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若き伝道者の回心に用いられた
五つの説教

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2016年10月9日、主の日の晩の説教

FIVE SERMONS USED IN THE CONVERSION
OF A YOUNG EVANGELIST
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Evening, October 9, 2016

“宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう”(ローマ人への手紙第10章14節、新改訳)。

おそらく私が今までにした説教の中で、最も重要だった説教は、2009年の6月にされた説教です。 これらの五つの説教は、今朝、説教をした青年の回心に、神によって用いられました。 それらは、ジョン・サムエル・ケイガンが回心する直前に聞いた五つの説教です。 ジョンは立派な説教者になるでしょう、ですから、彼の回心に用いられたそれら五つの説教は、おそらく私が説教した最も重要な説教となるでしょう。 回心に導く説教は、今日非常にまれです。 しかし説教は、罪人を回心させる為の最も主要な手段として、神が与えられた方法です。 聖書は、“宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう”(ローマ10:14)と告げています。 次に挙げる五つの説教が、救われる直前にジョンが聞いたものです。 今晩、私が与える要点は、それら五つの説教の主題です。

I. 最初に、『Encouragement to Those who are Not Far from Salvation(救いから遠くない人達への励まし)』(2009年6月7日、主の日の朝の説教)

その説教のテキストは、“あなたは神の国から遠くない”(マルコ12:34)でした。 聖霊は、確かにこの青年の心に働きかけました、なぜなら、御霊のみが、人の神に対する反抗と、キリストへの拒絶を打ち壊す事が出来るからです。 回心していない人は、神に反抗しており、キリストの敵対者です。 「なぜイエスは十字架で死ななければならなかったのですか」と私に尋ねたもう一人の青年について、私は語りました。 この青年は、私が、「キリストは私達の罪を贖う為に死なれました」と話すのを聞きました。 彼は、何度も何度も、何年間も私が話すのを聞きました。 しかし、彼の盲目なる思いはそれを受け入れなかったのです。 あなた方は、「キリストは私達の罪を贖う為に死なれた」という言葉について、深刻に考えなければなりません。 何が、あなた方がキリストに来る事を留めているのですか? 他の人達が何と言うかを恐れているのですか? 彼らが何と言うとどうでも良い事です。 あなた方が地獄に落ちて行く時には、彼らの言葉など全く重要で無くなります。 罪から逃れてキリストに来なさい。 地獄を逃れる道は、他にはありません。

II. 二番目に、『Modern Calvinism and Real Conversion(近代のカルバン主義と真の回心)』(2009年6月7日、主の日の晩の説教)

この説教のテキストは、“だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました”(コリント第二5:17)でした。 私はカルバン主義の教義に反対して説教はしませんでした。 それよりむしろ、教義を信じる事は、あなた方を救わないでしょう、と私は語りました。 真の教義を信じる事さえも、それはあなた方を救いません。 真の教義に頼る事は、あなた方を決して救わないでしょう、と私は語りました。 あなた方は自分自身の罪を自覚しなければならないのです。 あなた方は自分の罪を告白しなければなりません。 あなた方はイエス御自身に来なければなりません、そうでなければ、あなた方は地獄へ落ちて行くでしょう。 あなた方は自分の罪に嫌気を感じます―そうして、その時のみに―あなた方を救って下さるキリストの必要性を知るでしょう。 もしあなた方の邪悪な心を変えて下さるようキリストに望まなければ、あなた方は決して回心しないでしょう。 あなた方は自分の心の邪悪さを恥と思いませんか? それはあなた方を悩ませませんか? もしあなた方が回心する事を望むなら、そう感じなければなりません。 あなた方の邪悪な心に嫌気を感じる時のみに、イエスの清めの血があなた方にとって重要となってくるでしょう。 スポルジョンは、「全生涯に影響を及ぼすような、真の心の変化がなくてはならない」と言いました。 真の回心は、失われた罪人が罪を自覚し、罪を嫌悪する時に起こります。

その説教の中で、私は、「回心は必要なるもの?」と題するスポルジョンの説教から、次のパラグラフを引用しました。 スポルジョンはこう言いました、

真の回心には、四つの無くてはならない合致がある:それらには、悔いなる罪の告白、そしてイエスに罪のゆるしを求めなければならない、そして後の全生涯が影響されるような、真の心の変化がなくてはならない、それらの根本的な要素が見当たらない所には、真の回心はありえない(C. H. Spurgeon, “Is Conversion Necessary?”, Metropolitan Tabernacle Pulpit, Pilgrim Publications, 1971, vol. xx, p. 398)。

III. 三番目に、『祈りと断食によらなければ』(2009年6月14日、主の日の朝の説教)。

テキストは、“この種のものは、祈り(と断食)によらなければ、何によっても追い出せるものではありません”(マルコ9:29)。 私は、“と断食”という言葉が書き落とされていると言いました、なぜなら、グノーシス主義の異端者達によって書き写された二つの古代の写本が、これらの二つの言葉を取り去り、近代の聖書を用いる教会を弱めているのです。 ですが、大多数の古代の写本 は、“祈りと断食”という言葉を含んでいます。 中国では、これらの言葉が聖書に記されています。 それが、近代訳を用いる西洋の国々では、真の、また古典的なリバイバルの体験がほとんど見られない反面、中国では連続的にリバイバルが見られるひとつの理由です。 しかし私達の教会で多くの若者達が回心する為には、祈りと断食の時が無くてはなりません。 彼らが自分達の罪を感じるように、そして十字架に付けられ、よみがえられた救い主との真の出会いがあるように、そしてイエスの尊い血によって清められるように、私達は断食をし、祈らなければなりません。 その説教は、賛美歌『雪よりも白く(Whiter Than Snow)』からの一句で終えました。 その賛美歌は、「主イエスよ、あなた様は,私がひたすらにあなた様を待ち望んでいる事をご存知です、どうか来られて、私に新たな心を造りたまえ」(直訳)と言っています。 しかし、私達の教会のクリスチャンが断食をし、祈っている間、ジョン・ケイガンは断食する事を不快に感じました。 それは彼を憤慨させました―彼の両親は、彼の救いの為に祈り、そして断食をしました。 彼がまもなく回心したにもかかわらず!

IV. 四番目に、『良心と回心』(2009年6月14日、主の日の晩の説教)。

このテキストは、“彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである”(ローマ2:15)でした。 良心とは、自らの行動、考え、もくろみを承認、もしくは不承認すること、自分達が悪い行いをした場合その事を語りかけ、そして私達がその事に対して苦しむに値する事を悟らせ、私達自身に内在する善悪の判断を下す、生まれながらに持った能力です。 アダムは罪を犯し、彼の良心が損なわれた為、彼は自分の罪に対して様々な言い訳をしました。 彼の良心の損ないが人類に受け継がれていることの証明は、彼らの長男カインは弟を殺害したけれど、罪の意識も無く、自分の罪を弁解したという事実です。 人は罪を犯す毎に、自らの良心はより汚され、損なわれます。 ますます罪を犯す事によって、彼らの良心を焼き焦がしています。 “良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである”(テモテ第二4:2)。 私は教会の若者達に、彼らが母親に偽りをつく事によって、学校でカンニングをする事によって、物を盗む事によって、また、教会では口に出すことも出来ない様な最悪な罪で、何度も何度もあなた方の良心を焦がしながら、あなた方の良心は焼けつくと言いました。 あなた方はそれが何であるかを知っています。 今では、罪を自覚する事はほぼ不可能であるようにあなた方は感じています―なぜなら、あなた方は何度も繰り返して罪を犯し、罪を繰り返し犯しながら神を嘲笑し、そうしてあなた方の良心を損ないました。 あなた方を助ける為に、私に何が出来るでしょうか? 認識できないほどに自分の良心を焦がしたのはあなた方です。 私が出来るのはただ、前途なく、また望みも無い堕落した人間として、あなた方を哀れむ事だけです。 私にはあなた方を哀れむ事だけができるのです。 私はあなた方を助ける事は出来ません、なぜなら、あなた方はすでに運命付けられ、有罪と定められているからです。 イエスは、“信じない者は、すでにさばかれている”(ヨハネ3:18)と言われました。 あたかもあなた方はすでに地獄にいるかのように、すでに裁かれているのです。 私は言う事も、また、差し上げる事も出来ません。 神のみがあなた方の罪を悟らすことが出来るのです。 もし以前神が、すでに何らかの罪を悟らせたならば、神が再びあなた方に罪を自覚させてくださるという保証はありません。 しばしば、罪の自覚を、かつてすでに体験した事のある人達には、再び神の御霊の訪れはありません。 あなた方のそれら全ての嘲笑、そしておろかな行いの後には、あなた方には一瞬の罪の自覚も値しません。 もし、あなた方が罪の自覚を失うなら、神は二度とそれを生じさせないかも知れません。 物乞いのごとく神の御前に来なさい!  万能なる神は、あなた方には何の恩も義理もない事をわきまえ、へりくだりなさい! これまで、あなた方は神の御顔に心中でつばを吐きかけてきました。 考えて見なさい! あなた方はまさに自分達の態度を通してキリストの御顔につばを吐きかけました。 ですから、キリストはあなた方に対して何の恩も義理もありません。 あなた方には、ただキリストの怒り、罰、そして地獄の火炎の報いのみが値するのです。 そして今、あなた方は心から、「それが真実であり、神は私に何の恩も義理も無く、ただ地獄の火炎のみが自分には値する。 それ以外の何ものも自分には値しない!」と感じているかもしれません。 ならば、もしあなた方がそのように感じるならば、罪なる女性がキリストに来て彼の足元に口づけしたように、キリストに来るよう私は懇願します。 哀れな虫けらのようにキリストに来なさい。 バニヤンやホウィットフィールドが、哀れみを請うって泣き叫んだように泣き、嘆き悲しんでイエスに来なさい。 もしかしたら、キリストはあなた方を哀れんで下さるかも知れません。 しかし私は、「もしかしたら」としか言えません。 なぜなら、あなた方にとって、救いの時はすでに通り過ぎたかも知れないからです。 あなた方はすでに罪を犯し、永遠に恵みの時は過ぎ去ったかもしれません。 泣きすがってキリストに来なさい。 あなた方にとって、イエスがチャンスを下さる事を確信出来ませんが、ひょっとしたら、キリストはあなた方にもう一度チャンスを与えて下さるかもしれません。 ここの説教壇の前に出て来なさい。 ここに来てひざまずき、そして哀れみを請って泣きすがりなさい。 そうすれば神はあなた方に答え、もう一度神の哀れみを受けるチャンスを与えて下さり、キリストの聖なる御血であなた方を清めて下さるかもしれません。 キリストの血のみが、“わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者」とする事が出来るのです”(へブル9:14)。

V. 五番目に、『枯れた骨の谷』 (ジョン・ケイガンが回心した2009年6月21日の朝に、私はこれを説教した)

そのテキストは、“神である主はこれらの骨にこう仰せられる。 見よ。 わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る”(エゼキエル37:5)でした。 ジョンがこの説教を聞いて回心したとは思いません。 彼がこの説教を真剣に聞いていたとも思いません。 彼が救われるのに用いられた説教は、最初の四つの説教だったと思います。 ジョンの信仰告白の中でそれを読んだ時―彼は、私を軽視していたことが判断できるでしょう。 実際彼は私を嫌っていました。 この説教を私がした時にもジョンは、「必死になってそれを拒絶し、それを聞かないようにしていた・・・私は説教が終わるのを秒読みしていた。 しかし牧師先生は説教を続けた」と言っています。 ですから彼は、信仰告白の中で、その朝私が話した事は一言も何も語っていません。 ジョンは、「招きがあった時にも、私は拒絶していた」と言いました。 そうして彼は、「牧師先生が相談にのって下さり、キリストに来るように私に語りましたが、私は来ませんでした」と言いました。

それは重要なことです。 それが重要であるのは、あなた方の何人かも今そのように感じているからです。 あなた方は私を軽視しています。 あなた方は私を嫌っています。  私の言うことを聞こうともしません。

しかし何かが、その朝ジョンに起こりました。 私が電話帳から何ページかを読み上げても、彼は回心したでしょう。 なぜ私はそう告げるのでしょうか? なぜなら、それ以前の四つの説教が、特に良心についての説教が、彼の頑固な心を貫通していたからです。 それは神御自身が彼の罪について考えさせるように、その説教と他の三つの説教を用いられたのです。 そして彼の奮闘は実際私に対してでは無かった事に気づきました。 彼は実に神に対して奮闘していたことを知ったのです。 ではジョンの信仰告白を聞いて下さい。そうすれば、私自身が彼の回心においてさほど影響していなかった事をあなた方は知るでしょう。 最初の四つの説教を持って、罪の意識を彼に生じさせたのは神だったのです。 神が、私の貧弱な言葉を、この15才の少年の心に罪の意識を起こさせられるように用いられたのです。 “キリストに力強く[彼を引き寄せられた]のは”神だったのです。 私では全くありません。 “宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう”は真実です。 しかし説教者の言葉を罪人が回心するように用いられるのは神です。 預言者ヨナは、“救いは主のものです”(ヨナ2:9)と言いました。 ジョン・サムエル・ケイガンの回心についての信仰告白を私が読む間に、その事をよく考えてください。

私の信仰告白
2009年6月21日
ジョン・サムエル・ケイガン

      私は自分の回心の瞬間をとてもはっきりと、そしてしみじみと覚えており、口で表す言葉は、どんなにすばらしくキリストが変えてくださったかに比べて、あまりにも些細であるように思えます。 回心する前私は、怒り、そして嫌悪で満ちていました。 私は自分の罪を誇り、人々に苦痛を引き起こす事さえ楽しんでいました。そして神を嫌う人達と自分自身を仲間にさせました;自分にとって罪は反省する“間違い”ではありませんでした。私は意図的に自分自身をこのようにさせていました。自分を取り巻く周りが即座に崩れ落ち始めた時に、まったく予測も無しに、神が私に働きかけました。回心の数週間前には、自分が死んでいくようにも感じました:私は眠る事もなく、笑う事も出来ず、心には何の安らぎもなく。私達の教会は伝道集会を催していました。そして私の牧師と私の父を見下して、彼らを嘲笑していた事をもはっきりと覚えています。
      その時に、聖霊が確実に私の罪を悟らせ始めましたが、ある限りの意志の力で、神について、そして回心について、込み上がる全ての思いを拒否しました。それらについて考える事を拒絶し、且つ非常な苦痛の思いを抑える事が出来ませんでした。2009年6月21日の日曜日の朝までには、私は完全に疲れ果ててしまいました。私は何もかもがたまらなく嫌になりました。私は自分自身を嫌悪し始め、自分の罪と、それが自分をどのように変えたかが嫌になりました。
      ハイマーズ先生が説教している間、私のプライドは必死になってそれを聞かないよう、また拒否しようとしていました。しかし、彼が説教していた時、全ての罪が文字どおり私の魂にのしかかるように感じられました。私は 説教か終わるのを秒読みしました。しかし、牧師先生は説教を続け、私の罪がとめど無くますますひどく感じてきました。私はもう抵抗出来なくなり、救われる以外はありませんでした!招きがあった時でさえ、私は抵抗しました。しかし、もう限界でした。私は自分が最悪の罪人であり、神は正しい方であるがゆえに、私を地獄に落とされる事を知っていました。私は奮闘するのに疲れ果て、自分というものが、全っくほどほど嫌になりました。ハイマーズ先生が私にキリストに来るよう助言されました。しかし私は来ませんでした。これらの全ての罪が自分を自覚させたにもかかわらず、私はイエスに来ませんでした。私は救われる事が出来ない、自分がまっすぐ地獄へ落ちて行かなければならないように感じた時、それは何にも増して最悪な瞬間でした。私は救われるように“試み”ました。私はキリストを信頼するよう“試み”ました。しかし出来ませんでした。単に自分自身をキリストへ明け渡す事が出来ませんでした。自分がクリスチャンになる事に対し、決意出来ませんでした。そうしてそれは自分に無力を感じさせました。自分の罪が私を地獄へとプッシュしていように感じられました。それでも自分の頑固さが涙を留めているように感じました。私はこの衝突の中に行き詰まりました。
      突如として、数年前に説教された言葉が思い浮かびました:「キリストに屈服せよ!  キリストに屈服せよ!」。イエスに自分を引き渡さなければならないという思いは、自分を悩ませました、なぜなら、私は長い期間、断じてそれだけはしなかったからです。イエスは私の為に命を捨てられました。真のイエスは、私が彼の敵で、屈服しなかった時でさえ、私の為に十字架へとつけられる為に行かれたのです。その思いが私を引き裂きました;私は全てを断念しなければなりませんでした。私は自分を持ちこたえる事がもはや出来ませんでした。私にはイエスが無くてはなりませんでした!その瞬間に私はイエスに屈服し、信仰を通してイエスに来ました。その瞬間に、自分自身が死に、キリストが私に命を下さったように思えました!イエスは私の罪を御自分の血によって清めてくださいました!私の思いによる行い、もしく意志では無く、心からイエスに単に休息を得る事で、イエスは私を救われました!イエスは御自分の血で私の罪を清められました!その瞬間に、私はキリストを拒絶する事を止めました。私が為さなければならなかった事は、彼を信頼する事であった事が明白でした。私ではなく、それはキリストのみであった、正にその瞬間を私は思い出す事が出来ます。私は屈服しなければなりませんでした!その時には、身体的なフィーリングもしくはまばゆい光などというものはありませんでした。私にはフィーリングは必要ありませんでした、私にはキリストがいました!且つ、イエスを信頼することによって、私の罪が、私の魂から持ち上げられたかのように感じました。私は自分の罪を断念し、イエスだけに目を向けました。イエスが私を救って下さったのです。
      すばらしい教会で育ちながら、イエスに反抗していた最も受けるに値しない罪人をゆるしてくださるとは、イエスは私をどんなにか愛してくださったからに違いありません!私の回心とキリストへの私の愛を表す描写の言葉は不十分に思えます。キリストは御自分の命を私の為に与えられました、それゆえに、私は自分の全てを彼に捧げます。イエスは、私が彼の教会を卑下し、彼の救いを嘲笑した時でさえも、十字架のゆえに御自分の王座を私の為に犠牲にされました;私はどのようにして彼の愛と憐れみを十分に宣言する事が出来るでしょうか?イエスは私の嫌悪と怒りを取り去り、代わりに愛を与えてくれました。彼は、単に新たにスタートする事以上のものを私に与えてくれました―イエスは私に新たな命を与えて下さったのです。イエスは私の全ての罪を洗い清めてくれました。どうしたら私が、具体的な証拠無しに知る事が出来るかが不思議に思えます。けれども私は、自分に、「信仰は、…目に見えないものを確信させるものです」と自分自身に思い知らせる時、私の信仰はイエスにあると思慮した上で、それを知ることに安らぎを見出します。イエスが私の唯一の解決策です。
      私に与えて下さった幾多の恩寵を、神は延長して下さり、そして力強く私を神の御子に引き寄せて下さった事に、私は心から感謝しています。なぜなら、私一人でイエスに来る事は決して無かったでしょうから。これらは全て言葉ですが、私の信仰はイエスにあります、なぜなら、イエスが私を変えて下さったからです。イエスは常におられ、私の解放者、私の休息、私の救い主です。私のイエスへの愛は、彼が私をどんなにか愛して下さったかに比べと、些細なものです。私は決して十分に、また、完全に、そして誠実に、彼の為に生きる事は出来ないでしょう。私はキリストの為に働きすぎる事は決してないでしょう。イエスに仕える事は私の喜びです!イエスは、嫌悪する事だけを知っていた私に、命と安らぎを与えて下さいました。イエスは私の熱望と目標です。私は自分自身を信頼しません、しかし、私の望みをイエスのみに託します。なぜなら、イエスは決して私を失望させる事はなさらないからです。イエスは私に来てくださいました、ですから、私は決して彼を去ることは無いでしょう。

あなた方は、ジョン・サムエルのように罪人です。 この説教の最後に、彼が救われた時、「あなたは罪人です。 あなたは失われています。 イエス以外の誰もあなたを救う事が出来ません。 イエスはあなたの罪を贖うために、そして御自身の血で全てを清めるために十字架で死なれました。 私達が賛美歌を歌う時に、席を立って前方へ出て来て下さい! 『私は失われています! どうか、イエス様、私の罪を、十字架で流されたあなたの血で洗い流して下さい!』 私達が『十字架のかげに』の歌詞の一番を歌う間に、ここに出て来て下さい」と私が語った事を、単にあなた方にも語ることが出来ます。 これは、ジョン・サムエルが救われた時に歌った賛美歌です。ほとんどの人達はそれを知っています。それを歌ってください。その間に、この説教壇の前に出て来て、イエスを信頼してください。

十字架のかげに いずみわきて
   いかなるつみも きよめつくす
おらせたまえ このみを主よ
   十字架のかげに とこしえまで.
(『十字架のかげに』“Near the Cross” by Fanny J. Crosby, 1820-1915).


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(説教終了)
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アーロン・ヤンシー氏による説教前の聖書の朗読:ローマ10:9-14。
ベンジャミン・キンケイド・グリフィス氏による説教前の独唱:
“Near the Cross” (by Fanny J. Crosby, 1820-1915).

要 綱

若き伝道者の回心に用いられた
五つの説教

FIVE SERMONS USED IN THE CONVERSION
OF A YOUNG EVANGELIST

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう”(ローマ人への手紙第10章14節、新改訳)。

I.    最初に、『Encouragement to Those who are Not Far from Salvation
(救いから遠くない人達への励まし)』(2009年6月7日、
主の日の朝の説教) マルコ12:34。

II.   二番目に、『Modern Calvinism and Real Conversion
(近代のカルバン主義と真の回心)』(2009年7月7日、
主の日の晩の説教) コリント第二5:17。

III.  三番目に、『祈りと断食によらなければ』(2009年6月14日、
主の日の朝の説教) マルコ9:29。

IV.  四番目に、『良心と回心』(2009年6月14日、日曜日の晩の説教) 
ローマ2:15;テモテ第一4:2;ヨハネ3:18;へブル9:14。

V.   五番目に、『枯れた骨の谷』 (ジョン・ケイガンが
回心した2009年6月21日の朝に、私はこれを説教した)
エゼキエル37:5;ヨナ2:9。