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わたしの心だ。きよくなれ。

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2015年3月1日、主の日の朝の説教

I WILL – BE THOU CLEAN!
(Japanese)

by Dr. R. L. Hymers, Jr.

A sermon preached at the Baptist Tabernacle of Los Angeles
Lord’s Day Morning, March 1, 2015

“さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった”(マルコの福音書第1章40-42節、新改訳)。

私はマルコの福音書を読むのが大好きです。 彼のヘブライ語の名前はヨハネでした。 マルコは彼のラテン語の名前の“マルコス”から来ています。 ジョン・マルコは使徒ペテロの霊的な息子でした。 ペテロは彼のことを、“私の子マルコ”(ペテロ第一5:13)と呼びました。 パピアス(70-163)は、初期の教父の一人でした。 パピアスは、マルコは彼の福音書をペテロから授かった、と言いました。 彼は、“ペテロの[秘書]マルコは、[ペテロ]が記憶していることを注意深く入念に書き留めた”と言いました。 ジャスティン・マーター(Justin Martyr, 100-165)もまた、マルコがペテロの言葉からこの福音を書き留めたと言いました。 もう一人の教父ユセビアス(Eusebius, 263-339)は、初期のクリスチャンは、“彼らが[ペテロから]受けいれた教えを、彼らの為に書き残すようにマルコに嘆願した”と言いました。

マルコの福音書はアクションのある福音書です、なぜなら、ペテロは行動(アクション)ある人だったからです。 この福音書は、特に行動のある者達と知られたローマ人達に向かって書かれました。 また、マルコの福音書の英語のキング・ジェイムズ訳版には、“and”が1,331回現れています。 “straightway(すぐに)”、あるいは“immediately(すぐに)”などのような言葉が何度も何度も現れています。 “and”と言う言葉は、常に次の行動へと導きます。 英語の聖書では、今日のテキストに先立つ五つの聖句は、“and”で文章が始まります。 今日のテキストの聖句は全て“and”で始まっています。

さて、ツァラアトに冒された人がみもとにお願いに来て”(v. 40)

“(そして)イエスは深くあわれみ”( v. 41)

するとすぐに、そのツァラアトが消えて、(そして)その人はきよくなった”(v. 40)

ローマ人達は力と行動を信じました。 マルコの福音書は全部で十六章あり、それらは私達の主イエス・キリストの力と行動で満ちています。 キリストと彼の働きは、長い文章や旧約聖書からの引用などによっては説明されていません。 それは、ローマ人の聴衆にアピールしたイエスの力と行動を、マルコが私達に現そうとして、彼によってそれらは省かれているのです。

マルコの福音書の初めの章に、多くの行動が記されている事に注目して下さい。

バプテスマのヨハネによる奉仕。
イエスのバプテスマ。
荒野でのイエスへの誘惑。
初期のガラリヤでのイエスの御奉仕。
ペトロとアンデレへの使命。
カペナウムで悪魔を取り出された事。
シモン・ペテロの義母の癒し。
ガラリヤでのイエスの説教の旅。
今日のテキストのツァラアトに冒された人の癒し。

キリストは、行動と力、の方である事が示されています。 そして、彼の力と行動は、今朝あなた方を救う事が出来るのです。

うれいも おそれも
きえさるなり
いのちをあとうる
きよきみなに
   (『ああことばのかぎり』“O For a Thousand Tongues”
      by Charles Wesley, 1707-1788).

マルコの福音書には、九つもの主要な出来事が記されています! マックギー博士は、“マルコの福音書の最初の章には、創世記を除いたどの聖書の書物よりも多くの出来事(内容)が含まれている”(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, volume IV, Thomas Nelson, 1983, p. 161)と言いました。

そうして、私達の今日のテキストに、ツァラアトに冒された人の癒しが挙げられています、

“さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった”(マルコ1:40-42)。

では、この聖句から重要な三つの真実を学びましょう。

I. 最初に、この人はツァラアトに冒された。

レビ記の 13章と14章は、ツァラアトの恐ろしい病気について語っています。 それは現代のツァラアト(もしくはハンセン病)を含んだ多くの皮膚病を表しています。 ある注解者は、この人はおそらく本当にツァラアトに冒されていたのであろう、そうでなかったなら、その癒しは45節で見るような大騒ぎは起こっていなかったであろうと言いました。 ニュー・アンガー聖書辞典は、“新約聖書でツァラアトと告げられたほとんどの人達は、実際ハンセン病であったいう事に多少の疑いもない”(The New Unger’s Bible Dictionary, Moody Press, 1988, p. 307)と書いています。

この人のツァラアトの重い症状は、白い肌の斑点と麻痺した皮膚の状態を生じさせました。 彼の身体の様々な箇所に、腫れが起こりました。 そしてそれらは潰瘍となり、傷からは液がにじみ出ました。 その病状が悪化すると、彼の手足は変形し腫れ上がりました。 その病気はすでに彼の身体の至る箇所に壊疽を生じさせ、実際に腐敗させたのです。 結核症状が彼の顔にすでに現われ、恐ろしい仮面のような顔つきになります―顔に覆いをがぶらなければならないほど非常に醜い、ビクトリア時代の英国の“エレファントマン”に似たような顔つきです。 ツァラアトに冒された人の皮膚は硬く、赤くなります。 これが、現在ではハンセン病として知られている本当のツァラアトです(『The New Unger’s Bible Dictionary 』同著を参照)。

ウォルター・L・ウイルソン博士(Dr Walter L. Wilson)は、この病気は罪の典型(もしくは描写)であると言いました。 それは癒される事なく汚れています。 聖書では、ツァラアトは“清め”られなければならない、と語っています。 なぜなら、それは感染し、ツァラアトにかかった人は孤立し、生活しなければならないからでした。 彼は口を布で覆い、“汚れている! 汚れている!”と叫ばなければなりませんでした。 彼は宿営から、あるいは町から追い出されなければなりませんでした。

それは回心していない全ての人についていえる事です。 彼は教会の会員になる事は出来ません。 彼は罪という病気のゆえに天国へ入る事は出来ません(Walter L. Wilson, M.D., A Dictionary of Bible Types, Hendrickson Publishers, 1999 reprint, p. 257参照)。

“患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない”(レビ記13:45, 46)。

スコーフィールド・バイブルのレビ記第13章1節についての注解は、“(1)血によって;(2)あからさまに忌まわしくなる事において;(3)人間によっては癒されることがない事において、ツァラアトは、罪を表す”と書いています。

ツァラアトは、人の完全なる堕落の典型もしくは描写です。 堕落は私達の血に流れており、アダムから私達へと受け継がれてきました。 それは多少の反抗のような些細なことから始まり、最後には汚らわしく、不快なものとなるのです。

“というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです”(ローマ8:7)。

聖書はこう言っています、

“悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない” (ローマ3:11-12)。

ジョン・ウェスレー(1703-1791)は、カルバン主義者ではありませんでしたが、彼はこの聖句、ローマ人への手紙第3章12、9節について、回心していない人々は、“望みのない、無力で、彼ら自身、もしくは他の人達にとって役に立たず・・・[全ての者]は、[罪]の意識とその支配下にある”と言いました(John Wesley, M.A., Explanatory Notes Upon the New Testament, volume II, Baker Book House, 1983 reprint, pp. 33, 34; notes on Romans 3:12, 9)。

マーティン・ロイド‐ジョーンズ博士(1899-1981)は、“罪の下にある人は、・・・罪によって影響され、支配され、そしてコントロールされている”(Martyn Lloyd-Jones, M.D., Assurance, Romans 5, The Banner of Truth Trust, 1971, p. 306)と言いました。

アイザック・ワッツ博士は、彼の讃美歌でそれをこのように言い表しています、

主よ、我は邪悪なり、罪に生まれし、聖ならず、清きならず
ひとの罪なる思いは、世を堕落させ 我ら全てに降りかかる

みよ、我は汝の御顔を仰ぎ見る、汝の恵みは我が唯一の避けどころなり
外見の姿は何ら我を清めず、ツァラアトは深くわが身を冒す
   (Psalm 51, by Isaac Watts, D.D., 1674-1748).

罪は暗闇の中で人の思いをくらまします。 それはあなた方に、“断念する事が多すぎる。 もし自分が真のクリスチャンになったならば、多くの事を断念しなければならないだろう”と思わせます。 そうしてあなた方は、罪の虜に留まり、望みなく、永久に運命付けられるのです。 あるいは、罪はあなた方に、“自分は毎週教会に通っているから、自分は大丈夫だろう”と思わせます。 そうしてあなた方は、全く望みなく、罪のツァラアトに留まるのです。 あるいは、罪はあなた方に、“私は、救われる事を証明する為に、何らかのフィーリングがなくてはならない”と思わせます。 しかし、聖書は決して私達がフィーリングによって救われる、とは語っていません。 私達は、イエス・キリストを信頼することによって救われるのです。 ある人は何ヶ月も、ある人は何年も、イエスを信頼する事なく、フィーリングを求め続けています。 罪のツァラアトによって損なわれた心以外の何物でもありません! アウグストス・トプラディは、彼の賛美歌の中でこう言っています、

心は驚き、そして沈む
我が身を見据え
我が心の多くの罪の重責知る
置かれし全ての罪に

何と邪悪な思いであろうか、
そこには何と恥ずべきことがあるのか
不信、憶測、ずる賢さ
高慢、妬み、卑屈な恐れ
   (“The Heart” by Augustus Toplady, 1740-1778).

更にワッツ博士はこう言いました、

“外見上の見せかけは、我を清めることはできない;
ツァラアトは深くわが身を蝕む”

いわゆる“罪人の祈り”の言葉を唱えることは、何の益にもなりません。 ある若者が私達に、“私は祈りを唱えたから、好きかってな事が出来る!”と言いました。 その様な事では、誰も救われません! 他の人は、集会の終わりの“献身”の呼びかけに答え、“前に出ます”。 それは何の益にもなりません。 それらは単に誤った、無駄な“外見的な見せ掛け”です。

“外見上の見せかけは、我を清めることはできない;
ツァラアトは深くわが身を蝕む”

それが今日のテキストの、この哀れなツァラアトに冒された人の状況でした。 その人は、彼自身がツァラアトに冒されていることを知っており、彼の行いや言葉は何ら彼を清めることがない事を知っていました。

II. 二番めに、この人はイエスに来た。

“さて、ツァラアトに冒された人がみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます”(マルコ1:40)。

この哀れな人は疑いも無くイエスのうわさを聞いたでしょう。 ジョン・ウェスレーは、彼はおそらくイエスの説教も聞いたであろうと言いました。 ウェスレーは、“おそらくこのツァラアトに冒された人は、他の人々に交わることは出来ないけれども、我々の主を遠くから聞いていたであろう”(同著)と言いました。 ウェスレーは、何千人もの人々が彼の説教を遠くから聞き、そして救われたので、その事を理解していたのでしょう! これは1745年にウェスレー宛てに書かれた手紙の一部です、

あなたとあなたの兄弟[チャールズ]の説教を聞くまで、私は自分自身を理解していませんでした。そして、私は不信者であること、キリスト以外の誰も自分を救ってくれる人はいないことを知りました。私は彼に切に願い、彼は私を聞きいれ、力を持って私の心にこれらの言葉を告げられました、“あなたの罪は赦された。安心して行きなさい”と(John Wesley, M.A., The Works of John Wesley, volume I, Baker Book House, 1979 reprint, page 527)。

それが、正にイエスがこの哀れなツァラアトの患者に為されたことです。 そしてあなた方が自分を謙り、低くしてイエスを信頼するならば、その患者に為されたように、あなた方にも同じ事をイエスはされるでしょう。

III. 三番目に、この人は清くされた。

私は、ペンテコスト主義派やカリスマ主義派の“聴衆”に、二、三言葉を話さなければなりません。 彼らの主要な強調が、身体的な癒しにおかれる時、福音の力が不明瞭となり、しばしばそれは全て無視されます。 私達は身体的な癒しを強調してはなりません。 イエスは、耳痛やへんとう腺炎のような病からではなく、罪のツァラアトから私達を救うために十字架で死なれたのです! “癒し人”について、トーザー博士(Dr. A. W. Tozer, 1897-1963)はこう言いました、

それは、キリストではなく、体験に頼る傾向、しばしば、肉による行いと聖霊による行いを区別する事の能力に欠ける、何とも恥知らずな自己顕示癖となってしまった(A. W. Tozer, D.D., Keys to the Deeper Life, Zondervan Publishing House, n.d., pp. 41, 42 。

当然です、私は、神が私達の身体を癒す事が出来る事を信じます。 私は、キリストはそれをなされる事を確信しています! しかし、私達の身体の癒し、そして私達の罪の傷の癒しとの選択が私達にあるならば、私にとって、その選択は容易です。 私達の身体は直ぐにも滅びてしまいます。 しかし私達の魂は終わりなく、永遠を通して生きるのです。 どちらが最も重要であるかを知る事は容易でしょう! 

このツァラアトに冒された人の癒しについて、短く縮小した記述を通し、私達は身体だけでなく、霊的にも癒される事を理解します。 私達は、明らかにキリストの教えを分りやすく言い換えることが出来ます、

“人は、たとい全世界[身体の癒しを含め]を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう” (マルコ8:36)。

この人は、彼のツァラアトがもっと深刻な事の印であることを知っていました。 彼はイエスにそれを癒すようには願いませんでした。 彼は、“お心一つで、私をきよくしていただけます”と言いました。 彼は、“損傷した皮膚が元に戻ること”だけを求めませんでした。 “深く身体を蝕むツァラアト”が癒されることを願ったのです。 イエスがそんなにも早く、また素晴らしく彼を救われたのは、その理由があったのです。

“「お心一つで、私をきよくしていただけます。」” (マルコ1:40)。

“イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」” (マルコ 1:41).

すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。(マルコ1:42)。

それは、福音の力を表しています。 イエスは、全ての罪からあなた方を清めるために、十字架で御自分の血を流されました。 イエスはあなた方に新たな命を与えるために、死からよみがえられました。 この人のような、シンプルな信仰を通してイエスに来る時、イエスは、“すぐに”、“瞬間的に”あなた方を救われるでしょう! それが聖書の最も偉大なメッセージです! “「お心一つで、私をきよくしていただけます。」”、“「わたしの心だ。きよくなれ。」”-そして彼は清められたのです! それが福音です! それが救いの良い知らせなのです! それが唯一のあなた方の望みです! “「お心一つで、私をきよくしていただけます。」”、“「わたしの心だ。きよくなれ。」”なのです。 イエスに来なさい。 イエスを信頼しなさい。 イエスを信頼する事は簡単です。 イエスはあなた方を瞬間に清めて下さいます!―その人になされたように! 待つ必要はありません! イエスを信頼して、清められなさい! 天の父よ、今朝誰かがイエスを信頼して、イエスの血によって清められますように、お祈りします! アーメン。

我は知る、そう、我は知る
   イエスの血は、邪悪な罪びとを清められると。
我は知る、そう、我は知る
   イエスの血は、邪悪な罪びとを清められると。
(“Yes, I Know!” by Anna W. Waterman, 1920). (直訳)

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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アベル・プルードホーム氏による説教前の聖書の朗読:マルコの福音書1:40-42。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Yes, I Know!” (by Anna W. Waterman, 1920).

要 綱

わたしの心だ。きよくなれ。

R. L. ハイマーズ Jr. 神学博士 著

“さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私をきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった”(マルコの福音書第1章40-42節、新改訳)。

(ペテロへの手紙第一第5章13節)

I. 最初に、この人はツァラアトに冒された。 レビ記13:45, 46;ローマ人への手紙8:7;3:11-12。

II. 二番目に、この人はイエスに来た。 マルコ1:40。

III. 三番目に、この人は清くされた。 マルコ8:36;1:40, 41, 42。