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ナアマンの清め

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

THE CLEANSING OF NAAMAN

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2012年3月4日、主の日の晩の説教

“するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」”(列王紀下第5章10節)。

ナアマンはスリヤ王の軍勢の長でした。 彼は有力な人であり、大勇士でした。 彼は戦場で得た勝利のゆえに、主君によって重んじられました。 しかし、彼は重い皮膚病をわずらっていました。 その皮膚病が彼のからだをむしばみ、まいらせていたのです。 

なお、ナアマンの妻に、イスラエルの地から捕ら得た一人の少女が仕えていました。 彼女はナアマンの妻に、ナアマンの皮膚病を癒す事が出来る一人の預言者がイスラエルにいる事を告げました。 スリヤの王がその事を耳にした時、彼はイスラエルの王に、ナアマンが癒される為に彼の所につかわしたという手紙を書き送りました。 この手紙はイスラエルの王を非常に悩ませました。 彼は衣を裂いて、“わたしは殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。 どうしてこの人は、重い皮膚病の男をわたしにつかわして、それをいやせと言うのか。・・・彼がわたしに争いをしかけているのを知って警戒するがよい”(列王紀下第5章7節)と言いました。 それを預言者エリシャが聞いた時、彼はナアマンを彼のところに来させるように言い、“イスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう”(列王紀下第5章8節)と言いました。

そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の戸口に着きました。 しかし預言者エリシャは外へ出て彼と話しませんでした。 そうせず、彼はナアマンに使者を使わして、“あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。 そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう”(列王紀下第5章10節)と言いました。

しかしナアマンは怒って、“「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、重い皮膚病をいやすのだろうと思った”と言いました。 そしてナアマンは言いました、彼の国の二つの川は、“イスラエルのすべての川水にまさるではないか。 わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。 こうして彼は身をめぐらし、怒って去った”のです。 

その時、ナアマンのしもべたちは彼に、“わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。 まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか”と言いました。 そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、預言者エリシャが彼に告げたように、“その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった”のです。

ナアマンは預言者エリシャのもとに帰って来て、“わたしは今、イスラエルのほか、全地のどこにも神のおられないことを知りました”と言いました。 

多くの偉大な説教者達はこの聖句に関して説教しました。 確かにそれらの説教者達が、ナアマンの皮膚病の癒しはイエスの血によって罪が癒されるという描写であると言った事は正しいことです! もしあなた方は救われていないならば、イエスに来て、全ての罪を彼の尊き御血によって清めてもらうことを、今晩私は心から願います! ナアマンの清めに関して三つの点に注目して下さい。 そして、それらはあなた方も清められることに用いられますように。

I. 最初に、彼は重い皮膚病をわずらっていた。

“彼は大勇士であったが、重い皮膚病をわずらっていた
       (列王紀下第5章1節)。

マックギー博士(Dr. McGee)は、“聖書における重い皮膚病(らい病)は罪の典型であった。 一つの理由として、それは人の手段によって癒されなかったからである。 ナアマンは多くの申し分ない点があったかもしれないが、彼は罪人であった。 彼はその皮膚病を隠そうとした。 しかしそれを癒す事は出来なかった。・・・キリストのみが出来る事である”(J. Vernon McGee, Th.D., Thru the Bible, Thomas Nelson Publishers, 1982, volume II, p. 311; note on II Kings 5:1)と言いました。 

重い皮膚病は、人の罪による完全な堕落を描写しています。 アダムが神に反抗したとき、彼は罪なる重い皮膚病を、人類の全てにもたらしました。 使徒パウロはこのように言っています、

“ひとりの人[アダム]によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、・・・死が全人類にはいり込んだのである”(ローマ人への手紙第5章12節)。

ですから聖書は私達に、全ての救われていない人々は、“罪過によって死んでいた”(エペソ人への手紙第2章5節)と言っているのです。 ダビデ王はこのように言いました、

“見よ、わたしは不義のなかに生れました。 わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました”(詩篇第51篇5節)。

ワッツ博士はその思いを賛美歌でこのように表現しています、

主よ、我は不義のなかに生まれし
   卑しき罪びとなり
罪過に堕ちしものより
   人類は朽ち、我らすべては堕落した。

見よ、汝の御前に我は伏し
   我が唯一の拠りどころは、汝のめぐみにあり
何ら外観は我をきよめず
   重い皮膚病は我がうちに深くうずく
(Dr. Isaac Watts, 1674-1748).

もしあなた方は救われていないのであれば、この賛美歌はあなた方の状態を何と適切に描写していることでしょう! 卑しき罪びと! 不義のなかに生まれし! 何ら外観(決断あるいは祈り)はあなたをきよめず! 重い皮膚病はあなたのうちに深くうずく! 今日のアメリカの教会が、アイザック・ワッツのこの賛美歌を歌う事が出来ればと私は願います! それは今晩のあなた方を示しているのです! エレミヤはそれを正しく描写しています、

“心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか”(エレミヤ書第17章9節)。

第一大覚醒当時の名高い伝道者、ジョージ・ホウィットフィールドはしばしば、人々が彼ら自身の邪悪な心の完全なる堕落を感じるまでは、彼らは回心しないと言いました。 彼らが、自らの心は人によって癒されない罪なる重い皮膚病によって汚されているという指摘に対して、その人が正しいと知った時、何千人もの人々が罪を悟りました。

それはあなた方について真実ではありませんか? イエスはこのように言われました、

すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。 不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴”(マルコによる福音書第7章 21-22節)。

それはあなた方の邪悪な思いに満ちた心を描写していませんか? では、邪悪な罪に染まった心はどのようにして癒されることが出来るのでしょうか? あなた方の内に深く留まる罪なる重い皮膚病が、どのようにしたら清められるのでしょうか? あなた方のように、ナアマンは、“重い皮膚病をわずらって”いました。 どのようにして彼は清められ、そして癒されたのでしょうか? それは私達を次の点へと導きます。

II. 次に、彼の清めの手段が指示された。

“するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう”(列王紀下第5章10節)。

ヨルダン川へ行って七たび身を洗いなさい。 それだけでした! 彼の成した事はそれだけでした。 ナアマンは何か大きな癒しの手段を期待していました。 彼は、“わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、・・・と思った”(列王紀下第5章11節)と言いました。 “と思った”。 あぁ、あなた方も同じ状態ではないかと私は恐れています! “と思った”。 あなた方は救われには何を成さなければならいかを知っていると思っています。 “と思った”。 そのような思いを捨て去りなさい! 今晩あなた方の思いから無くしてしまいなさい、そして神が言われた事を聞きなさい! ドワイト・ムーディはこのように言いました、

ナアマンは、自尊心と皮膚病の、二つの病を持っていた。最初のものは、二番目のと同様清められる必要があった。ナアマンは彼の自尊心なる馬車から降り、それから、指示された方法に従って身を洗わなければならなかった (D. L. Moody, Notes From My Bible, page 58)。

そのように、あなた方が救われたいと望むならば、あなた方は今晩そのように成さなければなりません。 あなた方の思いを捨て去りなさい。 あなた方の自尊心と救いの方法についての自らの思考を捨て、“指示された方法に従って洗いなさい”。 指示された方法とは、イエスに来る事なのです! イエスは、“すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。 あなたがたを休ませてあげよう”(マタイによる福音書第11章28節)と言われました。 イエスに来なさい。 彼はあなた方の罪を、御自身の血によって清め、あなた方に安息を与えて下さるでしょう! “御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである”(ヨハネの第一の手紙第1章7節)。

III. 最後に、彼は従うように説得させられた。

“その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」”(列王紀下第5章13節)。

“身を洗って清くなれ”。 それが、私が今晩あなた方に話していることです! 身を洗って清くなれ!

ヨルダン川の水はタイプ(典型)で、イエスの御血の描写です。 今日の人達が、もしイスラエルにいるとき、ヨルダン川で“再度”自分達を洗礼にかけ、それが彼らのために役に立つと信じている人達がいるのを知りました。 私にしてみれば、これは馬鹿げたことです! たとえそれが最初の洗礼であったとしても、あなた方には何の“役”にもたたないでしょう! それは、あなた方の前もっての死とキリストにおけるよみがえりの描写に過ぎません。 ナアマンの清めは、旧約聖書の時代に起こったことを思い出してください。 今日この時代においては、私たちはイエスにもつ信仰によって清まります。

“・・・その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた・・・”(ローマ人への手紙第3章25節)。

あなた方はイエスの御血に信仰をもたなければなりません! 聖書はこのように言っています、

“御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである”(ヨハネの第一の手紙第1章7節)。

すべての罪! すべての罪―あなた方のこころの中の罪であろうと、あなた方が犯す罪であろうと―すべての罪はイエスの御血でもってきよめられなければなりません。 すなわち、神の御子であるイエス・キリストの御血のみによってきよめられなければなりません! ある古い賛美歌にあるように、

つみのけがれを
   あらいきよむるは
イエス・キリストの
   ちしおのほかなし
イエスのちしを
   ほむべきかな
われをあらい
   ゆきのごとくせり
(『罪のけがれを』“Nothing but the Blood” by Robert Lowry, 1826-1899).

救い主の御血を見下げる人達が、今日いるのを私は知っています。 この罪に対して、神が彼らに慈悲をお与えになるように! 堕落した罪びとを清める方法は、他にはありません! “イエス・キリストの/ちしおのほかなし”です。 天国で、私達は声を上げて歌います、

“わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し”
       (ヨハネの黙示録第1章5節)。

“我が罪は何によって洗い流されることが出来ようか? イエスの御血以外に何もなし”!

イエスは、あなた方の罪の罰を完全に贖うために十字架の上で死なれました。 神の唯一の一人子であるイエスは、すべての罪からあなた方を清めるために、彼の尊い御血を十字架の上で流されました。 彼は今夜天国の父の右座で生きておられます。 今イエスに来なさい、そして、あなた方のすべての罪は清まるでしょう。 あなた方の罪は、彼御自身の御血によって永久に洗い流されるでしょう! その預言者はナアマンに、“身を洗って清くなれ”と言いました。 私は、今夜あなた方に言いましょう、イエスの御血でもって“身を洗って清くなれ”と! グリフィスさんにもう一度来てもらい、“そう わたしは知る(Yes, I Know!)”をもう一度歌ってもらいます。

来たれ、失われし 望みなき 罪びとよ
   イエスの御血は あなたを自由へと解き放つであろう
あなた方のうち最悪なものを 彼は救われし
   彼が私のような卑劣なものを救われたとき
わたしは知る、そう わたしは知る
   イエスの御血は 最も卑しむべき罪びとを清めることがおできになる
わたしは知る、そう わたしは知る
   イエスの御血は 最も卑しむべき罪びとを清めることがおできになる
(“Yes, I Know!” by Anna W. Waterman, 1920).

(説教終了)
ハイマーズ博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による説教前の聖書の朗読: 列王紀下第5章1-15節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Yes, I Know!” (by Anna W. Waterman, 1920).

要 綱

ナアマンの清め

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」”(列王紀下第5章10節)。

(列王紀下第5章7, 8節)

I.   最初に、彼は重い皮膚病をわずらっていた。
列王紀下第5章1節; ローマ人への手紙第5章12節;
エペソ人への手紙第2章5節; 詩篇第51篇5節;
エレミヤ書第17章9節;
マルコによる福音書第7章21-22 節。

II.  次に、彼の清めの手段が指示された。
列王紀下第5章11節; マタイによる福音書第11章28節;
ヨハネの第一の手紙第1章7節。

III. 最後に、彼は従うように説得させられた。
列王紀下第5章13節; ローマ人への手紙第3章25節;
ヨハネの第一の手紙第1章7節;
ヨハネの黙示録第1章5節。