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キリストと異父兄弟ヤコブ―復活の説教

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

CHRIST AND HIS BROTHER – A RESURRECTION SERMON
by Dr. R. L. Hymers, Jr.

ロスアンゼルスのバプテストタバナクル教会にて
2010年4月25日、主の日の朝の説教

“そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ”
(コリント人への第一の手紙第15章7節)。

イエスの復活に関して様々な学説があります。 その一つは、“The Passover Plot(過越祭の陰謀)”と呼ばれる本の中で、ヒュー・ションフィールド博士(Dr. Hugh Schonfield)によって挙げられています。 私は、1965年にその本が最初に出版された時に、読んだのを覚えています。 ションフィールドは、イエスが、アリマテアのヨセフに、ご自分がメシアと思われるよう、ご自身の死体を墓から移すように告げたと言っています。 彼は、キリストの復活の出現は、誤った人物の同一性であったと言い、弟子達のその後の大胆さは、彼らが悪ふざけによってだまされ、彼らがよく判別していなかった事の為であると言っています。 ノーマン・ガイスラー博士(Dr. Norman Geisler)は、彼の書籍、“When Skeptics Ask:(疑い深い人に答える)”の中でその学説の不具合を指摘しています。

その疑問は“なぜ、いつ、そして何処で?”と言う事に要約される。なぜ彼は死体を移すであろうか? ヨセフにはまったくその根拠はない・・・いつ彼が死体を動かす事が出来たか?・・・墓の前にはローマの兵卒が立っていた(マタイによる福音書第27章62‐66節)。翌日には、女達がそこに来た(ルカによる福音書第 24章1節)。まったくその機会は無かった。そして、もし彼が死体を移しえたとしても、どこに彼はそれを置いたか?弟子達が宣べ伝え始める前のほぼ二ヶ月が経過したにもかかわらず、キリストの死体は見つからなかった。もし死体があったとしても、それは誤りを暴露するに十分な期間であった・・・その学説を支えるような動機、機会、もしくは方法は無く、それには復活したキリストの出現に対する説明は無い(Norman L. Geisler, Ph.D. and Ronald M. Brooks, Th.M., When Skeptics Ask, Baker Books, 2001 edition, pp. 123-124)。

ガイスラー博士は、またこのように述べています、

イエスが死からよみがえったという最も顕著な証拠は、イエスが十二回異なった場で500人以上の人達によって目撃されたと言う事である。コリント人への第一の手紙第15章3節から5節にかけて記されている、信条のような御言葉は、初期の教会によって、イエスの死後何年かの内に明確に述べられた。従って、それには大いなる歴史的確実性が伴う(ibid., p. 125; cf. Gary R. Habermas, Ph.D., Ancient Evidence for the Life of Jesus, Thomas Nelson Publishers, 1984, pp. 125-126)。

死からのキリストの復活の最も顕著な証拠の一つは、

“・・・そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙第15章7節)。

と言う事です。

ガイベリン博士(Dr. Gaebelein)の注解書では、“第7節に描かれているそのヤコブは、確かに同じ名前の二人の弟子達のうちの一人であるかのようには書かれていない・・・・なぜなら、全ての使徒達が次に挙げられ、これらの二人をも含むであろう。 そうではなく、その人は、彼らの兄弟と共に十二使徒の一団に加り(使徒行伝第1章14節)、そしてエルサレムの教会で重要な人物となった(使徒行伝第15章13節)主イエスの異父兄弟であったに違いない(マタイによる福音書第13章 33節)・・・これらの全ての証拠(コリント人への第一の手紙第15章5-8節)は、その目撃者達から受けたパウロによって記された”(Frank E. Gaebelein, D.D., General Editor, The Expositor’s Bible Commentary, Zondervan Publishing House, 1981 edition, volume 10, p. 282; note on I Corinthians 15:7)。

ですから、ほとんど全ての注解者達と同様、イエスの復活後にイエスを目撃したヤコブは、イエスの異父兄弟であったと、私達は結論を下します。

“・・・そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙第15章7節)。

キリストが死からよみがえられたという事の、よりよい証拠がありえるでしょうか? イエスを知らなかった人は、だまされるかもしれません。 しかし、イエスご自身の兄弟はだまされないでしょう。 自分の兄弟を知っている人です! 彼らは一緒に育っており、幼少の頃から親密にお互いを知っていました! それ以上に、ヤコブは不信者であり、イエスがメシアである事を信じない疑い深い人でした。 私達がこの聖句を読むと、もっと関心を引き起こします。

“・・・そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙第15章7節)。

ヤコブの証の話を通して見ましょう。

I. 最初に、ヤコブは信じなかった。

聖句は、ヤコブが不信者であった事を明白にしています。 彼は自分の兄弟イエスを預言者としても受け入れず、ましてメシア(救い主)、そして神の御子とは信じていませんでした! マルコの福音書では、イエスの郷里ナザレの人々もイエスを拒否し、彼らはこのように言いました、

“この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。”(マルコによる福音書 第6章3-6節)。

イエスの兄弟ヤコブを含めた親戚達は、イエスを信じていませんでした。

“そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた”
      (マルコによる福音書第6章6節)。

キリストの異父兄弟ヤコブが、彼を信じていなかった事は明白です。 ヨハネの福音書でこのように明白に記されています、

“兄弟たちもイエスを信じていなかったからである”
      (ヨハネによる福音書第7章5節)。

ジョン・ライス博士(Dr. John R. Rice)は、その聖句についてこのように述べています、

イエスの兄弟、ヤコブ、ヨセス、シモンそしてユダ・・・は、キリストの受難前には、救われていなかった(John R. Rice, D.D., The Son of God, Sword of the Lord Publishers, 1976, p. 158; note on John 7:5)。

そして、更にマタイによる福音書12章では、キリストの母親と四人の兄弟達が、キリストをまだ信じていなかった事を示しています。

“イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」”(マタイによる福音書第12章46-50節)。

これらの節で、イエスの母親と兄弟達は、イエスが説教していた時に、彼を妨げようとしました。 ライス博士は、“これらの兄弟達は、明らかにその時は回心しておらず、イエスを信じていなかった”(John R. Rice., D.D., The King of the Jews, Sword of the Lord Publishers, 1980, p. 189)と言っています。 ヤコブも、回心していないの彼らの間にいたでしょう。 ライス博士は、“救い主であるというイエスの主張に対する彼らの拒絶に冷笑的表情が見られた”( The Son of God, 同著)と言っています。 ですから、私達は、ヤコブが自分の兄弟イエスを冷笑し、拒否していたと見なします。 

II. 次に、ヤコブは回心した。

ヤコブがイエスの説教を妨げようとした時、彼は“外に立っていた”(マタイによる福音書第12章46節)。 しかし、キリストが死からよみがえられた後、彼は中にいました! “イエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に”(使徒行伝第1章13-14節)。 イエスが死からよみがえられた後、イエスは屋上の間の祈祷会の中にいたのです! “イエスの兄弟たち”の一人ヤコブも、そこにいました。 彼はようやく回心しました! 『 The Illustrated Dictionary of the Bible』は、このように書いています。

イエスの受難の後に、ヤコブは信者となった。 パウロは、ヤコブがイエスの受難の目撃者であった事を表示している(The Illustrated Dictionary of the Bible, Herbert Lockyer, D.D., editor, Thomas Nelson Publishers, 1986, page 533)。

The International Standard Bible Encyclopedia』は、更に、このように書いています、

回心の種は彼の内に蒔かれていた、なぜなら受難の後、彼は彼の母親と兄弟達と共にエルサレムに留まり、“心を合わせて、ひたすら祈をしていた”(使徒行伝第1章14節)。そして最も初期の信者達の組織の一つを形成した・・・ヤコブはイエスの復活の最初の目撃者の一人であった、なぜなら、よみがえられた主イエスが、ご自身を五百人の人達にはっきりと表された後、“ヤコブに現れ”(コリント人への第一の手紙第15章7節)たからである。 このようなヤコブの増した信仰と信心なる期待は確証を得た(The International Standard Bible Encyclopedia, Eerdmans, 1976, volume III, p. 1561)。  

私達は、イエスの復活後、いつヤコブがイエスを目撃したか明白ではありません。 しかしそれは、キリストが“五百人以上の兄弟たちに”(コリント人への第一の手紙 第15章6節)目撃された後でした。 

そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙 第15章7節)。

私達は、それがいつ起こったかは知りません。 しかし、それは五百人以上の人達がよみがえったキリストを目撃した後でした。 私達は、ヤコブが屋上の間におり(使徒行伝第1章14節)、120人の弟子達と共に数えられた事は知っています。 ヤコブは回心しました! 彼は、死からよみがえった彼の兄弟を見ました! もしあなた方が、自身の兄弟を信じることができないならば、あなた方は誰を信じることができるのですか?

“そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙第 15章7節)。

III. 最後に、ヤコブはクリスチャンの指導者、そして殉教者となった。

死からよみがえった、 彼の兄弟を目撃した事の影響は非常にすばらしい事であり、ヤコブは使徒、クリスチャンの指導者、新約聖書の一つの書の著者、そして殉教者となりました。 ヤコブは、使徒行伝第15章13節と使徒行伝第21章18節に、エルサレムの教会の指導者として記されています。 

“翌日パウロはわたしたちを連れて、ヤコブを訪問しに行った。そこに長老たちがみな集まっていた” (使徒行伝第21章18節)。

かって不信者であったヤコブは、エルサレムの教会の指導者となったのです! そして彼は世界で最初のキリスト教会の牧師でした! 

しかし、ヤコブは謙虚な人でした。 新約聖書の彼が書いた使徒の書簡で、彼は使徒であったけれども、自分を使徒と呼んでいません。 また、彼は彼自身を牧師または長老とも呼んでいません。 ヤコブの手紙第1章1節を開いてください。 ここでこのように彼は書いています。 立ってその節を読んでください。 

“神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる” (ヤコブの手紙第1章1節)。

着席してください。

彼自身をクリスチャンであると表明する偉大な表示:“神と主イエス・キリストとの僕ヤコブ”。 そして、イエスを“主イエス・キリスト”を呼んでいるいることに注目してください。 ヤコブ以上にその事を知っている人はいないでしょう。 結局のところ、イエスは彼自身の兄弟だったのです! ヤコブは自分自身をイエスの“僕”と簡潔に呼んでいます。 このおおいなる変化は、どのように彼に起こったのでしょうか?

“そののち、ヤコブに現れ” (コリント人への第一の手紙第 15章7節)。

ヤコブは、自分の兄弟が死からよみがえった後に彼を見ました。 ヤコブは、人生の終焉にあたり、“主イエス・キリスト”(ヤコブの手紙第1章1節)と彼が呼ぶ復活したキリストを見たと宣言しました。

私達はヤコブを信じることができますか? 彼はキリストの復活の信頼できる目撃者でしょうか? はい、できます―なぜなら、イエスは死からよみがえったと宣言するがために、彼は自分自身の人生を捨てたのです。 彼は、彼自身の兄弟の復活の目撃者だったのです!

ヒエロニムス(Eusebius)は四世紀の歴史学者です。 彼はヤコブを、“ヤコブその人”と呼びました。 彼の初期の教会に間する歴史の中で、ヒエロニムスは、ヤコブがどのように死んだのかを記述しています。 ヒエロニムスは、彼よりも前の一世紀に生きた、クレメントを引用して、ヤコブをこのように描写しています、

彼らは、我々の救い主の天昇の後に、我々の主のより好まれたペテロ、ヤコブ、そしてヨセフは、自身の名誉を望まなかったが、ヤコブその人をエルサレムの司教に選んだ・・・、復活された後の主は、ヤコブその人に知識を授かれ、そしてヨハネとペテロに授かれた。 彼らはその他の使徒達に授け、その他の使徒達はバルナバスを含む70人に授けた・・・ [ヤコブは]聖堂の頂から投げ落とされ、こん棒で殴られ死んだ (Eusebius, c. 260-340 A.D., “The Church History of Eusebius” in The Nicene and Post-Nicene Fathers, Eerdmans, 1982 reprint, volume I, p. 104)。

The New Encyclopedia of Christian Martyrs』は、ヤコブの死をこのように書いています、

      彼らは、ヤコブを群集の前に引っ張り出し、キリストを拒否するように彼に迫った。彼らが驚いたことには、ヤコブは冷静を保っており、この勇ましい群衆の前で予期せぬ冷静さを表した。ヤコブは、彼らの前で、我々の救い主、主イエスは、正に神の御子である事を宣言した・・・。
      クレメントは我々に、彼らはヤコブを引きずり出し、聖堂の頂から投げ落とし、死に至るまで彼をこん棒で殴りつけた、と語る。
      律法学者とパリサイ人達は、ヤコブを幕やの聖域に立たせ、彼に罵声を浴びせた“正義は、我々が受けいる一つだけである。しかし、お前は人々を唆し、十字架につけられたイエスに従うように仕向けている・・・”。ヤコブはそれに答えて、“なぜあなた方は人の子について尋ねるのか?彼は天国にいます偉大な全能者の右座に座しておられる。そして、御雲に乗られて戻ってくるであろう”。
      群集の多くは、ヤコブの言葉に圧倒され、叫んだ“ホサナ、ダビデの子よ”。
      律法学者とパリサイ人は、ヤコブにイエスを証させたことは間違いであった事を悟った・・・それであるが為、彼らは彼を聖堂から投げ落とし、それでも死ななかったので、石で殴り殺した。ヤコブは祈った“主である神と父よ、我は祈る、彼らをゆるし給え。 彼らは何をしているのか何も知らないのです”。 そうして、義の人は殉教した。 彼は落とされた場所に葬られ、その墓石はそこにまだ残っている(The New Encyclopedia of Christian Martyrs, Baker, 2001, p. 23)。

彼は、自身の生命をイエスのために捧げたのです、なぜなら、

“そののち、ヤコブに現れ”
      (コリント人への第一の手紙第 15章7節)。

人生の終焉に彼は、

“神と主イエス・キリストとの僕・・・”  (ヤコブの手紙第1章1節)。

となったのです。

あなたは、この人はキリストが死からよみがえった後に、本当に彼を見たと思いますか? イエスのために生命を捧げた、この人の目撃証言を信じますか? あなたは、兄弟であり、死からよみがえったイエスを見たと信じることができますか? そして、もしあなたがヤコブの証を信じることができるのでしたら、イエスご自身を信じることができますか? あなたは、ヤコブがしたようにイエスを信じることができますか? “「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも・・・救われます」”(使徒行伝第16章31節)。 私達は、あなたがよみがえられたキリストに出くわし、救われますことを祈ります!

(説教終了)
ハイマース博士の説教は毎週インターネットでご覧になれます。
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クレイトン L. チャン医師による、説教前の朗読:コリント人への第一の手紙第15章1-8節。
ベンジャミン キンケイド グリフィス氏による説教前の独唱:
“Christ Arose” (by Robert Lowry, 1826-1899).

要 綱

キリストと異父兄弟ヤコブ―復活の説教

R. L. ハイマーズ、Jr. 神学博士 著

“そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ”
(コリント人への第一の手紙第15章7節)。

(マタイによる福音書第27章62-66節;ルカによる福音書
第24章1節;コリント人への手紙第15章3-5節;
マタイによる福音書第13章33節;
使徒行伝第1章14節;第15章13節)

I.   最初に、ヤコブは信じなかった。マルコによる福音書第6章3-6節;
ヨハネによる福音書第7章5節;マタイによる福音書第12章46-50節。

II.  二番目に、ヤコブは回心した。マタイによる福音書第12章46節;
使徒行伝第1章13-14節;
コリント人への第一の手紙第15章6, 7節;第1章14-15節。

III. 最後に、ヤコブはクリスチャンの指導者、そして殉教者となった。
使徒行伝第15章13節;第21章18節;
ヤコブの手紙第1章1節;使徒行伝第16章31節。