこのように語っています。

“カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。 彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した”
      (創世記第4章8節)。

さて、この事は大洪水以前の時代に起こり、そして、第16章から24章を通してわかるように、カインの宗教がノアの時代の世を占めて来ました。 創世記の第4章17節についてのスコーフィールドの記述はこう書いています:

大洪水における裁きで滅びた最初の文明は、起源、特徴、そして宿命において・・・カイン的なものであった。 カイン的な文明は、ギリシャやローマの文明のように壮麗なものであったかも知れない、しかし、神の裁きは、その道徳的な状態によってであり、物質的なものによるのではない。

カインの子孫は、彼と同様の宗教を保持していました。 彼の子孫のレメクは、彼の妻たちに、第23章と24章に記録されている、このような言葉を述べました:

“レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。 わたしは受ける傷のために、人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍” (創世記第4章23‐24節)。

ノアの時代では、宗教はそのようでした。 それは、敬虔な人達に対して怒りや憎しみで満ちていました。 疑いも無く、カインや彼の子孫がしたように、私達は、多くの人達が主の名を呼んでいた事がわかります。 第26節には、“この時、人々は主の名を呼び始めた”と書かれています。

これらの人々の誰もが偶像崇拝者であったと言う表示はありません。 彼らは、神を信じていると公言していました。 彼らは主の名を呼びました。 しかし、彼らは改心した人達ではありませんでした。 大洪水以前の地上の大部分の人々は、正にカインのようだったのです。 彼らは宗教的ではあっても失われている人達でした。 ですから、ノアの時代の大洪水の際には、聖書は“救われたのは、わずかに八名だけであった”と言っています。 世界中の大多数の人々は、背教的な、血の無い、カインの宗教を保持し、ノアの時代の大洪水の時に、彼らは死滅し、地獄へと落ちていったのです。 イエスはこう言われました、

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

今日、ほとんどの人々はそのようではありませんか? 彼らは、自分達は宗教的であると主張するでしょう。 彼らは、自分達はクリスチャンであるとさえ主張するかもしれませんが、彼らの宗教のようなカインの宗教は、“罪の適切な自覚、もしくは償いの必要性にかなった自覚に欠けていた” (創世記第4章1節におけるスコーフィールドの記述) のです。

では、もしあなた方が救われたいと望むなら、アベルのようにならなくてはなりません。 あなた方は、あなた方の罪を償う為に十字架で死なれた、キリストの血なる犠牲を通して、神に来なければなりません。 キリストの血によってあなた方の罪を洗い清めること無しには、神に来る事は出来ません。

“神は唯一であり、神と人との間の中保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである”
      (テモテへの第一の手紙第2章5節)。

“さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。 その傷によって、あなたがたは、いやされたのである”
      (ペテロの第一の手紙第2章24節)。

救われる為には、他の道はありません。 イエスは、“だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない”(ヨハネによる福音書第14章6節)と言われました。 あなた方が神へ来る唯一の道は、あなた方の罪の為に十字架の上で死なれ、再びよみがえられ、そして、天の神の右座で今なお生きておられるイエス・キリストを通して来る事です。

ちょうど、ノアの時代の人々のように、今日の大多数の人々は失われています。 あなた方はどうでしょうか? アベルがしたように、あなた方もイエスに来て、彼の血によって罪を洗い流してもらいませんか? それとも、カインのように罪を続け、地獄へ行きますか?

今日の多くの教会は背教的になりました。 それらは、人の罪の唯一の解決策であるキリストの血に背を向けています。 彼らは、しばしば、新生や改心について少しの考慮を払っています。 彼らは、キリストによる救いの知識と彼の血による清めを、単なる“決断”に置き換えています。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

そして、もう一つ、“カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した”(創世記第4章8節)。 ヨハネの第一の手紙第3章11節で、このように読み取れます、

“わたしたちは互に愛し合うべきである。 これがあなたがたの初めから聞いていたおとずれである。 カインのようになってはいけない。 彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである。 なぜ兄弟を殺したのか。 彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである。 兄弟たちよ、世があなたがたを憎んでも、驚くには及ばない”(ヨハネの第一の手紙第3勝11‐13節)。

どちらにしても、“世”は真のクリスチャンに害を与えようと努めるでしょう。 もし、あなたが本当に救われているならば、救われていない人々は、あなたに不親切な言動をすることを、あなたは予期すべきです。 そして、あなたがクリスチャンであるが為に、彼らはそうするでしょう。

私は、最初の要点に時間をかけ過ぎてしまいましたが、それはとても重要な事なのです。 今日、背教や誤った宗教が満ちています。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

II. 次に、はなはだしい移動の時代であった。

イエスが、大洪水以前の状態は、最後の時代に繰り返されることを言われた事を思い出してください。 では、創世記の第4章で、聖書は初めて移動について触れています。 創世記第4章16節を開いてください。

“カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ”(創世記第4章16節)。

インターナショナル・バイブル・エンサイクロペディア(International Bible Encyclopedia)には、“カインは彼の住み家をノドの地(‘放浪’)に定め、そこで都市を築く” (Eerdmans, 1976, volume 1, p. 539) と書いています。 “ノド”の地は、文字どうり“放浪の地”という意味です。 これは、カインが一つの場所から他のところへ移った、と言う事を語っています。 デハーン 博士(Dr. DeHaan)は、“伝説では、カインはインドと中国、そして他の遠方の国々へと出て行ったと言われている”(The Days of Noah, Zondervan, 1971, p. 33) と書いています。 これは単なる推測かもしれませんが、聖書では、カインは地上を放浪した事を私達に伝えています。 神は、“あなたは地上の放浪者となるでしょう”(創世記第4章12節)と言われました。 デハーン博士は、こう言っています、

それは、不安、当惑、そして探り調べる事の願望などを暗示している。 これは、聖書の中で最初の、ある場所から他の場所へと放浪についての記述であるゆえ、イエスの言葉の説明において、それは、“人の子の現れるのも、ちょうど大洪水以前の時のようであろう”と、真の意味を理解する。 これは、大洪水以前 であった事を忘れないように、それゆえに、これは確かに、キリストの再臨の前兆として、イエスの言葉に含まれた(M. R. DeHaan, M.D., ibid., p.33 ) 。

現在では、以前に誰も考えつかなかったような、非常な移動や進行があります。 これは、世の終わりの現れとして、ダニエル書で預言されています。 ダニエル書の第12章4節で、私達はこのように読み取れます、

“ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。 多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう” (ダニエル書第12章4節)。

この節が“この世の終わりの時”、もしくは、最後の日々について語っている事に、気をつけて下さい。 そうして、“この世の終わりの時”について、二つの事を私達に示しています。


(1)  多くの人達は、あちこちへと動く

(2)  知識が増して来る


チャールズ・ライリー博士(Dr. Charles Ryrie)は、“最後が近づくにつれて、人々は動き回る・・・”と言うコメントを挙げています (Ryrie Study Bible, note on Daniel 12:4) 。 ニュー・インターナショナル・バージョンNew International Version)は、多くの点で信頼できる翻訳版ではないにしても、この節の前半を“多くの人はあちらこちらへと行くであろう”と、正確に翻訳しています。 そして、クリスウェル博士(Dr. W. A. Criswell)は、ダニエル書第12章4節は我々に“めざましい機動性の時代、そして優れた知識の増進が最後の日々に予想される”と言う事を伝えている (The Criswell Study Bible, note on Daniel 12:4) と述べています。

人間の知識の増進は、めざましい機動性を可能にしています。 蒸気エンジンが発明される以前には、誰もほぼ時速15マイル(24キロ)から18マイル(28.8キロ)よりも速く進む事は出来ませんでした。 蒸気エンジンは、機関車でもって時速60マイル(96キロ)あまりへと増進させました。 初期の自動車は、その速度を時速約70マイル(112キロ)へと変えていきました。 また、初めのころの飛行機はそれを時速250マイル(400キロ)へと上げて行き、そして、ジェット機はそれを時速600マイル(960キロ)へと速めていきました。

19世紀の終わりに、ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)は八十日間世界一周Around the World in Eighty Days)と言う題目で一つの本を書きました。 人がたったの八十日間で、気球で世界を巡ると言う事は、当時(約130年前)生きていた人達にとって、驚くべき、信じられないことのように思えました! しかし、今日では、ジェット機に乗って二日間で世界を飛び回る事が出来ます。 また、スペース・シャトルで、人は一時間半で完全に世界を一回り出来ます。

“多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう”
      (ダニエル書第12章4節)。

これらの事は、大洪水以前に、カインが“地上の放浪者となるでしょう”(創世記第4章12節)と言われた時に、そして、彼がエデンの東、ノド―“放浪”の意味―の地に移動した時に、まさしく起こった事であることに思いを留めてください。 イエスはこう言われました、

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”
      (マタイによる福音書第24章37節)。

私達の時代の人々は、絶えず移動しており、常に休むこともなく、絶えず変っています。 モデルT・フォードの車の出現以前には、人々は一度は移動したかもしれないが、そこで彼らの生涯を落ち着かせました。 しかし、モデルT ・フォードの車は、彼らが幾度も幾度も移動する事を可能にしました。

私は、この機動性は、今の時代の多くの問題の背景となっていると思います。 幾度も幾度も移動する事は、人の人生をだめにしています。 定着しなさい。 足を地に付けて定着しなさい。 “私はもう動かない”と心に決め、そうしなさい。 教会の家に来なさい、そして、ここに留まりなさい! 教会から教会へと移り歩く事は、しばしば、最後の時代において、安らぎの無い魂の原因となります。

“しかし悪しき者は波の洗い海のようだ。 静まることができない”
      (イザヤ書第57章20節)。

今日の物質的な時代で、海の荒い波によって振り回される事、そして絶えず移動する事を止めなさい。 そして、福音の説教されている教会に定着し、どんな事があっても、そこに留まりなさい!

そして、キリストに来なさい。神の御子に身を投げ捨て、彼によって救われなさい。 彼を信頼しなさい、そうすれば、彼の御血があなたの罪を洗い清めるでしょう。 キリストは、あなたの罪を償う為に十字架で死なれました。  彼は、死からよみがえり、天の神の右座におられます。 イエスに来て、救われなさい。

III. 最後に、多くの人々が許されることのない罪を犯した時代であった。

創世記の第6章3節を開いて下さい。

“そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。 彼は肉にすぎないのだ。 しかし、彼の年は百二十年であろう」”(創世記第6章3節)。

神は、人は120年しか生きないであろう、と言われました。 それは、今日の人の一生の10ないし11に値しました。 その後、彼らが、許されることのない罪を犯したが為に、神は彼らをあきらめられました。

統計によると、全ての改心の9割が30歳以下に起こる事を伝えています。 そして、その内8割が20歳以下に起こっています。 20歳以降は、 驚くほど改心の数が減っています。 20歳を過ぎた大多数の人々は、改心していません。 なぜでしょうか? それは、神が彼らをあきらめたからだと思います。 彼らの心は、救われるのには頑なになりすぎているのです。 彼らはもはや罪に対して懺悔の気持ちがないのです。 あなたはどうですか? あなたはすでに心が頑なになり、罪の懺悔を感じなくなってしまったのではないですか? あなたはすでに神にあきらめられたのですか?

ノアの時代には大変に数少ない人々(たったの八名です!)が救われたことを覚えていなさい。 聖書はこのように言っています、

“救われたのは、わずかに八名だけであった”
      (ペテロの第一の手紙第3章20節)。

もしあなたが救われるのであれば、あなたは、今の悪に染まった時代に救われる大変に数少ない人々の一人になるのです。

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節)。

今夜、神はあなたにこのように言っています、

“わたしの霊はながく人の中にとどまらない” (創世記第6章3節)。

あなたの思いを、あなたの罪とこれからやって来る裁きに集中させなさい。 そうして、その後のみに、あなたはイエス・キリストと彼の御血による救いの必要性に気づくでしょう。


我々の主を拒絶することによって引かれる境界線がある、

そこでは、彼の聖霊の呼びかけは聞かれない、

あなたは、欲に狂った者達と群がる、

あなたはその酬いを、その酬いを考えたことがあるか?

もし魂を失った時の、その報いを考えたことがあるか?

全世界をあなた自身のために獲得したとしても?

今でさえ、あなたはその境界線を越えてしまったのかも、

あなたはその酬いを、その酬いを考えたことがあるか?

   (“Have You Counted the Cost?” by A. J. Hodge, 1923).


その報いを考えなさい! あなたの魂は、永久に失われ、黄泉に下るのです! その報いを考えなさい! 聖霊はあなたから離れるでしょう。 あなたはあきらめられるのです-ノアの時代の人々のように。 彼らは箱舟の扉が閉められてから、七日間、箱舟の外で立ちました。 七日が過ぎました! しかし、もう遅いのです! 彼らは許されない罪を犯してしまったのです。 神は彼らをあきらめてしまったのです! あなたには、許されない罪を犯してもらいたくないのです! 聖霊に従いなさい! あなたの罪を考えてみなさい! キリストに来なさい―そして、“彼らはわざわいである。 彼らはカインの道を行き”(ユダの手紙第11節)と言われないように。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読:
創世記第4章1-16節;第6章3節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Have You Counted the Cost?” (by A. J. Hodge, 1923).

要 綱

ノアの時代―その1
(創世記からの説教、その十二)

R. L. ハイマース, Jr. 神学博士 著

“人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう”(マタイによる福音書第24章37節).

I.   最初に、背教の時代であった。  創世記第4章3節
(創世記第3章21節参照);創世記第4章5, 4, 8, 23-24, 26節;
 ペテロの第一の手紙第3章20節;テモテへの第一の手紙第2章5節;
 ペテロの第一の手紙第2章24節;ヨハネの福音書第14章6節;
 ヨハネの第一の手紙第3章11-13節。

II.  次に、はなはだしい移動の時代であった。  創世記第4章16節;
 ダニエル書第12章4節;創世記第4章12節;イザヤ書第57章20節。

III. 最後に、多くの人々が許されることのない罪を犯した時代であった。
 創世記第6章3節;ペテロの第一の手紙第3章20節;
 ユダの手紙第11節。