Print Sermon

これらの説教文書は、毎月215か国以上の約11万6千台のコンピューターへwww.sermonsfortheworld.com から送られています。他に数百人の人々がユーチューブのビデオを視聴していますが、各々のビデオは、直接私達のウェッブサイトを紹介していますので、すぐにユーチューブを離れ、私達のウェッブサイトにやって来ます。 説教文書は34カ国語で毎月何十万人もの人々へ送られています。また、説教文書は著作権で守られていませんので、説教者の方々は、私達の許可なく使用することが出来ます。 イスラム教圏やヒンズー教圏を含む世界中へ福音を広めているこのすばらしい奉仕への支援に御関心のある方は、 月々の寄付金の送金方法をお知らせしますので、ここをクリックして下さい

ハイマーズ博士に電子メールを送られる際は、どこの国にお住まいかをいつもお知らせ下さい。そうでありませんと、先生はお答えすることができません。ハイマーズ博士の電子メール住所は rlhymersjr@sbcglobal.netです。

共にいて私達は強いのです! 独りでは私達は弱いのです!

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2015年6月21日、主の日の朝の説教

TOGETHER WE ARE STRONG! ALONE WE ARE WEAK!
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Morning, June 21, 2015

“また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか”(へブル人への手紙第10章24-25節、新改訳)。

私の他の多くの説教と同様に、この説教は不明瞭な困惑をもって始まります。 二人の新顔の女の子達は、私達の教会の若者達を好んでいた事を、私は聞きました。 “教会の人達はとても親切です!”と彼女達は言いました。 しかし、彼女達は私を好んでいませんでした。 私はその事について考え、思いを巡らしました。 私の説教が退屈だったからではありません。 私の説教が興味をそそるよう、私は一生懸命に取り組んでいます。 若者達は、私が説教している間、普通は少し口を開け、私を注視してじっと座っています。 それは私の人柄でもありません。 私は若者達と一緒にいるを好みます。 彼らはそのことを理解しています。 その二人の女の子達が嫌がったのは、私がほとんど毎回説教の後で話す内容だったと思います。 私は短いお祈りをします。 そしてカメラに近づいて行きます。 私はユーチューブと私達のウェブサイトの聴衆に向かって話します。 私は、彼らにこう話しかけます―“何としてでも、聖書の説教がされる、出来れば日曜日の晩の集会も行われる教会へ行きなさい。 毎回集会に出席しなさい”と話します。 私は、ジェリー・フォーウェルのテレビの説教番組から、この最後の幾つかの言葉を取り上げました。 “毎回集会に出席しなさい”。 要するに、彼らはそれが理由で教会を去ったのです。

私はそう言うことを止めるべきでしょうか? いいえ―私はそれを言い続けます。 なぜでしょうか? なぜなら、それが若者達に正に必要だからです―それが理由なのです! 私達の教会は、ほぼ例外なく十代後半と二十代前半の回心者達を加える事によって成長します。 その事は稀です。 多くの教会は、88パーセントの教会の若者達を失っています。 私達はほとんどの教会が無くしている若者達と同年代の堅実な若者達を加える事で成長します。 私達は一切手加減せず、もしくは、彼らを“おだてる”事無く成長しています。 今日の若者達は、そのようなまやかしを見分らるほどの目をもっています。 私は彼らに率直に話します。 私は、“それがあなた方に必要な事―そして、これがあなた方に必要である理由です”と語ります。 “遊びではありません!” 率直な教えです! 自分で判断して下さい! 彼らが教会を去ったとしても、私が彼らに正直であった事を彼らは認めるでしょう! 私は、あなた方が私に好意を持つように仕向けてはいません! 私は、あなた方を回心させようとしているだけです。 私の目的は、あなた方が真のクリスチャンになり、堅実な教会員となるのを助ける事です!

あなた方は、“なぜ、この教会が私に必要なのでしょうか?”と言うでしょう。 なぜなら、教会無しでは、あなた方には何も永続するものは無いからです! アルビン・トフラー(Alvin Toffler)は、それについて『未来の衝撃Future Shock)』でこう書いています。 彼は、“永遠なる死”、“一時的な観念”、“将来の友人関係”、“連続した結婚”、そして“友人を無くす方法”などについて書いています。 変化、変化、変化! 可動性と変化は私達に不変の家庭、そして永続的な友人関係を提供しません! 私達の知る事と知る人達は、全て一時的なのです! それは若者達に未来の衝撃を与えます! トフラーは、その本を七十年代に書いています。 先週の木曜日に再度その本を読んだ時、それはあたかも六か月前辺りに書かれた書物のように思えるほどに私は思いました! 人々は皆、しばしばよく移動し、生活を変えます。 若者達は、異なったボール紙で造った箱家に住むホームレスの人達の様に、毎晩異なった通りに出没します。 多くの若者達が何らかの薬物治療を受けているのも無理はありません! この世は彼らを素通りし回転していきます―あまりにも速く、彼らは生活を耐え忍ぶ為に薬物が必要だと感じるのです。 若者達がほんの一、二時間で知り合った“友人達”について語るのを聞く事に、私は常にびっくりさせられます。 私はあら捜しをしているのではありません。 私はただ観察しているだけです。 現代の若者達は、私達が下着を替えるように、しょっちゅう“友人達”を変えているのです!

ポール・マッカートニーは、私よりちょうど一歳年下です。 彼はかろうじてヒッピーと呼べる年齢でした。 多くのヒッピー達の様にビートルズのポール・マッカートニーは、孤独について関心を持っています。 彼は、説教の前にグリフィス氏が歌った奇妙な歌を書きました―彼がそれをジョン・レノンと一緒に歌い、ビートルズの歌として大ヒットしました。 それは、エレノア・リグビー(独身の中年の女性)と独りで住むマッケンジー神父の二人について語っています。

誰も聞く事の無い説教を書いているマッケンジー神父。
誰も近づかない。
誰もいない夜に、自分の靴下の穴を繕っている彼を見てごらん。
彼は何を気にするのか?

誰も関心を示さない説教を書いている老年の神父。 “誰もいない時に”自分の靴下の穴を繕っている。 “彼は何を気にするのか?” 彼は独りでいる事に慣れているあまり、何らそれを気にすることはないのです。

エレノア・リグビーは教会で死に、彼女の名と共に葬られた。
誰も来なかった。

彼女は、彼女の名前を残す子供達も無く死にました。 誰も彼女の葬式には来ませんでした。

その墓から立ち去りながら、彼の手からほこりを拭いているマッケンジー神父。
誰も救われなかった。

誰も彼女の葬式には参列しませんでした。 誰も彼の説教を聞きませんでした。 誰も救われませんでした。 そして、コーラスが続きます。

全ての孤独な人たち、
彼らは皆どこから来るのか?
全ての孤独な人たち、
彼らは皆どこから来るのか?

そのような思いがヒッピー達を悩ませました。 バークレーで、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーで、ハリウッド通りとベニス・ビーチで、何千人ものヒッピー達が集りました。 彼らの多くは古い家を借りて、一緒に生活しました。 他は、そこで一、二晩“寝泊まり”しました。 彼らは一緒に居たかったのです。 彼らは共通した事を感じたかったのです。 彼らにダッフルバッグを引きずらせ、床に座らせるなら、彼らを教会に連れて来ることは容易でした。 彼らは、“ジーザス・フリークス(キリストの狂信者)”もしくは、“ジーザス・ピープル”とも呼ばれました。

バプテスト主義者は、チャンスを逃しました。 彼らは容易に何万人というそれらの若者達を得る事が出来たのです。 しかし彼らは、それらの若者達を恐れたのです。 今はもう遅すぎます―永遠に遅すぎるのです。 カリスマ主義とペンテコスト主義が彼らを歓迎しました。 現在、バプテスト主義者達は、東洋人とスペイン系の若者達を恐れています。 彼らは容易に何千人ものそれらの若者達を連れて来ることが出来ることでしょう。 しかし彼らは、それらの若者達をも恐れているのです。 すぐにもそれは手遅れとなるでしょう―再び、永遠に手遅れとなるでしょう。

しかし、あなた方若者達は“寝泊まり”する共同の家を必要としません。 その共同する事の必要性さえも感じていません。 ごく最近私は、“ジーザス・ピープル”と一緒に働いていた友人と話をしました。 私は彼に、なぜ現在の若者達はヒッピー達のように共同の必要性を感じないのかと尋ねました。 彼は、“考えた事も無い、判らない”と応答しました。 彼がそう言った途端に、その解答が頭に浮かんできました―“彼らには共有する場所は必要ないのです、なぜなら、彼らにはアイフォンとスマートフォンがあるから”。 彼らには、一昔前のヒッピー達が必要とした生活共同体を必要としていないのです。 現在の彼らにはアイフォンやスマートフォンがあるからです。 彼らはそれに書く事が出来るし、それに話す事も出来るからです―そして、多くの親しい友人達がいるように彼らは振る舞っています。 それらの機械が真の友人達の代用をしているのです。 機械を通しての友人達を持つのはより簡単なのに、なぜ真の友人達をつくる手間をかけるのか? エレノア・リグビーとマッケンジー神父がそのような機械を持っていたなら、彼らはそれほど孤独な思いはしなかったでしょう。 彼らもあなた方のような“仮想”の友人達がいたでしょう。 しかし、“仮想”の友人は、真の友人と同じではありません! 決してそうではありません! サウス・カロライナ州の一人の若者について聞きましたか? 彼は先週、九人の人達を殺しました。 彼に何が起こったのでしょうか? そうです、彼はインターネットの中に生きていました! それは彼の頭脳を混乱させたのです。 少なくとも何時間か、そのような機械から脱出しなさい! そのような機械から脱出し、まともな生活を送りなさい! そうして教会へ来なさい! ここで私達の今日のテキストへと戻ります、

“また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか”(へブル10:24-25)。

私はこの聖句に関して十冊以上の注解書を調べました。 それら全ては、この聖句は、ローカルの教会での交わりの必要性を言及していました。 W・A・クリスウェス博士は、“この聖句は、ローカルの教会の危機的な重要性に関して、[教会]に忠実になる為の・・・聖書からの最も強固な肯定の一つを与えている”(The Criswell Study Bible, Thomas Nelson Publishers, 1979 edition, p. 1438; note on Hebrews 10:25)と言いました。

現代語訳を挙げて見ましょう。 私はキング・ジェムズ版から説教します。 私は他の訳版は薦めません。 しかし時々現代語訳を読む事は、聖句の影響を“感じ取る”のに参考となるでしょう。 これは ニュー・アメリカン・スタンダード版(NASV)とニュー・インターナショナル版(NIV)を合体した記述のものです(注意:ここでいう現代語訳ではなく、比較する意味で口語訳を下記に記す)。

“愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか”(へブル10:24-25、口語訳)。

私達は、愛と善行を促すように“注意し合う”事が必要です。 私達は教会で“互いに励ましあう”事が必要です。 そうしてジョン・マッカッサーが、“終末論的切迫”と呼んでいるものがあります―それは、“かの日が近づいているのを見て”教会に行く事がもっともっと重要となって来ることを表しています。 かの“日”とは、キリストの再臨の時を示しています。 私達がこの世の終わりの日に近づくにつれ、ローカルの教会に献身する事がもっと重要となってきます。 なぜでしょうか? なぜなら、私達の生きているこの世の終わりの日には、信仰を失わせようと社会的なプレッシャーがもっと更に激しくなるからです。 過去の時代の人々は、週に一度の教会の出席でも、このプレッシャーを切り抜けられました。 しかし現在、荒れ狂う社会変化(未来の衝撃)の流れの中、ローカルの教会での交わりを通して、他のクリスチャン達と共にいる事が、ますます重要とされるのです。 トーマス・へイルの注解書から彼の言葉を聞いて下さい。 “もし誰かが[彼の信仰に]くじけ始めるなら、すぐに勇気づけ、元気づけようではないか。 愛と善行を促すように注意[もしくは刺激]し合おうではないか。 私達の間で、誰も(罪へ、そして俗世間へと)たじろぐ事のないように確かめ合おうではないか。 共にいて我々は強いが、独りでは我々は弱いのである”(Thomas Hale, The Applied New Testament Commentary, Kingsway Publications, 1997, pp. 913, 914; comment on Hebrews 10:24; Dr. Hymers’ notes in brackets)。

ローカルの教会は、聖書研究の為に集まる単なる場所ではありませんが、それも非常に重要です。 私達の交わりは、毎回集会後に共にする教会での食事を中心に成り立っているのではありませんが、それも非常に重要です。 しかし私達の交わりは、教会の主要な目的を中心にして成り立つのです―それは、未だクリスチャンでない若者達を教会に連れて来る為に手を差し伸べる事です。 トーマス・へイルの注解書は、“伝道は、教会の主な目的・・・男性と女性をイエス・キリストへ、そして救いへと導く事・・・主要な関心事である”(同著p. 125)と書いています。

ですから、私達は新しく入って来る人達に、“私達と一緒に来なさい! 私達と一緒に食べなさい! 私達と友達になりなさい! 私達と一緒に賛美しなさい! 私達と一緒に伝道に出て行きなさい! 教会へ入りなさい! 日曜日の晩の集会に来なさい! 祈祷会へ来なさい! 神の家族へと入りなさい!” “共にいて私達は強いのです。 独りでは私達は弱いのです”。

誰もが直ぐにはそうしないでしょう。 ですから私達はあなた方を待ちます。 なぜそれが必要なのかを説明しましょう。  私達は出来る限りの事をしてあなた方を助けます。 それが正に、初期の教会が行った事です。 マイケル・グリーン博士は、『Evangelism in the Early Church(初期の教会での伝道)』(Eerdmans Publishing Company, 2003 edition)と題した素晴らしい本を書きました。 グリーン博士はその中で、“交わりは、教会の前進に絶対的に重大であった。 人々は、豊かで更に満足感が得られる他の交わりによって、[教会に]引き付けられなければならなかった。・・・何とクリスチャン達は互いに愛し合っていたかを、[彼らは体験した](p. 256 )。 教会が、人種、性別、階級、そして教育などの障害を超えて提供した交わりは、測り知れないアトラクションであった(p. 253)”。 グリーン博士は、何も隠れてはなされなかった事を指摘しました。 不信者達は連れて来られ、そして皆と同様に扱われました。 古代のクリスチャンである著者、テルトゥリアヌス(西暦160-220)は、教会でのクリスチャンの愛と交わりについて語っています。 それは我々の信仰の初期の頃に、多くの異端者たちがクリスチャンになるよう引き付けた大きな原因だった(同書)と彼は言いました。 テルトゥリアヌスは、彼らの愛と交わりが原因で、北アフリカで何万人もの異端者達が教会に加わったと言いました。

私は孤独な少年でした。 両親は離婚し、私を全く望まない親戚達と一緒に住みました。 私は街路を独りぼっちで歩きました。 私は、ジョン・レノンが歌ったような人達の一人でした、

“全ての孤独な人たち、
彼らは皆どこから来たのか?”

彼らはどこに属するべきか言いましょう。 彼らは、この教会のような教会にいるべきです! そこにあなた方は属するべきです! 哀れなジョン・レノンは、イエスを信頼することなく、教会にも行く事はありませんでした! 彼の生涯の終わりには、麻薬を使用し、ほぼ一日中ベッドで過ごしたのです。

もし私が健全な教会に入って来ていなかったなら、今朝ここにいなかった事は確かです。 私も哀れなジョン・レノンと同じように、随分前に死んでいたかもしれません。 私の友人は自殺しました。 私もそうしたでしょうか? それはわかりません。 しかし、私は暗黒で孤独な世界から、ローカルの教会で私が見出した温かい交流によって救われました。 私が十代の頃に、その教会は私の二番目の家庭となりました。

あなた方の多くは、私の言う事に耳を傾けない事を知っています。 あなた方が私達とずっと一緒に居ない事も、私はわかっています。 しかし、常に私達があなた方を招待した事を記憶に留めておいてください。 常に、私達があなた方といる事を望んだことを記憶に留めておいて下さい。 それには犠牲が共います! 当然です! 約束には常に犠牲が共なうのです! 約束なしには、結婚は長続きしません。 私はあなた方に約束したいと思います。 そして私は、あなた方にも私に約束する事を願うのです。 トーマス・へイルが彼の注解書で書いたように、“共にいて私達は強いのです。 独りでは私達は弱いのです”(同著p. 914)。 ある人は、“私はそれが出来る”と言うかもしれません。 自分自身に正直になりなさい。 あなた方はそれが出来るでしょうが、あなた方はそれを望んではいません。 あなた方は、“自由”になる事を望んでいます。 残念です。 それは独りになるという事です。 共にいて私達は強いのです。 独りでは私達は弱いのです! 

共にいて私達は強いのです! 独りでは私達は弱いのです! それが私の今朝のあなた方へのメッセージです! 今あなた方はイエスを知る事が出来ます。 イエスに来なさい! イエスは、裁きからあなた方を救う為に十字架で死なれたのです。 イエスは、あなた方に命を与える為に死からよみがえらました。 今彼は、御国で、第三の天国で生きています。 放浪息子の兄の様に扉の外に立たないで下さい。 聖書は、“入ろうともしなかった”(ルカ15:28)と言っています。 他の人達は、家の中で楽しんでいます。 しかし兄は、“入らない”と言ったのです。 あなた方のある人達は今でもそうしています。 私達は、“イエスに来なさい。 中に入り、私達と共に楽しんで下さい”と言います! しかしあなた方は、“私は入りません”と言うのです。 私達は未だあなた方を待っています! イエスに来て私達と共に楽しんで下さい!

こよ― こよ― 
   つかれたるもの
イエスはあいのてをばのぶ
   とく イエスにこよ
(『「われにこよ」とイエスきみは』"Softly and Tenderly Jesus is Calling"
      by Will L. Thompson, 1847-1909).

天なる父よ、私は誰かが、イエスに来る事を―そして、私達の教会へと入って来ることをお祈りします。 イエスの御名を通して、アーメン。 “共にいて私達は強いのです! 独りでは私達は弱いのです!” もしあなた方が今朝私の話した全ての事を忘れても、どうか、これだけは思い出して下さい! 共にいて私達は強いのです! 独りでは私達は弱いのです! アーメン。

もしあなたがこの説教で祝福されたのでしたら、ハイ
マーズ博士に電子メールを送って下さい―
rlhymersjr@sbcglobal.net (ここをクリック)
。どんな言語でもかまいませんが、もし出来るのであれば、
英語で書いてください。

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
www.realconversion.com “Sermon Manuscripts” をクリックしてください。

You may email Dr. Hymers at rlhymersjr@sbcglobal.net, (Click Here) – or you may
write to him at P.O. Box 15308, Los Angeles, CA 90015. Or phone him at (818)352-0452.

これらの説教文書はコピー権で守られていませんので、ハイマーズ博士の許可無く使用
できますが、ハイマーズ博士の全てのビデオメッセージはコピー権で守られており、許
可無く複製・使用はできません。

アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:へブル10:19-25。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Eleanor Rigby” (by Paul McCartney, 1942-).