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世の終わりの前兆

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

SIGNS OF THE END
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年10月10日、主の日の晩の説教

“「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」”(マタイによる福音書第24章3節)。

弟子達は二つの質問をしました。 イエスはオリーブ山で話されていたので、“オリーブ山での説教”と 呼ばれる説教の中で順番どおりに彼らに答えられました。 最初に、“いつ、そんなことが起るのでしょうか”。 この質問は、エルサレムの大いなる神殿の破壊について以前イエスが話された事に言及します。 

“イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」”(マタイによる福音書第24章1-2節)。

最初の質問は、“いつ、宮が破壊されるであろうか”という事でした。 その質問に対する答えは、ルカによる福音書第21章20節から24節に記録されているオリーブ山での説教の一箇所にみえます。

“エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい。また、いなかにいる者は市内にはいってはいけない。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう”
       (ルカによる福音書第21章20-24節)。

ヘンリー・モリス博士は、それらの聖句についてこのように書いています、

この前兆は、テトスへの手紙によって、西暦70年に起こった[神殿の]略奪と破壊でもって最終に達した、エルサレムの包囲攻撃に言及する。ローマの軍隊に包囲されたエルサレムを見る事は、[初期のクリスチャン達がしたように]信者達が山へ逃れる為の合図となろう(Henry M. Morris, Ph.D., The Defender’s Study Bible, World Publishers, 1995, p. 1121; note on Luke 21:20)。

“彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう” (ルカによる福音書第21章24節)。

モリス博士は、このように述べています、

エルサレムは、西暦135年に、ヘイドリアンの兵卒達によってより完全に“荒廃させられた” 。 [“そして彼らは、全ての国々へと捕虜とされるであろう]。この特筆される予言は、西暦135年に最終的に成就される。おおよそ100年前になされ、ユダヤ人達が最終的に彼らの故郷へ戻り始めるまで、影響し続けた・・・事実、古代の神殿があった聖地は、今日までもイスラム教アラブ人達によって支配されている。したがって、“異邦人の時代”は未だに成就されておらず、キリストがそこで統治する為に来臨されるまで、その時代は起こらないであろう(同著、1122p、ルカによる福音書第21章20、24節についての解説)。 

よってキリストは、“いつ、そんなことが起るのでしょうか”と言う弟子達の最初の質問に答えられました。 西暦70年に宮が破壊されるであろう。 ユダヤ人達は、西暦135年に世界の国々へと離散させられるであろう。 

そしてまた、彼らは“あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか?”と言う二つ目の質問をしました。 ギリシャ語の“世界”と訳された言葉は“aion”です。 その意味は、“時代”―すなわち、私達が今日生きているクリスチャンの体制制度を意図しています。 キリストは彼らが、“いつ、そんなことが起るのでしょうか”と質問をした事に対して咎められませんでした。 彼らを叱る事はなさらず、かえって、イエスは“前兆”の長い記述を与えられました。 彼らは、一つの前兆を求めましたが、キリストは、それに引き続く聖句で、マルコによる福音書第13章とルカによる福音書第21章で記録されているオリーブ山の説教の中の一部で、彼らに多くの前兆を示されました。

キリストが与えられた前兆について二つの誤りがあると私は思います。 最初に、プレテリスト(過去派)は、全ての前兆を一世紀へとさかのぼらせます。 多くの今日のカルバン主義者達はそのように理解するプレテリストです。 私は、彼らは間違っていると思います。 たとえば、第14節を一世紀に適用させることは、非常な曲解となり、逐語的聖書解釈学に留まります。 

“そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである”(マタイによる福音書第24章14節)。

私達は、弟子達はローマ帝国中に福音を広めた事は知っています、しかし彼らは、“世界中”には福音を“宣べ伝え”ませんでした。 北米、南米、日本、オーストラリア、多くの海洋の島々、その他の国々などには、確かに伝えていません。 マタイの福音書第24章14節は、今日においてのみ、文字どうり成就します。 

そうして、それらの前兆の二番目の誤りは、それら全てを後の時代、七年間の苦難の時に全てを当てはめようとしているという事です。 それは、多くの体制主義者達(ディスペンセーショナリスト)が理解している事です。 ですから私は、すべての前兆を一世紀の昔に適用している事は間違いであり、そしてまた、それらを全て後の苦難の時に、独占的に適用することも間違いであると思います。 私はこれらの“前兆”は現在、今日の邪悪な時代に対して与えられていると確信します。

今日多くの場で前兆についての説教に反対する反応が実在する事は非常に驚くべき事です。 それらの前兆に対する今日の拒絶反応、それ事態が、一つの前兆であるように私には思えます! 私は、ある説教者達自身が、“主の来臨の約束はどうなったのか”(ペテロの第二の手紙第3章3-4節)というような“あざける者たち”のカテゴリーに入るのではないかと恐れています。 そしてそれらの前兆に対する拒絶は、“花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった”(マタイによる福音書第25章5節)、を示していると思います。 居眠りをしているような教会は、それらの前兆について聞こうとしません。 それは彼らを目覚めさせるかもしれません! デハーン博士(Dr. M. R. DeHaan)は、“それには二つの危険なことがある。 まず、日付を定める事の危険、そして次に前兆を無視する事の危険、と同様に、悪と認めない事・・・”(M. R. DeHaan, M.D., Signs of the Times, Kregel Publications, 1997 edition, p. 13)と書いています。

弟子達は、キリストの来臨の時や“世の終り”の前兆を一つ尋ねましたが、キリストは彼らに多くの前兆を挙げられました。 私は三つのカテゴリーに分けて、キリストや使徒達によって挙げられた前兆の幾つかを示します。

I. 最初に、教会内に前兆がみられる。

それは実際には、マタイによる福音書第24章4-5節でイエスが挙げられた最初の前兆でした。

“そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう”(マタイによる福音書第24章 4-5節)。

これは、キリストと自らを称する悪魔達を主に示していると思います。 使徒パウロは、“わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエス”(コリント人への第二の手紙第11章4節)について警告しました。 パウロは言いました、

“しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう”(テモテへの第一の手紙第4章1節)。

今日、私達は、グノーシス主義派の“霊なるキリスト”が多くの教会で説教されているのを見かけます。 このグノーシス主義的なキリストは霊であり、聖書に書かれた真の骨肉なるキリストではありません。 聖書は、“イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である”(ヨハネの第一の手紙第4章3節)と言っています。 今日の全ての英語の聖書の翻訳の中で、KJV(キング・ジェイムズ・バージョン)のみが正しく訳しています!  ギリシャ語の“elēluthota”です。 それは キリストの今現在存在している状態を表しています(cf. Jamieson, Fausset and Brown)。 KJVによる正しい翻訳では、キリストは“肉によって来られる”です。 キリストは骨肉をもって来られ、ご自分のよみがえられた骨肉なる身体で、肉体の状態を保たれています。 イエスが死からよみがえられた後、彼は“霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ”(ルカによる福音書第24章39節)と言われました。 ですから、今日の霊なるキリストは、実際、悪魔なのです!

更に、マタイによる福音書 第24章 24節で、キリストはこのように言われました、

“にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう”
       (マタイによる福音書第24章24節)。

このような邪悪な時代に、“しるしと奇跡”によって、私達は惑わされてはなりません。

“こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう”
       (コリント人への第二の手紙第11章13-15節)。

使徒パウロはこのように警告しています、

“人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう”(テモテへの第二の手紙第4章 3-4節)。

現在、使徒パウロがテサロニケ人への第二の手紙第2章3節で予期している、背教の“教えを背く”時代の最中に私達は生きていると私は確信しています。

そして、キリストはこのように言われました、

“また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう”
       (マタイによる福音書第24章12節)。

キリストは、教会内で不法がはびこり、教会員達の間の“アガペー”なる愛が冷えるであろうと予言されました。 日曜日の午後の集会は閉ざされ、ただ単に真の親睦は多くが過去のものとなりました。 教会員達は、今では初期の教会が行ったように共にする事を好んでいません(使徒行伝第2章46-47節参照)。 更に、イエスは、後の時代には耐え忍んだ祈りがほとんどなされないであろうと予言されました(ルカによる福音書第18章1-8節 参照)。 今日祈祷会があまりなされないのも不思議ではありません。 水曜日の夜の集会は(行われたとしても!)、本来の祈祷会から、おそらく一つあるいは二つの決まり文句で祈りがなされ、聖書研究へと変わっていきました。 確かに、これは世の終わりの前兆です! “人の子が来るとき、地上に信仰(祈りの信仰)が見られるであろうか”(ルカによる福音書第18章8節)。 しかし、イエスがこのように言われた事を忘れてはなりません、

“これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから”(ルカによる福音書第21章28節)。

賛美歌シートの6番の二番目の歌詞を歌いなさい!

闇夜の中、罪は我々に襲い掛かり、
   我らは重き悲しみに沈む。
しかし、今我らは見る、彼の来臨の前兆を、
   我等の心は高まり、喜びの杯はかたむけられる!
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   人々に拒絶された、正に同じイエスが、
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   御力と大いなる栄光を携えて、彼は再び来られる!
(“He Is Coming Again” by Mabel Johnston Camp, 1871-1937).

II. 次に、迫害の前兆がみられる。

イエスは言われました、

“そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう”(マタイによる福音書第24章9-10節)。

“また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。 また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。”(マルコによる福音書第13章12-13節)。

世界の多くの地で、激しい迫害が今起こっています。 そのことに関して、ここをクリックして読んでくださいwww.persecution.com。 ここ西洋諸国に於いても、クリスチャンに対するより強い圧迫が起こっています。 信仰に富む牧師は、教会の分裂を引き起こす者達に攻撃されています。 親は、自分の子供達がクリスチャンにことを妨げようとします。 驚くことですが、真摯な年老いたクリスチャンの親に対して圧迫をかける人達がいます! 多くは、今日では部屋に幽閉され、完全に一人にされ、クリスチャンでない実の子供達は決して彼らを訪れようとはしません。 多くの牧師達は私に、アメリカのクリスチャンはすぐにより激しい迫害を経験するであろうと語っています。 しかし覚えていてください、イエスはこう言われました、

“人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである”(ルカによる福音書第6章22-23節)。

賛美歌シートの6番目の第二の歌詞を再び歌いなさい!

闇夜の中、罪は我々に襲い掛かり、
   我らは重き悲しみに沈む。
しかし、今我らは見る、彼の来臨の前兆を、
   我等の心は高まり、喜びの杯はかたむけられる!
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   人々に拒絶された、正に同じイエスが、
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   御力と大いなる栄光を携えて、彼は再び来られる!

III. 最後に、世界規模の伝道の前兆をみる。

奇妙にもこれらの過酷で厳しい前兆の中ほどで、突然勇気づける前兆が出てくることに注目してください。

“そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである” (マタイによる福音書第24章9-14節)。

“御国の福音”とは、単にマルコによる福音書第13章10節でいう、“こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない”の“福音”です。 背教と迫害のちょうど中ほどで突然キリストは、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない、“そしてそれから最後が来るのである”(マタイによる福音書第24章14節)と言われました。

何という預言でしょうか! 私達の今の時代で、福音が宣べ伝わらない場所は非常に限られています。 インターネットで、ラジオで、短波放送で、サテライトで、そして数千人に及ぶ宣教師を通して、福音は世界規模で宣べ伝えられているのです! マタイによる福音書第24章11-14節は、私達の時代で成就されているのです! 西洋諸国の教会は、夜の集会を止め扉を閉ざしている中、中国や、東南アジアや、アフリカの数カ国、モン族の人たち、そしてインドの不可触民の間、といった第三諸国で福音が爆発的に宣べ伝えられているのは、奇妙なことです! 正にイエスが言われた通りに、背教とリバイバルが同時に進行しているのです! 何と奇妙な逆説でしょうか! であるにもかかわらず、キリストがそう起こるであろうと預言した、正にそのことが起こっているのです!

“また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである”(マタイによる福音書第24章11-14節)。

ハレルヤ! イエスは来られます! 再びその歌を歌いなさい!

闇夜の中、罪は我々に襲い掛かり、
   我らは重き悲しみに沈む。
しかし、今我らは見る、彼の来臨の前兆を、
   我等の心は高まり、喜びの杯はかたむけられる!
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   人々に拒絶された、正に同じイエスが、
彼は再び来られる、彼は再び来られる、
   御力と大いなる栄光を携えて、彼は再び来られる!

あなたはキリストを知っていますか? 彼が来られる準備はしていますか? あなたは回心していますか? もしあなたがまだ救われていないのでしたら、“再度の献身”は役に立ちません。 ある人は、聖書の放蕩息子のように彼らは再びキリストに戻ってきます、と言います。 しかし、聖書は決してその放蕩息子はかっては救われていたが、俗世間に舞い戻り、そして再度彼の人生を献身させた、とは言っていません。 いいえ! 聖書は明白に、彼は失われたと言っています! 彼の父親でさえそう言っています!

“このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』”(ルカによる福音書第15章24節)。

あなたは、自分は失われてると悟り、キリストに来なければなりません! ここをクリックし読んでください:“The Method of Grace” by the great evangelist George Whitefield (1714-1770). 自分は失われていると悟らない人は、決してイエスに来ません。 彼のみに拠り頼むこともしません。 そして、真の回心を経験することもなく、キリストの御血でもって罪から清められることも、そして、キリストの復活で再生されることもありません。

あぁ、神よ、この説教を聞いているか、もしくは読んでいる失われた人達が、罪の悟りに置かれ、汝の御子であるイエス・キリストに来る事を祈ります。 アーメン。

(説教終了)
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:マルコによる福音書第13章1-13節
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“I Wish We’d All Been Ready” (by Larry Norman, 1947-2008).

要  綱

世の終わりの前兆

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」”(マタイによる福音書第24章3節)。

(マタイによる福音書第24章1-2節;ルカによる福音書第21章20-24節;
マタイによる福音書第24章14節)

I.   最初に、教会内に前兆がみられる。マタイによる福音書第24章4-5節;
テモテへの第一の手紙第4章1節;コリント人への第二の手紙第11章4節;
ヨハネの第一の手紙第4章3節;ルカによる福音書第24章39節;
マタイによる福音書第22章24節;コリント人への第二の手紙第11章13-15節;
テモテへの第二の手紙第4章3-4節;テサロニケ人への第二の手紙第2章3節;
マタイによる福音書第24章12節;使徒行伝第2章46-47節;
ルカによる福音書第18章1-8節;第21章28節;ペテロの第二の手紙第3章3-4節;
マタイによる福音書第25章5節。

II.  次に、迫害の前兆がみられる。マタイによる福音書第24章9-10節;
マルコによる福音書第13章12-13節;ルカによる福音書第6章22-23節。

III. 最後に、世界規模の伝道の前兆をみる。マタイによる福音書第24章9-14節;
マルコによる福音書第13章10節;ルカによる福音書第15章24節。