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イエスがあなた方を固く支えて下さるであろう!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2015年6月28日、主の日の朝の説教

HE WILL HOLD YOU FAST!
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord's Day Morning, June 28, 2015

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”。 (ヨハネの福音書第10章28節、新改訳)

ある説教者が、この約束は決して不信者の人達に対してされるべきではないと言ったのを、私は覚えています。 失われた人達が過信するであろう、また、それは彼らを罪に導くであろう、と彼は言いました。 彼らを不安定な状態に置かなければならない、また、最後に至るまで彼らに“期待”出来るという確信を持たせてはならない、と彼は言いました。 しばらくは、私もその様に信じていました。 多くの誠実なクリスチャン達がこの見解を保持している事を私は知っています。 それを信じる説教者達は、しばしばこのテキストを恐れています。

まず最初に、私達はキリストがこれを説教されるのを聞いた人々を見なければなりません。 第31節は、彼らは、“イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた”(ヨハネ10:31)と書いています。 彼らはキリストがこれを言われるのを非常に忌み嫌いました。 キリストは不信者に対してこのメッセージを説教しました。 私達のこの中にも、何人かの不信者がいるのを知っています。 私達は、救われていない人達が、毎週集会に出席するように熱心に奉仕し、祈ります。 イエスが、その怒った不信者の群集に向かって語られたのと同じ事を、私はあなた方にしなければなりません。

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます”。 その文脈は私達に、“彼ら”とはキリストの羊のことを言及している、と啓示しています。 “わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。 またわたしは彼らを知っています。 そして彼らは私について来ます”(ヨハネ10:27)。 “わたしは彼らに永遠のいのちを与えます”。 私達には、誰がキリストの羊であるかどうかを見分けるために、彼らの想いを読み取る事は出来ません。 しかし、私達の今日のテキストの前の節では、キリストの羊であるのをどのように見分けるかを、私達に知らせています。 “わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。 またわたしは彼らを知っています。 そして彼らは私について来ます”。 これらが真のクリスチャンであることの特徴です。 イエスが語られているのは、彼らについてなのです。

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

“愛によって働く信仰だけが大事なのです”(ガラテヤ5:6)が、キリストの真の羊であることの特徴です。 イエスが、“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。 彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”と告げられたのは、彼らに対してなのです。 マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士は、“キリストを通して、我々は試用の状態にあるのではない。 神の恵みを失う事はあり得ない”(Assurance (Romans 5), The Banner of Truth Trust, 1971, p. 236)。

ある人は、“私は福音の狭間にいます。 私はキリストに来なければならない事を知っていますが、同時に、私は来る事が出来ないのです。 来なければならないけれども、私にはできないのです。 どうしたら良いのでしょう?” この答えは簡単です。 キリストに服従する事です。 彼に切に願いなさい。 彼があなた方の全ての疑問に答えて下さるでしょう。 キリストが、ハンマーでもって福音の狭間にいる状態を壊し、あなた方の魂を救って下さるでしょう。 あなた方は、“私には理解できません”と言うでしょう。 当然です。 それは隠された奥義です。 ギリシャ語では“musterion”です。 それは、人の想いでは未解明であることを意味します。 しかし聖書では且つ真実なことなのです。 使徒パウロは、“私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです”(コリント第一2:7)と言いました。 あなた方自身をキリストに投げ入れなさい。 キリストを信頼しなさい。 そうすれば、全ての疑問はによって解かれるでしょう。 キリストがご自身の血と義によってあなた方を救って下さるでしょう。 そして、彼はあなた方を最後まで保ち護られるでしょう。 全てに渡って、彼はあなた方を保護して下さるでしょう。 そしてあなた方はキリストの羊となるでしょう!

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

私達のテキストの三つの聖句は、キリストの羊への永遠なる保障を信じる、三つの理由を挙げています。

I. 最初に、キリストの賜物。

最初に救い主は、“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます”と言われました。 永遠の命は、賜物として私達一人一人に与えられるのです。 私達が生まれた時には、私達には永遠の命はありませんでした。 私達はアダムの子供として生まれました。 私達は生まれ、そして死ぬのです。 行いによって私達はそれを得ませんでした。 私達は、良い行いによってそれを得る事は出来ません。 私達は聖書を学ぶ事によってそれを得る事は出来ません。 私達は祈りを通してそれを得る事は出来ません。 それは賜物だからです。 それは賜物だから、獲得する事は出来ないのです。 人が自分の魂に永遠の命を受ける時、それは代価なしの賜物なのです。 それは報酬として受けるのではありません。 それは代価なしの賜物なのです。

神は初めから最後までご存知です。 神が人に永遠の命をお与えになる時、人の全ての不完全さと落ち度も神はご存じです。 人が時たましくじる事を神はあらかじめご存じなのです。 人に賜物を与える以前から神は、人がどんな過失を犯すかをご存じなのです。 神は永遠の命を与えた後に、ある過失のゆえにそれを取上げるような事は決してなさいません。

あなた方に永遠の命が与えられ、そうして、あなた方が死ぬ事は可能でしょうか? イエスが“永遠”といわれた時、彼は“永遠”を意図されたのです。 スポルジョンは、“何が何でもその霊的な命を失うほどの罪を犯す事は、私にとって可能では無い”と言いました。 それが“永遠の命”です。

キリストは、井戸に水を汲みに来た女性にこう言われました、

“わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます” (ヨハネ4:14)。

リフォーメイション・スタディ・バイブル(The Reformation Study Bible)』は、“旧約聖書での生ける水は、流れる水[について告げている]―[神の]働きを言及し、比喩的に使用している”と書いています。 “わき出る”は、豊富である事を示しています;“永遠のいのち”は、永遠に、終わりなく、そして豊富に流れるのです! それは正に人の魂の内にある神のいのちです! イエスは、彼の羊に常にわき出る―絶え間のない―常に流れ出る、終わりのないいのちを、神は彼らにお与えになるのです! それは賜物です。 それは獲得できません。 それはキリストからの賜物なのです。 キリストは、決してお与えになったものを取り上げません! 

誰かが、“しかしもし私がそれを保持する事が出来なくなったとしたら?”と言うでしょう。 あぁ、あなた方は未だ中世のカトリック主義のアイディアを想っています! それは、あなた方によって獲得されるものではありません? ではどうしてでしょうか? あなた方は、“罪の内に死んでいる”のです。 死んだ人がどうして保持出来るでしょうか? 死んだ人が救いを得るために、何かをなす事が出来るでしょうか? 神に感謝します。 聖書はこのように告げています、

“罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、—あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです”(エペソ2:5)。

永遠の命は、死んだ魂に与えられるのです。 永遠の命は、罪に死んでいる男性と女性に与えられるのです! それが福音のよい知らせなのです! 主に感謝します! “わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。 彼らは決して滅びることがなく”(ヨハネ10:28)。

彼は我が魂を捨て置かれない、彼は我を固く支えられる
   大いなる代償で買い取り、彼は我を固く支えられる
彼は我を固く支えられる、彼は我を固く支えられる
   我が救い主は我を愛されるがため、彼は我を固く支えられる
(“He Will Hold Me Fast” by Ada R. Habershon, 1861-1918).(直訳)

スポルジョンは、“我々は信者に最後まで保持する事を期待する、なぜなら、神がその人に植えられたいのちは、絶えず存在しなくてはならない。 全ての困難を乗り越えなくてはならず、実を結ばなくてはならない・・・彼を永遠の栄光へと導かなくてはならない”(C. H. Spurgeon, “Perseverance Without Presumption,” MPT, Number 1,055)と言いました。 それは、あなた方を永遠の栄光へと導かなくてはなりません! そうしなければならないのです! それは賜物なのです! イエス・キリストからの賜物なのです! イエスは、“私は彼らに永遠の命を与える”と言われました。 イエスの聖なる御名に於いて感謝します! 彼が私達に永遠の命をお与えになるのです! 私達は何の代価を払いません。 イエスがご自身の十字架での死を通して償われたからです! イエスが死からよみがえられ、それを私達のために獲得されたのです!

ハレルヤ主は なしたまえり 
ちしおのまたき あがないを
   (『信ずるものは何びとも』“Hallelujah, ‘Tis Done” by Philip P. Bliss, 1838-1876).

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

永遠の命はキリストの賜物なのです。

II. 二番目に、キリストの約束。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。 彼らは決して滅びることがなく・・・”。 キリストは、“それをする”と言われたのです。 何という素晴らしい約束ではありませんか! “彼らは決して滅びることな(く)”いのです。 私は、キリストがそう言われた事を喜びます。 ある人達は、彼らの決断によって教会を出て行くかもしれないと言いました。 彼らはキリストから去って行くかもしれないと言いました。 しかしこの言葉はそのような考えを排除します―“彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 これは“常に”の言葉を含めます。 “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 彼らとは、少しの知識しかない新しい信者達ですか? 彼らは新しい回心者だから、彼等の信仰は小さいからでしょうか? “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 彼らが年老いて、人生の苦難が彼らの初期の信仰を押し出す時、彼らは俗的になり、そして信仰を失うからでしょうか? “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 もし俗世間が彼らを滅ぼす事が出来るなら、彼らは滅びるでしょう。 もし悪が再び彼らを捕えるならば、彼らは滅びるでしょう。 しかしそうではないのです。 “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 “決して”の言葉によって“常に”の言葉は締め出されます。 彼らが誘惑されるとしたらどうでしょうか? “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 彼らが冷たくなり、彼らの愛と熱意を失ったならばどうでしょうか? “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。 罪は決して、再び彼らを完全に支配する事はないでしょう。 “彼らは決して滅びることがな(く)”いのです。

私は五十四年間クリスチャンです。 神が遠くへ感じた時が何度かありました。 私が自分の救いを疑った事さえ何度かありました。 私の足元がよろけ、永遠に失われると思った時も何回かありました。 しかしイエスは常に私を助けて下さいました。 イエスは常に絶望の淵から私を連れ戻して下さいました。 私はクリスチャンの家庭で育ちませんでした。 私には良い模範がありませんでした。 恐れの風が私をまといました。 私はほぼ自分自身を失いました。 私は多くの人達が去って行くのを目にしました。 私は彼らと一緒に流されていくような気がしました。 私は続けて行くには弱すぎ、よそ者の様に感じました。 私は、敵のサウル王から身を隠して洞穴にいた時のダビデの様にも感じました、

“私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません”(詩142:4)。

“もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように”(詩94:18)。

私は体験を通してそれを知っています。 “もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように”。 私は体験を通してイエスが真実を告げられた事を知っています。 “彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”。 これは私にとって単なる教義ではありません。 それは、主イエス・キリストの御口を通しての、生きた真実です。 “わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。 彼らは決して滅びることがなく”。

彼は我が魂を捨て置かれない、彼は我を固く支えられる
   大いなる代償で買い取り、彼は我を固く支えられる
彼は我を固く支えられる、彼は我を固く支えられる
   我が救い主は我を愛されるがため、彼は我を固く支えられる

若者達よ、私も若かったのですが、今、年老いて来ました。 私はイエスの約束が真実である事を知っています。 私はそれが真実である事を、徹底して知っています!  “もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように”。 私は、イエスが真実を告げられた事を知っています

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”。

イエスは私を支えて下さいました。 彼は、私を固く支えて下さいました。 イエスが同じ事をあなた方にされる事を、私は知っています! ですから私はあなた方に大胆に、私の救い主、イエスを信頼するよう語る事が出来るのです。 私は何年も前にイエスを信頼しました、そして私は決して滅びる事はありませんでした。 もしあなた方がイエスを信頼するならば、彼は決してあなた方が滅ぼされるようにはさせないでしょう! それはキリストご自身による約束です!

III. 三番目に、キリストの力。

“だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28b)。 “だれも”は、ギリシャ語で“tis ”です。 それは、“だれも”(ジョージ・リッカー・ベリー注解書)、もしくは“誰も”あるいは“何も”(スロトング注解書)という意味です。 偉大なギリシャ語学者A・Tロバートソンはこの節について、“羊は安全性を感じるであろう・・・オオカミ、泥棒、強盗、金目当てに働く人、悪霊、そしてまた悪魔からも、私の手から羊を奪い去るようなことは無い”(Word Pictures; note on John 10:28)と書いています。 ロバートソン博士は、ヨハネの福音書第6章39章に言及します、

“わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです” (ヨハネ6:39)。

再びロバートソン博士は、ヨハネの福音書第17章12節に言及します、“あなたがわたしに下さっている御名の中に、彼らを保ち、守りました。 彼らのうちに滅びた者はなく、・・・”。 そして更に、“あなた方のいのちは、キリストと共に、神のうちに隠されているからです”とコロサイ人への手紙第3章3節にも言及しています。

スポルジョンは、“誰も、だけではなく、悪魔からさえも・・・。 それは、時たま我々の最悪の[敵]である人間だけを含めているのではなく・・・それはまた堕落した悪魔をも含めている;しかし、何も彼の手から我々を奪い去るようなことはできない。 どんな可能性によっても、彼らのどんな敵によっても、彼の・・・所有物としての我々、すなわち、彼の愛する子供、彼の保護された子供であることから、我々を動かす事は出来ない。 何という素晴らし約束であろうか!”(同書)。

ウォーンブランド牧師を想い出して下さい。 あなた方は、なぜ私が彼の本、『Tortured for Christ(キリストへの信仰ゆえに、拷問され)』を何度も何度も読むのかと思うかもしれません。 なぜ私がそのようなむごたらしい本を読むのを好むのかと思うかもしれません。 その理由はと言うと、私は恐ろしさに興味を持って、あるいは血や流血を好んでいるので読んでいるのではありません。 私がこの本を読んでいる理由は、イエスの力が、彼の約束を保っている事を示している事に、私を引き付けるからです。 共産主義の熱狂者達は、ウォーンブランド牧師が福音を説教したが為に彼を拷問にかけました。 彼等は、彼が立って説教が出来なくなるまで、彼の足の裏を打ちつけました。 彼が私達の教会で説教した時、足の深い傷跡の為に彼は靴を脱ぎ、椅子に座って説教しました。 彼らは、彼の身体に燃え滾った鉄の棒で十八の深い穴を彼の身体に開けました。 彼らは、彼を長時間立たせました。 彼らは、彼を飢えさせました。 彼らは、ネズミのはびこる独房に彼を閉じ込めました。 彼らは、彼が人間の声を何か月も聞く事のない独房に入れました。 にもかかわらず彼は、その拷問を貫き通しました―そして、私達の教会で数回説教しました。 あなた方は、“彼は鉄のような強固な意志があるに違いない”と思うでしょう。 いいえ、彼自身が自分は弱い人間だったと言うことでしょう。 彼は、そのような全ての拷問を貫き通しました、なぜなら、キリストの約束が真実だったからです!

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

私はそれが真実である事を知っています、なぜなら、私は自分自身の些細な生活の困難の中でそれを体験したからです。 イエスに安息を得なさい、そうすればあなた方は永遠の命を得るでしょう。 イエスは偽る事はされません。

では再び、偉大なスポルジョンを引用してこの説教を終えなければなりません。 “私は未だ[若い頃]に、いまいましい悪行[そして罪]に落ちて行く事によって、人生の初期に完全な間違いを犯した、多くの将来性のある少年達を目にした。 私は心から、彼らが犯した罪に対して[嫌悪感]を感じた。 私は、[私の両親によって]彼等から遠ざけられた。 それでも私は、それらの若者達が深く陥っていった罪が、自分をも支配するであろうと恐れていた。 私の心の堕落は、自分自身に不信感を抱かせた。 私が回心し、新たに生まれ、そして新たな命を受けいれない限り、自分には安息はないと悟った。 そうでなかったなら、私は悪魔の餌に食いつくかもしれない。 知り合いの少年達がそうしたように、私は自分自身を道徳的に傷つけるであろう思った。 その思いは私を恐れさせた。 しかし、イエスが私を堕落から助けて下さるであろうと聞いた時、 その教えは私を魅了させ、彼が自分を助けてくれるであろうという望みを抱かせた。 私は、‘私がイエスに来て、彼から新たな心と正しい生命力を得る事が出来るなら、私は他の少年達が陥った罪から遠ざかるであろう;私は彼によって保護されるであろう’と思った。 その想いはキリストを信頼するよう私を引き付けた。 私は、イエスが、ご自分に委ねに来る全ての人達の忠実な保護者であり;若者を受け入れ、彼らを清め、そして最後まで保って下さると聞いて喜んだ。 あぁ、若者の方々、イエス・キリストを信じる事ほど、生命の保証はない”(C. H. Spurgeon, 同著, somewhat simplified by Dr. Hymers for modern hearers)。

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”(ヨハネ10:28)。

もう一つの想いがあなた方に浮かぶかもしれません。 私は、敵としての人と悪霊は、救い主の手からあなた方を奪い去る事は出来ないと言いました。 “しかし”、“もし私自身がイエスから去って行ったとしたら? 私自身が教会を去って行き、俗世間へと戻ったとしたら?” と言うでしょう。 親愛なる方々、“私自身”は“誰も”という言葉に含まれているのです。 誤まった回心をして教会を去り、俗世間へと戻って行った多くの人達を私は知っています。 しかし私は、彼らがキリストご自身の羊であった証が彼らになかった事もまた知っています。 彼らはキリストの声を聞いていなかったのです。 彼らは、キリストに知られていなかったのです。 彼らは決してキリストに従いませんでした。 彼らは外面的な決断をしただけで、それを取り消したのです。 しかし、私はあなた方にそうするように語っているのではありません。 私はあなた方に、ナザレのイエス、神の御子へ来るように願っているのです。 私はあなた方に、イエスを信頼し、彼に横たわるように願っているのです。 スポルジョンは、“あぁ、罪人よ、今日あなた方がイエスに、イエスのみに安息するよう導かれ、このテキストを見なす事が出来るよう。 それを恐れてはならない―‘わたしは私の羊に永遠のいのちを与えます。 彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません’”(同著)と言いました。

彼は我を固く支えられる、彼は我を固く支えられる
我が救い主は我を愛されるがため、彼は我を固く支えられる

父なる神よ、この説教を聞いている誰かが、永遠の命を与えて下さるイエスを信頼する事によって、安息を見出す事が出来ます様にお祈りします。 主の御名に於いて、アーメン。

もしあなたがこの説教で祝福されたのでしたら、ハイ
マーズ博士に電子メールを送って下さい―
rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)
。どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、
英語で書いてください。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。

You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。

アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:ヨハネ10:22-29。
ジャック・ナン氏による説教前の独唱:“He Will Hold Me Fast” (by Ada R. Habershon, 1861-1918).

要 綱

イエスがあなた方を固く支えて下さるであろう!

HE WILL HOLD YOU FAST!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません”。 (ヨハネの福音書第10章28節、新改訳)

(ヨハネ10:31, 27;ガラテヤ5:6;コリント第一2:7)

I. 最初に、キリストの賜物。
ヨハネ10:28甲;4:14;エペソ2:5。

II. 二番目に、キリストの約束。
ヨハネ10:28甲;詩篇142:4;詩篇94:18。

III. 三番目に、キリストの力。
ヨハネ10:28乙;6:39;17:12;コロサイ3:3。